73 才能の極と極
「ありがとうございます!すごい、楽しい!」
女子学生はお礼を言って、両手を掴んでキファを立たせる。
「ブランクがあるとは思えないです!」
タウやイオニアに次ぐレベルの、運動神経の塊の男である。体がダンスを覚えていた。
キファとしては脂汗が出る気分だ。見ている方は優雅に見えたが、2分で人を殺せるダンスと思ってしまう。
「ホールドが初めてな感じでびっくりしました。教室の男性より体が大きいからですか?」
ホールドは上半身で枠を作り、手や腕を組む姿勢である。
「…多分俺がダンスごとのホールドがもう分からないのと、競技用との違いかも。」
10年以上経っているので体も違う。
「キファ大丈夫?」
ファクトが水を持ってくる。
「タオルもくれ…。」
顔をぐっと押さえると、それでも後半もっと踊りたい気分になった瞬間があったのを思い出す。
「あんな男女くっ付いて踊るのか?いいのか?」
いきなりロマンもないことを言い出すムギ。ロマンだが。
「まあ、場によっては出会いの場でもあったろうし。でも、割り切っているだろ。ただ踊りたいなら。」
キファはそう言うが、女子学生は明らかにキファに好意的になっている。この前まで研究室から追い出すことが使命だったのに、キファさんすごい!とうれしそうだ。ムギはやっとみんなの言っていたことが分かった。リーオも要注意人物である。女性と体を組んで踊るのだ。危ないことこの上ない。
「すごーい!でも、社交ダンスって、レディーファーストの国のダンスだと思うのに、女性の方が最初に踏み出すんだね。全部そうなの?迎えに来てほしいよ。」
響がまた変な発言をするので、何を言い出すんだと思ったキファは言い返す。
「響先生、何でも男性にやってもらいたいの?それともそういうのに憧れてるの?」
「なにその言い方ー!だって、あの後まだあんなに踊るのに!疲れちゃうから体力温存しておきたいでしょ?」
は?最初の3歩だが?
「まあいい。じゃあ、始めのところに戻ろう。ユラスのステップだ。」
ユラスや西アジアのダンスは、男女手を握ったり、そっと触れたりするだけだ。少なくともサークルダンスなので腰を触ったりはしない。お誘いがあった主催者側からは、サークルダンスの一番簡単なものだけ覚えてくれたらうれしいと言われている。
「いくつかステップを個別にした動画があるから、3つくらい覚えて組み合わせればそれでいいと思う。」
そう言ってキファが初歩の動きをマスターすると、みんなに真似るように言った。
ムギ、ティガ、クルバトは見物している。
「鏡の動きで合わせてみよう。」
キファが前に立って『12、34』と数回見せてから、みんなにさせると、できたのはファクトと先のダンス女子のみ。今度は、『1、2、3、4』と、解体して足の位置を確認しながら指導していく。ファイの動きが怪しいが、そのまま進めることにする。何人か足が変な方に出るが、5分もすると基本形は出来るようになった。
ただ1人を除いては。
「響先生何やってんですか?」
キファが不思議そうに言う。
「え?ステップだよ。」
「ステップ?」
「なに?悪い?」
「最初にクロス気味に右を後ろ。左も弾みながら右に合わせて…次同じく左を後ろ。同じく右も弾みながら………」
何となくできているが、なぜか定位置に戻らない。その前に実は響。動体視力がないどころか、キファの今の説明も脳が追い付いていないらしい。足をくにゃくにゃしているだけに見える。
「それっぽければいいでしょ。」
と強気でいうので次に移る。
とくに下手なのはファイと男子学生の2人だったが、それでも形にはなる。ラムダやリーブラは情緒も何もないカクカクな動きでも、ステップ自体は合っていた。数をこなせばイケるだろう。
問題は響である。遂に右と左どころか、前と後ろすら合っていない。左右をすると前後を忘れ、前後を合わせると左右がおかしい。
ファクトが横で合わせてあげるが全くもっておかしい。
考えたキファは方法を変えることにした。
「分かった。先に型を合わせようと思ったけど、それっぽければいいなら、まずリズムに合わせる練習をして雰囲気を作ろう。足を移動しないステップならできるだろ。」
