55 眠りの河漢のサルガス
河漢の調査において、ほとんどの人間の意見は固まっていた。
ここを再生するより、異動対象の大部分は他地域に住居を準備した方がいいという事だ。とくに地下エリアは。
移住先の土地はベガスにもある。河漢に住みながら、河漢に正式に土地や家を持たない者も多いので移動させる権利もある。これまで準備してきたアンタレスの膨大な資金もある。協力団体や企業も依然と比べるとだいぶ柔軟姿勢を見せてきたし、既に一部はモデルという形で南海を通じて移住している。
ただ、口で言うのは簡単だが、実践は想像以上に様々な人間や組織が絡んでくる。河漢の住民登録有りの人口は30万人を超えるとされていて、移動は20万人の予定だ。
住民登録のない者の調査登録も必要だったし、大人に至ってはなぜ住民登録がないのかから調査が必要だった。アーツは行政や行政派遣員の案内や護衛も務める。ニューロスアンドロイドで足りない分や、複雑で人間にしか担えない事情のある場所への付き添いが主である。
そして、隔離されている子供など見付け、臨時設置の保健施設や学校に行かせることも仕事だった。保健関係では精神面や中毒症などの施設の紹介もできる。
河漢移民の多くは、人生に失敗して流れてきた者の他に、過去の移民政策で失敗した層で、不法滞在で紛れ込んだ者もいる。
大房などの移民は中流層も多く地元住民と合流して世代を作っていったため、ここまでひどくなることもなかった。
行政区の新たな線引き作業、移動の準備、受け入れ側の状態。直ぐすべきことと、誰に、どこに仕事を振るかも見極めていく。アンタレス河漢ベガスと3行政に跨るため、収入管理、予算の振り分けなどはアンタレスが対応する。既に専門の現役藤湾大学生も動いていたが、関心を持った他大学からも声が掛かっていた。
さて、河漢の養護学校。
タチアナには障害者の姉がいるため進んでここに来た。
30万人いる人口に対し、河漢の養護学校、養護施設は極めて少ない。普通の子でも学校に行かない場合があるので、親の意識も足りないし住民の手が届くはずもなかった。この施設は元はお寺からの慈善事業だったらしい。
サルガスは全体的な河漢の状況を聞くと、後は南海のスタッフに任せてロビーのソファーに背中を預けた。
「マジ眠い。ここで寝たい。」
「明日休んだら?」
タチアナは懐いてくる小さな子供を背中にくっつけて自分もソファーに座った。
「…明日は住民登録デバイスの説明がある…。」
「つーかそれ、俺らの仕事じゃないし。そんなの行政が人間探してやればいいだけであって。」
「なんか、俺らも把握しないとダメなんだって。俺としては便利屋にならないためにも、仕事の住み分けと、他人に任せる仕事を早く分けたいんだがな。」
「今指揮できる人間が、俺、タウ、イオニア、シグマ、ベイド、ハウメアだろ。それから…」
何人か名前を上げていく。副リーダーになれそうな者も上げた。
「リゲルはいいな。頭がいいし、冷静だ。ファクトと同じ歳だとは信じられん。」
「ファクトも頼られやすいし、勘はいいと思うけど…。」
タチアナが思い出しながら言う。
「あいつはいかんせん軽すぎる。しかも単独で動いた方がいい時もあるし…。遊び部分は残しておいた方がいい。」
「ははは…。」
とタチアナは笑った。
アーツ第2弾のシャウラもほとんど即戦力だが、まだ第2弾の教育指導に入っている。
助かるのは第2弾の人間が元々武術に秀でていたり、高度教育を受けている者が多いという事だ。彼らはプレゼン能力やチームワークも高校や大学で身につけている。既に次の希望者が入り、VEGA事務局員の指導で現在イータやEチームメンバーなどがマニュアルや規約など様々準備していた。
「マーチ!」
そんな話をしているところに、タチアナにくっつく子供を呼んだのは、この前の車椅子の先生だった。
「こっちにいらっしゃい。」
子供はタチアナから離れない。
「俺はいいですよ。」
この子は生徒ではなく、職員のお子さんらしい。
「あ、先生こんにちは。」
サルガスは起き上がる気力がなく座ったまま挨拶をする。
「疲れてそうですね…。」
「先生こそ、いつもお疲れ様です。」
それだけ言って仕方なく立ち上がる。
「タチアナ。俺、先の家もう1回行くわ。後で来てくれ。」
「おーす。」
そこに1人の東洋系のおじさんが入って来た。
「ロディア!」
そのおじさんは満面の笑みで車椅子に近付き、先生を抱きしめた。
そして、サルガスとタチアナにも挨拶をする。
「あ、こんにちは。」
去る機会を失ってしまったサルガス。
「あ、私の父です。」
「…え、お父様?どうも。」
「ロディア、こちらは?」
「河漢事業でベガスから来ているスタッフの方です。」
「おー!そうか!私の会社もこれからベガスか河漢に参入しようと思ってね!」
「えっ。そうなんですか!」
「君たち独身かい?」
「は?」
率直だな!
