無敵の髪飾り 5
最終面接は社長と一対一での面接だと、俺は事前に聞かされていた。
面接日の朝。俺は、少女たちに言われたように髪を切り、服装と姿勢を整え、ついでに丁度交換時期でもあった義眼まで取り替えるなど、『とりあえず見た目』に充分に気を配った上で、六条コーポレーション本社に向かった。
最終だからというよりも面接官の社長が偉いからだと思うのだが、今回の俺は、前回の面接室よりも遥かに上の階にある上客用の応接室に通された。
ノックをする。
部屋の中から聞こえた入室を許可する声は、実に若々しい。緊張しながら扉を開けると、部屋には、応接間の黒い革張りのソファーで足を組んでふんぞり返っている詰襟の学生服を着た少年以外には、誰もいなかった。
(また、子供かよ。しかも、足組んでるし……)
俺は、げんなりしながら、グラビア写真のモデルのように綺麗な少年に無遠慮な視線を向けた。首の太さや肩幅の広さがまだまだ大人のそれに追いついていない少年は、顔立ちが整っている分だけ余計に子供っぽく見えた。それにもかかわらず、この少年の態度と表情には、子供らしいところがなかった。
早い話が、そいつは、いかにも生意気そうなガキだった。なるほど。見た目が良くても態度が悪ければ腹が立つのだから、見た目が悪くて態度も悪ければ尚更だっただろう……と、俺は数日前までの自分を思い出して深く反省した。
足を組んだままの少年に促されるまま、俺は、彼の向かい側の席に腰を下ろした。
「今日は社長面接ではなかったのですか?」
まさか目の前の少年が社長……っていうオチだけはなしにしてほしいと願いながら、おずおずと俺はたずねた。
「ああ、父でしたら、今日の面接は、『パス』だということでした」
少年は、さりげない口調で、自分が社長令息だと告げた。だが、俺には、そんな事実に驚いている心の余裕はなかった。まさか、平社員に重役だけでなく、社長までもが俺をパスするとは……!
「あの、でも、なぜ『パス』なんですか?」
「もう面接の必要はないと思ったから」
そっけなく少年が答えた。
「ええと、それは……入社させる、させないの、どちらの意味で言っておられるのでしょうか?」
「さて、どっちかな」
怯える俺に、少年が意地悪く笑う。彼は、俺の顔をしげしげと眺めると、「今日は、髪留めはしていないんだね?」と言った。
「ええ、髪は切ったので」
「なるほど、紅子の言ったとおりだ。髪で隠すのはもったいない顔だね。なかなか男前だ」
「はあ、どうも」
男に誉められても嬉しくないので、俺の返事は、とても気のないものになった。
「それで、紅子……さんというのは?」
「僕の妹。あなたに髪留めをあげた」
「ああ。あの子。紅子さんっていうんですね」
顔を真っ赤にしながら髪留めをくれた少女を思い出して、俺は束の間和やかな気分になる。そんな俺を見る少年の眼差しは、無遠慮で意地悪いままだ。
「紅子のことを聞いても驚かないね。やっぱり、あなたは、あの髪留めをくれた子が社長の身内だって気がついていたんだね。だから、あえて髪留めを付けて面接に望んだ。違う?」
「社長の身内かもしれないと思ったのは、面接が終って家に帰ってからですよ。この会社の中で会ったとはいえ、他の社員の家族だという可能性のほうが高い」
だけど、実際にこの会社に入った後の俺なら、よくわかる。
六条源一郎は、この会社の絶対専制君主だ。彼の言うことは絶対で、誰も彼には逆らわない。つまり、先日の俺は、水戸黄門の印籠を頭に貼り付けて、面接官の前に、のこのこと現れたようなもの。面接官たちとしては、葛笠が会った娘たちが社長令嬢ではないという確信がない以上、あの髪留めの前にひれ伏すしかなかったのだろう。
「正直なところを言えば、彼女に会えて運がよかったと思いましたよ。でも、初めから彼女の好意を利用しようと思ったわけじゃない」
「そうかな?」
「疑っているのなら、それでも構わないけどね」
俺は、だんだん面倒くさくなってきた。丁寧な言葉使いをやめた俺に、少年はますます興味を持ったようだった。
「おや。そんな態度をとってもいいの。これから入社するかもしれない会社の社長の息子に初めから睨まれていたら、肩身が狭くなるかもしれないよ」
「いいんだ。この会社で働きたいという意欲が急に無くなったから」
「純真な少女を利用したという疑いをかけられたから?」
「違うよ。君のせいだ。順当に行けば、君がこの会社を継ぐわけだろう。君が社長じゃ、この会社も先が知れている」
