66 私たちと一緒に
イータの家には通称ターボ君なる、かわいい……というより愛想の悪い赤ちゃんが、めちゃくちゃ転がりまくっていた。
「ごめんねー。好きなところで寛いで~。仕事始めてから片付けができてなくて。」
イータがごちゃごちゃの家を大雑把に掃除しながら小さなリビングに呼ぶ。ターボ君は寝返りでそこら中転がり、小さな柵を壊しそうだ。というか、壊した。
「ターボ君こんなに大きくなったんだねー!相変わらず不愛想だねー!」
響が大喜びである。
「イータ。手伝うことある?」
リーブラは台所の方に行く。
何をしていいのか分からず、簡易車椅子でボーとするロディア。
イータとしてはバリアフリーのあまりないこの家より、元客室付きのファミリーヴィラで、広くてトイレ数も多い女子寮の方がいいかと思ったが、自分が言い出したことでもあるし一緒にいてあげたかった。ロディアは、完全バリアフリーでない家は初めてである。
「私、ブランクあるけれど介助できるから何でも言ってね!」という響の一声も推しになった。
そして、響にくっ付いてきたムギ。
「お姉さん、ヴェネレ人なんだね。ここでは珍しいね。」
「えー?なんで珍しいの?よく聞くのに。」
リーブラが不思議がる。ヴェネレ人自体は世界中に分布して、有名人も多い。それには響が答えた。
「ヴェネレ人は、今更難民や移民になる民族でもないしね…。それに……」
「ユラスとヴェネレの領土戦争をしているんです。過去にユラス人と…。」
少し言いにくそうだった響に代わって最後はロディアが答えた。
「ユラス人のナオス族と似てるんです。ヴェネレ人は。
歴史や性質が似ていて、気質は違うんですけれど、世界に分布して科学や経済分野に強いところとか…。」
世界的にはヴェネレ人の方が有名で、ユラス人は『東のヴェネレ人』『東の西洋人』と言われている。ユラスは東方に混ざり一時期精神文化の方が栄え、内戦もあり発展が遅れている。
「ユラスは領土も広かったし、前の戦争では現ユラス族長と首相が折れる形で、今のヴェネレの国土の一部は、ユラスが実質無条件で手を引いて、連合国共同管理領土にしたんです。」
「現ユラスの族長って、チコさんの旦那だよね。」
イータの言葉にリーブラが思い出す。あの毛むくじゃらの人か。
「歴史的には何度も取り合いだった土地で、最終的にユラスが勝利しました。でも、その後にヴェネレ人も共同領地にしたことを当たり前のように自分たちの功績みたいに言うから………。はあ。」
ロディアがため息をつく。ヴェネレ人の気位の高さは、時に非常に厄介であった。
人口も人的武力も圧倒的にユラスが上だったのだ。
しかし、「ユラスの分岐改革」と言われる大きな事件が起こる。
最大の勢力、ナオス族族長のサダルメリクが、ユラス教から正道教に改宗したのだ。
正道教は東アジア式の呼び名であり、サダルはアジア教会を通じて改宗したことになる。そして、宗教界の総師カストルの進言によりユラス教を除籍せず、ユラス教そのものもまとめていく。
当時は驚きと共に賛否両論が起こり、世界中が大騒ぎになった。元は同じ聖典の分岐だからよいという派と、反対派が一時期ユラス国内でも論争と争いを呼び起こす。このことで武力的内紛も起こりそうで、裏の事情は違っても実際にそういう紛争もあった。
しかしサダルメリクは全てにおいて強かった。
数十年に渡る国境戦線を治め、ヴェネレ人と融和姿勢に臨んだのだ。
これまでヴェネレ人が、発展が滞っていたユラスより、西洋寄りの存在だったことも争いの理由であった。土地を西洋圏に譲るのかと、ユラス国内から反発も起こる。
