無敵の髪飾り 2
『気持ち悪い』というのは、十中八九、俺のことだろう。
ムッとした俺は、天井に向けていた顔を水平に戻した。
視界の中に入ってきたのは、6人の少女だった。上は高校生ぐらい、下は中学生、あるいはまだ小学生といったところだろうか。「こら、そんなことを言ったら失礼でしょう!」と、生真面目そうな年かさの少女が一番年下に見える少女を小声で叱っていた。無礼なことを言ったのは、どうやら、その小さい娘だと思われた。
(まあ、子供の言うことだしな)
腹を立てるのも大人気ない。俺は怒りを引っ込めようとした。だがしかし、少女たちの先頭を歩いていたリーダー格らしき少女の一言が俺の怒りを再燃させる。
「ああ、あれでは、間違いなく面接で落ちるわね」
リーダー格の少女は、俺を一瞥すると、そっけなく断じた。
そればかりではない。
「そうねえ。あれでは、どの会社を何回受けても、落っこちてしまうでしょうね。かわいそうに」
リーダー格の少女の隣を歩いていたホワホワした感じの少女までもが、俺に同情的な視線を向ける。
(言いたい放題言いやがって)
俺は、片方の目が使えない分、耳がいい。彼女たちの言うことは一言残らず聞こえていたから、見えるほうの目に精一杯の憎しみを込めて、娘たちを睨み付けた。すると、6人の中で、まだ何も話していない二人の少女のうち、いかにもか弱そうなひとりが、酷く怯えた様子で、もうひとりの腕にしがみ付いた。しがみ付いてきた少女をなだめるように彼女の頭を撫でながら、しがみ付かれたほうの少女が俺に非難の眼差しを向けた。
「あ、すまない」
侮られたのは俺のはずなのに、俺は、とっさに謝っていた。俺の声が聞こえた少女たちは、互いに顔を見合わせた。「お姉さま、およしになったほうが」という真面目そうな少女のか細い声に送られて、リーダー格の少女が俺に近づいてきた。
このリーダー格の少女は、俺よりもずっと年下であるだろうに、女王のように他を圧倒するような風格があった。なんの用で近づいてきたのかは知らないが、基本的に悪いのは俺じゃない。負けるもんかと、俺は、とっさに身構えた。だが……
「こちらの言っていたことが聞こえてしまったようですね。酷いことを言いました。謝ります」
俺の前に立った少女は、実に礼儀正しく、俺に深く頭を下げた。
彼女の潔い態度に感心した俺は、怒りを引っ込めることにした。
「聞こえないなら人を貶しても構わないわけではないと思うけど、悪いと思ってくれて、ありがとう。こちらこそ、あのお嬢さんを泣かしてしまったようで悪かったよ」
俺が謝っていたと泣いていた子に伝えてほしい……と、目の前の少女に言うと、彼女は笑った。いまさらだが、俺は、この娘の綺麗さに気がついて目を瞠った。
「あなた、悪い人ではなさそうね」
「ああ、全然悪い人じゃない。ただ就職先が決まらなくてイライラしているだけだよ」
俺は苦笑混じりに答えた。
「失礼を承知で言うのだけど、その外見では、決まらないのも無理はないと思うわ」
彼女が査定するような目で俺をじろじろと眺め回す。
「すいぶんと、はっきり言うね」
「そうかしら。今まで誰にも、そう言われなかったの。もう少し身だしなみに気をつけないと、受かるものも受からなくてよ。初対面の人には見た目が全てだから、誰かに会いに行くときは、会いに行く人のために装う必要があるって、うちの父は、よく言っているわ。だらしない格好では、相手に対する自分の熱意や好意が伝らないって。だから、せめて、その猫背と、うっとうしい前髪だけでも、なんとしたほうがいいと思うわ」
「へ、髪と猫背?」
俺は、見えない右目と顔の傷を隠すように覆っている長い前髪に手を当てた。リーダー格の少女は微笑むと、「じゃあ、面接頑張ってね」と俺を励まして、他の少女たちのところに戻っていった。
「……。だらしない、ねえ」
俺は、呆然としたまま、少女たちを見送った。
しばらくすると、彼女たちが去っていった方角から、パタパタという軽い足音が聞こえてきた。先刻の少女の忠告が耳に残っていた俺は、慌てて背筋を伸ばし、ネクタイを直した。
やってきたのは、さっきの6人の少女のうち、俺が怯えさせた少女にしがみ付かれていたほうの娘だった。肩に触れる程度の長さのふんわりとしたおかっぱの、こちらもまた姉とは雰囲気の違う美少女であった。
「あの、これ……」
少女は、俺の前に立つと、自分の髪のサイドを止めていた髪留めを外して俺に差し出した。
「余計なお世話かもしれないけど、あげます」
どうやら、その髪留めを使って俺のうっとうしい前髪を何とかしろ……ということらしい。
黒くて飾りのないシンプルなつくりとはいえ、髪留めで前髪を押さえている男がいたら、それはそれで気持ちが悪いだろうと俺は思ったが、顔を真っ赤にして髪留めを差し出してくれている彼女を見たら、断る気にはなれなかった。
「ありがとう」
俺は、少女の掌に乗せられた、角の丸い二等辺三角形の髪留め(『ぱっちんどめ』などと呼ばれているやつである)を指で摘み上げて微笑んだ。そして、髪留めの留め具を開いて自分の髪に当てる。……が、なにぶん始めてのことで、上手く髪が留まらない。
「貸して。やってあげる」
少女は微笑むと、髪留めを手に、俺の前髪を慎重にすくいあげた。その手が、中途半場なところで停止した。
「どうした?」
怪訝に思いながら顔を上げると、彼女の視線は、俺の見えないほうの目に向けられていた。