32 シャプレー・カノープス
ファクトはこの頃ムギと入れ違いで第3ラボに入った。
「あれ?父さん!」
「お、ファクト!」
状況が分からないファクト。
「何でこんなところに?タニアじゃないの?」
「チコに会いに来たんだろ。」
「…連絡くらいちょーだいよ。」
「ミザルにサプライズしたんだ。」
「………。母さんの嫌がるやり方やめなよ…。そういうことするから、帰省しても会えなかったりするんだよ。」
中2の新年、ミザルは仕事で別の都市に。それで夫婦は会えなかったのだ。「ミザル、会いたい、会いたい」とその後うるさく騒いだため、旧正月に仕方なしに3連休をもらって会ったのであった。ただし、そのうち2日は2人してSR社に赴いていた。難儀である。
なぜか父といると、しっかり者に見えるファクト。
「ファクトこそ学校じゃないのか?」
「ちょっとね。」
チコのいる場所で言うのは控える。
『ファクト…』
「ん?あれ?」
声がする。この声はチコだ。
ベッドの近付く。話せるようになったの?と言おうとしたところで、
『シっ!』
と言われる。
「チコ…。」
…テレパスか?!それとも霊話?
『みんなに言わなくていい。あれこれめんどい。』
「!」
思わずベッドに乗り出してしまう。驚きが止まらない…が、喋るなとなると、この想いをどこにぶつけたらいいんだ。こっちから無言で話す術を知らない…。
「どうした?一度会っているんだろ?」
ポラリスが呼びかける。
「口が動くからびっくりした…」
と言って、チコに向き直る。
『このことはポラリスにも言わなくていい…。いちいちSR社に報告とかされるから。寝てるの苦痛だから…ニュース読みたい。』
はあ?と思うファクト。
目が覚めてからチコのベッドにスタンドが置かれ、デバイスで様々なTVや資料が見られるようになっている。思考や瞬きで意思確認をし、多少の会話もできる。でも、思う以上に疲れるからと時間制限されていた。いつからきちんと意識があるのか分からないが、術をしてから1週間ほど経った。休みなく働いていた人間なのに、寝たきりは辛いだろう。
「チコさん何か見ていたいそうですよ~。目で訴えていまーす!」
何となく言ってみるファクト。
「先、少し見たので休憩がした方がいいでしょ。」
ユラス女性が言う。
チコに指で×マークを作る。この流れでは直接チコに話しかけても問題はないのだが、混乱して自然な会話ができないファクト。
「そういえばお前たちはどうやって出会ったんだ?」
「あれ?言ってなかったっけ?」
「住まいもベガスと聞いてびっくりしたぞ。」
「…あ!ごめん!今日は用事で来たから!」
さっとチコの前のデバイスをニュースにして、部屋を出た。チコ的によく画面が見えない角度。フレームがアナログなので動かさないと位置は変えられない。ホログラムも意識操作も切ってある。
「じゃあ!チコもよく休んでねー!」
チコは怒っている感じだったけれど、ファクトは出て行く。
きちんとした意思がある。チコはきっと大丈夫だろう。うれしくて気持ちが弾むが、まだすることはある。
そして響のいる部屋に走った。
***
響のいる部屋にはリーブラとファイ、キファ、そしてアンドロイドのスピカがいた。
リーブラが香油を焚く準備をしている。
「それ響先生が焚いていたのと違うじゃん。大丈夫なん?」
キファが不安に思う、響先生は帰れるのか。
「だって私、香木は扱えないし、先生のアロマ道具は高級品ばっかりだから!」
値段が1桁、2桁違う…。リーブラは自分で買ったアロマポットにユーカリを焚こうとしていた。香の原液となる精油は研究室から持って来た物だ。
「…でもユーカリも何種類かあってどれか分からないんだよね。」
「助手のクセにそんなことも分からないのか?」
「私は半分庶務だもーん。漢方扱う方が多いし。キファの方がずっと手伝ってたじゃん!」
「なら俺が選ぶ!」
キファがユーカリと付く精油をいくつか嗅いでいく。
「ユーカリ・ラディアータ…これはマイルドすぎる……。レモン?なんでユーカリなのにレモン?ブレンドしてあるんか?
ユーカリ・スタイゲリアナ…。ディベス………ペパーミント…これもブレンドなのか?
ブルーマリー……こっちはメーカーが違うだけだろ。あの日、机にいくつか瓶があったからどれか分からんが、名前が同じならどれでもいいと思うが。」
ファイが怪訝な顔で見る。
「キファにそんな繊細な仕事ができるの…?」
「話しかけるな、コアラを召喚する…。」
しばらく悩んで、1本選ぶ。
これだな!
