月を仰ぎて花を愛ず 4
「そうか、わからなかったか。ご苦労さまだったね」
調査を命じられてから2週間後。
罵倒されても申し開きができないほど何一つ成果が上げられなかった俺に、社長は、ねぎらいの言葉をかけてくれた。佐々木室長は、俺にお茶まで淹れてねぎらってくれた。 嬉しいというよりも、気味が悪い。
「しかし、中村は、相変わらずガードが固いな」
俺の役にも立たない報告を全て聞き終わると、社長が、ため息混じりに呟いた。
「『相変わらず』?」
「前回の調査のときは、クマじゃなくてウサギのぬいぐるみだったが……」
佐々木室長が口をへの字にして、不快を顔に滲ませた。怖くて確認はできなかったものの、前回の調査は、どうやら佐々木室長が請け負ったらしい。
「しかしなあ。ここまで調べてもわからないとなると」
「やっぱり、当たって砕けるしかありませんかねえ」
デスクに頬杖をついている社長と彼の脇で直立している室長が、相談するように顔を見合わせる。
「あの……『当たって砕ける』とは?」
「だから、紫乃との見合いだよ」
「そんなのダメですよっ。まったく正体不明の、いるかどうかもわからない男とお嬢さまを見合いさせるだなんて!」
俺は、青くなって反対した。
それでも、社長は、「いることはいるんだよ」と言い張った。
「弘晃くんが存在していることだけは間違いない。一度だけ電話で話したこともあるし、一度だけ姿を見たこともある。だから絶対にいる」
「見たことあるんですか。いつですか。どんな人でしたか?!」
目の前にツチノコを見たという人間がいたとしても、俺は、これほど興奮しなかったに違いない。食いつくような勢いでたずねる俺に、社長も引き気味だ。
「ええと……、見たのは7年ほど前だったかな。あの時は、若くて細かった」
「それだけですか?」
漠然としすぎている情報に、俺は拍子抜けした。宇宙人を見たと主張する奴だって、これよりもマシなことを言えると思った。
「それだけだよ。だから調べてほしいって葛笠に言ったんじゃないか」
社長が拗ねたように口を尖らせる。室長までもが、「お前なら、もう少しマシな調査をしてくれると思っていたのに……」と、責めるような視線を俺に向けた。
「私のせいですか。それより、それしかわからないなら、見合いのほうをやめればいいじゃないですかっ!!」
「そういうわけにはいかないんだよ。もう」
必死になって反対する俺に、社長が思いつめた顔を向ける。
「ええ、もう後には引けないんです」
室長も真剣な表情でうなずいた。
「なぜ、もう引けないんですか?」
たかが見合いなのに?
まだ、申し込んでもいないのに?
驚く以上に不思議で、俺は、怒りを引っ込めた。
「社長と室長は、いったい何をなさろうとしているんですか?」
態度と言葉を改めると、俺は、ふたりに問いかけた。
「今は、まだ言えない」
社長と佐々木室長が、少し悲しそうな笑みを浮かべながら首を横に振った。
数日後。社長は、中村物産の社長に彼の息子の弘晃と紫乃との見合いを申し込んだ。
予想されていたことだが、中村社長は、縁談に乗り気ではないようだった。理由は、弘晃の健康問題である。縁談を穏便に断る理由としては、ありきたりではあるが妥当なものであろう。
しかしながら、中村社長がどれほど渋っても、うちの社長は諦めようとしなかった。
「病弱結構。戦時中は元気な奴から死んでいったものです」
社長は、中村社長の丁寧な断りの言葉をことごとく笑い飛ばして、更に弘晃との見合いを迫った。
そして、とうとう、中村社長は、うちの社長の再三の説得に負けて……というよりも、『見合いをしないのなら資金援助を打ち切る』という、うちの社長の脅しに負けて、弘晃と紫乃とを見合いさせることを承知してくれた。
10日ほどたってから、中村家から見合い用の写真が届けられた。
「よかった、クマのぬいぐるみじゃなかった」
紫乃よりも先にその写真を見せてもらった俺は、写真に映っているのが人間の男だということと確認して、とりあえず胸をなでおろした。
「当たり前だろう」
佐々木室長が、蔑むような目で俺を馬鹿にする。でも、室長にしたところで、見合い写真にウサギのぬいぐるみが写っていなかったことに、内心ホッとしていたに違いない。
「次は、紫乃お嬢さまが見合いを承知してくださるかだな」
「……ですね」
最大の難関を思い浮かべて、俺は憂鬱になる。見た目は完璧なレディーだが激しい気性の持ち主である紫乃が、素直に政略結婚の道具になってくれるとは思えなかった。
しかしながら、紫乃は、こちらが拍子抜けするほど素直に、見合いを承知した。むしろ、やる気満々であった。だが、おかしなことに、紫乃は、彼女にとって最重要と思われる見合い相手の見てくれには全く興味を示さなかった。俺がどれだけ苦労しても手に入れられなかった弘晃の写真にも、見向きもしない。
(相手の男など、どうでもいいってことか?)
