83 誰かの指輪
午後11時過ぎ、チコはまた家の中で星空を見ていた。
昨日と同じようにサダルが入ってくる。
暫くサダルも何も言わずにダイニングの椅子に座っていたが、チコが先に口を開いた。
「随分、ここのみんなに優しいんだな。」
「…………」
「……部下でもないからか?」
「そっちこそ、もうこっちが主体だろ。」
チコはそれには答えず率直な思いを言う。
「アーツなんか直ぐ解体されると思った。」
「………私にそうさせないために、連合国認定組織にしたんだろ。ここはユラスでないし戦時中でもない。そんなことできないさ。」
「………。」
「言いたいことはあるが、ただ人を集めたからといってこうなれるわけじゃない。そこは評価する。」
本来認定には2年の経過実績が必要だが、VEGAが指導役であること、既にいくつかの企業が付き公共事業の枠に入り始めていることもあり、審議会一致の特例で1年で通過したのだ。低学歴低所得地域の青年たちが高校大学に通ったり一定の職を確保したことも大きかった。
サダルはチコの目見ずに話を進める。
「あの、ベガス事務局長のサルガス。話したが……」
「………」
「普通だな。」
普通………。どう答えていいか分からない。普通と評されるサルガス。
「ただ、26歳とは思えない落ちつきぶりだ。」
「あのメンバーを抱えて、あの日初めてキレたらしいからな。よく頑張った方だと思う。」
「…………」
「………」
「体の方は?」
サダルは話しを変えた。
「ちょっと軽すぎる気もする。足を振ると飛んでしまう気分になる。でも痛くはない。」
「触ってもいいか?調整を見たい。」
チコは窓をノンクリアにし、電気をつけ上を脱ぐと、少し腕を上げた。
「キレイだな。見ただけで分かる。ポラリスの仕事だ。
……ウェアラブルもきれいに収まっている。このシンプルさでここまでの強度が出せるんだな…。」
後ろから接続部分などいくつか確認していく。
「私がいた時とはやはりだいぶ違う。」
「6年経ってるから。タイナオスにいた間も情報は貰ってたんだろ?」
「でも、素材は実物を見ないとやっぱり分からない。」
「……多分、結婚していなかったら、怪我に乗じて腹下か胸下までニューロス化されてた。」
「………。」
「その方が体も強くなるし機械部分のメンテが楽だってさ。でも、生体部分の維持は難しくなる。早死するだろうな。」
「……ポラリスが言ったのか?」
「まさか。」
「………。」
「それでもよかったんだけど。」
「…………」
付け足したチコの言葉に、サダルは答えない。
チコが服を着直すとまたしばらく沈黙があり、サダルが小さな箱を出した。
「これを渡しておこうと思って。」
ずっと後ろ姿だったチコが前を向く。そしてソファーに置かれたその箱を不思議そうに手に取った。
「昼に言っていたタイオナスで預かったものだ。」
「……開けてもいいのか?」
「チコのものだ。」
チコはその小さな箱をそっと開けるとその中に、小さな袋が入っていた。
「箱は保存のためにタイオナスに来てから用意したもので、その袋が元々のものらしい。」
親指ほどの幅の小さな布のきんちゃく袋。元は白で色が褪せたような手縫いの古い袋。
袋の中を開けると、女物のホワイトゴールドのウェーブの指輪が入っていた。
「………指輪?」
何もないシンプルな指輪。その裏にシンプルな細い書体で、薄く『B.R』とだけ刻んであった。
「チコたちをユラスに逃そうとした女性から預かったらしい。」
「……やっぱり、ギュグニーなのか?私が来たのは。」
「おそらく。」
「………。」
チコは自分の出生を知らなかった。でも、多分そうなのだろう。ギュグニーで生まれたのだ。
「初めはチコが持っていたが、キャンプに連れていかれるから失くす可能性があり、兵士にならなかったその女性が一旦預かったらしい。」
チコは物心つく頃には軍隊の中にいた。素質のある子はみんな引き抜かれたのだ。そう、タイオナスの国軍を抜けた傭兵たちに。
「…B.R…」
「心当たりは?」
「…全く。」
チコは指輪をじっと眺めまたその袋にしまった。
もしかして親だろうか。誰か家族?
