85 世界が動くA3用紙
晴れ渡った空。
7頭の小さな厩舎周りに数人の学生たちがいる。
リゲルと共にバイクでムギを追いかけて来たファクト。
馬房には数頭の馬がいてこちらを見ていた。
「こんちはー!こっちに南海中等学部の女の子が来たと思うんですがいますか?」
「こんにちは。ムギちゃんですよね。もうすぐ戻ってくるとは思うけれど…。」
「今コースにいるよ。呼んでくる?」
馬を見ている学生たちとは仲がよさそうだ。
外に出てみると、小さめのコースで大きな黒い馬を鮮やかに乗りこなすムギがいた。
「おー!ムギ、スゲーな。」
リゲルが感心する。
「ムギちゃーん!」
男子学生が呼ぶと、ムギはコースに沿ってこちらの方に軽く走って来て、きれいに止まった。
「何だファクト?」
「すごいな!なんで今まで言ってくれなかったんだ!馬じゃん!」
「どこで知ったんだ?」
「ライが、今日は馬乗りしてるって教えてくれた。」
「……。」
いきなり来て、超ワクワク顔のファクトが何だか気に入らないムギ。高い馬上から一気に降りる。
「触っていい?」
「危ないから近寄るな。」
「なんでこんなに大きい馬乗ってんの?」
他の馬より少し大きい気がする。
「私の勝手だろ。」
答えてくれないムギの代わりに、厩舎のお兄さんに話を振る。
「なんでですか?」
「ムギが子供の時から時々来てて、何か気が合うんだよね。」
「へー。」
そして、気軽に言うファクト。
「俺も乗りたい。」
「はあ?やめとけ。」
「経験は?」
先のお兄さんが聴いてくれる。
「馬を歩かせて少し乗るくらいなら。」
「え?経験があるのか?」
本当に嫌そうなムギ。
「インストラクター資格がある人がいないと乗せられないけれど、少し経験があるならグラウンドワークだけしてみる?」
「グランドワーク?」
「触ったり一緒に歩いたり。登録すればできるから。」
「したい!」
リゲルとデバイスで登録し、茶色の優しそうな馬を出してもらう。
と、そこでもう1頭、黒と白のまだらの馬がコース外の広場からやって来た。
「お!ホルスタインみたいだな。」
キレイにカーブしながら、近くまで来るとこれまた綺麗に馬からスタッと降りた。
「あれ?この前の…。」
「…こんにちは。」
そこに乗っていたのは一見ユラス人の…この前の友好会でムギにエスコートされて入って来た女子であった。
「こんにちは。この前のムギのお友達ですね!」
「こんにちは。」
「えーと、ファクト君!」
「…ごめんなさい。名前を憶えていないです。」
「はは!ニッカです。何度でも聞いてください。そちらは…」
「リゲルです。ファクトの同級生です。」
リゲルも頭を下げる。
「ファクトは飯にしか興味なかったもんな。」
ムギの言葉に即座に反応する。
「見てた!剣の舞をしていた!」
「覚えていてくださったんですね。ありがとうございます。」
ニッカはにっこり笑う。
「そいつに気い使わなくていいぞ。本当にテキトウな男だから。」
「ムギ、仲いいんだね。」
「ちがーう!」
「馬、乗り慣れているんですか?」
ファクトが話を変えていくので無視されてムギが怒っているが、この男、そんなムギを全く気にしていない。
「故郷で乗っていたんです。」
怒っているムギをリゲルが宥める。
「まあまあ。ムギ、ファクトに乗せられたらおしまいだ。」
男子学生に教えてもらいながら、30分ほど馬と過ごしていると先生が来た。
馬もファクトといい雰囲気で、多少の経験者という事もあり先生に進められ少し乗ってみると、歩くまでは直ぐにできてしまった。
ふくれっ面のムギ。
ムギやニッカのように走って乗りこなすのは無理にしても、すぐに乗れてしまったファクト。
