45 突然の帰宅
月日が経つのは早いもので、チコが目覚めてからもう1か月経つ。
今日は、久々のアーツ大型集会が南海で行われていた。
アーツ第2弾だけでなく、南海含む河漢計画に関わっている者、藤湾で講師役をしている学生たちも任意で参加してもいい。カウスやその上司のワズン、カウス同僚たちも久々に顔を出していた。マリアスやその三男デルタもいる…が、残念ながらムギは学校だ。
「以上の説明でまず質問は?…。なかったら次に行きます。」
サラサがいつもの先生風にどんどん話しを進めていく。
「次は、大房から住民票移転について話が来ています。」
「大房から?」
アーツ大房民が騒めいた。
「完全に移転した人はベガスに住民票を移したいとのことですが、大房からストップが来ていまして、タウ夫婦やサルガスの件もストップしています。」
「区役所からダメ出しが来て移せないってことですか?なんで?」
「試用期間が過ぎて何人かが住民票移転を申請に来たことが大きな理由らしいです。人材を勝手に引き向いていくなと…。」
はあ?と思ってしまうアーツ一同。
『人材』とか、大房にそんな言葉があったのか?
なにせ、『若者の質が悪く、収集がつかない街。大房』である。大房で良いことと言っても、無法地帯やスラムよりは良いという感じだ。アーツの何人かは軽犯罪だが犯罪歴もある。大部分が高卒で中卒もいる。アーツはまだまともな方で、夜は繁華街を反れたら1人で歩かない方がいいという街だ。加えて、かといってすごく悪くもなく注目を浴びにくい街でもある。
そもそも住民票はそういうものではない。
「実はベガス移転というのが引っ掛かって…。一旦保留になっていたのだけれど、その間にあなた方の何人かが申請に来たのでちょっと問題になっていたようです。」
余計に意味が分からない。国籍を抜く訳でもない。アンタレスから離れるわけでもない。アンタレス市内ベガス自治区域である。ベガスに住んでいるから生活上、住民票を移すだけだ。
「皆さん、サルガスやシャウラが今、大房の議会や商工会、経済クラブとも話をしていることを知っていますよね。」
サラサが丁寧に話す。
「それだと思います。『大房再構成の話をしている大房の若者』の彼らを持って行かないでくれ!…という事です。」
はーなるほど!と思うメンバーと、まだ分からないメンバー。
「みんな大変なんだね。俺はそこまで注目されないから何しても楽だよ。」
ファクトは気軽に言うが、実は転校の時、心星家が行ってしまう~!と、先生たちはかなりやめてと説得していたのだ。当のファクトは全然印象になかったが。
「ヴァーゴ、タウ夫婦に、サルガス。ベイド夫婦に蛍夫婦も申請をしています。後、30人ぐらいかな。」
ヴァーゴはサルガスの腹心、もとい金魚の糞。
タウは表世界ではないにしろ、パルクールのトレーサーで有名人である。大房のトップにいたので、いわゆるアンタレスでも数本の指に入るトレーサー、世界トップクラスでもあった。イータやソアも個人名が広く知られているわけではないが、チームとして有名なダンサーである。
大房行政は思う。彼らも外に行ってしまうのか…。
ただでさえ、未婚増加に少子化。いや、それは100年以上前からずっと騒がれて、移民第3期に一旦歯止めが掛っていたのだけれど。しかし、行政や教育を立て直す知恵と力がなかったため、低所得者地域になってしまったのだ。
そして、やっと名の知れた若者たちが結婚申請をしてきたかと思ったら…住所はベガスに移るとな。しかも最初の結婚届を住所ベガスで提出してきたので、速攻ベガスに連絡が来ていた。
『大房人同士の結婚なんだから大房にいて!』という、大房立っての願いである。
「つまり、人材流出を止めてほしいとのこと!」
サラサはドンと拳を下した。
これでだいたいの人間は把握した。
ただし、さすがに婚姻届けを出した者には受理をした。これを止めたら行政が処分を受けるであろう。泣く泣くタウを手放したのだ。まあ、実家は大房付近だが。