「その女性、当時少女の話によると渡してくれた人は教師だったらしい。」
「教師?」
「当時そこにいた大人の女性はみんな教師だったそうだ。」
「………?そこ?」
ギュグニーの話だろうか。
「男性はみんな、多分兵隊だったと言っている。女性はみんな長いスカートか頭まで覆うマントのような服を着ていて、男性はみんなライフルや銃を持っていたと。でも、人の名前はほとんど分からない。算数の先生とか、背の低い先生とか、そういう風にしか覚えていない。」
「……。」
「その少女はそこにいた子供の中で最年長、今はタイオナスで結婚している。ギュグニーにいた頃は塀の外に出してもらえなかったから、敷地や建物の中しか分からないと。」
ギュグニーのような国の男が兵士のようだというのは分かる。周辺国でもそうで、自分も傭兵にさせられたのだ。でも、女性がみんな教師?何の事だろう。
「チコ、ちょっといやなことを聴くが、覚えている限り男に手を出されたことはないだろうか。」
「………ない。」
ある程度成長してからなら、それで男性兵を半殺しにして数度問題になったことはあるが、おそらくそれ以上過去にはない。サダルも知っているはずだ。
「その女性も言っていた。外の世界に来て思うが、かなりギュグニーはひどい状況だったと思うが、そこでは誰にも手を出されかった。子供や女性はただ勉強していたと。」
「………?何の?」
「普通に、数学や国語や理科などだ。社会はしていない。世界や情勢は知られたくなかったのだろうな。」
「…?」
貧困や戦争の跡に広がるのは女性子供の搾取や犠牲だ。
前時代より身を売るような仕事も減り、全体的な倫理観は底上げされたとはいえ場所が場所だ。普通の地域でも、先進地域同士の戦争ですらレイプなどは多々あるのだ。
だが、少女と逃げてきた面々は、方々から集まって来たそうだが、勉強をしていた子たちは、知る限り誰も手を出されていなかったらしい。いくら霊性時代とはいえ、そんなことがあるのだろうか。
チコはユラス軍に正式に入隊した時、野戦の傭兵として不備、不衛生な場所でも育ってきたため、初めて健康診断や身体検査を受けた。そこでも、そしてSR社のニューロス被験体になった時の検査でも乱暴された形跡はないと診断された。もちろん霊性の検査もだ。
しかもでもそこではただ勉強をしていた?
どういうことだろう。ギュグニーのような国家とも言い難い、複数のゴロツキが覇権を争っているような無秩序国家で?
暫く会話もなく、指輪の箱を持ちソファーに体を預けたままのチコ。
私はどこにいて、何をしていたのだろう。一緒に逃げた女性はもしかして母親?叔母や姉?
だとしたら母親はどこにいるのか。
ただ考えると眠い。
気だるい記憶が眠気になってくる。
そのままソファーで眠ると、暫くしてサダルは布団を掛けて家を出た。
玄関のドアが開くと、外にいたカウスが椅子から立つ。
「いい。座っていろ。」
「総長、不思議がっていませんでした?議長があまりに大人しいんで。」
「…………」
「多分議長は気に食わないだろうからって、議長が来るまでに慌ててアーツを組織化しようとしていましたから。」
「………向こうでカストルとワズンにさんざん言われたからな。」
「…そうですか。」
「ギュグニーからの土産を渡した。もしかして、また不安定になるかもしれない。何かあったら呼んでくれ。」
「そばにいればいいのに。」
カウスがボヤついても、返事をせずにサダルはホテルに戻った。
***
2日後、またサルガスは信じられない顔でパイを見る。
「来んなって何回言えば分かるんだ…。」
「サルガスのバカー。だってユンシーリがうるさいんだもん!ウチにまで来るんだよ!友達でもないのに、昨日泊ってった!うざい!帰れって言ったのにまだ家にいるから、早朝抜け出してきたし!」
「…そもそもなんでお前のうちに行くんだ…。」
「…サルガスに会ったって言っちゃったから追及のために。……多分。」
早朝から南海の食堂に来たパイに、サルガスは呆れた顔をする。
パイがあまりに目立つので注目の的になっている。
「だれ?あの女子。」
「パイだよ。ダンサーで歌手。」
「サルガスの元カノ。」