どうやら紫乃も何かを企んでいるらしいと推測した俺は、とりあえず和臣に言いつけた。普段は腹違いの姉に対して馬鹿にしたような態度ばかりとっている和臣だか、実はかなり姉思いである。
「姉さん、家を出たい理由でもあるのかな」
俺の報告を聞いた和臣は、整いすぎた顔にわずかな不安を滲ませて(……ということは、内心ひどく不安だということだ)、紫乃に探りを入れるべく、姉妹たちが日頃から集まっている部屋に出かけていった。だが、結局、紫乃からは何も聞きだせぬまま戻ってきた。
「馬鹿姉のくせに、僕に隠し事とは生意気な」
「馬鹿は余計だと思いますが、隠されると気になりますね」
俺は和臣の言葉に同意した。
そして、良い機会だとばかりに、「隠し事といえば、社長もこの会社も、ちょっと、おかしいような気がするんですけど……」と、俺は、今まで不思議に思っていたものの和臣に言うのをためらっていたことを彼に明かした。
営業も時々前触れもなく馬鹿でかい仕事が入ってくる……ような気がする。六条の傘下にある企業のうち、本当に仕事をしているのかと首を傾げたくなるような会社がいくつか存在している……ような気がする。確認を取ったわけではないので、今のところ『気がする』としか言えないのだが、他にも、疑問に思うことは幾つもあった。
「だけども、私が、それらのことをたずねても、社長も佐々木室長も、『お前は関わる必要はない』の一点張りなんです」
「そうだったんだ……」
和臣は、俺の言葉を聞いてかなり驚いていたようだった。一方で、俺が彼に打ち明けたことを嬉しく思ってくれたらしい。頬を上気させた和臣が、これまでよりもずっと親しげな口調で、「変といえば、この家も変だと思わないか?」と俺のほうに身を乗り出した。
「夜中に、こっそりと人が訪ねてくるんだ」
「存じてます」
そのことには、俺も気が付いていた。この頃の六条家には、時々、社長を訪ねて秘密の客がやってくることがあった。客が来るのは、皆が寝静まった深夜と決まっていた。そして、客を応対するのは、常に次女明子の母の愛海だった。
「愛海お母さんに聞いてみた事があるけど、『知る必要はない』としか言わない」
「私は綾女奥さまに聞いてみましたが、同じ事を言われました」
正確には、『時期が来れば、必ず源一郎さんか佐々木さんが教えてくれるはずですから、それまでは、何も見ないふり聞かないふりを通してください。和臣さんにも知らせる必要はありません』と言われた。いつものことだが、紅子の母親の朱音も、なにも言わない。毎日、童女のように笑って、我がままを言っているだけである。だが、彼女もまた、なにかを知っているような気はしている。いつだったか、俺がたずねてもいないのに、だしぬけに朱音が「葛笠さんは、和臣くんを守るのが仕事なのよね。ならば、見ないほうがいいこともあるものよ」 と言ったことがあったからだ。
紫乃も社長も、愛海も綾女も朱音も、そして中村弘晃も、俺たちには言えない『なにか』を隠している。そう思ったら、自分たちだけが爪弾きにされているような気分になってきた。
「なんだか、無性に腹が立ってきたな」
「立ってきましたね」
