海底監獄の潜入調査が任務だけど、個人的に看守さんの心も狙うね!
がくんと揺れを感じ、フィリエはうたた寝から覚醒した。
揺れたせいか寝ていたせいか、ウェーブのかかった黒髪が彼女の顔面に垂れている。
乱雑に髪を横に払うと、二十五歳だとはとても思えない童顔が現れた。
寝起きのぼんやりした暗褐色の目に映るのは無駄に明るい艇内。
小さな壁中央の円形モニターと、周囲に隙間なく並ぶデジタル表示の計器。
少人数輸送用の自動潜水艇。その内部でフィリエは一人、計器とにらめっこをした。
もっと近くで見ようと座席から立ち上がると、小柄な体が囚人服のごわごわした着心地に不快感を訴えてきた。
囚人服の触感を悪くする前政府の陰湿さに思いを馳せながら、顔は素直に不快さでしかめている。
計器類のある壁へ近付き、操縦者用の席に座る。人の手による操縦など必要としていないのに、この席は操縦席だと資料にあった。
「うーん、もうすぐ到着ねー」
フィリエが見ている計器の一つは、目的地である海底監獄までの距離が「0005.4 km」だと示している。
ちらりと目を移すと、水深を示す計器の表示は「4783 m」。
中央のモニターには、この潜水艇を中心としたソナーの探知結果が表示されている。
十二時の方向、約五キロ先、緑色の大きな円。
これが海底監獄だろう。
「ちょっと寝過ぎたかな」
目をつぶり、深呼吸。
これから任務に当たるのだ。未知の場所への潜入調査。下手をすれば死ぬかもしれない。
死ぬ気はさらさらないので、任務成功のために意識を集中させる。
彼女の脳内の「やることリスト」のトップには「前政府の海底監獄の調査」と書かれている。その任務を心の中に思い描いた。
この任務は、とフィリエは思考する。
つい先月存在が発見された、海底監獄の潜入調査だ。
前政府が政治犯を閉じこめていた施設。
三年前から地上との交信記録は一切なし。
前政府に対する武力革命が成し遂げられてから何の音沙汰もないということ。
内部の様子は不明だが、三年も孤立しているのだ、生存者がいる見込みは低い。
それでも。あの暗黒の時代に勇気ある声を上げ、誰にも声の届かない場所へ不当に閉じこめられた者がまだ生きている可能性があるのならば。
調査員として選出されたのがフィリエだった。二つ返事で了承した。
彼女が選んだのは欺瞞作戦。
海底監獄には看守が、つまりは政府軍の生き残りがいるかもしれない。
その目を欺あざむく策を練った結果、現在着心地の悪い囚人服を身につけている。
任務を振り返っている間にも潜水艇は進み、海底監獄の入り口に進入。
途端にソナー画面が消灯する。潜水艇の動きも止まった。
エアロック内部にて、時間をかけて圧力の調整が行われる。
監獄内部の圧力と同調した潜水艇は再びゆっくりと動き出した。
上昇する感覚。そして停止。上部ハッチが音を立てて開いた。
はしごを登ってハッチから、潜水艇の外部へと出る。
フィリエを出迎えたのは無機質な灰色の床、壁、天井。小さなホールくらいの部屋だ。
静かに息を吸う。
息苦しさは感じない。つまり、呼吸可能な空気を維持する機能は死んでいない。
天井を見上げれば明かりが点灯している。電力も生きている。
生存できる環境があるのならば、生存者がいるかもしれない。
誰がいるかは分からないが。
政治犯として捕らえられた人であれば救出する。
政府軍の残党であれば、情報を聞き出した後、隙を見て確保。地上へ連れ帰り、裁判にかける。
そして現状について、フィリエは一つの推定をした。
囚人管理のシステムは正常稼働していない。
本来ならばここで降りた囚人に対して、看守が何かしらの手段で指示を出してくるはずだ。
やはり、三年の間に何かが起こったのねと心の中で呟く。
王子様が出迎えてくれたら嬉しかったのだけれどと思考がジョークを飛ばした。
さて次の手はとフィリエが考えていると、前触れなく機械的な音。
何事かと視線をやれば、灰色の壁の一部が、小さな音を立てながら横に開いた。
まったく継ぎ目が見えなかったが、自動ドアだったようだ。
ドアの向こうには若い男が一人、フィリエにアサルトライフルを向けていた。
「動くな!」
指示通り、フィリエは男の方を見たまま動きを止める。
「手を挙げろ!」
男を刺激しないよう、ゆっくりと両手を上に挙げた。手のひらを見せ、非武装であることも明示。
彼女はそのライフルの恐るべき殺傷能力を知っている。
彼我の距離、およそ十メートル。殺せない距離ではないが、そうすると囚人のふりはできなくなる。