「動かないのにステップ?」
みんな肩幅程に足を開いて並び、ポップな音楽を掛けると、キファは手を上下して説明する。
「リズムに合わせてー、膝をダウン!そうそう。腰をダウンでもいいよ。」
「ダウン!ダウン!」
メンバーを見ながらキファも角度を変えながらダウンをする。
「胸とお腹を合わせるように、ダレた風でOK。軽い感じで。慣れたら腕とか動かして。」
ちょっと棒みたいだが響もできている。
簡単なのでみんなダンスっぽくできているのに、響1人だけ棒人形みたいで、ティガ、笑いが止まらない。いや、ネット動画の棒人形の方がしなやかである。
「今度はアップ!その逆のイメージ。お腹と胸を離して胸を上げる感じ。」
ダンスをしているメンバー用でなく、なるべく簡単に楽しさ優先で教える。
「アップ!アップ!」
みんなキファに合わせ動き、リズムも合っている。大体できるようになって、キファがダウンとアップのまま簡単に腕を動かし、その場からも動き出すと、既にヒップホップダンスになり、学生たちが楽しくて笑い出しながら真似をした。
「すごいね!これだけでダンスになるんだ!」
しかしここで、既に響がおかしいのだ。アップの動き数回で混乱している。
「…先生大丈夫?難しかった?」
「つ、疲れた…。」
「え?まだ音楽かけて2分も経ってないですよ。ほとんど動いてないし…。」
「新体操やスケート選手は1分から3分の間にも命を懸けるでしょ。プロじゃないんだからそんなにできないよ…。」
「え?」
プロではないけれど、プロほど動いてはいないけれど…あれ?。キファも答えに混乱する。
「先生、命を掛けてたの?」
リーブラが優しく聴いてみる。
「平常心でこんなことできない……」
「平常心?」
「こんな非日常なこと、気合を入れなきゃできないでしょ?すごく気を張っているから…。今。」
「……」
ちょっと考えるリーブラ。響にとってステップは中央試験並みの難しさなのであろう。普通のテンションではできないのだ。きっと。
「………」
いろいろ考えるキファ。響とは脳の仕組みが違う世界を生きていると理解することにした。
響のどん臭さにショック過ぎてみんな気が付いていないが、響は胸が大きいのかアップの動きは少し控えた方がいいと思うファイ。
取り敢えず構っていては進めないので、放置してどんどん先に行く。30分ほど過ぎれば音楽に合わせて、だいたいみんな曲を通した基本の踊りができるようになっていたので休憩に入った。
キファは、響が落ち込んでいてかわいそうなので指導に戻る。その2でつまずいて、全くステップが踏めないし、もう疲れ切っている。
「響さん、先ずっと休んでたのに。」
キファが、死にそうな響の両手を支えるが、また変なことを言い出した。
「多分……きちんとストレッチせずに始めたから筋肉痛かも………」
来た時にはみんなそれぞれストレッチをしていたはずだが。
「…響さん20代ですよね?」
「ほぼ30です!」
「ええ??24、25くらいだよね?」
「誕生日がくれば25で四捨五入すれば30です!若い子のようにはいかないんです!」
「俺も25だけど。」
ティガが口を挟む。
「だから、疲れるからティガ君も見学なんでしょ?」
ティガ、ただ見に来ただけだが30と言われるとへこむ。
キファがマンツーマンで、先のステップを向かい合って超スローで一緒に踏むことにした。
「鏡の合わせでいいから。ゆっくり、ゆっくり…
そうそう、できた!その動き!1、2…」
「ホント?!」
もう1回と、スローで試して完成。何度か繰り返してみる。
「わーい!」
嬉しそうな響だが、キファが足を誘導せず音楽と合わせたとたん、全てが崩壊した。
しゃがみこんで、超絶落ち込む響とキファ。
「響って、本当に運動音痴なんだね……」
ムギが呆れている。
「水泳はできます!クロールはできないけれど。」
水泳はできるのかと、驚くクルバト。正直響のステータスが一番定めにくい。水泳はできるけどクロールはできないとは?平と背泳ぎだけ?
