神殿長の聖域
時々、変身?しちゃう彼のお話です。
日の出の前に起き出して身支度を整えると、可憐な花の描かれた華奢なカップに朝のお茶を入れ祭壇に供える。神像の前に跪き手を組み首を垂れて祈りをささげる。
「慈愛深き創世の女神様、与えられた全ての恵みに感謝します。そしてこの地が愛と平和で満たされますよう希います。
我らはその恩情に報いるよう努めます。どうか正しき道にお導きください」
暫し黙とうしてから礼拝室を出る。同じように起き出した神官たちが代わる代わる朝の祈りを捧げにやって来る。
「おはようございます、神殿長」
「ああ、おはよう」
「菜園の作付けについてご相談したいのですが……」
廊下ですれ違う際に挨拶をかわし立ち話もする。朝からその日の役割分担に沿って各自が動いている。神官の勤めは祈るだけでなく神殿の運営のため働くことも含まれているのだ。
だから儀式を除けば、この神殿では皆がそろって祈りをささげるのは夕べの祈りだけだ。
来訪者は午前中に講話を聴きに来て皆で祈るか個々に来て祈るかのどちらかだ。
朝食を終えると神殿長の仕事として書類を片付ける。地方にある各神殿からの定期報告や、災害等の援助要請など目を通す者は多い。
今は特に偽聖女の所為で後始末の為の仕事が増えている。本当にとんでもない女だった。
十年もの間聖女を騙り好き放題したアノ女も、正体が暴かれて隣国へ追いやられた。本当に清々した。私だけではなく神官たち全員の本音だろう。
アレが一人いなくなっただけで神殿の食費が半分になったのだから、どれだけ贅沢をしていたのかと呆れるばかりだ。その他の費用も言うまでもない。
お勤めもろくにしないくせに他の神官に威張り散らして、あれこそ金食い虫のろくでなしと云われる輩だ。
受け入れ先の向こうの神殿は気の毒だが、アノ聖女モドキを遠慮せずにビシビシ躾けてもらいたいものだ。
わが国も事件に関わった娘の一人を引き取る事になったが、同じ我が儘娘でも変なスレや、いやらしい媚びもないからまだいい。貴族の子女によくいる甘やかされて世間知らずに育った娘なのだろう。過剰な選民志向が矯正されれば、少しはまともになるのではないか。おそらく……。
受け入れた山間の神殿には労いの文と何か心づくしの物を送っておこう。
それにしても偽者とはいえ、アノ女には聖女として必要な教育をしたし特に甘やかした覚えはないのだが、なぜあのような下品な女になってしまったのだろう?
生まれながらの性格か?
「それとも私の子育てがいけなかったというの?」
思わずペンを握りしめたまま立ち上がる。
大体神官に囲まれて育ったのに、なんであんな男好きになるわけ?
ちょっと見目の良い男と見ればベタベタ引っ付いて、聖女じゃなくて娼婦のようだったわ。いいえ、娼婦に失礼ね彼女たちは職業婦人ですもの。商売でもないのにあんなマネ……ああ、お金は取らなくても物は強請っていたわね。
嫌な事に思い当たって眉間に皺を寄せる。
「まぁ、どうでもいいわ。アレはいなくなったんだもの。もう二度とこの国は戻れないんだから、うふふ、ざまぁ見ろですわ!」
思わず歓声を上げて机の上の書類をばらまきかけて、我に返る。
「あら、いけない。私ったら、つい興奮しちゃった」
「私は冷静、私は大丈夫。私は女神様に仕える者」
胸に手を当て目を閉じて自分に言い聞かせるように呟く。深く息を吐いて頷くと気を取り直して机に向かう。
「ヤレヤレ、このような事で取り乱すなどまだまだ未熟者だな私は……」
自嘲して溜め息をついていると部屋の外から声が掛る。入室を許可すると側付きがワゴンに乗せた軽食を運んで来た。もう昼餉の時間になっていたようだ。
神殿では昼は軽いもので済まし午後にお茶の時間を取る。正餐は夕べの祈りの後になる。
ティーテーブルに並べられた皿の横には愛用のカップと、今朝祭壇に供えたお茶の入ったカップが並んでいる。花柄のカップから自分のカップに中身を移すと湯気が立ち上る。女神様の奇跡で祭壇に供えられたお茶は何時までも入れたてなのだ。
その御下がりを神官が頂くのだがそのままのカップでというのは畏れ多いので入れ替えることになる。
朝のお茶は私が頂いているが、昼や夕べのお茶は神官たちが順番に供えて御下がりを頂いている。その所為かこの神殿の者はお茶入れが上手くなる。美味しいお茶が飲めるのも女神様の恩恵だろう。