そう、大房はメカニックジャンクな街であると同時に、ストリートスポーツの要の街でもあった。と、同時に大房のオバちゃんの街でもあるのだが、人材流出の街でもあるのだ。
なぜなら、『大房にいては出世できない』という分かりやすい素晴らしいジンクスを持っている。
大房にはそれなりに突出した人間がいるのだが、大体外に出て有名になるのが定番だ。大房自体に大型のスタジオや事務所がないのもあるが、野心の強い人間は、ほとんど外に出てしまう。いい加減に学校に通って来た雰囲気で、そのままの馴れ合いの地元色が強すぎるため、向上心の強い人はなあなあな雰囲気が嫌で残りたがらない。
それを数十年も放置してきたのだ。
ベガスは移民自治区域という事もあって、移転、移住に一定の試験などがある珍しい地域だ。移民側、受け入れ側の過去の失敗を教訓に、理念教育を施し、一定の生活認識が確立するまでは住民にもなれないし仕事や学校に通うこともできない。その一定の教育機関、待機場所が南海である。
同じ移民から作られた街なのに、大房は立ち往生。ベガスはアンタレスに来た移民がさらにアンタレスから世界にヘッドハンティングや派遣されるという、型破りな人材育成を10年も掛からずに果たしてしまった。
しかも、移民のいる地域といっても、大房はアジア最先端地域のアンタレスに数世紀を越えて堂々と居座る大御所の街である。それが、最近一から集落を作って「移民地域を作るな」とネットで叩かれているベガスに、なんだか分からないけれど頑張り始めたらしい若者たちを持っていかれてしまうのだ。
「取り敢えず少しベガスにいるけれど、決定打にしないで、自宅は大房ってことにしといて!」という話である。しばらくベガスにいても住民票抜かなくていいから!みたいな。
「え?でも、ベガスに半年以上いるんだから、住民票を移すぐらい…。それに大房に住みながら、住民票は実家ってやつもいるっしょ?」
「役所が違うだけで、特別区域にしろアンタレス市はアンタレス市だろ?」
「そもそも大房にどれだけ人口がいると思ってるんだ?30人ちょっと移転したからって。なあ?」
「戻ればまた大房に移せばいいんだし。」
何人かがそんなことを言っているが、30人以上の若者が、変わり目の季節でもないのに、一斉にベガスに移るのは大房的に超衝撃だったのだ。
「まあ、先導権はこちらが得たようなものです。これから話し合いをしていきましょう…。」
サラサが不敵に笑っている。
「では、これは後でまた話すとして、次の議題ですが…」
「?!!」
と、言ったところで誰もが目を見開いて黙ってしまった。
講堂中間のドアからプラチナブロンドをサラッとなびかせて登場した人物。
まっすぐな手脚に見合う伸びた背筋、何も動じない真顔。
久々に見る、少し目尻が上がったアースアイ。
チコである。
チコは音も立てずに講堂に入ってくると、近くの空き席にサッと座った。
静かに入って来たのに、目立つ立ち振る舞い。講堂内が静まる。
サラサも唖然としたが、思わず一部のメンバーが立ちあがってしまう。ファクトやリーブラ、キファ。SR社での何かを知るメンバー。サルガスも見入ってしまう。
しかし、最初に立ち上がったのは後方席にいたワズンだった。
「チ、チコ…」
隣りにいたカウスも焦るが、呆気に取られているワズンに気が付いて、引っ張って座らせる。
「………。」
呆然と動かないサラサ。
「?…」
自分が注目されていると気が付いたチコは一言話す。
「なんだ?話を続けろ。」
「え?あ、はい。総長お戻りになられたのですか。」
この調子だと、サラサもカウスも知らなかったのだろう。
「あ、調整が終わったから先帰って来た。一応事務局に先に挨拶に行ったぞ。」
「…あ、そうですか。」
チコ、ちゃんと手足があるんだ…。
ファクトは今までの人生で感じたことのない熱さと安堵を感じた。
アーツの中でチコの手脚がないのをハッキリと知るのはサルガス、ヴァーゴ、タウだけ。タウが話していれば、イータも知っているだろう。
