44 イオニアVS響
南海のパブリックスペース。
誰もいないそこで、ニュースを見ながらコーヒーを飲んでいたイオニアは、ずっと避けていた人に遭遇した。
「イオニアさん?」
響である。目だけ合うが、最初の言葉が出てこない。
「………。」
「……………」
お互いの沈黙を破るように、響が口を開く。
「…あの、心配してくださっていたようで…、先日はありがとうございました。もう退院もして大丈夫になりました。」
「………。」
何も話さないイオニア見て、なんとなくの愛想笑いから、赤いまま戸惑いの顔になっていく響。
響としては、ちょっと好きと言われたからといって、自分からほぼ断ったようなものなのに、まだ意識してくれていると勘違いしている痛い女に思えて恥ずかしくなってきた。そんな響の顔を、真顔でじっと見てしまう。
「………意識不明って知ってびっくりしたから…。よかった………」
やっと聞けた言葉がこれ。ますます恥ずかしくなる。響でなくても身近な知り合いが意識不明なら、それは心配に違いない。敢えて何もお礼を準備しなくてよかったと響は思う。キファのようにSR社に何度も訪問していたわけでないし、報告だけにして正解だった。
「……。」
あの饒舌イオニアとは思えない静かさ。
飲み物一杯くらいは持って来た方が良かったかな…、飲んでるからいいかな…などいろいろ思いつつ、やっとお礼が言え、響は一先ず肩の荷が下りる。
「………あの、ありがとうございました…。では…。」
急いで去ろうとすると、座ったままのイオニアが少しだけ響の手を握って引き留めた。
「!」
あまりに唐突で驚いてしまう。握られたのは指先だけだったが、イオニアにこんな風に触れられて驚く。
「ちょっと待って…。折角だから、何か話さない?」
「え?え?え?」
「イヤ?」
響から離した自分の手を、そっと握るイオニア。
「あ?え?あ!じゃあ少しだけ!」
さっと向かいのソファーに向かい、響はトスっと腰を下ろした。
「……」
「………」
「響さんごめんね。いろいろ困らせて。」
「はい?困らせる?」
響は姿勢を正したまま、上を向いて考える。…みんなの前でナンパしまくったことだろうか。
「…。大丈夫ですよ、過ぎたことだし!」
「…過ぎてしまったのか…。」
「え?」
「いや、何でもない。」
「何か飲む?買ってこようか。」
「あ!いいです!」
こっちが何か奢るか悩んでいたのに、イオニアに言われて申し訳なくて辞退する。
「…今更敬語じゃなくていいよ。」
「あ!ハイ。」
緊張しているだけである。
「あのさ、DP(深層心理)サイコスって調べたんだけど、この前相当やばかったんじゃないの?」
「…?…ああ。SR社の?」
イオニアはおそらくチコに何かあって、チコか襲撃者の深層に入っていったのではないかと予想している。しかもアジアに数人しかいないDPサイコスター。
響は少しだけいつもと違う引き締まった顔をする。
「大丈夫ですよ。本当に危ない橋は渡りませんから。」
「………。」
危なかったんだけれど。あの時リーブラとタラゼドが指を鳴らさなかったら、起きなかったかもしれないのだ。危なっかしいことこの上ない。
「なんで、指の音で戻って来れたの?」
「……。」
「みんな不思議がってたじゃん。なんで音なんだって。」
「……。あー!それは言いません。SR社の人にも言いました!言いません!」
また赤くなって言う。
「そういう気分だったんです!」
「…気分?でどうにかなるの?」
「なったんです!」
うるさくなったら人が来そうなのでこれ以上の追及はやめておく。
「………」
何となく分かってしまったイオニア。
「……はあ……」
「なんでため息なんですか?!」
心配をかけておいて、全てをうやむやにするのも申し訳ないと思い響は少しだけ語る。