今後の調査のため、今怪しまれるのは得策ではない。
「お前一人か?」
「そうだよ、看守さん」
男が銃口を向けたままゆっくりと近付いてきたので、フィリエはじっくりと彼を観察した。
思わず恍惚の溜め息を吐く。
政府軍の士官にしておくにはもったいないくらいのいい男だと、彼女は素直にその外見を評した。
男は彫刻のように美しくたくましい体躯に、政府軍士官の軍服を纏っていた。
胸元の階級章は、彼が大尉の位にいることを示している。
まだ二十代後半くらいに見えるのに、ずいぶんと早い出世だとフィリエは考えた。
しかし、自慢であるはずの服が薄汚れているのはなぜなのか。この疑問はとりあえず保留とした。
ダークブロンドの髪は短く切られており、ひげもそられている。
それなりに文明的な生活を送る基盤は存在するようだ。
彫りの深い端正な顔立ちは、やはり最高の芸術家の手からなる彫刻を連想させた。
意志の強そうな太い眉。
碧色の目は明白に警戒をたたえている。
引き結ばれた薄い唇は緊張の表れか。
二人の距離は三メートルまで狭まった。
そこで足を止めた軍服の男は、囚人へ銃を向けたまま難しい顔をしている。
「何? 囚人が武器を携帯しているわけないじゃない。それともこれが、この監獄流の来訪者歓迎法?」
両手を挙げたまま、フィリエは軽口を叩く。
相手の反応を見るためにわざとそのような口の利き方をしたのだが、男は険しい表情を崩さなかった。
「……名は何という?」
「私の名前なんてどうでもいいんじゃないの? 囚人は番号で呼ばれるって聞いてるよ」
「口答えするな!」
ライフルを囚人に突きつけ、軍服の男は脅しをかけた。
しかしフィリエの目に恐れはない。
逆に、疑問に思ったことを問いかけてみることにした。
「ここで何が起こっているのかは知らないけど、囚人を出迎える看守がライフルを持った大尉だなんて、普通じゃないことくらい分かるよ。
こんなの、下っ端兵士の仕事のはず。
部下はストライキでも起こしているの?」
軍服の男はぐっと声を詰まらせた。視線をさ迷わせ、明らかにうろたえている。
どうやら感情が表に出るタイプらしい。
そう判断したフィリエは、任務に臨む者としては不適切な情動が沸き起こるのを止められなかった。
――この看守さんの困った顔、可愛い。
自分よりも年上の男を可愛いと思うなんてとも考えるが、心は正直だった。
――いや、可愛さに惑わされちゃダメ。今は大事な任務中。そちらが表情で攻めてくるなら、こっちだって。
フィリエは不安げな表情を作り、やや俯いた。怖々とした視線を男へ放つのも忘れない。
自分の童顔で不安そうな様子を見せると、一定数の人には絶大な効果を発することを彼女は知っていた。
数々の死地を越える上で学んだ技の一つである。
「そんなに警戒しないで。ずっと銃を向けられて、怖いよ……」
弱々しい声で呟いてみる。
男の様子を窺うと、効果は最大限発揮されたようだ。
「……すまない」
軍服の男は力なくうなだれていた。銃口も下を向いてしまっている。
今なら武器を奪って殺すことも容易だ。
自然と浮かんだ思考に対し、フィリエは心の中で首を横に振る。
こんな初期に正体をばらしては潜入調査が台無しだ。
ところで、冷静な思考をしながらもフィリエの心は別のことで占められていた。
政府軍の士官のくせに、この男は囚人の前でこんな顔を見せている。
「看守さん、いい人だね。政府の軍人に、囚人を人間として見る人がいるとは思わなかったよ」
男がゆっくりと顔を上げ、揺れた目を囚人に向けた。
フィリエは彼を安心させるように微笑みを浮かべる。
「優しい看守さんを困らせるつもりはないよ。大人しくするから、どこへなりとも連れて行って」
男は緩慢な動きでフィリエの背後に回った。彼女の小柄な背中に銃口を向ける。
「……先を歩け。行き先は指示する。まずは俺の入ってきた扉の方へ進め」
フィリエは再び心をきゅんとさせた。命令しているはずの男の声が、あまりにも覇気のないものだったからだ。
振り返れば、きっとつらそうな表情が拝めるのだろう。背後を覗きたい衝動を必死に押しとどめた。
フィリエは決心する。
反応が分かりやすく、囚人に対して同情的なこの看守さんを籠絡し、情報を聞き出すことを。
協力者ということにしてしまえば、地上に戻って彼が裁判にかけられても死刑は回避できるだろう。
背中に銃を突きつけられたまま歩くフィリエの脳内で、「やることリスト」の二番目に「看守さんの心を掴む」という項目が書き殴られた。




