105 抱きしめたかった人
その後、盛り上がった女子たちは二次会行こー!状態だったが、友達がソアにあることを言い当て、その場はお開きになった。ロディアもあれ以上追及されなくてホッとする。
帰り道、ベガス組は空の星を見あげる。
「やっぱりここまで来ると星がきれいだね。」
「ほんとだ。」
ファイが止まって上を見る。夜が怖かったのにみんなとなら怖くない。
でも、みんなが結婚したり、イオニアやキロンたちのようにどこかに行ってしまったら、いつか自分も一人になってしまうのだろうか。チコさんもいなくなるのだろうか。そう思うと切ない。寮は自由ばかりでなかったけれど、いつも誰かがいる生活は心地よかった。
別れ際シンシーに言われたことを思い出す。
『ファイ。何かあったのなら、絶対に誰かに言いなさい。』
『…うん。でもないよ。』
『知り合いや、もしかして言いにくい身内?』
『ないってば。』
『私でも、響でも。とにかく誰かに言いなさい…。』
そして、ギュッと抱きしめられる。苦しくなるほど抱きしめられるので『ファンデーションが服につく!』と言ったら『新しい服あげる!』ともっとグリグリ抱きしめられた。
『違う!シンシーに付くんだってば!』
『何でもいい!』
1年間ずっと忘れていたことなのに、今になって苦しくなる。本当に何もなかったのだ。
だって、私の中は空っぽだ。
***
南海の昼過ぎ。
一時帰国組のマイラは、ミーティングの休憩中にベランダ出たチコに気が付き、後を追う。
「チコ様!」
「マイラ。」
風に当たりながら椅子に座るチコと、手摺に腕を掛けるマイラ。
「ベガス、雰囲気が変わりましたね。うれしい思いと、経過を知らないからさみしい思いと2つあります。現地も情があるし好きだけれど、そういう部分ではここにいたかったな。」
「……どの辺が変わった?そういうのは知っておきたい。報告もあるし。」
ずっといるチコには分かりにくい。賑やかにはなっただろうと思う。長めの髪を後ろに結んだマイラは、自分を眺めてくるチコの顔を見て目を逸らす。
「………。」
アーツが入って来たのも、人口が増えたのも変わったことだが、「あなたが一番変わりました。」と言いたい。でも、言ってもいいのか分からなくて言い方を悩む。
「明るくなりましたね。」
「あ、あいつらうるさいからな!言う事何でも聞くって言ったのに、全然聞かないし。」
「…アーツの事ですか?」
「あいつらしかいないだろ。カウスにも逆らうし。エリスにも屁理屈言うし。明るいというか、うるさいんだよ!」
「エリス様に屁理屈を言うんですか…。」
「エリスどころかカストルにもあーだこーだと……。」
「………」
マイラがチコをじっと眺める。
「…なんだ?」
「そういう話し方をするんですね…。」
「…?変?」
「いえ、チコ様とこんな風に話したことがなかったから変な感じがします。」
「そうか?」
「そうですよ。みんな驚いています。」
「もっと女性らしくと言われるけれど、女っ気はいらないと言われてきて今更だしな。」
「それもありますが、それだけでなく…、昔と雰囲気が違うから。」
「……ああ、昔はね。サダルにも黙ってろと言われていたし。ムギや響が来て……また………なんか変わったのかも。」
チコが嬉しそうに笑うので、マイラは自分の知らない部分を思って胸が締められた。
「そういえばサダル議長。ニュースでしか見ていないのですが、怪我とかありませんでしたか?」
「…待遇は悪くはなかったみたい。他のみんなは帰ってこれなかったけどね……。」
生きて帰ってきたのはサダルだけだ。
「……。」
「議長、無事でよかったです。…今度お会いできるの楽しみですね。」
「………」
そこから急にトーンダウンするチコである。分かりやす過ぎる。
「……ケンカしたんですか?」
サダルに逆らったことがないので、実はチコとサダルはケンカもしたことがない。というのは知っていても、他に言うべきことが分からず聞いてみたのだ。
「…するわけないだろ。でも、もう一緒には暮らさない。」
「……。」
「マイラには、今度来た時にもう会えなかったら申し訳ないから先に言っておくけれど、私は多分ここを出る。」
「…?……は?」
「ベガスは人がいるし、河漢がもう少し大丈夫になったらそろそろかなって。」
VEGAもユラスも出るだろうという詳細までは、マイラに今は言わないでおく。
「はー。」
「…。ダメか?」
「あの、チコ様。これから北メンカル、タイオナスがあるんですよ。南メンカルに北をまとめる力はありません。もう持たないだろうし、ギュグニーもでしょう。これからもっと人が必要です。」
「…。どっちにしてもサダルとは別々に動いた方が効率がいい。」
「そう言う事をしているから、ワズン大尉も結婚しないんですよ!」
「…あいつは変な操を立てているからな。サダルに忠誠心が強すぎる。」
「……本当にそう思っているんですか?」
「サダルと私が落ち着くまで結婚しないとかバカだろ。サッサとすればいいのに。」
「………。」
ワズンを憐れむ。
「…ワズン大尉はサダル議長嫌いですよ。お互い仕事は割り切ってますけれど。」