この会社は、現社長である六条源一郎によって、20年程度の期間で急激に大きくなった。
だが、この会社の面接を受けるにあたって葛笠が調べたところ、この大きさは見掛け倒しなのではないか、六条氏の気の向くまま業種も損得勘定も抜きにして手当たり次第に他の会社を次々に吸収していった結果たまたま大きくなっただけなのではないかと思わずにはいられなかった。「いうなれば、この会社は、色や形の違う積み木を積み上げただけのお城のようなものだ。とても不安定で、きっかけさえあれば、すぐに崩れてバラバラになってしまう。いまだにそうなっていないのは、六条源一郎という存在が、強力な接着剤のように、グループ企業をまとめているからにすぎない。しかしながら、君に現社長ほどのカリスマ性があるとは、俺にはとても思えない」
俺は、この少年に対して、とても失礼なことを話していることを重々承知していた。だから、少年が話の途中で怒り出すか、あるいは言い訳めいた言葉で俺の話に反論してくるだろうと思っていた。それなのに、少年は、いっこうに俺の話を制止する気配をみせなかった。話したいだけ話せばいいとばかりに、黙って俺の顔を見つめている。
「つまり、僕では父の代わりは務まらないと、あなたは思うんだね?」
話と聞き終えると、少年がたずねた。
「跡取り息子って理由だけで、脚を組んで、威張りくさって、初対面の人間にさえ反感を買うような奴では無理だろうよ。俺は、沈むのがわかっている船に乗り込むようなことはしたくない」
「そのわりには親切だね。僕が嫌いなら自滅するまで放っておけばいいのに、忠告めいたことまでしてくれるんだから」
「紅子って子には世話になったからな。この会社がつぶれると、あの子だって困るだろう?」
あの子に、俺は、とても大切なことを教えてもらった。
彼女には、ずっと幸せでいてほしいと思った。
「……さっきから、おとなしく聞いていれば、あなたって人は……」
少年が、足を組みなおすと、キツイ眼差しで俺を見据えて何かを言いかけた。だが、俺と目を合わせた途端、なにがおかしいのか、彼は、いきなり笑いだした。
「まさか、人事面接で、うちの姉顔負けのお説教が聴けるとは思いませんでしたよ。本当に、彼女と全く同じことを言うものだから驚いてしまいました。あの人は、まるで母親みたいに、僕に対してガミガミと煩くって」
「それは、君のことを心配して言っているんだ。感謝こそすれ、文句を言うのは間違っている」
「そうですね。その通りです」
少年は、笑いながら組んでいた脚を解くと、急に礼儀作法を思い出したように居住まいを正した。そして、神妙な顔で、「試すようなマネをして、すみませんでした」と、俺に頭を下げた。
「試した?」
「ええ。今朝になって、いきなり父が、葛笠さんを会社に入れるかどうかは僕に一任すると言い出しまして」
だが、なにぶん彼は、まだ高校生。入社面接など、これまでやったこともないし、人を見る目にも自信がない。
「だから、とりあえず俺を怒らせてみようと思ったのか」
目を丸くしている俺に、少年がうなずいた。「あらら」と声をあげながら、俺は片手で顔を覆いながら天を仰いだ。
「……ってことは、俺は失格だな。君の挑発に乗せられて、うっかり腹を立ててしまった」
「そんなことありませんよ。合格です」
鞄を持って帰りかけた俺を、少年が慌てて引きとめる。
「あなたは紅子から話を聞いたときに感じた印象通りの人でした。それに、この会社の実状と問題点を正確に捉えておられるようだ。能力的には、この面接に来るのだから、あえて問題にすることはないでしょう」
少年によると、この面接は、うちの大学とあと幾つかの大学の就職課に声をかけて、やる気も能力もあるにも関わらず、いまだに就職が決まらないという学生ばかりを集めて行っているものだったそうだ。社長の趣味で行っているような面接なので、人事部の採用予定人数の中にも入っていない。面接の結果、採用されるのは平均して2名ほどだが、年によっては5人採用することもあるし、採用がない年が続くこともある。(社長曰く、『2年にひとりぐらいの割合で、掘り出し物が見つかる』とのこと)
「……というわけなので、あなたには是非うちの会社で働いていただきたいと僕は思っています。もっとも、本当は試す必要もなかったんですけどね。入ってきた途端に、僕は、あなたのことが気に入ってしまったので」
「え、なんで?」
「その綺麗な右目……」
彼は、俺の問いには直接答えず、俺の見えないほうの眼に視線を向けて微笑んだ。
「それは、紅子の髪留めの代わりですか?」