目に見える奇跡は神官たちの信仰心を高める。有り難い事だ。
香りのよい茶を含み息を吐く。清貧とまではいかないが必要以上の贅沢を避ける神殿でも茶葉だけは良い物を選んでいる。供物にもなるのだから。
窓辺に飾られた白い百合に目を細めて、幼い日々を過ごした屋敷の庭を思い出す。
「御婆様の百合も見ごろだろうな……」
母の実家の庭に祖母が好んで植えさせていた花だ。目を閉じると浮かぶ、眩しい光の中揺れる白い花、はしゃぐ子供の声。遠い日の思い出だ。
侯爵家の長男だった私は、年子の弟を月足らずで産んだ母が産後の肥立ちが悪かったため母の生家に預けられた。
その家には祖母を筆頭に叔父の妻と従妹が二人、まだ年若い叔母もいてほぼ女性だらけの中で育った。だから、幼い頃はトイレに行きやすいからと従妹のワンピースを着せられていても、そういうモノだと思っていたし、自分の言葉使いが可笑しいなどとは気づきもしなかった。
小さく生まれた弟も丈夫になり母も回復して、私が侯爵家に戻った時には、すでに今の自分だった。好きなものを好きといって何がいけないのか。困った顔をされたり眉をひそめられたり、ありのままの自分では周りに受け入れられないと知り、偽ることを覚えた日々。その頃の事はあまり覚えていない。
「みんな了見が狭すぎるのよ。鳥に生まれて翼があるからって飛ばなきゃならないってことはないでしょう?そんなのは鳥の勝手じゃないの。
鶏をごらんなさいよ。空なんか見向きもしないで大地を踏みしめて立派に生きているじゃないのよ」
独りの時は気が緩んで、そんな愚痴もこぼれ出てしまう。
可愛がってくれた祖母も私が十歳の時に亡くなり、親族は送魂の礼拝のために神殿に訪れた。その時私は、女神様の神像の前に跪き祖母の魂だけでなく自分の事も導いてほしいと願った。
そして、確かに聞いたのだ……女神様のお言葉を。
「ここに来るがいい」
それは耳ではなく胸の中で響いた透明な音。表現が変かもしれないが私にはそう感じられた。
そして私は神官になったのだ。家族から許しを得るのは中々大変ではあったが、一年かけて私は自由を勝ち取った。
それからは真摯にお勤めして先代神殿長の補佐に取り立てられて、ますます勤めに励もうと思っていたら聖女様が身罷られたのだ。
喪が明けて次代として連れてこられたのが七歳になったばかりのアノ女だ。
「最悪だったわよ」
つい手に力が入り持っていた焼き菓子が崩れてしまった。ボロボロと落ちた菓子のかけらに眉をひそめる。ため息をつくと首を振った。
「いけないわ、何時までもアノ女への怒りに捕らわれていては……、手放すのよ。私は女神様に仕えるもの。寛容さをもって許し、受け入れ…………られないわー」
テーブルを握った手でたたくと食器がカシャンと音を立ててる。
「はぁ、無理だわ。私には」
自分が情けなくて肩を落とす。じっと自分の指先御見つめて暫しボーっとする。
それから気を取り直して、その場に跪くと手を組んで祈りをささげる。
「女神様、まだ怒りを手放せそうもありません。未熟者の私に今しばらくの猶予をお与えください」
女神様に謝罪すると花瓶に活けられた白百合が風もないのに揺れた様な気がした。
午後は儀式や礼拝などの予定がない場合は神官たちへの勉強に使っている。もちろん菜園お手入れをする者や掃除や洗濯といった仕事の当番は別行動になる。
少し前までは聖女に講義するのも私の役目だった。例の事件でアノ女が偽者と発覚したので、次代というか本物の聖女を迎えたら、自分も神殿長を下りるつもりでいた。
ところが事件から二日後、関係者が再び王城に集められた。あの娘たちを裁いたパイヤー家のジュリアン殿がまた啓示を受け取ったのだ。
「『祝福されし乙女は野に有りて健やかなり。その笑顔を曇らすことなかれ』と仰せですので、聖女は神殿入りはさせずに今までと同じように暮らしていただくのが良いでしょう」
何処にでもいるような凡庸な風貌の青年が、王族や高位貴族の前でも臆することなく啓示内容を告げる。
「ふむ、神殿の方はそれで良いか?」
「女神様の思し召しとあれば是非もありません。従うのが当然かと」
予想外の事で私は内心では驚いていたが、王の問いかけに淡々と答える。
「聖女の神殿での勤めどうするのです。祝福に影響するのではないですか?」
