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案山子のツェツェ

 山を下りないと。




 コホコホと乾いた咳に口元を押えながら、ツェツェは思った。


 薬草屋のアンナさんにもつい先だって、早く山を下りた方がいいと言われたばかりだ。


 山の冬は早い。この月が終わる頃にはもう雪が降り始める。そうしたらツェツェの咳はもっと酷くなるだろう。一晩中絶え間なく続く咳は、ツェツェの体力をあっという間に奪ってしまうのだ。


 だから元気な内に山を下りなければ。




 幼馴染で同居人でもあるノルンが魔獣討伐の仕事になら出かけたのは、もう1週間も前の話だ。


 ギルドの話だと今年はどういう訳か魔獣が多く、ノルン達討伐隊の一行が街に帰ってくるのは当分先になるという。


 1週間後か、もしかしたら1ヵ月後になるかもしれないノルンが帰ってくるのを待っていたら、その間にもどんどん気温は下がるだろうし、ツェツェの体力も落ちてくる。それに寒くなればツェツェが唯一できる仕事、薬草採取もできなくなってしまうのだ。


 ツェツェは手の中の皮袋をぎゅっと握りしめ硬貨の重みを確かめると、恐る恐るギルドの中へと足を踏み入れたのだった。












 ツェツェとノルンは、元々南の国にある小さな村に暮らすお隣さんだった。


 一年中ぽかぽかと暖かな日差しが降り注ぐ、大きな河のほとりの長閑な村。


 ツェツェはいつも年上のノルンの後を付いて回り、ノルンはそんなツェツェを本当の妹の様に可愛がった。緑の豊な村で、二人はまるで本当の兄妹のように仲良く育った。


 ところがある日村を恐ろしい疫病が襲った。


 村人たちがバタバタと病に倒れていく中、ツェツェとノルンもあっという間に家族を失った。


 当時ツェツェは10歳、ノルンは14歳。


 頼る者のいない子供の行く末は、恐ろしい人買いに買われていくだけだ。


 逃げるように村を出た幼い二人は行商の下働きとして仕事をしながら、安住の地を求めて転々と旅を続けた。


 そして辿りついたのがここ、高い山の中腹にある鉱山の街、モンクルだった。




 年中暖かだったツェツェとノルンの故郷とは違い、モンクルは一年の殆どを雪で閉ざされる。


 そして乾いた風が吹き付けるこの地は、住む人を選ぶ厳しい土地でもあった。


 高い標高の所為か、それともここで採れる魔力を含んだ鉱石の所為か、時々この街に合わない体質の人間がいるのだ。


 ツェツェが不幸だったのは、まさに彼女がここに合わない人間だったという事だろう。


 無理をするとくらくらと眩暈が起こり、絶え間なくわき起こる咳のせいで、輝くような金色だった髪が褪せた藁のようになり、薔薇色だった頬が生気の無い青白い顔になるまで、そう時間はかからなかった。


 その一方で、元々身体が大きく丈夫だったノルンはあっという間に頭角を現し、瞬く間にAランクの冒険者になった。


 気さくな性格でツェツェと同じ金の髪を靡かせ堂々と歩くノルンは、今では街の人気者だ。




 そんな人気者のノルンと一緒に暮らすツェツェは、一部の心無い人達から案山子と呼ばれていた。


 南の国出身の特徴であるやや褐色の肌、藁のような髪、そして痩せぎすでノッポな身体は、畑に置いてある鳥避けの案山子にそっくりだったからだ。




「ノルンの家には案山子がいる。花を啄ばみに来る美しい鳥を追い払うくらいしか役に立たない」




 ツェツェは自分が陰でそう言われているのを知っていたし、自分でもそう思っていた。


 碌にお金を稼ぐことのできない私は役立たずだ、ううん、それどころか自分はノルンの足を引っ張る厄介者なんだ、と。












「よう、ツェツェ、今日は何の用だい。何時もの薬草採取か?」




 ぱちんと器用に片目を瞑って挨拶してきた赤毛の男は、冒険者ギルドの受付、エルベッシュだ。


 怪我で冒険者を引退したというこの壮年の男は、元々は高名な冒険者だったいう噂だ。だから鉱山に多い気性の荒い男達や、得体の知れない冒険者達相手でも、一歩も引かずのらりくらりと対応する。


 若い男の冒険者には恐ろしく不評なようだが、ツェツェはこの赤毛の男をどちらかというと気に入っていた。他の若いギルドの職員と違って、彼はツェツェの事を邪険に扱わなかったからだ。