そのため平和ボケをしたとも言われたが、その取り合いの土地のあった、いくつかのお互いの重要地点を連合国共同管理領土とし、周りのうるささを全て無視してヴェネレと条約を結び、一旦紛争を沈めた。
結果、ユラスは一部の地域に広がっていた国内、国境付近の紛争の後を収め、首都を中心に大きく発展していったのだ。
「複雑なんだね…。」
「難しくてよく分からない………」
イータやリーブラは思わずつぶやいてしまう。ロディアは苦笑いだ。
「あくまで簡単に説明するとだよね。他の民族もいるし、実際の歴史はもっとめちゃくちゃだったよ。」
ムギがホットミルクをじっと見つめ、ちょびちょび飲みながら言う。
ユラス東も複雑だ。ムギの故郷は今は数人しか人が住んでいない。
「ていうか、チコさんの旦那さん、すごいんだね。チコさん、旦那さんが戻る前から逃亡でもするんじゃないかってくらい縮こまってたよ。気の強い指導者同士、気が合いそうなのに。」
「え?」
同時に驚いて、顔を合わせる響とムギ。そして、仕方なく笑う響としかめっ面をするムギである。
「皆さん、ここの総長と仲良しなんですか?」
ロディアが不思議に思う。
「ウチの番長ですので!」
「バンチョウ?」
そこは東アジア人しか知らないであろう。おそらく。
「先にみんな食べててね。」
ターボ君にお乳をあげるイータ。あげながらボコボコ蹴られている。
「あ、ロディアさん、お父さんの事は大丈夫?」
「…そうですね。…今は考えたくないですけど。」
簡単に飲み物など出し、外で買って来たお惣菜を広げた。
「一度父の元を離れたいです…。自分で生活していくことを覚えて行かないと…。30過ぎてこんな思いになるなんて遅いですかね…」
「遅くないと思うけれど。今までできなかったのなら、今が機会だし。」
「そうだよ。みんな人生の気付きも出発もそれぞれあるからね。いつが正しいとかないよ。」
「ベガスはユラス人社会だから、他の地域も考えた方がいいかな…。私が養護学校に勤めているのは安心するのもあるんです。障害者に理解のある人も多いですから…。体が悪い方にもゆっくりその人のペースで指導できるから自分も気持ちが楽ですし。また見つかるかな…。」
「…別にベガスでいいんじゃない?」
リーブラが言う。
「ここはユラスでもヴェネレでもないよ。それに若い世代が多いから、そこまで気にする人はないと思おうよ。多分だけど。」
アジア人的には西側の争いをアジアに持ち込んでほしくないし、ベガスはそれをしない、新しい環境構築の場であるはずだ。
さらにリーブラが続ける。
「それにね、親に出て行くと伝えて行くなら、仲は悪くないんでしょ?ここにいればいいじゃん。」
「……え?」
ロディアは不思議がる。けんかしても一言添えていくのが当然ではないのか?行方不明扱いになってしまう。
「ウチの友達のキファなんてさ、行き先も言わずに逃げたからね!未成年だったから最終的にオトンにだけに行き先伝えて、大房の友人宅に潜伏してたし。
もう1人なんて、フェーーードアウト!キレイに親の人生から消え去ったよ!」
「え?キファ君ってそうなんだ…。」
驚く響である。イータもそうなので笑ってしまう。
「そうだよ。ベガスにいようよ!」
ムギがまじめに言う。
「でも、物理的に離れて自立したい…。体の事で親の力に頼ってしまうから離れたい…。」
「そうだよね…。物理は強いよね………。そのおかげでリーオとシンシーから勝利だし!」
一同、何のことだと思う。
「物理的距離ゆえにリーオは響先生に何もできない!!!」
余裕のリーブラ、ガッツポーズ!の後に…いきなり怒って机に拳落しをする。
ダン!