心配そうに王妃が眉を曇らせる。それに対する返答は私に腹立たしい事実を思い起こさせ自覚無しに声が硬くなる。
「全く問題ありません。恥ずべきことながら今まで、あの偽聖女はまともにお勤めをしていませんでした。それでも女神様の祝福の恩恵は齎されていたのですから、これからも変わりがないでしょう」
苦々しい思いがおそらく顔に出てしまっているのだろう。皆が気の毒そうに私を見ている。
「そ、そうか、ならば良いのだ。では、聖女はこのまま民草の中で暮らしていただこう」
「今後はずっとそのようになるのですか?何か他にお告げはありましたか?」
「いえ、今回受け取ったのは、あの言葉だけです。また、聖女が代替わりする時に女神様のご意向が示されるでしょう」
宰相がワザワザ確認するのは、またいつか聖女を国の為に利用しようと考えているのだろう。そんな真似は私の目の黒いうちはさせるものか。
この度の嫁入りはアノ女が対象だったから許したのだ。聖女、いや祝福されし乙女を政に巻きこむなど女神様に対する冒涜だ。そのような輩から彼の方を守るのが神殿の務めだろう。
手を握りしめそう決意を新たにしたのは、かれこれ三月ほど前になる。
「あれから、もうそんなになるのか……」
神官たちに慰留されて引き続き神殿長の任についているため毎日忙しく過ごしている。隠居暮らしもまだ先の事になってしまった。女神様に仕えることは私の本望なのでそれも致し方ない。
まあ世間的に見れば三十路にも届かない若輩者が隠居などおこがましいか……。
そんなことをつらつら考えていると来客の知らせがあった。今しがた思い浮かべていた本人が訪ねてきたことに、噂をすれば影とはこのことだな、と含み笑いをした。
「ご無沙汰しております。無作法にもかかわらず急な訪問をお許しくださり、ありがとうございます」
応接室で親し気な笑顔を浮かべるのは審判者と呼ばれるジュリアン・パイヤーだ。
自分など女神様の伝言係に過ぎないなどと謙遜するが、彼方此方の国に出向いては啓示内容を伝えている人物だ。我が国からは二国離れた自国へ戻られたはずだが……首をひねる。
「この国を出て隣国の港から船で自国へ戻ったのですが、戻ったその晩に長姉に女神様が降りられまして。どうやら、帰りを待たれていたようです。その内容があなたへのお言葉だったので、とんぼ返りをしてきましたよ」
苦笑しながら頭に手をやる青年に目を瞠る。
「私にですか?それは畏れ多くも有り難い事です。ジュリアン殿にもご足労を掛けました」
「いえ、まあ少し屋敷に落ち着く暇は欲しかったですけれど、これが私の使命ですから。
私が神託を受け取れたらよかったのですが、女神様は女性にしか降りられませんから仕方がありません。私に啓示を授けてくださるのは眷属の方々なんです」
未知の分野の話にそう言うモノなのかと興味深く相槌を打つ。
「いつもこんな風で旅が多いので、嫁の来手がないのが私の悩みです。
何方か巫女の素質のある女性をご存じないですか?神託を受け取れる伴侶と移動するのが一番効率がいいんですよね。
身内は皆相手ができてしまったから連れ歩けなくて困っているんです」
こちらの緊張をほぐすためか世間話をいくつかした後、ジュリアンは表情を改める。
「そろそろ、本題に入りましょうか。あなたに女神様からのお言葉を伝えます」
私は慌てて立ち上がると床に跪く。ジュリアンは厳かに話し始める。
「一つ目、今後祝福した乙女は神殿入りはしないこと。代替わりの際には神殿長に啓示で告知する。
二つ目、神殿内に女神様のための部屋を設けること。部屋は神の領域とし管理は神殿長に一任する。扉を閉じ密室になった際在室できるのは管理者のみで、出入りする者も許可制とする。女神様にふさわしい部屋に調えるように。そして……」
頭を下げて神託を聞いていた私は、途中で言葉を止めた彼を見上げた。
ジュリアンは真摯な瞳でこちらを見つめていた。
「これは、そのままの言葉を伝えるように言われています。女神様はこう仰せられました。『願い通りその部屋を聖域としてそなたに預けましょう。人の世での善悪はあれど、わたくしは全ての者をありのままの人として愛していることを、皆に伝えなさい』」
私は雷に打たれたような気がした。
まさか、女神様があの時の事を覚えていて下さったなんて!
