56 検体
…………サ…
……
「サルガス!」
……
「サルガス!!おい!」
どこかで響く声を聴きながら、ボーとするサルガス。
起こさないでほしい…。
「おい!起きろ!!」
体を揺すられてやっと起きる。
「あ゛?」
「あ?じゃねーよ!髪ねーぞ?!」
「は?紙?」
何も考えずに髪をかき上げようとすると、手にガザっと黒い髪が絡みつく。
一瞬分からなくて固まったが、うわ!と驚いてしまう。
抜け毛か?剥げたのか?人の髪か?ホラーか?
「大丈夫か?!」
タチアナが焦っている。
「何だこれ?」
「お前の髪だ。」
「は?マジで剥げたのか?もっと寝た方が良かったか?」
働き過ぎたか…。
「……何言ってるんだ。こいつらだ。」
タチアナがしゃがんだまま指を指す先に、三人並んだ子供たちが立って泣いている。
半身を起こして意味も分からず子供たちを見る。
そこで、タチアナは持っていたハサミをシャカシャカした。
「こいつらが切った。」
「………。マジか?」
頭を抱えるサルガス。そこら中にサルガスのロン毛が散らかっている。
頭を触ってみると、根元まで切られた部分もあれば、長いままなどかなり凸凹だ。
2番目に大きい子が泣きながら弁明している。
「お父さんの髪は短かったから、おじさんもお揃いにしたのー!」
おじさんとか凹む。
もう泣き止んで、まじめに説明するおそらく末っ子の坊主。
「パパはここを、こーシャキシャキするんだ。」
と、手で切っている真似をする。
長女は泣きっぱなしだ。
「はー。」
正直そんなのどうでもいいぐらい疲れていた。もう少し寝たかったと。南海からの連れたちは合流したチームと先に戻ったらしい。
「最初に謝れ!」
うわ!と思ったら、自分の事ではなく、ばあさんが子供たちを叱ったらしい。
「ごめんなさい!」
「ぎょめんなざい…。」
と不揃いに謝られ、しかもばあさんも申し訳ないと頭を下げた。
鏡で見たらひどいことになっている。
「これはこれでオシャレってことは…」
「ない!」
サルガスは言うが、タチアナに速攻否定される。
無精ひげも部分的に短い。これはスキンヘッドにするしかないのか。ジーと鏡を見ていると、タチアナものぞき込んで心配気に言った。
「ここからのいい案があるのか?」
「いやー。我ながら久々にじっくり見ると、疲れ切って汚い顔だなと。」
「……。明日寝てろ。」
「あと、禿げ始めていないか確認してる。」
「…やめてくれ。」
子供たちの母がスラムで美容室をしているので、その真似をしたそうだ。美容室と言ってもおそらく露天かそこらの青空美容室であろう。どうにか皮膚は切られていない。そこは美容師の母に厳しく教わっていたらしい。そもそも、ハサミを触るなと言われていたのだが。
「傷はないよな…」
タチアナが見えない部分も確認する。破傷風などあらゆる予防接種は受けているが、万が一という事はある。
「娘が洗ったハサミだったから大丈夫だと思うが…。消毒で拭いているし煮沸消毒もしている…。」
おばあさんが口を挟む。
「はあ、これどうすればいいんだ。美容院とか行きたくない…。剃刀でそるか?」
「サルガス、重症だな。まだ他の選択肢もあるだろ。」
疲れ切って考えるのも嫌になっていると、ばあさんが言った。
「私が切る!」
は?