「あいつ、最後に響先生にハグしたらしいからね!シンシーがわざわざファイの電話に報告しやがった!」
「やだやだ~、違うってば!リーオさんとはお友達だよー!文化交友を深めましょうって言われたもん!大房のダンス、今度見に行きますってさ!」
響は楽しそうに説明している。
響は天然なのかそれにしてもどうなのかと、ムギとリーブラは響を唖然と見る。アジア圏では血縁でもない女性にハグはしない。文明開化から300年経ってもそんな文化は広がらない。女性を抱くなんて、家族や妻か恋人、相当気に入られているか、もしくは痴漢である。いくらリーオでもセクハラとは思いたくない。あれ?ならセクハラか?半分西洋文化圏の男なので、見極めが難しいのが難である。
「とにかく物理は強い!物理は勝利!まあ、物理的に近くても遠い人たちが多々いるんだけどね。でも………」
ロディアに振り向くリーブラ。
「だからこそ、ここで交友を深めましょ!私たちと!」
「?!」
へ?と、言われたことが直ぐ飲み込めないロディアであった。
***
「ファクトに会いたい…。」
「寝言は寝て言えって、今使う言葉なんですかね?」
ユラス駐屯のソファーでだらしなく言うチコに、冷たい部下たち。
「議長が戻って来た時に、他の男の事を考えているってなんですか?」
眼鏡を掛けた自称非戦闘員の男は、資料をまとめながら面倒そうに答える。
「弟だぞ!お前ら何考えている!倉鍵に遊びに行こうって言った約束も果たしていない!」
「1年前に突然会った、血も繋がらない男でしょ。」
「男じゃない!男子学生だ!かわいい盛りだろ!」
「頭おかしくなっていませんか?妻として今すぐユラスに戻ってほしいのですが。」
「カウス………」
「私の立場としてユラスはどうあれ、今ファクトと一緒にいるのは反対します。」
「はあ…。」
カウスに逃げるが、カウスはクスリともしてくれない。
「どうせお前らは、サダルの部下だもんな。」
誰も答えないので機嫌悪そうに言ってみるが無視される。
「私がの立場が変わっても、冠婚葬祭の連絡はくれ。」
いじけたことを言い出すので、自称非戦闘員ことアセンブルスはトドメを指しておく。
「ユラスで、公式会見の前にしか会話を交わさなかったことが有名になっています。しかもお互い二言とか。食事会ですら会話がなかったらしいですね。」
「部屋に挨拶にも来なかったのはサダルだろ…。」
「あれだけ忙しいので、今回の場合チコ様が気を遣うべきでした。」
「はあ?」
「他の女性たちの野心的…情熱的なあの姿を見てどうも思いませんでしたか?」
「あー。優秀な妻になれそうだな―と。」
「……チコ様、それはひどすぎます。」
フェクダが思わず言ってしまう。
「でも思うだろ?」
「それはそうですが……、って違います!!!」
「笑い話にもならないのですが……」
カウスが真顔で言う。
実は、あの女性たちのようにチコのバックには強力な家族も親戚もいない。そして環境的出身もユラスではなく、血はあってもおそらくナオスの血は濃いとも言えない。少なくとも、チコにはナオスやオミクロンの血はあまりない。ユラス社会では吹けば飛んでしまう立場だ。
つまり、結婚とこれまでの業績しかユラスに関わるものは無いのである。
チコの成した仕事は膨大であったが、族長サダルの横に他国どころか出生不明の女が居座るのを快く思う現地ユラス人はほとんどいない。血の方が重いのだ。
「分かった!好きだから!」
「はあ?」
げっそり言うチコに、まさに「はあ?」という顔の部下たち。
「照れるから話もできなかった!…という事で…。それでいいだろ!」
「……ならユラスに戻りましょうか?仲介してあげますよ?」
「…いい。言ってて気分が悪くなってきた…。そういう風に噂を流してくれ…。」
それからさらに項垂れる。
「ここに長く居過ぎた…。もう前のようにも過ごせない…。」
本当に嫌そうに起き上がると、チコは頭を押さえて出て行く。女性兵が心配そうにその後を追った。
チコにあれこれ言ってはみるものの、その場にいた部下たちは、正直同情した。
そう、もうあんな針のむしろの上を歩くような生き方はできないだろう。
そうさせたのはサダルがいなくなってからもチコをアジアに置き、アジア人との関係を規制しなかった自分たちの責任でもあるのだ。