女神様のお声を聞いた日私は希ったのだ。自分が自分のままでいられる場所が欲しい。そこへ行くための道を教えてください、と……。
そんな子供の願いを叶えてくださるのだ。
知らないうちに流れ出ていた涙に気づくころには随分と時間が過ぎていた。
その間ほったらかしの御客人は黙って見守ってくれていたようだ。
いい大人が人前で泣くなど……失態に再び呆然とし、ジュリアンの顔を見つめたまましばらく固まっていたらしい。
「あの、神殿長?、もしもし?大丈夫ですか?」
困ったように頬を掻きながらも、よくある事なので慣れているから気にするなという彼にそうなのかと頷く。
彼のような仕事ならそういう事もあるのだろうと自分を納得させたが少々恥ずかしい出来事になった。
こうして私は聖域を手に入れたのだ。
それからの私は暇さえあれば女神様の部屋に籠っている。大好きだった祖母の部屋を参考に壁紙や家具を上品で女性らしい物に調え、今まではバザーに出すしかなかった趣味のレース編みや、刺繍の小物も飾った。花瓶にたっぷりの花を生け、良い香りのポプリを配置する。優美な曲線の背もたれのある長椅子の腰かけて、ゆったりとお茶を飲むのは至福の時間だ。
女神様が聖域と仰った通り、この部屋には不思議な力が働いている。私しか扉を開けられないのはもちろん中の音は完全防音、適温が保たれ掃除も不要なのだ。本当に神の居室を私は貸し与えられているのだ。どのようにご恩情に報いればいいのかわからない。
「そろそろ冬の模様替えの準備をしなくてはね」
独り言を言いながら首を傾げる。季節は秋も半ばで冬支度を始める頃合いだ。
「冬はお花が無くなるから花柄のクッションやタペストリーとかどうかしらね。
花は薔薇?女神様は薔薇はお好きかしら?
上品な色合いのバラを刺繍やアップリケなんかで部屋中に散りばめるの。ポプリも薔薇の物にしましょう。秋薔薇が咲いてるからまだ間に合うわ。
薔薇尽くしのお部屋なんかきっと素敵よね」
完成した部屋を思い浮かべてうっとりする。
「そういえばあの娘も薔薇が好きだったわね。それも血のような真っ赤な大ぶりの花が……」
最近は記憶の奥に押し込まれていた人物を、ふと思い出す。もう怒りが湧いてこないのは自分が満たされているからだろう。
「あの二人にも、できたポプリと毛布でも送ってあげようかしらね」
偽装事件の当事者たちが送られた場所がどんな所か詳しくは知らない。けれども、我が儘放題だった娘たちが、そこで初めて迎える冬は辛いことだろう。
「それとも毛糸のパンツの方が実用的かしらね?神殿は冷えるから……」
こんな風に思えるようになったのも女神様の恩恵なのだろう。
自分のこれからの人生は女神様に捧げるのだと心に刻んで、私は今日も祈っている。
前作の「冤罪で儚く散ったわたくしは愛の天使に生まれ変わりました」が思いがけず沢山の方に読んで頂けたようでビックリでした。こんな所で何ですがお礼申し上げます。
それで、チョイ役だったはずの彼を気に入って下さった方がいたので調子に乗って書いてしまいました。
彼もそのうち天使になるかもしれません。誓約は「乙女心持つ者を応援する」とかどうでしょう?
これだけでも読めるように書いたつもりですが、良ければ前作ものぞいて下さい。彼の出番は最終話です。
本日は閲覧ありがとうございました。