どんなことも、なんとなくしてみて、万遍なく無難にこなすので本当に頭に来るのである。ファクトは先生の指導で馬から降りると、不機嫌なムギに気が付く。
「大丈夫だって。手合わせは俺が勝っても、総合的にはムギの方が強いから。馬に乗れたくらいで怒ることないのに。」
サラッと言ってのけるファクトにご立腹である。煽るなよ、とリゲルがファクトに一言言っておく。
「…。ファクト君ムギに勝ったことあるの?」
それを聴いたニッカが驚いてファクトを見た。Vサインをしておくファクト。
「へー、すごいね。」
ムギは三分戦においては明らかに負けていたので、言い訳も反論の言葉も出てこず、まだふくれっ面をしている。
「…ファクト君あまりムギをいじめないでね。」
「…いじめられてない!」
「……普段はこっちが耐えてるんです。会った瞬間から嫌われていて。」
ニッカの性格が落ち着いているせいか、同い年なのにファクトは敬語が抜けない。
「ところでニッカさん。」
ニッカが何?とファクトを見る。
「もしかして乗馬以外にも技持っています?剣技が得意とか?」
はい?という顔をするニッカ。
「…舞踊と少し型通りの打ち合いをする程度かな。」
「なら、できれば乗馬を教えてほしいのですが。」
「私の乗り方はここではあまり向かないかも。草原でどこまでも走れるから…故郷でなら教えてあげられるけど、ここの先生に指導を受けた方がいいよ。」
「じゃあ今度一緒に実家に遊びに行きましょう!リゲルも行こーぜ!」
秘密にする話ではないが、故郷の事は説明しにくいニッカ。
「都会育ちの人には向かない場所だよ。」
まだらを撫でながら笑って答えるが、故郷に置いて来た兄たちを思い出し、少し胸が締め付けられた。わざわざ兄たちに追い出されたのだ。今は帰ることができない。
「あー!でも、俺もあんなふうに颯爽と馬に乗りたい!」
本当にこいつは頭にそれしかないのか?と、呆れるリゲル。進路も考えず進学とも就職とも関係のないスキルを上げたいファクトなのであった。
しかし、それが学生の特権と言えば特権なのである。
***
いつもの食堂でコーヒーを飲んでいるのはアーツ大人組。
「結婚おめでとう。いつするの?」
「まだ婚約だから。なあ、サルガス。」
「エア結婚おめでとう。」
「うるさい!!」
ドス!と机が揺れた。茶化されて怒るサルガス。
「笑い事じゃないだろ。学生でもないのにこの歳になってなんなんだ…。しんどすぎる…」
落ち着きたい歳なのに、女関係で行きどころのない思いをサルガスは机に込めた。『この歳って、お前まだ26だろ。26で学生なんていくらでもいるぞ』と言いたいが黙っているヴァーゴである。
「そうだよ。笑い事じゃないよ。嘘ついてんだから、恨まれたりするかもよ。ユンシーリだって馬鹿じゃないんだから、プライド捨ててここまで来たんだろうし…。」
ソアがあの2人のショックを受けた顔を思い出し、少し申し訳なくなる。ただ、全体を見ればサルガスに非はない。
「ウソじゃないだろ。エア彼女なら。」
「…まあね。」
いると思えばいるのだ。エアなので。いると思えば。
「エアとか二重で笑えないな。」
男子としては笑えない部分もある。何のエアだ。
その向こうで妄想チームが信じられない顔で見ている。
「なんなんだ?何のスキルだ?3人も女子が寄って来んぞ。」
「すごい。「学生でもないのに」って、学生の時は女友達すらいなかった…。」
「エア彼女なら、俺らの方が得意だよな?」
「ほんとすごいね。サルガスさんは。僕なんて1人でもお情けで気に入ってもらえたら、そこでどうにかしないと、もう一生恋人もできないかもしれないのに。あんなにモテてエア彼女を選んじゃったよ。」
「違うぞ。男のロマンを選んだんだ…。休日は彼女と買い物よりも、シーバス釣りを選んだんだよ!」
