77 アーツの定位置
ユラス軍駐屯でアセンブルスたちと打ち合わせをしていたサダルの元に、やっとチコが来た。
胸の中にあるオパールのネックレスを服の上から押さえ、深呼吸をし、ノックをして入っていく。
「チコ・ミルク・ディーパ、戻りました。遅れて申し訳ありません。」
「分かった。体調が悪かったと聴いている。そこに座れ。」
少しだけ顔を上げたサダルはそのまま打ち合わせを続けるが、チコにはこれ以上個人の話は何もしなかった。
***
午後7時前、会議室は非常に変な空気に包まれていた。ざわついているが、みんな大人しい。
ムギと響も取り敢えず参加する。
VEGAのスタッフとアーツが宴会以外で一緒に呼ばれたのは初めてで、久々に元東アジア軍のマリアスや教官たちもいる。リーブラがマリアスに手を振った。
ファクトはリゲルやジェイたちの近くにいる。
「お前、よく考えたらサダルメリク義兄じゃん!」
「……あ、そうか!」
確かにそうなる。実は姉と言っても出会った時点でファクトとチコはもう籍は違ったのだ。でも、チコは心星家から嫁いだことになっているらしいので、やっぱり姉で、そうするとサダルは義兄なのだ。
「スゲー。」
「やべー。」
そこにサラサが現れ、全員起立をさせた。
「全員ー、起立!」
そして連合国とアジア国旗に敬礼。
なんというか雰囲気が違う。空気が引き締まっている。
最初。アーツと名が付く前、いきなりチコが号令をし、下町ズが戸惑っていた時のことを思い出す。
「今日はここの総長でもあり、総監であるサダルメリク・ジェネス・ナオス氏をお迎えします。諸事情はお話ししているので省略します。」
少ししてサダルと思われる黒髪の男が入って来た。チコやカウスたちが、なんといつのもだらけた感じではなく、きちんと不動で立っている。
サダルという人物は、あの記者会見などの映像と違い、髭も剃って髪も整えていた。思った以上に雰囲気が若くてびっくりする。そしてサダルが国旗に敬礼をすると、サラサの号令で全員が再度礼をする。
非常に整った、アーツ最上級の礼であった。
アセンブルスが祈りを捧げ、着席で一斉に座る。これまた美しく、アーツにこんな「一つの心」があったのかと、VEGAスタッフだけでなく自分たちでも驚く。殺されたら困るのでみんな頑張るのだ。
一同が顔を上げると、全くの無表情の、整った顔立ちの男がいた。
全体的にはカーフの雰囲気に似ているが、目鼻立ちの大きいカーフと違って奥二重で切れ長の目、ニコリともせず纏っている気は全く違う。どの角度から見ても男性だが、なんというか妖艶さも少しだけあって、今までいなかったタイプだ。そして、同じ強そうで整った顔でも、プラチナブロンドで明るい色合いチコとは全く違う人間に感じる。
隣り合って違和感がハンパない。
チコもだが、なぜなぜユラス人?と、いろいろツッコみたいがそんな空気ではない。
簡単にアセンブルスがサダルを再度紹介し、サダルがその場で立って礼をし全員に聞く。
「座って話してもいいか?」
みんなコクコク頷くのでサダルは前に出ず、席に座った。チコは隣の男と目も合わせず足を組んでいつものように座っている。
「VEGAアジアの6年分の報告は見ている。まず、サラサ、それから鼓、ありがとう。」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。倉鍵は懐柔できませんでした…。」
「いい。想定内だ。他大陸からベガスの功績に感謝の言葉が来ている。」
VEGAは育てた優秀人物を、紛争終結後などもっと荒れた地に送ってしまった。揺らぐユラスで夫の代わりに立った女性のチコだけでは、アジア最大の都市の為政者たち取り込むことが難しことは分かっていた。
その後15分ほどお互い話をする。
「分かった。VEGAにはどのみちまた訪問する。」
そう言うとVEGAスタッフは解散になり、アーツも第3弾はリーダー以外解散になった。高校生であるソラも出ていいと言われたが、ファクトが残るのでソラも残った。
なぜ自分たちだけ残されるのだ。と、緊張するアーツ。
断罪の時、来たか。
