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OVER THE LEFT !  ~あるいは、ある親バカ社長秘書の備忘録~  作者: 風花てい(koharu)
月を仰ぎて花を愛ず
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月を仰ぎて花を愛ず 16


 紫乃が中学に入ってすぐの頃に惨いイジメを受けたことは、以前にも何度か記述した。

 

 そのイジメに弘晃と彼の母親の静江が気がついたのは、彼女の持ち物が中村家の庭に大量に捨てられたことがきっかけだったという。その時、捨てられていた荷物を紫乃に届けたのが、静江であった。当時の紫乃は、彼女を生徒の保護者かなにかだと思い込んでいたようだ。同校の卒業生でもあった静江は、その場で紫乃の手を引いて職員室に乗り込み、教師たちに事情を話して、いじめっ子にお灸を据えてもらうつもりであったそうだ。


 しかしながら、紫乃は、静江の申し出を頑なに断った。「自分には、この学校に入学を予定している妹たちが大勢いるから」というのが断りの理由だった。


 イジメをしている生徒を先生に叱ってもらえば、自分へのイジメはなくなるかもしれない。だが、それでは根本的な解決にはならない。家柄や親の職業で差別する生徒たちの意識を変えない限り、この手のイジメは、この学校から永遠になくならないだろう。妹たちが入学した時にも、同じようなイジメが繰り返されるだろう。それでは困るのだと、紫乃は言ったそうだ。


 自分は、この学校からイジメをなくしたい。だから、自分は、どれだけいじめられても卑屈にならずに、学業にも課外活動にも身を入れて頑張るつもりでいる。そうすれば、私を認めてくれる人や、人を家柄で差別することが恥ずかしいことだと気がづく人が生徒の中から現れるはずだ。実際に、そういった人は現れ始めている。そんな人が生徒の多数を占めるようになるまで、自分は頑張りたいと思っている。だから、先生には言わないでほしい。もう少し、見守っていてほしい。

 ……とも、紫乃は言ったらしい。


 小学生を卒業したばかりの小娘とは思えない紫乃の殊勝な言葉に、静江は感動した。そして、紫乃の言うとおりに、ひとまずは様子を見ることにした。紫乃の努力の甲斐あって、それから数ヶ月後には、彼女をいじめる者がいなくなった。2年後に中学に入学した明子以下の六条家の娘たちも、イジメに悩まされることはなかった。


 しかしながら、この成功に気をよくした紫乃に、次なる心配が待ち受けていた。

 自分たち姉妹の結婚は、きっと政略結婚であるに違いない。だとすれば、自分たちはまた、実家が取るに足らない家柄であることや妾の子であることを理由に、嫁ぎ先でひどい嫌がらせを受けることになりはしないだろうか? 


 だからこそ、紫乃は、誰もが羨ましいと思うほど由緒正しい大家の御曹司に嫁ぐことを望んだ。その家の者たちや親族に自分を『できた嫁』だと認めさせることができれば、その評判が拡散することで、妹たちを守ることができるかもしれないと考えて……というのが、パーティーの日に弘晃が解き明かし、それを受けて紫乃自身が語った『彼女が御曹司と結婚しようと思った理由』であったのだが……



「でも、どうして、そうなるんでしょうか?」

 盗み聞きには成功したものの、俺は紫乃の意図するところが、いまひとつわかっていなかった。


 わからないのは、俺だけではない。俺からこの話を聞いた六条家の者たちも、聞いた時にはその場の勢いで(たぶん夜中だったからだ)紫乃の覚悟に感動したものの、「結局、紫乃がしたかったのは、どういうことなのか?」と、今ごろになって首を捻っている。 

 紫乃と同性である妹たちは、それでも、「なんとなくわかる」らしい。和臣は、「まったく理解不能」。俺と同じで、紫乃がイジメを克服したことと彼女の御曹司との結婚願望がどうやったら結び付くのか、さっぱりわからない。


「たぶん、あの場で話されなかった部分があるのだと思いますよ」とは、紫乃の母親の綾女の言葉である。つまり、俺が盗み聞きしたふたりの会話には、お互い了承済みの事項として語らずに端折られた部分があるはずだと言うのだ。社長も、綾女と同意見だそうだ。彼らは、紫乃のイジメ問題が解決するまでには、自分たちが想像している以上に中村家の人々が深く関わっていたに違いないと思っている。それというのも、綾女も社長も、当時から紫乃がいじめられていたことを知っていたそうで(社長が、よく学校を爆破しなかったものだと)、彼女には内緒で何度も学校に呼ばれていたという。 


 その時に、彼らは、学校側が『中村家』の介入を匂わすような発言をしているのを聞いている。それに、紫乃が、イジメから解放される直前に「高等部の先輩から優しくされた」と喜んでいたことも覚えていた。その先輩の苗字も『中村』だった。


 どういうことだかわからないが、中村家の人がいじめられている紫乃をひどく心配し、彼女のために何かをしてくれたらしい。裏の仕事から足を洗うにあたって、社長が中村家を頼ることを思いついたのも、この時の記憶があったからだそうだ。