「ユーカリ・グロブルス!」
一番オーソドックスな精油だ。
「これが一番トリップから覚めそうだ!」
香りが強く、名前が気に入っただけである。
リーブラがアロマポットに精油を垂らす横で、ファクトがうるさい。
「それだけでいいの?マンダリンも焚いたんだろ?かわいい匂いも足しておこう!…てマンダリンもいろいろあるな…。」
勝手にマンダリンも垂らすファクト。
「違うから!それ!勝手に足さないで!!」
「マジ、ファクト。俺が頑張って選んだ意味ないじゃん。
…まあいいか。まだチコさんを探してるかもしれないし。チコさんが好きな香りっしょ?」
そして気が付く。
「…かわいい匂いが好きなんだな。チコさん。」
キファが意外がるが、ファイは鋭い。
「チコさんのことだから、自分の好みじゃなさそうだけど…。」
「そうなのか?まあ、ジンとかもっとスカッとしそうなの好きそうだよな。はー、チコさん強そうなのに酒飲まないからつまんないし。ウイスキーとかブランデーとか絶対合うと思うけど。響さんは果実酒とビール好きそう。」
勝手にブレンドされたので焚き直そうか迷ったが、どのみち香りは部屋に広がったしリーブラはそのまま続けることにした。
ファイが響の眠るストレッチャーの横で響の長い髪を梳いてあげる。
そこで、ファクトはすごいことに気が付いた。
…つうか、みんなチコのためにトリップしたって知ってんじゃん。箝口令まで出ていたのに。と、実際状況はともかく、目的はバレていた。まあ、ここまで来て隠せる方が無理かもしれない。
そこにSR社社長、シャプレー・カノープスが入って来た。入り口に控えていたスピカが案内をする。
ファクト以外の3人に緊張が走る。
今まで大勢の中で見てきたけれど、こんな少ない中で対面するのは…初めてだっけ?考えてみれば、今まで間接的な関わりしかなかった男だ。
「おい、ファクト。お前は社長と仲がいいのか?」
キファが怯える。
「え?全然。」
こいつ…という顔をするキファ。
シャプレーは、おそらく190以上の身長。カウスとタメを張れそうな肉体。リゲルやタラゼドを超える系の三白眼。ヤバい、死ねる…。
社長……か?オミクロンの最終兵器じゃないのか?ラスボス系だろ。チコさん倒したら、もう1人ボスが出てきたみたいな。
よく考えたら世界のトップに入るグループ企業のお頭。社長というよりCEO…。普通だったら絶対に会えない人間である。会った上、こんな半プライベート空間で会話までするとは…。全員緊張しながら挨拶をする。立場もかけ離れているが、何より殺されそうだ。大人しくしていよう…。この施設から出る時に、消されないように予防線も張りたい…。
「ああ、よろしく。」
シャプレーは簡潔に答え、スーツのジャケットを脱ぐと、スピカがそのまま受け取って片付けた。全く表情が分からない。怒っている感じではないが、無表情というか、真顔だ。クスリともしない。
響の前には大きな藤の椅子が置かれ、そこに座る。ファクトも同じように隣にあるリクライニングシートに座った。
「今度はファクトが戻って来れなくなるとかやめてね。」
ファイが言うと、シャプレーが答えた。
「大丈夫だ。ミザルに万年怨まれるようなことはしない。」
「あっ、はいぃっ!」
シャプレーが答えると思わなくてさらにビビるファイ。
だが、実際は大丈夫だろう、おそらくの域だ。なにせ前代未聞である。
そう、これから響を見付けに行く。
目の前で眠り姫のように眠る肉体。
「キスしたら起きたりして。」
グハッ!
ガフッとリーブラが肘を入れる。そういうことを言うからキファは完全接触禁止である。
「私の習得したものは、響史とは少し違う。そのまま遠目に意識下を見るれるが中にはあまり入れない。ファクトが響史を見付けたら、すぐに様子を見て呼びかけるんだ。」
「…分かった。」
ファクトは真剣に聞く。
「時間がなくて、予行演習が出来なくてすまん。今ここで試してみるが、無理だったらすぐに覚醒して再度試す。」
「…はい。」
内容が難しい。言ってることが分かるような分からないような。
「……それから。この前みたいに敵対しそうな人間がいたら、自分がこっちに引き上がるイメージをして逃げろ。可能な限り私が霊性で対応する。」
「…できるかな?」
「無理だと思ったら直ぐにそこを出るんだ。」
ファクトは椅子にもたれ深呼吸をして、気持ちを整える。
「始めるぞ。」
「はい。」
シャプレーが目を閉じてしばらく集中する。
その後に目を開けると、一気に意識世界が開いた。
え?
シャプレーは眠らない。
ただ、目の前の響ではなくその向こうの世界を見ているような顔だ。
きっとそうなのだろう。起きたままもう一つの世界に意識を飛ばしたのだ。ファクトはシャプレーの見ている世界を見ようと、空間にそっと手を出す。
そのとたんガガガガーーーーーと、
研究室の風景が周り、驚いてガバっと立ち上がり後ろを見ると、キファたちのいる部屋ではなく、そこは広い荒野だった。