「…そうなのか?」
そんなことは10年以上知らなかったチコである。
「私も、サダルとは気が合うわけではないからな…。話だけならワズンの方がいいな。その割り切りぶりは分かるが。」
「…!」
この人は何を言い出すんだとマイラは怯える。
「ワズン大尉はチコ様が幸せになるのを待っているんですよ。」
とでも言っておく。
「余計に馬鹿だな。自分が先に幸せになれよって思うけど。幾つなんだ。」
「サダル様ときちんと夫婦になったと分かったら身を引きますよ。」
「…そんなの待ってどうするんだ。じじいどころかミイラになるぞ。」
ちょっと思ってた環境やチコ本人と違って、数年ぶりの再会にショックを受けるマイラ。遠隔会議だけなら何度かしているが、その時はそこまで変化が分からなかった。
そして、マイラの中で、これまでのワズンの行動が符合した。
ワズンは当時の大佐カフラーに誘われ途中からユラスに来た人間で、生まれや血統はユラスではない。そして、あの頃ワズンは中佐であった。
そう。10年前、誰もサダルとチコが結婚するなど思っていなかったのだ。
本人たちですら思っていなかっただろう。チコのような特殊な環境の立場の人間はユラスでは結婚の枠にも入らなかった。
なので、ワズンはずっとチコを一人の女性として支えてあげようと思っていた。大佐であるカフラーも同じことを考えていた。二人とも最初はそれぞれ周囲に言われてではあったが、チコの将来を考えていた。
カフラー自身の真の心の内は分からないが、ワズンが唯一思いを譲るならならと彼だ思っていた人物だった。
そして、チコと話をしようと思っていた矢先に、全く別の方向からカストルによってサダルが出てきたのだ。当時どう考えてもよくない意味で似た者同士だった二人。そしてお互いの環境。
これまで裏世界でしか生きてこなかったチコは、大人になる境の頃に、一気にユラス社会の表舞台に晒されたうえに、批判の矢面に立たされてしまったのだ。ただ、傍目にはそれは分からず、体裁は作れるし感情を出さない二人は、一般的には厳格なリーダーとして理想の夫婦に見えた。
裏ではこの二人の関係は最初から破綻してみえた。全く性格が合っていなかったのだ。
「マイラは結婚しないのか?もういい歳だろ。」
「………。」
血統を残すことを重要視するユラスは、軍人や危険を伴う公務員は早く結婚させ、有事の場合は子持ちの既婚者を先に現場に送る場合が多い。
「私もチコ様が幸せになるのを見届けてからにします。バカですから。」
「何言ってんだ。早く結婚しろ。」
「私は兵役だけで軍人じゃありませんし。すぐに戦場に送られることはないのでゆっくりします。」
「何が軍人じゃないだ。似たようなものだし、サウスリューシアだってまだ危ないだろ?」
「ならチコ様も不安定な生き方をしないで早く落ち着いて下さい。だから結婚しないままの人間が何人もいるんですよ。」
「何でだよ…。すればいいのに。マイラが子供を残す前に何かあったら、また私が叱られるだろ。」
「…はあ。紛争も少なくなってきたから、その考え方やめてほしいんですが。」
「知るか。お前の親たちが私に言ったんだろ。それに私も早くお前たちの子供を抱きたい。」
「…。はー。」
マイラはまたため息をつく。
「なんでそこでため息をつくんだ。いくらでも紹介するぞ。いい子を。」
「…。」
ユラスを離れた時学生だったマイラは、まだ大人たちの世界を知らなかったのだと思い知らされる。憧れだった人が目の前にいて、3年前とは違う姿を見せている。憧れで終わると思っていた人が、とても近い。
そして、なんとなく分かった。ワズンはサダルとチコの関係性を知っていたのだろう。サダルが支えないならば…と。
「…。先の話、それに別居なら今までと変わらないじゃないですか。」
「違うぞ。サダルの自由と安全は確保されただろ。精神的自由が違う。」
「………」
「あと、カーフを引き留めてくれないか?」
「カーフ?」
いきなり弟勢の名前が出てきて驚く。
「あいつもすぐ外に行きたがるんだ。ベガスを見てほしいのに…。ムギと似たタイプだな。命より使命感が強すぎる。ムギはまだ言う事を聞くんだが…。危なっかしいことをけっこう平気でするから、危ない所には送りたくない。」
「…分かりました。チコ様と同じタイプですね。」
と言うと、イヤな顔をされる。そんな顔初めて見たので、ちょっとおもしろい。
「まあ、逆にサウスリューシアとかに来てもらって、私たちで見た方がいいかもしれませんよ。ギュグニーやメンカルに関わるよりはまだいいでしょうし。」
「うーん…。そうだな。カーフはベガスを任せたいのに…。」
「………それでここを離れてどこに行くんですか?」
チコも立ち上がって手摺に手を掛け遠くを見る。風が薄い金に光る髪を仰いだ。
「さあ…。」
抱きしめて支えてあげたくても、それができない人が目の前にいる。
どこでも生きていけそうな人なのに、実際そうなのだろうけれど、遠くの風景を見るチコの横姿は、その風で足の置き場もなくなって、消えてしまいそうな儚い女性に見えた。