「ムギだってダンスなんてできないでしょ?」
「ずっと見てたもん。たぶんできる。」
「えー?お固くてムギはそういうの不器用そう。」
「出来るもん。」
ならやってみなよとファクトが言う。
少し考えてムギはぴょこっとホールに出た。
そして、少し照れながらユラスの音楽を掛けてもらうと、背を伸ばし右腕を上げ、後ろに大きく円を描くように下がると、ホール中ほどに。そのままきれいに音楽に乗り、ソロでステップを踏み出した。少しすると手と腕も出してなかなか様になっている。
「背筋がきれいだな…。」
クルバトが思わず褒めた。やはり体幹が美しい。
1分と少しの音楽が終わると、おー!!と拍手が起こる。普段人前には出ないムギなのに、最初と終わった後だけ少し恥ずかしそうで、後はサラッとこなしてしまった。
さすがベガス最強の軽量武器使いである。非常に器用であった。
怒りの響。
「ム、ムギの裏切り者~~~!!」
「西アジアのダンスと似ているし、私の故郷でも少し似てる部分があったから。」
「ずるい~!」
何もずるくはない。遂に音痴運痴仲間をすべて失う。
「なんでそんなにもステップができないんだ…。ここまで教えて、ここまでできない、そんな人間が存在するなんて思ってもいなかった……」
スタジオで子供にもダンスを指導してきたキファが落ち込んでいる。
「大房のおばちゃんやオカンたちの方がまだうまい…。」
「だって、キファ君の周りはもともとダンスが好きな人たちが集まるんでしょ?」
「研究室のみんなも、ファイもラムダもできたよ。」
やはりファクト。余計なことを言うので、響がムッとする。
「もういい。私はずっとおいしいご飯食べてる。」
そこでキファが提案した。
「響先生、毎日アーツと朝練しましょう。体力もなさすぎです。ライたちもリーブラやファイと少しストレッチしてるし。」
「………私は瞑想だけでいい。神秘に浸りたいの……」
キラキラした目で言ってみる。
「本当は最初、朝ヨガもしてたんだけど、2日でやめたんだよ。」
もう、ムギも全く味方になってくれない。
「そんなこと言わなくていいの!」
キファもティガもさすがに引く。
「キファ、呆れた響先生に踏ん切り付けれそうでよかったね!」
ファイがかわいく言ってみた。自分の生徒たちの前で言い訳ばかりして、運動から逃げまくる、どうしようもない響なのだ。
「このだらしなさは、大房の前にリーオに嫌われるだろう……。あっちはエリートだからな。」
「よし!リーオに今日の事、報告しておいてあげる!」
「え?」
リーオ連絡先まで知っているのか?ファイ、恐ろしい奴である。
「つうか響先生。マジで体力ぐらい付けて下さい!!」
キファは遂に言ってしまった。言わずにはいられない。
「もう、ほっといて!二度とダンスもしない!」
「そういう問題じゃなくて、年取ってから一気にくるよ。そういうの。」
「あー!もうおばあちゃん扱いしてる!」
「だから、本当にそういう話じゃなくて!!」
キファもできない人は放っておけばいいのに、無関心に見えて案外熱血である。
「食生活、気を付けてるから!」
「お菓子も毎日食べてるだろ…。なら体も動かさないと!!」
「怒らないでよ。無理だし!」
「怒ってないし、一人でできないから、みんなですれば続くだろ??」
「できる人の足引っ張るのイヤだし。」
「何言ってるんだ?ただのランニングやストレッチなのに?」
呆れながらも、「運動ができる人の中でスポーツする恐怖は分かる」と思いながら聞くラムダであった。
ただのダンスレッスンから、響の生活の根本的見直しの話になってしまった。
「まあまあキファさん。響先生平常心じゃないから。」
「私たちがパーティーの事はどうにかします。」
学生たちに庇われる先生。本当にどうしようもない。
が、全てを打ち破る、研究室久しぶりの男が現れた。
ダン!
「ここだったのか…。」
「うげ!イオニア。」
ビビるキファとクルバトであった。