「こんにちは、エルベッシュさん。今日は私が依頼をお願いしようと思って」


「へえ、ツェツェが依頼主とは珍しいな。そんで一体どんな依頼だ?」


「ええ、コーネルまでの護衛をお願いしたいんです」




 コーネルは、山の麓にあるこの辺りでは一番大きな街だ。


 ただ山の中腹にあるモンクルからコーネルまで、普通に歩いても3日はかかる。


 体力のない女性が険しい山道を一人で降りるのは危険だし、それにここに来てから一度も街から出たことのないツェツェは、コーネルまでの道も不案内だった。


 だからツェツェはずっと貯めてきたお金で、護衛を雇う事にしたのだ。




「コーネルまでっつーと、ツェツェ、お前ようやく山を下りる決心がついたのか」




 こくんと頷くツェツェを、エルベッシュは滅多にみせない真面目な顔で見つめた。




「……ノルンは知ってんのか?」




 無言でふるふると首を振るツェツェを暫く眺めていたエルベッシュは、溜息を一つ吐くと後ろを振り返って一枚の紙を手に取った。




「ほんじゃあまあこれが依頼書だ。書き方はわかるよな? じゃあそっちのカウンターで書いて、出来上がったらまた持って来てくれ」


「はい」




 コホコホと咳をしながら頭を下げるツェツェを、エルベッシュは何か痛ましいものでも見るように見つめていた。




「あの咳……まだ間に合うといいんだがな」












 護衛を引き受けてくれる冒険者が見つかったという連絡が来たのは、それから3日後の事だった。


 いそいそとギルドに向かったツェツェは、紹介された冒険者達を見てぽかんと口を開ける。


 彼女が驚くのも無理はない。目の前に立つ屈強な3人の男達は、どう考えてもツェツェが提示していた依頼料で雇えるような冒険者には見えなかったからだ。




「おいツェツェ、お前そんなに驚くこたあねぇだろう。目ん玉が落ちそうだぞ」




 悪戯が成功した子供のようにニヤニヤと笑うエルベッシュに代わり前に出た男は、自分がこのパーティのリーダー、グエンだと名乗った。




「実を言うとツェツェさんの依頼はついでなんだ」


「ついで、ですか?」


「ああ。俺達は王都からこの街に来てる巡礼の護衛なんだが、ちょっと困った事になっててね」




 このモンクルのある高い山は、山岳信仰の巡礼地としても有名である。山を目指して遠くから訪れる巡礼者の姿は、この街では決して珍しいものではない。


 聞けばグエン達3人は元々王都で巡礼の一行に雇われた護衛で、3週間かけて王都からここモンクルまでやって来たのだそうだ。




「巡礼者達は一直線に山を目指すし無理はしないし、良い依頼主なんだけどね、なにせ食事が合わないんだ」


「食事?」


「ああ。あいつら獣の肉は神聖だとか言って、肉を食べないんだ」


「はあ、お肉、ですか」




 巡礼の一行には女性もいるので食事には困らないが、肉が出ないのが大変な苦痛なのだとグエンは力説する。道中肉に飢えたグエン達は、こっそり干し肉を齧ってやり過ごしたのだそうだ。


 ツェツェは改めて目の前の3人の男達を観察する。


 茶色の髪を後ろで結んだグエンは、恐らくこの中では一番の年長なのだろうが、それでも30になるかならないか。その後ろに立つ二人に至っては、フードを目深に被っているが恐らくまだ20代前半だろう。


 Aランクの冒険者であるノルンに負けずとも劣らない屈強な体つきをした3人はいかにも強そうだし、それにきっとノルンと同じように良く食べるのだろう事は想像に難くない。




「でも、あのう、お肉を食べるのは勿論構わないんですが、私のお金では3人も雇う事はできないんですが……」




 困ったツェツェがおずおず切り出すと、グエンは慌てた様に手を振った。




「ああ違う違う、そうじゃないんだ。実は俺達がツェツェさんを雇いたいんだ」


「私を雇う……?」


「ああ。ツェツェさん、俺達のパーティの料理係になってくれないか?」


「え? でも私は南の出身だから、皆さんのお口に合う料理が作れるかどうか……」




 ここモンクルで食べられている食事は、ツェツェたちが生まれ育った南の国の料理とはかなり違う。


 硬く酸味の強いパンと山羊のミルクのスープ、といった定番の料理が美味しいと思うようになるまで、ツェツェも随分時間がかかったものだ。


 そして未だにここの料理に慣れないノルンの為に、ツェツェは家ではずっと南の国の料理を作っている。


 村で食べていた柔らかいパンが食べたいというノルンの為に、どれだけ苦労して干した果実から酵母を作ったか、恐らくノルンが知る事はないだろう。




「いや、それは何も心配いらない」




 不安気に眉尻を下げるツェツェに、今までずっと黙って立っていた男がおもむろにフードを外した。


 フードの下から現れたのは、ツェツェと同じ褐色の肌と黒い髪。故郷の村でよく見た懐かしい色に、ツェツェは思わず息を呑んだ。

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