11 河漢
「久しぶりだな。チコ、こんな形で会うとはな。」
シャプレー・カノープスは第3ラボの一室のベッドに眠るチコ・ミルク・ディーパに取り敢えず挨拶をした。シリウスお披露目の時、顔は見ているが話はしていない。
チコからのもちろん返事は返ってこない。
「霊性も見えないとか?」
「デネブ様が調べましたが、霊性の位置さえ分かりません。違う次元にいるのか、本当に見失ってしまったのか。まだ霊線は繋がっていますがこの状態も長期だと危険です。」
「体の方も無残だな。」
「ただ、報告によると、犯人は殺さないと言っていたそうです。それで臓器は大丈夫だったのかと。骨も粉砕はなくほぼ大丈夫ですが、数か所ヒビが入っていました。この1週間ほど前にも負荷を掛けた上に、大量出血をしています。それもよくなかったのかと。」
報告に目を通しているのでだいたい知ってはいるが、困ったことになったとしか言えない。
今回はユラス、そしてベガスの身内に該当する人間も含めて、今後チコの治療をどうするか話し合う。今はひとまず、東アジア、ベガス側だけの場だ。
一旦内戦は終わっている。このまま可能な限り体からメカニックやニューロス体を除去し、通常の人間体に戻すか。
一旦温存で治療のみ進めるか。
先は不明としながらも、ニューロス体の回復にも努めるか。
通常体に戻す場合、チコは障害者となる。ただし、その後に義体は無償で与えられる。
ニューロス体の場合、様々な選択をしなければいけない。脱着型にも分離型、インプラント型などがある。そして一体型。外面も、メカニック体まま、人工皮膚、培養皮膚。その種類も様々。皮膚の取り付けに関しても、メカニック部分にのみ一体型。部分一体型。完全一体型。動力に関しても、たくさんの種類があり、6年前よりはさらに進歩している。
体の接続に関しても様々なタイプがあり、戦いに関してサイボーグの最も弱い点は、アンドロイドのように全身型でない場合、肉体と機械部分の接続部と強度の違いができることだった。負荷が違い過ぎて肉体に掛かる力のバランスが悪すぎる。チコ場合、女性でもあり強度にネズミと象ぐらいの差があった。
多少の動き、重荷ならそこまででもないが、肩や背中に補強機器を付けているとはいえ、トラックの件でチコは既に過度な負担を掛け過ぎていた。
今後、本人が答えない中でどうなるのか。
おそらく答えはない。
ただ特別ニューロス被験体は、チコも含めて多くのことに対処できる、優れた逸材だった。
頭がいいだけでない。運動能力や体力、体幹が優れているだけでなく、性格、精神性、倫理観、霊性、様々なことに秀で、あらゆることに対処できた人間だけが選ばれている。
そしてバランスの良さ。
才能が偏っていてもだめで、ニューロス体という長期研究に耐えられる人間でなければいけなかった。
数千万人に1人もいない。アジア程の国家でも数人しかいない。
最高の体をあげたいが、チコに何かあった場合無駄になる。
ただし、再利用もするので、それを無駄とするのか研究の進歩とするのか。
そして、アンドロイドとの最も大きな差は、肉身があることに加え『人格のある人間』という事であった。
もうそれは、『人間』である、ということに他ならない。
「どちらにしても、こんな体を酷使する生活を続けるなら、一体型は不便すぎます。」
1人の意見に誰も反論しない。
「まあ、チコ・ミルクなら分離型でも十分アスリート並みの生活ができますよ。」
「ただ、事故前より肉身の部分が減っています。どちらにせよ今までとは違う形成になります。今の状態で肉身に手を加えるのは危険です。」
「ユラス側としてはどうなんだ。」
「ユラスにはまだ知らせていないのだろ。」
「ベガス、アジア寄りの人間しか知りません。
多分本国は面倒を見ないと言っていました。でも、アジアのラボにいることを知りながら、死亡してから重体だったことを知らせたら、少なくともユラス外にいるユラス人からは反発を食らいますからね。一旦健康体という事で本国に輸送して、事故…という事にしたいらしいです。ユラスではここほどの対応は不可能ですから対処不可だったと事故は言い訳になります。」
「ひどい茶番だな。言い訳のために一度ユラスに送って、また死体を送り返すと言いう事か?まるで配送品だ。」
「アジアとユラスをつなげた功労者を無下にもできないだろう。他の大陸からも反発が来る。死んでから英雄に奉られそうだな。」