タチアナと二人で驚く。
「ユラスの首都で美容院をしていた!任せろ!」
は?!初めて目が覚めるサルガス。
「あっ、いいです!やめて下さい!なんか巻いて帰るんで、タオルか布下さい!!」
「黙れ!お詫びだ!私が切る!!こっちに座れ!」
「マジ御遠慮します!それか新品の剃刀くれればいいです!!」
「何言ってるんだ!お前客商売だろ!その顔で坊主頭は威嚇するだけだぞ!」
客ではないが、公人だけでなく、確かに女性子供にも接する対人仕事。坊主はやりづらいかもしれない。
「今までの無精髭にロン毛も似たようなものだろ。」
タチアナが明確な指摘をするが、おばあさんはひるまない。
お詫びもできないと延々と喚かれて、結局ばあさん美容院にお世話になることになってしまったのであった。
まあいい…。ひどかったらスキンヘッドにすればいい。
ただ、それでベガスには帰りたくないと思ってしまうのであった。
***
いつもの社会科の授業が終わってから、ムギはみんなを避けて外の静かなフリースペースに移動する。
ソイドやソラと講堂を出たが、ファクトはムギに気が付いてみんなと別れた。
ムギは、ベンチ代わりの石と石の間で小さくなって、1人不器用に復習をしている。
「シジミ君、セイガ協約についてもう1回周辺国の反応を教えてください。」
すると、公式に記されている教科書内容やニュースなどがダーと出てくる。
「シジミ君、北メンカルはなぜ対抗する力を持っていたのですか。そんなに人も資源もないですよ。」
人間にはぶっきらぼうなのに、AIは君付けの上に敬語で話し掛けているのがかわいい。ただ、あまり女子学生が知りたい内容ではない。
「なんだ?」
ファクトに気が付いたムギが顔を向けた。
「勉強熱心だね。」
「ほっといて。」
「復習ならみんなとすればいいのに。」
「……。」
「……。ムギ、この前なんでシンシーさんから逃げたの?」
「シンシー?」
「響さんの研究室で逃げたじゃん。」
「……ファクトには関係ない。」
観光の後、響とシンシーはたくさんの話をして、どうにかベガスの事を認めてもらったらしい。しかも別れ際、リーオは最後にと響にハグをしたとな。アジアにはそんな挨拶はないんだよ!と、後でシンシーから聞かされたリーブラがブチ切れていた。
「………。」
少し黙っていたムギが、ファクトをじっと見つめ口を開いた。
「…ファクトは、聞く覚悟はある?」
いつもと違って真剣なまなざしでムギはファクトの目を見つめる。
奥二重の先にある、茶色の瞳がきれいだと思った。透明で、まるで世界の全てが写し出されているようで。
「覚悟?」
「チコにも関わることだよ。」
「………」
「あるかないかっ!一択!」
「…急に言われても……。」
ユラスの事?ベガスの事だろうか。それともニューロス研究?もしくはメンカル?
「……聞く。」
こちらも真剣な顔でムギを見た。
ムギはちょっと意外な顔でファクト見返す。そしてムギも覚悟を決めたように話し出した。
「…私はね、ユラスやヴェネレ、蛍惑経由でアジアに亡命したの。詳細はもっとあって全部は言えないけど。チコの指揮でね。」
「………。」
何も言わないファクトにムギは続ける。
「名目上は商売の取引。響の友達とはその段階で生活品や服など少しだけお世話になったの。私の素性までは知らないと思う。大人たちがいつもと違う動きをするからあの時少し不安だったんじゃないかな。彼女勘がよさそうだし。」
「………」
「正確にはその話とは別件なんだけれど、私の前に私の故郷の人たちも亡命をしていて。はじめ私は亡命の引導している中心の一人がチコって知らなくて。そこでチコの部下の家族も亡くなっているの…。亡命は私がユラスに嘆願したことだったから…。」
ムギはギュッと締めた腕で曲げていた膝を胸元に寄せ、そこに頭をうずめた。
ファクトは何も言わずに聴く。
うずめた顔を少しファクトに向けるムギ。
「それからチコと言う人を知って…。しばらく一緒に動いて…。誰かからの話で………」
「チコが、チコが…。ニューロス研究の全身検体者だって知ったの。」
「…は?」
ファクトが思わず声を出す。話が思わぬ方に飛んで何を言ったらいいのか分からない。検体?それは怪我や事故ゆえの経過を研究に提供したという事か?検体?
一般の人間には聞きなれない言葉である。
「チコは健康体だったんだよ…。」
「…。」
それはどういうことなのか。
「どうにか直るような怪我に乗じて、検体になったんだよ…」
頭の整理ができない。健康な体を提供したということか?
SR社がしたのか?
もしかして父や母も関わっているのか?
それともおかしな動きをしているメンカルなのか?濃いシルバーブロンドのあの男は所在の分からないニューロスサイボーグだ。
それはいつの話なのだ。
当たり前だが、そんなこと許されているわけがない。
人間へのメカニック化は医療的理由などがなければ施せない。
「これ以上は話せない。聴こえる範囲に誰か来ている…。」
ムギはきれいな動作で立ち上がり、潤んでいた目をこすった。段に座って動けないままでいる、ファクトに近付いてパーカのフードを被せる。
「変な顔してるよ。」
「………」
「でも、1つだけ大事なことがあるよ。たとえ現実でも、起こったことと、周りや誰かが言う事は、いつも真実だけを見せているわけじゃないから…。
チコを守ってあげて。」
そう言ってムギは去っていった。