「この前はファクトも一緒に入ったから少し戸惑ってしまったし、思ったよりもたくさんの人が入ってくるからちょっと特殊な感じだったから…。」
想像以上に深く強い深層を維持している人間が数人入って来た…。おそらく彼らは無意識でビルドを描いている。ものすごく強い精神性がないと出来ないことだ。
響が自分のビルドの中に逃げようとした隙に閉じ込めたのだ。響自身の意識の中に。
そして、あの男とチコだけでない。
ファクトも霊体に頼られやすい体質を持っているし、なにか大きな機密事項に向かっている気がした。
ファクトには最初に言ってある。DP層で見たことをSR社に全部は言わなくていいと。ベガスの病院でお互い話はある程度刷り合わせた。
何だろう、コントロールできていないのに一定の力が覆うようにたくさん漂っていた。高位霊能者や精神性の高い人間のような感覚。普通の感覚では、一般的にビルドは描けない。
深く冷たい闇があるのに、まだその中に、その先に何かある感覚。
誰の深層にどこまで入っていったのだろう。
どこまでがチコで、どこまでがあの男で、そして誰かだったのだろう。
「これまで犯罪者の深層にも入ったりしました。それよりは今回の方が難しかったのかな…。奥がないというか…。深くて、限りがなくて…。」
え?犯罪者?とは思いつつも、普通に聞いておく。
「犯罪者とか危なくないの?」
「彼らは不安定なようで一定の形と世界があるから分かりやすいんです。自己が分裂していたり、憑りつかれているにしても自分の世界が強いから。」
「…。」
「でも、今回は何だろう…………
自己のようで、自分じゃない。囲いのあるようで、囲いがない…。
あの感情を…感情?世界を何というのかな…。有限じゃないというか、どこまでもいけるというか…。掴めそうで掴めない…、包み込みたいのに包まれるみたいな…。
怖いのに、どこまでもいきたい。怖いのに、何か懐かしい…」
響が少し遠い顔で思い出そうとするが、その後続くものはなかった。
イオニアは響のその顔を見つめてしまう。いつもと違う、どこまでも見通したような目。
普通に興味深かったし聴きたいことはあったが、あけっぴろの休憩所で話すこともないと思い、イオニアは話題を変えた。
「そういえばさ…お見合いするの?」
「…えっと、やめました。でも遊びに来るって友達が言っていて…。相手はどうなのか知りませんが、友達が強引でちょと困ってます。」
「なんで?いい条件の人なんでしょ?」
「仕事もあるし、…いろいろきまってる感じでモテそうな方ですし、自分には合わないかなと。男女共にギラギラしてそうな世界は無理です…。みんなに言われてさらに自覚しました…。自分のことは自分が一番よく分かっています。」
「…響さん鈍いと思うよ。自分の事。」
「え?そうですか?でも、誰もがスポットライトを狙っているような世界で生き抜いてきた来た人とは難しいかな。ご本人ともあちらの交友関係にも入って行けなさそうです…。そこは分かっています…。」
「……。」
「それでも友達が強引過ぎて、会う日に着てってフェミニンな服とかも送られてきたんですけど…
私、デギッズの方が好きなんです!!」
は?いきなり話が変わって一瞬頭が飛ぶ。
デギッズは、メンズブランドだ。ファクトも時々使っている。
財布を取り出して言う。
「ほら、これ。中学の頃から十数年使っても壊れないし!私、いろんな村や山奥にも行くから財布必要なんだけど、こういうの好きなんです。」
シンプルな、飾り気のないなめし皮の財布だ。一応角は取れたデザインだが女性が持つには少々ごつい。
「この靴もすごいんですよ。」
少し足をあげてスプリングブーツを見せる。靴が凄いとか言う女子を初めて見た。と、イオニアは思う。
「これ、ムギが持ってきた牛革で作ってもらったんです。ムギちょっと型破りでしょ?