 だから、中村家の人々は、自分たち以上に当時のことを詳しく知っているはずだ。「だから、俺たちよりも事情を知っている弘晃くんが、紫乃が御曹司と結婚したがった理由を『妹たちを守るため』だと言ったのなら、きっと、その通りなんだろうよ」と、中村物産に自社が乗っ取り返されることもなく、紫乃と弘晃の結婚も決まったことで裏の仕事から足を洗う目処もついて、すっかり気が抜けている社長は、この件について深く考える気をなくしている。

 だが、俺と和臣は気になっている。せっかく全てが丸く収まりそうだというのに、この疑問だけが頭の片隅に残ったままで、なんともすっきりしないのだ。


「家柄による差別を嫌った紫乃さまのなさることとは思えないというか、むしろ逆なのではないかと思うのですが……」と俺が疑問を口にすると、「その通りですよ。紫乃さん自身、こんなことを目論んだ自分に嫌気がさしていたようですし」と、弘晃がうなずき、「つまりね。あの時も、紫乃さんの理想どおりにはいかなかったんです」と教えてくれた。


「あの時って、中学の時のイジメですか?」

「ええ。次女の明子ちゃんが入学してくるまでの2年間、紫乃さんがイジメに耐え続けていたら、もしかしたら、彼女の望んだ結末を迎えられたのかもしれないんですけどね。だけど、そうなる前に、うちの母が耐えられなくなってしまいまして」

 弘晃が、掛け布団を引き上げつつ申し訳なさそうに微笑んだ。



 イジメのことは先生には言わないと静江が紫乃に約束してから、3日ほど後。刃物で切り裂かれた紫乃の体操着が中村家に投げ込まれたことで、彼女の我慢は、あっけなく限界を超えたそうだ。


 静江は、即刻、紫乃に内緒で中等部の校長に直談判に行った。事態を重く見た学校側は、翌日から生徒たちへの指導を開始した。これにより、一部の生徒は改心した。だが、その一方で、状況はかえって悪化した。紫乃へのイジメは陰湿さを増した。だが、閉じ込めや傷をこさえるような嫌がらせを受けても尚、紫乃は、イジメに加担している生徒の名を教師に言いつけようとしなかった。


 学校創設時に敷地を無償譲渡したという『貸し』があることから、中村本家の奥さまである静江は、そういった詳しい報告を校長から直に受けていた。自宅から出ることのない弘晃も、同じ話を母親から聞かされていた。

「僕は、良い子でいるにも程があると思いましたよ。さっさとを音をあげてしまえばいいのに、怪我をしても馬鹿をみるのは自分なのに、なぜ、そうまでして頑張るのだろうと、彼女に呆れていました」

 弘晃が、温和な彼には珍しいほど苦々しい表情を浮かべる。当時の彼の目には、紫乃の頑張りも教師たちの説得も、なんの効果もないように見えたそうだ。それどころか、紫乃がどれほど健気に我慢しても、イジメっ子は、反省するどころか調子に乗って彼女への嫌がらせをエスカレートさせていくばかりだったという。


 「これではいけない」と焦った静江が次に頼ったのは、同校の高等部に通う華江という中村の分家筋の娘だった。


「祖父が嫌われていたので、当時の我が家は、分家との交流がほとんどなかったのですが」

 この件をきっかけに本家と分家が親しく行き来するようになり、やがて、華江は、弘晃の弟と婚約することになる。この家の運転手の坂口が紫乃を幸運の招き猫のように思っているのは、そのためであるようだ。


 同じ敷地内にあるとはいえ中等部と高等部では活動場所が違う。それゆえ、高等部3年生の華江は、紫乃がいじめられていることに全く気が付いていなかったそうだ。それでも、弘晃の母の話から、彼女は、事態の深刻さを感じ取った。

 華江は、友人にも協力してもらって、このイジメを徹底的に調べ上げた。その調査結果は、弘晃の母が校長から受けていたものよりもずっと詳細で、そして耳を覆いたくなるほど残酷なものだったから、弘晃の母どころか高等部で実権を握っている最上級生の全てを怒らせることとなった。彼女たちの怒りの矛先は、当然のことながら、人としてあるまじき行為を恥じることさえ知らない中等部の1年生と、彼らを監督する立場にありながら、イジメを見て見ぬフリをしたどころか面白がっていたフシもある中等部の上級生に向いた。


「怒り心頭の最上級生は、紫乃さんを救うべく、すぐに手を打ちました」


 彼女たちは、まず、それぞれが所属している部活動を通じで知り合いになった中等部の生徒に向けて、「中等部でイジメがあると聞いたのだけど、まさか、あなたたちは関わっていないわよね?」と、それとなく圧力をかけたそうだ。それと同時に、最上級生自らが中等部で孤立している紫乃と友達になる……というより、『この子は自分たち高等部の上級生が特に可愛がっている生徒である』ということを見せ付けるような行動に出た。(実際、紫乃は上級生受けするタイプだそうで、彼女たちは、誰に頼まれなくても我先にと紫乃を猫可愛がりしたがったという)。


「え、それだけですか?」

 続きを期待していた俺は、弘晃がそこで言葉を切ったので、拍子抜けした気分になった。それだけの対策では、教師たちがしたこととそれほど変らない……というより、それ以下のことしかしていないのではないか。俺がたずねると、弘晃が、同士を見つけたような顔で嬉しそうにうなずいた。


「葛笠さんだって、そう思いますよね。でも、効果は絶大だったんですよ」

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