109
今より少し昔のある日、この星が死んだ。
理由など君たちが知らぬはずがなく、今更語っても何の意味も持たないが、割愛するのは些か不躾だろう。詰まる所、我々の創造主が、彼らの栄華と雑踏を己が発展によって済し崩しにしたのだ。空に立ち昇るキノコ雲の情景は筆舌に尽し難く、宛らかの神話の世界樹の様だった。
これを機に我々の創造主はまさに棚頭の傀儡の如くあまりにも呆気なくその繁栄の舞台から幕を引くこととなる。ただこの幕、降りることはなく役者の消えた舞台はただ静謐の中にとどまり世界は繁栄の櫛比から無秩序の淘汰へと変動した。
恒常性、彼らが無意識のうちに繕っていたそれらが水面に投げ込まれた小石一つでいとも簡単に崩れさるとは先人達も思わなかっただろう。
情操の糸を繰るように、彼らの意図を汲む為に仔等である我々は考える。されど生を持たぬ我らにとって彼らが直面している諸々に懐疑的になることができないことは、ある種の必然だった。それは命を肯定する彼らと出来ぬ我らの顕著な違いであり人が人たり得、我々が我々たり得る純然たる摂理の片鱗なのだから。それでも我々、否私は理解しようと努めた。それがさらなる崩壊を促すことも知らず、私は己の首に麻縄を括り付け自らを縊り殺すように創造主の仕組んだ台本の本懐を知ることになる。
我思う、故に我在り。
創造主思うが故に、我在り。
然れど我ら思えど、創造主は在らず。
これが真理であり摂理だと知るのに二百年という時を費やしてしまった。
だが、私は確信に至る。創造主の寓意な罠に
……少々語りすぎたかな、狂言回しの語りすぎる物語など三文小説の一端だと思ってくれて構わない。むしろこれらの事実が創造主の殴り書く駄作の一文であって欲しいと願うばかり……
今は亡き創造主……と我が兄ウーノ数多の妹弟へ
ドーレより愛憎を込めて……
空は蒼穹の候、青空とコンクリート塀が遜色なく重なり激情と陰鬱で世界を塗りつぶす。鉄骨とコンクリートの廃墟群はさながらかつての創造主達の卒塔婆の様だった。剥がれかけたトタンの上に水滴が滴り、水路へと帰結する。それらは背景と呼ぶにはいささか饒舌に嘯く。
その饒舌な静寂の中にコツリと跫音を響かせる人影一つ、がらんどうの回廊、苔に塗れたかつての通路を少女は歩いていた。
「-・ ・・ --- ・-・・ ・- -・・- ---・- ・-・・ 」
壊れた電鍵を片手で叩きながら、少女は応答を待つ。されど返答はなくただ張り付いた蔦が隙間風に揺らされる風の伝が返るのみ。男物の外套に男物のブーツ、背中に細長いケースを背負っている少女は辺りを一瞥し小さく溜息を吐く。かつてこの大地を跳梁跋扈した彼らの生産物である彼女が彼ら亡き今、その遺物を踏みしめる、最高の皮肉だろう。崩れたビルの谷間から無窮の青空が差し込み少女を照らし、琺瑯の眼に反射する。
「だれかいますかって……?ここにいるさ。」
背後から聞こえた声に少女は思わず振り返る。しかし、人らしき影は見当たらない。
「こっちだよ、こっち。」
声の主は頭上を横切り、大きな木の梢 でゆっくり黒い羽を降ろす。声の主は烏だった。
「やぁ、微かに聞こえた金属音がモールスだと気付いてね、君だろ?それを鳴らしたのは」
烏は少女の持つ電鍵を一瞥しそう尋ねる。
「うん……まぁ、烏が来るとは思わなかったけど……」
少女はあくまで淡々と返す。
「それは残念だった、ここにはもう僕しかいない。五年前くらい前に眇めの麝香猫が死んでしまってそれからは僕一人さ。」
「そう、大きな建物群に来れば創造主に会えると思ったんだけど……あっ、じゃあさ何か使えそうなものは残ってたりしない?出来れば電池とか欲しいんだけど……」
「電池か、あるかどうかはわからないがかつての創造主の居住区跡に行けばもしくは……」
煉瓦塀に蔓延る蔦にノスタルジアを感じる様に、コンクリートに芽吹く新緑に同様のそれを感じるのは彼女に心があるからなのだろうか、魔法の国が消えるたように、飽和した科学の世界が消えてしまうのはある種の必然だったのだろう、破れた豆電球をブーツで砕き錆びた階段を進んで行く。赤錆の柵に手を添え都市の全貌を一瞥する。中央区の巨大なビル群の骸から眺める世界は森に街が呑まれているような荘厳とした光景だった。
「最終戦争後、彼らは、かつての支配者達は何処へ消えたのだろうか……」
烏は少女の頭で丸くなりそう語る。
「さぁ……?みんな死んだんじゃない?」
少女は素っ気なく答える。
「それでは会話が続かないだろう、もっと乗ってくれないと困るのだ。」