「はあ。責任を取りたくないという事か。こちらだって、長期調整でラボに入って死亡という事では困るな。少なくとも、回復の見込みがないと分かった時点で、関係者には知らせる必要はある。チコは延命も望んでいない。」
「ユラスでも、ナオス、バベッジ族の知識層、富裕層を中心にラボを準備していると聞きましたが。もしかして新鋭の者たちはチコを引き受けたがるかもしれないですね。」
「いずれにしても、ユラスには譲らない。」
ミザルが口を開いた。
「もちろん。アジア内にいれば、どんな形にしろ生涯補償はされる。素性の分からない人間には送れない。」
シャプレーはひとまず、何も言わずに話を聞いた。
***
新しいベガスアーツの開拓地が提示される。
カウスがデバイスを開いた。
「今、ベガスで成功している地域はミラ、そしてここ南海広場と住居地域のこの2か所です。」
現在固定の仕事を持っていない、もしくはVEGAやユラス自治区域に所属したメンバーが集まる。
イオニアやシグマ、タチアナ、タラゼド、クルバトなどもいる。
今日はファクトやリゲルも学校を休んできた。新しいことをすると聞きつけて、勝手にやって来たのだ。
「次の開拓地はここ。」
地図で指した場所に皆驚く。
「河漢です。」
それは中央区寄りの西区にある、巨大スラムだった。
「この仕事については参加は全て任意になります。幾つか環境や条件を聞いて、無理だと思ったらやめて下さい。正直、危険も伴います。」
河漢は元々は一区に貧困層が集まってできた旧市街のスラムであった。しかし発展都市の変化や移動に伴い、まずアンタレス内で数期にかけて拡大。そこに、準備不十分で始まったオリガン、メンカル、西アジアなどからの最初の移民、難民政策が押し寄せて来た跡地だ。仕事の取り合い、文化のぶつかり合い、犯罪の拠点、生活基盤の立て直しの目途ができないなど、完全な失敗で大きなスラムに。
もう、誰も手を付けられない未知の巣窟状態になっていた。
大房の低所得層はそれより前の移民の跡になる。
一方ベガスは、旧都市という大きな地理的基盤があったためそこにまとめられ、アンタレス内全体に大きな変化があった訳ではない。問題は解決のための政策を立てる間に、どんどん移民の人口が増えていったことだ。
混沌が極まった時に東アジアが頼った一組織がユラスが本拠地のVRGAであった。
その時点でこれから最も多くなりそうだったユラス民族の中心となるべく来たのが、アジア人カストルとエリス。そして、チコ・ミルク・ディーパである。
彼らは先立って衛生管理、生活教育、各宗教的基盤を整える。
後発で来たチコはアジア国籍も取得していたため、公安や軍の緩和体にもなり、無法地帯だった一部を整理して、区画を作っていった。他国の為政者で元軍人のため反発はあったが、暴走する勢力も大きく仕方なく受け入れられる。移民の中には、同民族には口頭で従う者も多くいたからだ。
そして、東アジア軍とユラス軍のベガス共同宣言も作ってしまう。
西アジアは侵略に備え既にユラス軍と組んでいたが、侵略の可能性の少ない東アジアにユラス軍を置いたことの意味は、当時一般人には理解できなかった。
そして、全てにおいてそんなことができるなど、当初は誰も考えていなかった。
ユラスのアジア進軍と揶揄されたが、知識層まで説得して学校を建設。初期から非常に優秀な学生たちを集めたため、学会や教育界でも注目を浴びる。スラムの横に、同じ廃墟に、同じ移民でこれだけの学校を作ってしまったのだ。その初期生徒がカーフたちであった。
軍人のする仕事ではない。
それをたった6年で果たしてしまった。
同時にこれは、まだスタートでもある。
チコ自身はユラス軍を降り、責任者として名前だけ出し裏方に徹した。
河漢は、チコが来る前に既にあったスラム。
ここはまだ改革において未開であった。
みんな聴き入る。
「現在の計画は3つ。」
カウスが新しい画面に送る。
「この既に人が住む、河漢中心地を整備していく。2つ目はまだあるリモデリング可能区画に完全移住させる。3つ目はその両方を取り入れる。中にはここで歳をとって、簡単に動いてくれない人たちもいます。」
既に数区画の住居地域を準備してはいる。
可能な人間は南海やミラに移住もしているが、まだそこまで受け皿は大きくない。
「ミラと違うところは、非常に雑多としていることですね。こちらの一声で動いてくれません。暴行などする可能性のある人間も見分けなければいけませんし。そういう人間はミラには入れられないので、対策対処も必要です。」
カウスは淡々と説明していく。
全員が真剣に聴き入っていた。