あんなフツーの顔して、持って来た革も肉牛とかホルスタインじゃなくてね!なんか毛むくじゃらの牛で!あの牛毛付きの革もほしくなっちゃた!角もこんなんで!」
デバイスを出して、毛むくじゃらで横から上に伸びた角の牛を見せてくれる。
「それに、この牛のお乳がどんな味がするのか気になっちゃって。石鹸やチーズとか作ったらいいのができるかな…。」
メンズブランドのデギッズからなぜかアジアの高原まで飛んで、革から乳の話になってしまっている。
「…プっ」
がんばって言う響に、イオニアは笑ってしまう。
「…!」
喋り過ぎた響は我に返って落ち込む。自分を飾るよリ、誰かが作ったステキなものを眺める方が好きなのだ。少なくとも、いつも妻にキレイでいてほしい人、普通に社交を務めてほしい人、いつも妻が家にいてほしい人、人の趣味にうるさい人との結婚は無理であろう。
「もうお見合いも何回したか…。すみません…。今脳内反省会します。帰ります。イオニアさんもステキな人見付けてくださいね…。誰か来てるみたいだし。」
それだけ言うと、呼びかけるイオニアを無視して響は早歩きで去っていった。
「はー。」
イオニアは残されたソファーで深くため息をつく。
「お前災難だな。」
いきなり声を掛けられると、シグマとソアの夫ベイド、ロー。そして、ずっと醤油作りに励んでいたティガも久々にいた。4人も周りのソファーに座る。多分響は、近くに来たのがアーツのメンバーとは知らなかったであろう。知っていたら後で恥ずかしいとうるさそうだ。
「…どこから聞いてた?」
「犯罪者がどうとかいう辺。」
ここでサイコスの話を深入りしなくてよかったと安心する。
「なに?響さんミステリーも好きなの?」
「…どうだろう。」
「虫眼鏡持って、地面とか観てそうだよね。」
そんな子供の絵本のみたいな探偵いないと思う…がありえそうだ。
「シグマも好きそうだよな。あのこ。」
ベイドが言うがシグマは速攻で返した。
「深入りはしないって決めた。」
ザッとめっちゃ線を引くジェスチャー。
ベイドがローの方を見るが、ローも思いっきりバッテンを描く。
チコの守備範囲に入りたくない。
「キファはどうなんだ?あいつこの前めっちゃ落ち込んでたけど。」
「弟妹枠に収まったと言っていた。」
「弟…、えっ?妹付き?弟枠でなく弟妹枠?」
「ファクトやラムダどころか、ファイやリーブラ含む枠らしい。」
「…なるほど。平和だな。」
「かわいそうに。」
「魔性の女とは思わなかった…。」
「喋らなければ、ミステリアス響なんだがな。しゃべるとマジ大房のオバちゃん入るからな。バス旅行に漬物や巣昆布持って来て、飴もくれそうだ。これで虎着てたら完璧なのに、犬の方が好きらしいな。」
「あのカバンにマジ、飴ちゃん入ってるぞ。この前ラムダにあげてた。」
「いや、大房のオバちゃんはチコさんだろ。あの人中身は本気オバちゃんだ。」
「親父じゃないのか?」
「………。」
ティガが下を向いている。
「………。なんだ?お前もやっぱ惚れたんか。」
「いや、いやね。響さんこの前上下柄物でモンペみたいなの履いて、農協の粗品の日除け帽子被って畑作ってた…。」
上下柄物とか、ファッション界でなければそれこそ大房のオバちゃんであろう。なぜか1世紀を越えて、健在しているオバちゃんたち。このモード時代を通過しながらも、どのルーツで残ったのか大学で文化研究までされている。初期移民一世と、大房おばあちゃんたちのヒュージョンの名残なのだが。
「ぼ、帽子も柄物で…」
ティガの思い出し笑いが止まらない。
マジ、魔性だ。ティガも陥落か。
「そもそもなんでイオニアに敬語なんだ?」
「分からない…。」
「響さんの方が年下だろ。」
チコを言いくるめるイオニアでさえ掴みどころがなかった。