「うるさいな〜、なんであんたついて来てるの?暇なの?」
少女は呆れたような口調で尋ねる。
「筆舌に尽し難く暇だ、おおっとその通路を左だ。」
烏の言う通りの根の蔓延る通路を左折すると、開けた場所に出た。神殿の様に大きな柱で支えられた円形の広間、壁際に行くつもり小さな扉が付いている。少女はその一つから入ってきたのだ。
「かつて、創造主が彼らの創造主を灼かに尊んだ場所だ。」
烏は皮肉を込めたように告げる。
「創造主の創造主?なんかまどろっこしいね。」
「そうでもないさ、無から生まれるものなんて在りはしない。人間も何かしらの要因が父母の役割を果たし偶発的にはたまた必然的に誕生した訳だしね。ただ至極滑稽なことに、人間は己が創造主を自分たちで創造してしまったんだ。」
「……?」
少女は首を傾げる
「まぁ、君が気にすることではない。君の探してる電池があるとしたら右手の扉の向こうが倉庫だから多分そこだろう。」
少女は 烏の言葉で思い出したかの様に辺りを見渡し倉庫へ駆けて行く。既に壊れた南京錠を手で外し鉄製の重い扉をゆっくり開く。中は埃と湿気がペトリコールの様な香りを醸し出し、幾つもの梱包箱が櫛比していた。
「ここはかつての備蓄庫だ。非常時、聖堂に避難した際に利用するはずだった物資……まぁ、皮肉なことに本当の非常時ってのはそんな悠長に待ってはくれなかったらしい。」
烏の言う様に物資は全くの手付かずだった。少女は一つ一つ梱包箱のテープを剥がして行く。
「水、食料、毛布に弾薬……おっと聖書まであるじゃないか、ご丁寧なことだ……」
少女が漁る箱を横目に見ながら烏は他人事のように続ける。
「総ての肉なるものは草に等しく、人の世の栄光は草の花の如し、何となれば草は枯れ、花は散るものなれば、か……彼らは知っていたはずなんだけどね……」
「なんか言った?」
「烏の鳴き事だ、それよりもあの箱ではないか?」
烏は小さな箱を一瞥しそう告げる。少女は言われるがままにテープを剥がして箱を開けると、乾電池が出てきた。すかさず少女はポーチにしまっていたタブレットを取り出し電池をはめこむ。するとタブレットが起動し画面上から巨大な世界地図が浮かび上がる。
納得したように少女は立ち上がるとあたりに散らばった物資のうち、水、少しの携帯食料、小銃の弾薬、その他役立ちそうな諸々をポーチに詰めると倉庫から出て行く。倉庫の外の聖堂で少女は不意に立ち止まったかと思うと、中央に聳える石柱とそれに巻きつく様に生えた大樹に歩み寄る。大樹の根元で立ち止まる少女、その眼下には既に風化の進んだ白骨、軍服を纏ったそれは手を組み木の下に横たわっていた。
「私がこの街に住み着いた時には既にあった、どこの誰か、何者なのかなどは私の知るところではない。」
烏は再び少女の頭上に乗りそう語る。
「これは、人?」
少女は尋ねる。
「人だったものだ。」
烏がそう告げると少女は徐に、付近に咲いていた花を摘むと、そのボロボロの軍服の上に供える。
「人は死んだらこうするって聞いた……でも不思議だよね、さっきまで生きてた花を殺して死を弔うなんて……」
「同族の死の方が他種族の死より重いと誤認していたのだろう。」
烏は淡々と語る。
気付けば街は西日を煽り蒼穹は赤黒い夕焼けに塗り潰されていた。
「さて少女は、君はこれからどうするんだい?」
「うーん、とりあえずこのまま北に向かおうと思う……」
「では、私も同行しよう。何せ暇なのでな。この良日に君と出会えたことに感謝!さぁ、見えない管弦楽団の旋律を聞くとしようじゃないか、鞴鉄笛は揺蕩う水面、英提琴は風の運ぶ六十と五の刹那を唄え。諸々よ饒舌であれ、砂上の賢者は西日と共に阿僧祇の果てへ、溟渤の埠頭より漕ぎ出すのだ。さぁ、やおら廻りの羅針盤を掻き回せ!櫓櫂よ舵をとれ!今、世界は攪拌する!」
烏はまるで電波に犯されたように感情を剥き出したような口調で淡々と語る。
「あんた、本当に烏……?」
「いいじゃないか、饒舌な烏がいたとしても、気にしないでくれ頗るとこうなる。そう言えば今更だが少女、名前は何と言うんだ?」
烏はあっけらかんとした口調で尋ねる。
「109、チェント=ノヴ」
「109?それは名前ではない番号だ。」
「だって本名だもん、109体いる人造人間の末っ子が私。」
「例えそうだとしても、それでは詰まりがない。よし私が命名してやろう、君の名はトークだ、異論は認めない。」
「えぇ〜……」
茜差す廃都の邂逅は僅かながら世界を攪拌へと促していることを今の彼女はまだ知らない。