「え?ホントに?こんなところに来てていいの?」
「めっちゃスタイルいいな…。」
「サルガスどこに島流しになるんだろ…。」
今日のパイは、ゆったりとした白のバルガンブラウスにジーンズを合わせている。薄褐色の肌に、ミルキーピンクの長い巻き髪をポニーにしていた。
「………。そっちの方がいいな。」
この前の胸元開けミニよりはるかに常識人である。女性のバルガンブラウスとは、シルエットが大きめのシャツでギャザーなどで袖や首回りをふわっとさせてある。襟は大きめにとってあるデザインだが、胸やウエストは目立たない。
「ホントにー??うれしい!!ちょっと好きになった??」
「分かったから帰れ。」
「ひどい!じゃあ、帰るからカプチーノ奢って!」
ベガスの女子は家に豪華なキッチンがあるのでたいてい朝は寮で食べているが、ロディアが来てからは週何回かここで一緒に食事をしているので、呆れてパイを見る。
「あの女懲りないね。」
遠目で見ているリーブラが怒っていると、何とも言えない顔でロディアが聴いた。
「あの人は?」
「サルガスの…昔の彼女。自称。」
「サルガスさんの…?」
サルガス自身は真面目そうなので、意外でびっくりする。紫頭のイータといい、ピンク気味のあの人といい、キファやシグマたちも含めアンタレス民はロディアには宇宙人過ぎる。
「メディアやCMとかで見る人たちみたいですね…。」
現実味がない。
すると、リーブラに気が付いたパイが寄って来た。
「あれ?リーブラ?あんたまだ結婚してないの?ちょっと痩せた?痩せたところで結婚にダイエット関係ないみたいね~。」
アストロアーツのバイトでサルガスと仲の良かったリーブラが嫌いなのである。なにせ応援してくれなかったから。
「何言ってるの?早く帰りなさい。ここで媚び売ってたら、人を呼ぶから。」
「えっ?呼ぶってこの前の人たち?やだ!!あの人たち怖いんだけど!!」
「サルガスにも迷惑かけるから早く帰りな。」
服でチラチラとしか見えないが、胸に比べて驚くほど細いウエストと上がったヒップ。入念に手入れされた彩めく髪と爪。大房は女性もパワー系ダンサーが多いので、スタイルはそこまで重要でないため、ここまで女らしさを強調するタイプはあまり多くないのである。
細いのに迫力と色気がある女性が目の前で凄むので、縮みあがるロディア。
「………じゃあ帰る。サルガス困るのヤだし…。カプチーノ奢ってもらって帰ろ。」
「おい、ロディアさんビビってるだろ!さっさと帰れ!」
サルガスがパイを引っ張った。
「帰るって言ってんじゃん!って、誰が?誰が困ってるって?」
パイが見ると見知らぬ顔の女性が固まっている。ロディアだ。
「あー、ごめんね!怖くないから!」
ロディアにウインクして、投げキッスまですると、パイは出口に引きずられていく。
「おい、サルガス。もうその話、片付けてこい!」
タウが叫ぶと、ソアも動いた。追い出されようとしているのに、サルガスに掴まれてパイはウキウキである。
「あ!待って!なら私も行くわ。シャウラかタウも来て。既成事実作られると困るから。」
「何々それー!そんなことしないよ!!『ちょっとお茶しよ!』とか『休憩してから帰る?』とかサルガスに言っちゃうかもしれないけれど!」
「………。」
そしてソアがパイをつかんだサルガスの腕を引き離す。
「サルガス、やめなさい!腕なんか掴んだって喜ぶだけだから!私が連れて行くっ。」
「自分で行けるってば!あ、でもドリンクは奢ってね!」
「奢るから早く帰りなよ!」
「サルガスに奢ってもらいたいの!」
収拾がつきそうにないので、タウも仕方なく一緒に付いて行った。
「………。」
しーんとする食堂。
「すごいですね…。」
人生で初めて間近に遭遇するこんな人々に、ロディアはなんと評していいか分からない。こんな人たち、ネットニュースでしか見たことがない。
「大房はこんなのいっぱいいるから、婚活おじさんなんて今更恥ずかしくないからね!」
自分は該当しないかのようにファイは言い聞かせる。
「…いえ、恥ずかしいです…。そういう問題じゃないです…。」
思い出して赤くなるロディアであった。