カウスたちが用のある時以外、全く動かないのも怖さを増す。カウスたち、そんな仕事もできたのか。
サルガスやヴァーゴ、タウが顔を見合わせると、サダルが話し出す。
「正直………」
しーんとする。
「お前たちはよく分からない……。」
「……。」
異論はない!それはアーツ自分たちも思う。
「一体どういうきっかけで集まって、どういう話でこういう状態になったのだ。カストルは今ユラスで、ここにいる人間からも納得のいく説明がない。」
仕事くれ弟子にしてくれとなって、チコが勝つつもりで追いかけっこをして、負けたので仕方なく集めてみたとは言いにくいのだろう。
チコは口に人差し指を当てて、サルガスたちに「しー」とジェスチャーしている。言ってはダメなのか。
そこにファクトが挙手をし発言をした。
「就活中に南海で体験ボランティアをしまして、ベガスの理念と将来性にいたく感動しました。それで、同じ志を持つ仲間とベガス構築に協力したいので、もう一度勉強し直し人員の少ない河漢に取り組むことになりました。」
ムギが「はあ?」という顔をしているが、みんな、その通り!という事にした。さすがにあの時の内情までは記録に残していなかったのか。ファクトも受験や面接に備えた高校生。普通の事が言えるのかとみんな少し見直す。若干創作だが。
サダルがファクトを見ている。
「…………ミザルの息子か?」
「…そうです。」
「…………。そういうふうに育つのか……。」
「……?」
「…驚くほどそのままだな。」
「……。」
黒い目に黒い髪。柔らかい雰囲気だがミザルに似ているのでなんとなく分かったのだろう。しかもミザルと呼び捨てにするとは知り合いなのだろうか。
サダルはため息をついてもう一度資料を見直す。
「それで、なんでお前らはこんなに頭が悪いんだ?」
「……。」
どんな恐ろしい資料を見ているのだ。
ダン!と紙資料を叩く。
「?!」
学歴を見ているのか、学力テストを見ているのか。
「高校卒業生ですら、なぜ数学0点から30点の者がこんなにもいるんだ?」
それなりの高校に通っていて、そこまで第1弾の内情を知らなかったタウ妹のソラもそれには驚く。0点とか漫画の世界にしか存在しないと思っていた。
「物理、科学…化学…。学校に飯だけ食いに行っていたのか?なぜ卒業できるんだ?」
下町の高校は、出席さえあればだいたいお情けで卒業できるのである。
「ここは先進地域のアンタレスだろ?」
素で不思議がっているが、何も答えられない下町ズ。これ以上聞かないでくれ。底辺学校は俺たちのせいではない。
エリート層、一般層、紛争などで学校自体が難しい貧困層。ユラスにはこの層しかないため、それなりにできるかできないかの2極である。もともと勤勉で教師が非常に尊敬され高位の職業であるユラスは、あまりサボるとかいう概念もない。勉強ができる環境で勉強しない、できないという感覚が分からないサダルである。
大房にのような層は、社会的に注目されにくいのだ。
「前科…者も多いし、この『ナンパ危険』とか言うのはなんだ…?」
ナンパはサダルも分かるのか。初期に誰かが書き込んだのだろう。
イオニアか?!もしかして、アーツの活動歴でなく、今、個人履歴を見ているのか?おそらく霊視なども記録に残っている。婚前交渉をしないユラス人から審判が下りそうだ。恐ろしい。生きて帰れるのか。
「サラサ、誰のことだ?」
サラサが近付いて見ると、意外なことを言う。
「…この人物はいません。ベガスを離れました。」
「………そうか。頭はけっこういいけどな。」
え?という顔のアーツ。おそらくイオニアの事だが、確かに今、イオニアはいない。響は先日のイオニアを思い出した。やっぱりさようならの挨拶だったのだろうか。
「はっきり言って、お前たちは扱いに困る…。前例がない。」
「……。」
誰も答えない。
「………ここのリーダー。ドラゴ・ツィー・サルガスはだれだ?立て。」
「はい。」
サルガスが立ち上がると、サダルはデバイスと本人を何度か見直した。
「……は?」
「本人か?」
「そうです。散髪しただけです。」
「………。」