「お父さん!」
先生がいさめる。
「よかったらロディアと…」
「お父さん!」
完全に怒っている。
「早く事務所に行って下さい!」
ロディア父は仕方なしに手を振って職員室に向かった。
「ごめんなさい。気にしないでください…。ここの職員の独身男性や他の取引先にも言って回ったんです…。」
「え……」
男でも思う。それはイヤだ…。
「ただでさえ、足もこんなんで、ヴェネレ人の中では地味な容姿なのに恥ずかしくて…。」
ものすごく深いため息をついているので、同情するしかない。
「言われて期待した相手が私を見てがっかりしたりとかもあって…。本当に…。」
居た堪れない…。拷問だ。
「先生、大丈夫ですよ。一旦お父さん放っておいて、先生の好きな人生を進んだらいいですよ。」
「…そうですね。私もなかなか生活的に父離れできなくて…。」
とても落ちこんでいるので、顔を上げるまで励ます。
「はあ、すみません…。うちの父。婚活おじさんって言われているんです…。」
「楽しくていいじゃないですか。」
もう、励ましの言葉も思い浮かばない。
タチアナはサルガスを送ると、南海のスタッフの仕事が終わるまで待つために、先生と室内に戻って行った。
***
「で、おばあさん。この土地は譲ってほしいんです。」
なぜかこんな仕事までしているサルガス。
「ふざけるな!ここは先祖代々私の土地だ!受け継いだ魂は売らん!」
叫ぶばあさんにサルガスは思う。そんなわけがない。
ここは一番最初は学校の設備だったところだ。しかもおばさんはどう見ても淡い褐色で淡い髪のユラス人。移民1世で間違いない。
「おばあさん、ここに住んで何代目の子孫ですか?1代目ですか?マイナス1代目ですか?」
息子娘家族について来たなら、そこを1代としてマイナス1代としておく。
「うるさい!何代目だっていい!まだ死んでないのにマイナス扱いするな!」
マイナスがこんがらがって来る。
はー。こんなことなぜ俺がと思う。
ここに仮設の事務局を建てたいのだが、好条件を出しても南海にも他の場所にも移動してくれない。行政から当てられたベガスの拠点の1つがここだから仕方ない。カウスクラスを連れて行くと、強制撤去になるからダメだと言われたのだ。
河漢行政に強制撤去の権利もあるのだが、これからの計画を考えると住民は味方に付けたいらしい。
「まあ、お茶を飲め!」
おばあさんにお茶…。南海でやたら酒を飲まされていたヴァーゴを思い出して気が引けるが、座りたかったので外に置いてあった壊れたソファーにカバーを掛けた椅子に座る。
「ばあさん。お茶はいいので話を聞いてください。」
「絶対に動かん。お前もそれは年上に頼む態度じゃないだろ。」
「もう、俺とばあさんの仲じゃないですか!無礼講という事で。」
外に干した洗濯物やシーツの間を子供たちが走っている。
「お孫さんかわいいですね。」
「かわいいに決まってる!お前みたいなのが見るな!」
「………。」
全然懐柔されない…。が、この子たちも上の子は園に入れた方がいいとあれこれ考える。
「チョコレートがある!」
ボーとしながら先施設でもらったお菓子を出すと、子供たちが集まって来た。
「勝利!」
おばあさんにニンマリすると叱られる。
「知らない奴から食い物を貰うな!!お前もやるな!」
おばあさんが子供たちを蹴散らかし、子供たちはワ~と声を出して逃げ回った。
「あれ?けっこう教育できてるんですね!それにもう顔見知りでしょ?」
サルガスが煽るがばあさんは無視だ。
息子のデータや孫の年齢を見るにそんなに歳ではないだろうが、アンタレスの年配よりもずっと皺が深くお婆さんに見える。調べていくとやはりまだ60代後半。この時代だとここまでシワの多い60代はあまりいない。そんな刻まれた皺が、歩んできた人生の大変さを物語っていた。
返事を持っている間にだんだん眠くなる。
おばあさんが洗濯している水も区の物なのに。と思いながら子供の服を洗う洗濯風景を見る。苦肉の策で、スラムでは自然に還りやすい洗剤の使用は許されている。昔、数本の川が、生ごみ含むゴミと汚物、化学薬品、ヘドロで死んでしまったことがあるからだ。
どの代がきれいにしたのか。
完璧なキレイさではないが、中間ごとの浄化槽をそのまま通過できるくらいには変わった。
地下空間だがここも地上まで吹き抜けて、太陽の光が洗濯物の間からサワサワと漏れる。
遠くから聞こえるような、子供たちのキャーキャーうるさい声も心地よい。
気持ちい。ベガスに来てから1年くらいかな…。
そしてサルガスは不覚にもここで眠ってしまった。