だが、むかっ腹を立てたところで、俺はただの新米秘書だし、当時の和臣は、ただの高校生のガキでしかなかった。俺たちが、何もできぬまま……というよりも、大人たちの秘密主義に不満を胸に燻らせたまま、なにをするでもなしに漫然と日を過ごしているうちに、とうとう見合いの日になってしまった。
その日。
紫乃は、艶やかな着物の長い袖を勇ましく翻しながら、社長と共に引き合わせ場所へと出かけていった。
母親の綾女は留守番である。社長が出発ギリギリまで説得したのだが、彼女は断固として同行を拒否した。
「本当に、一緒に行かれなくていいのですか?」
遠ざかっていく車の窓から売られていく仔牛みたいに悲しそうな顔で綾女に手を振っている社長を共に見送りながら、俺は彼女にたずねた。
「行かないほうがいいのです」
綾女が、寂しげに微笑む。
「わたくし……、いえ、わたくしたちと源一郎さんとの関係は、世間から受け入れてもらえるようなものではありませんから。わたくしが、ふたりにノコノコと付いていくことで、あちらさまの心証を悪くするようなことはしたくありません。なにしろ、このお見合いには、紫乃の幸せだけではなく、多くの者の未来がかかっているのですから」
「そんな、大げさですよ」と言いかけた俺は、綾女の思いつめたような横顔を見て口をつぐんだ。
「綾女さま、この見合いに何かあるのですか?」
俺は、思い切ってたずねてみた。だが、案の定、綾女は何も答えてくれず、寂しそうに微笑むと、家の中に入っていった。
綾女の祈るような想いが天に届いたのか(というよりも、本気になった紫乃に適う者などいないからだろう)、見合いは上首尾のうちに終わったようであった。
中村家からは、その日のうちに、『紫乃さんとは、これからも親しくお付き合いさせていただきたい』という旨の連絡があった。
この知らせに、社長ばかりか普段は冷静な佐々木室長までもが小躍りして喜んでいた。
だが、当の紫乃だけは、まったく喜んでいなかった。
「あの男! どうして断ってこないのよ!!」
怒り狂った紫乃は、知らせを持って行った俺に向かってボロボロになったクッション投げつけた。
なぜ、彼女は、そんなにも怒っているのだろうか。不思議がる俺に、紅子が紫乃から聞きだした話を要約してくれた。なんでも、弘晃は、紫乃のような素敵な女性が家の犠牲になって嫁に行くことなどないから、この縁談を断わってもいいと彼女に言ってくれたそうだ。
「それの何がいけないんですか。良い人そうではないですか」
「ええ。それなのに、怒るなんて。姉さまのほうが、よっぽど変よね?」
紅子は、しきりに首を捻っていた。
おかしなことは続いた。弘晃に対して相当な怒りを覚えているにもかかわらず、紫乃が、この縁談を断ろうとしないのだ。見合いの時のことを思い出しては妹たちには当り散らしているくせに、父親や母親の前では、弘晃氏に好意を持っているかのように振舞っている。
「このこと、社長に報告したほうがいいですかね?」
「どうかな。姉さんの目的がはっきりするまで、泳がせたほうがいいんじゃないか?」
「そうですね。 社長が出てくると、面倒臭いことになりそうですし」
今までは、社長に言われてつるんでいただけだったがゆえにぎこちなかった俺と和臣の主従関係は、紫乃のおかげで、ここ数週間の間に随分と深いものになっていた。
そして、紫乃の見合いから10日ばかりたった、ある日のこと。
俺は、道端で中村弘晃を拾った。