アーツというシーバスを選んでくれたサルガスに返せるものがないと嘆く。
「それも違う…。お前ら知らないのかもしれないが、ユンシーリは釣りどころか、遠方漁業に行くタイプだ…。」
「遠方漁業?」
精神年齢子供たちの会話にクルバトがトドメの解説を入れる。アーツの何人かはアーツに来る前のサルガスやその周りをよく知っている。サルガスは港で、いつ帰るかも分からない遠方漁業に出た身内をひたすら待っていたのだ。泣ける。
さらに動画でパイやユンシーリを見ておののく妄想ズ。
パイのダンス衣装がちょっときわどい。動画で見るならともかく、この実物が家に押し寄せご飯を作ってくれる…のではなく、ご飯を作ってとねだっていたらしい。作るしかないだろ。
「おー、めちゃすごいな。こんな人が家を出入りして何もしなかったとは…。漫画絵みたいなスリーサイズっぽい……。非現実的だ…。胸も本物だろうか…。」
サルガスの強靭な精神力を今こそ改めて尊敬する。こんな女性が家に押し掛ける事すらありえないのに、アプローチしまくっていたのだ。人前でもあの状態なのに、二人きりならどうなるのか。
「ユンシーリの方は会心の蹴りで俺ら一撃で殺されそうだな…。ハウメア系か…。」
同じようにきわどくても、ユンシーリには近寄りたくない。挨拶すら無理だ。回し蹴りされるイメージしか湧かない。
妄想チームは思う。ダンス動画で男性とも違和感なく一糸乱れぬ動きを見せている女性。
このユンシーリと付き合って、結婚する気でいた時点で、もうサルガスは自分たちと違う種族なのだと。あまり怒らないので年上でも気安くサルガス呼びだったけれど、兄貴とか兄さんと呼ばないと申し訳ない気がしてきた。
好き勝手に言っているメンバーを無視して、サルガスは部屋に戻った。
***
そしてチコの家。
珍しくサラサが1人でチコの家にお邪魔していた。
ダイニングテーブルで向かい合って座り、A3用紙を広げてダン!と突き出す。事務局前に落とした紙である。
用紙の部分部分に書かれている汚い文字は、まぎれもなくチコの直筆だ。義手だからうまく書けないのではなく、ただ字が下手なだけである。
「チコさん、何考えてるんですか?」
「……。」
アクセントはいつも通りだが、明らかに怒っているサラサ。
「こんなもの持ち歩いていたんですか?今まで。」
「お守りだったから!」
明るく言うチコに、バン!と机を叩いて真顔を向ける。
「…何がお守りですか。こんなものお守りにする人、聞いたことがありません。」
「………心の清涼剤かな?」
「この紙が?」
はあ?という顔でチコを見る。
「カウスたちは知っているの?」
「まさか。」
「……キロンが拾って、見たのがあのメンバーだったからまだよかったものの、一歩間違えたら大事ですよ。こんなにボロボロで年季が入って…。いつから持ってたんですか。」
折れ折れの紙をジトッと眺める。
「普段は家に置いていたんだけれど、当人が来てしまったので落ち着かなくて…。」
「……」
「……口止めした?」
「したに決まっています!!ある程度広がるかもしれませんが…。」
姿勢を正してもう一度チコと向き合うサラサ。
「チコさんは他の夫婦のようにはできません。こうするにしても、バックを整理して手順を踏んで周りの同意も必要です…。」
ため息を吐くチコに、サラサはそれ以上のため息を吐く。
「チコさんの心は尊重したいですが、私もどうしようもないんです。ユラスも関わってくるし。」
それはチコも分かっている。
「で、これをどうする気だったんですか?サダル議長に渡すつもりで?」
「…分からないけれど…いずれは…。」
「……はあ…。」
頭を抱えてしまうサラサ。
チコは自分の事なのに、そんなサラサをただ見る事しかできなかった。