ただ、今回の襲撃後の姿を見ているのはファクトだけだ。心の底からホッとした。
胸が熱くなるような、くすぐったくなるような、こんな気持ちは初めてだった。手を振って笑うと、チコも顔を崩して笑い返した。
ドキドキする。胸の熱さが収まらず、机に顔を伏せる。
本人死亡の可能性も考慮して動き出していたベガスの裏側。
痩せて手脚もなく、瞳だけ動いていたチコ。
起きても後遺症が残るかも、ユラスにももうお荷物だと、捨て駒みたいな言われ方をしていたのを、波長を聴き取れるファクトは知っていた。そして、母ミザルの動揺も考え、父ポラリスが調整チームに入ってからはSR社には行かないようにしていた。
なのに今、この人はまるで怪我なんてなかったように歩いて、そして座っている。
リゲルが横から、無言でファクトの背中を叩いた。サルガスも頭を伏せていた。安心したのだろうか。リーブラはチコを見たまま動かない。
ユラスの中心人物たちも何か知っていたのか。カーフはこの場にいなかったが、藤湾のユラス系リーダーたちも唖然としていた。
「…あの、総長?驚かさないでください。…次の議題が頭から抜けてしまいました…。先に総長からお話しされたいことあります?久しぶりですし…。
お帰り…なさい……」
突然サラサの声が震え出す。
これはヤバいと、サラサやサルガス代わりにヴァーゴが聞く。アーツの副リーダーである。一応。
「チコさん、何かお話あります?」
注目がチコに行っている間に、マリアスがサラサを下がらせた。
まさか、サラサが動揺するとは思っていなかったのか、少しキョトンとしたチコが立ち上がった。
「あ、じゃあ少し。」
壇上まできれいな立ち振る舞いで降りてくる。一般人と違う洗練された歩きを久々に見るアーツ。慣れているはずなのに、誰もが見入ってしまった。でも、あまりにも突然で、みんな思考が追い付かない。何かフワフワしている感覚だ。
しかしチコはいつもの感じで話し出す。
「まず、ヴァーゴ!お前後で面談な。」
「俺っ?」
思わずやや大きめの声で聞き返すヴァーゴ。
それはそうである。数か月、アーツ察するに只ならぬ事情で行方をくらましていたチコの、最初の話がヴァーゴなのだから。ヴァーゴ自身もハテナが止まらない。
「それから…、モア!お前もだ。」
「え?!」
モアも周りも同じ反応をする。モア?なぜモア?
なんというか、久々なのでもっと他に話すことがあるのでは…。モアは『アーツの限界点』と言われるBチームトップのアホな男である。
何が限界点と言えば、元クラブ通い、付き合った、関係を持った女性数知れず。本人は「10人もいない!まだまともだ!」と、騒いでいたが、大房のヤバい方の基準で威張ってもらっても困ると、一蹴される。モアより性関係ひどいと、何かスカウトしてくるあのアーツとかには呼ばれないと大房でも話題になっている。
が、実際は霊性を見るといろいろ違う結果が出るので、必ずしも付き合った人数でスカウトの有無が決定されるわけではないらしいが、とにかく『アーツの限界点』という、しょうもない称号をもらってしまった。モアが最低基準なのだ。
最年長童貞ヴァーゴと、『アーツの限界点』モア。なぜ?
なぜが止まらない一同。
「…それから…」
チコが続ける。
「今から名前を読み上げる者も順次面談しよう。」
「え?誰とですか。」
「私に決まってるだろ。」
へ?チコさん?
「タチアナ、イオタ、ジリ…、レーウ、ノヴァ…」
と、どんどん名前をあげていく。
「ジェイ、お前もな。」
「ええ?!」
他人事のように聞いていたジェイが驚く。
それから、南海の社会人メンバーもなぜか数人名前が挙げられた。
「取り敢えずこの件は以上。ヴァーゴとモアは時間が出来次第早めにしよう。後はお互い調整してしていく。直接言ってくれてもいいが、私かVEGAのデバイスに教えてくれ。」
呆気にとられるヴァーゴと、怯えるモア。
そして集会は休憩に入った。




