63 シリウス
「あの、どちら様でしょうか…。」
「おはようございます」と挨拶した人たちに分かってもらえなくて困っている人。サルガスである。
ここは河漢の養護学校。
横にいるのはタチアナといつもの南海のスタッフ。そうくるとサルガスしかいない。
「えーーーー!!!!」
男女共に、赤い顔で驚く養護学校の先生たち。なぜみな赤くなるのだ。
「サルガスさん、そんなスッキリ顔だったんですね!」
「爽やかです!」
流石にこの反応には慣れたけれど、やっぱり面倒ではある。
タチアナが抱っこをせがむマーチを抱き上げた。
「今日は、ここに仕事はなかったんですけど、暫く任地が移るから挨拶にと思って。」
「え?タチアナさんたち持ち場が変わるんですか?」
「あの広場の交渉が進んでね。仮設事務所を立てられることになったから別のところを回ることに。」
なぜかあのおばあさん一家が立ち退きを飲んでくれたのだ。河漢に残るのか南海に行くのかは交渉中である。
「そうなんですか…。マーチがさみしがるなあ。」
「また普通に来ますよ。同じ河漢だし。」
みんなの少し後ろで、赤くなることもなく呆然としている一人。
「あ、ロディア先生、おはようございます。」
「…サルガスさんですか?」
「そうです…。」
「………。」
「あ、先生、これ。藤湾大学にヴェネレ人の新任の方がいるらしいんです。女性の方だし同じ数学者なので話も合うかなと。」
連絡先を伝える。
「先生ベガスが苦手みたいだったので、仲良くなれそうな人を聞いたら紹介されて。」
「覚えていてくださったんですね。…ありがとうございます……。」
サルガスは、ロディアが不安そうに自分を見ているのに気が付く。
「変ですか?子供に切られてしまって。」
「あ、いえ。見慣れていたし…前の感じに親しみがあったので…。」
「そうですか。みんなに前の方が怖かったとか言われますけど。」
「急に変わったので、違う人みたいで近寄りがたいです…。」
「ハハ……。こっちも慣れてください。」
ロディアはユラスやヴェネレ人の一般層はにはあまりいない、前のラフな感じに親しみがあったのだ。
学校の休み時間、少しだけ談話をしてアーツと南海はここを後にした。
***
ファクトは中央区の倉鍵に来ていた。
仲違いしたままのラスに会いたいと連絡を入れていた。
チコも一部ニューロス化をしていることを伝え、決して反メカニック、ニューロス派ではないことを伝えたかった。詳しくはラスに言わないが、チコは抱えているものが大きすぎて、SR社にもアンドロイドやサイボーグ研究にもいい印象がないだけだろう。なぜなら被験者当人なのだから。
ラスは着信を取ってくれないので、この1週間メールだけは入れている。後半からはブロックされたが、前半は既読になっていたので、多少の言い訳は読んでくれたと思いたい。それから別のメールに何度か会いたいと伝え、鉄道前広場で待つことにした。
人が行き交う駅前の広場に変なざわめきを感じる。
「…?」
なんだ?
辺りを見回してもただの人混みだ。
その時、自分の5メートルほど先に立っている、若い男の存在に気が付く。
黒掛かったグレーブロンド。昼の光の下で見ると、思った以上にきれいに光っていた。でも、隙間から見える顔はガザガザして剥がれてきそうだった。
一気に緊張が走る。
その男はゆっくり近付いて来て、ファクトの目の前に立った。
「久しぶりだな。弟。」
「…別に弟じゃないけれど…。」
「弟だよ。あの女と同郷なんだ。弟みたいなもんさ。だったらお前も義弟だろ?」
「あのさ、チコ。あの後意識不明で死ぬかもしれなかったんだよ。」
「知っている…。それは悪かった。」
少し驚く。したことに対する憤りは消えないが、素直に謝ってくるとは思わなかった。
「お前、名前は?」
ファクトはその男に聞いた。
「お前こそ。」
「俺は心星ファクトだよ。」
「………俺はシェダルだ。」
「シェダル?年上だと思うけど社会人なの?幾つ?名字は?」
「知らない。ただのシェダルだ。多分25、6だと思う。だから俺が兄だろ?」
「認めてないってば。まずチコに謝ってよ。」
「謝りに行ったら捕まる。」
それはそうだ。残酷なことをしたのだから禁固確定だろう。法の事は知らないがこんな奴ムショから出さないでほしい。自分も腕を折られたのだ。
ただ気になるのは…当時チコが庇っているように見えたことだ。この男をどうしたらいいのか。
「何で来たの?俺、これから用があるからどっか行ってほしいんだけれど。」
「俺を捕まえないのか?」
「今ここでできるとは思えないから。」
周りに多くの人が行き交っている。
「捕まえてほしいの?」
「………。」
シェダルは何も言わないが、しばらくして意外なことを言った。
「…SR社を紹介してほしい。」
「……?何言ってるんだ?SR社だって、チコをあんな風にした人間にSR社を紹介したところで何かできると思う?最初に警察行きだよ。」
そう言ったところで、シェダルはファクトの腕をつかんだ。
「このまま潰そうか?千切るまで掴むか?」
背筋が凍る。シェダルの眼が座っている。
「そこはお前が何とかしろよ。そもそも俺は元兵士だし、半分は命令に従っただけだ。」
いずれにせよファクトにどうにかできる話ではない。
「話をすることはできるよ。でも、俺には何の権限もない。一般人だし。」
「はあ?ここで血しぶきを上げるか?それとも血が出ないように潰してほしいか?救急車はすぐ呼んでもらえるだろうよ。」
話が通じない…。腕を強く握られて顔をしかめた時だった。
シェダルの後ろにザンッ!と、1人の人が立った。
帽子を深く被り、ショールも巻いている。
「その子を離しなさい。」
非常にきれいな少し低さも感じる女性の声だった。
その女はシェダルの服の背中を手で握っている。
「離さなければ私があなたを掴み潰す。」
シェダルは嫌な顔をしてドン!とファクトを回し押すように離した。地面に尻もちを付く。
そしてシェルダはそのまま両手を上げて無抵抗を示した。
「いい子ね。力の差が分かっているようで。今回は許すから、ここを去りなさい。」
女性はそう言って握っていた手を強める。
「………分かった。」
シェダルは悔しそうな顔で何事もなかったように女性から離れると、ファクトの方を見てそれから女の方を睨んだ。
「私はあなたの敵じゃないから。」
「掴み潰すとか言っておいてか?」
「………シェダル……。私はあなたの名前を知っているの。」
「……?」
シェダルは「何だ?」という顔をし、警戒する猫のような感じでしばらく見る。
「名前?」
「あなたの星の名前。星の位置。」
「……?」
シリウスはそれを切なそうな目で見た。
それから、シェダルは戸惑う目線を正し、スタッとジャンプしてそのまま街の中に消えていった。胡座で座り込んだまま、呆気に取られて見ているファクト。
「大丈夫?」
その女性が嬉しそうにファクトに手を出すが、ファクトは手を出すのを躊躇する。
「大丈夫。自分で起きれる…。」
起きて、居心地が悪そうにお尻を払った。あまりきれいな地面ではない。
「よかった。何かある前で。」
女性はとても柔らかに、そして優しく言った。
「ずっと会いたかった。ファクト…。」
「………。」
ファクトは目の前の人が誰なのか分かったが、名前を言う気にはなれなかった。
女性は少しだけショールをずらして顔を見せる。
美しい肌に美しい黒い瞳。
優しくほころびそうな目と口。誰にでも愛されそうな顔。
シリウスだった。