また無言で何か考えているが、アーツとしてもあなたもかなり風貌が変わっていますが?と言いたい。リーブラたちに毛むくじゃらと言われていたのに。
サダルはデータと本人を何度か眺めて、サルガスに言った。
「もう少し力を付けろ。チコはここから外すから代わりになれるようにしろ。サラサの負担も減らす。」
「!」
チコがガタッと椅子を動かして立ち上がった。
本人も総事務局長は離れると言っていたが、いきなり来た人間にはっきり言われるとまた違うのか。怒っている感じだが、黙ってサダルの方を見てから不満そうに大人しく座った。
「違う大陸からVEGAとして要請が来ている。ベガスが落ち着いたら今度はそっちを担当して、ここはアジアの人間に任せたほうがいい。」
アジア自体から離れるのか?と全体が騒めくが、サラサが制した。
「皆さん、静かに。」
「…うっ、うう…」
ファイが急にすすり泣きを始めるので、横で慌ててタラゼドが慰めた。
「は?今ので泣くところないだろ?」
アーツの騒めきに何か感じたのか、そこでカウスが初めて動く。
「議長、チコ総長はアーツの人間の安全を預かっています。アンタレスも現在不安定なので……」
と言ったところで、無表情のまま凄み気味になるので、これ以上カウスも言えない。
「黙れ。まだアンタレスは人材がいる方だ。ここまで事業が進み始めたら中央行政も動くから任せればいい。こっちはチコのいた場所を任せられる人間を作れ。」
「…はい。」
近場の2、3列目ぐらいまではこの会話が聴こえていた。
他にいくつか聴き取りをして、その場は終わった。
サダルがチコたちと去って行くと、ファイは机に伏せてしまう。
「せっかく会った弟のファクトもいるのにチコさん行っちゃうの…?頼んだ人たちがやらなかったから私たちが河漢を始めたのに、軌道に乗りそうになったとたんにあんな風に人に任せるの?」
「ファイ、大丈夫だよ。まだ直ぐ決定することじゃないから。昨日の今日だよ?」
夜の道場を休んできたハウメアが慰める。
ファイにはそれだけではなかった。
チコは多分、大怪我をしてやっと体が戻ったのだ。
それで知らないところに仕事なんて行ってほしくなかった。アンタレス並みのニューロス整備の施設のある国なんて限られているだろう。サダルはユラスにいるべき人間だ。ならチコは誰と他の大陸に行くのだろう。ここにはムギがいて、響もいる。怖い人たちだけど、体の面倒も見てくれるシャプレーやミザルもいる。
初めに会った時の完璧さと違うチコを知ってしまった。
余計なお世話かもしれない。でも、自分もチコを守ってあげたかった。
「それに、ほんとにイオニア行っちゃったんだ…。」
ファイはタラゼドが響にあまり関心がないことを知っていたので、せっかくならイオニアと仲良くなってほしかったのだ。なのにイオニアがいなくなってしまうなんて…。
一方、サルガスたちにはサダルの言う事も少し分かる。
もともと、移民自治区域のベガスはともかく、チコは寄せ集めのアーツを見る立場ではないのだ。河漢もベガスが全部見るわけではない。ノウハウを移植するだけだ。カウスたちがここまで付き合ってくれたのも、藤湾の生徒たちの反応で分かったように、普通の事ではないのである。ファクト繋がりでチコがいたからだ。
そして、過去がどうであろうと今動かせる力のある場所はできるだけ動かした方が、お金も人材も回り易くなる。河漢には移動すべき20万の人口がいるのだ。『生活教育の確立と普遍的な教育環境の造成』この2つが歪まなければ、できるだけ外部からも人と力はほしい。
ただ、サダルから自分たちがどう思われているのかは、正直よく分からない。
何となく……、認められている部分もあるだろうが、チコやサダルの管轄からは離れてほしいとでも言われているようだった。
●最初の敬礼
『ZEROミッシングリンクⅠ』23 聞いてたのと違う
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●下町ズの成績
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