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コビトカバは幸せの法則を見つける

 ねーちゃん、恨む……!




 今日、何度目だろうか。ここに僕を置き去りにしたおばに、心の中で文句を言うのは。因みに、おばと僕は七歳しか離れていないので間違って「おばさん」なんて呼ぼうものなら、容赦のない制裁が下される。




 今僕は、平然を装って食後のコーヒーをすすっている。


 残念ながら、ここまで食べたコース料理の味なんて、全然記憶にない。




 今日のこれからを考えて、僕の胃はキリキリと声にならない悲鳴をあげていた。




 自分のことを図太い性格だ、と評価していたけれど、ゴメン! 僕の胃。全然図太くなかったわ。


 胃って持ち主が辛くなると比喩でなく、本当にキリキリ言うんだね、勉強になったよ、ねーちゃん! 全然嬉しくないけど!




「あの、菅原さん、どうなさいました?」




 戸惑ったような声で、僕は現実に戻された。


 目の前で小首を傾げる女性。


 黒髪がさらりと肩から流れた。




「あ、すみません。ええと、じゃあ動物園に行きますか」




 なんで動物なんだよ、とか突っ込まないでほしい。しかも『お見合い』で動物園とか頭おかしいんじゃない、とか言わないで。




 僕だって、こんなことになると思っていなかったんだよ。




 申し遅れました、僕は菅原敦(すがわらあつし)。歳は三十二。日本の関西圏で、普通に普通のサラリーマンをやっている。




 いつもは大阪に近い兵庫に住んでいるけれど、今は東京の上野にいる。動物園っていうのは、つまり、上野動物園だ。


 新幹線に乗ってやってきたのだが、新大阪から二時間ちょっとで着いてしまう。意外と近い。道中、富士山が車窓から……。




 いや、そんなこと、今はどうでもいいよ。


 問題は、なんでこんな状況になってるのかってことだ。


 こんな状況っていうのは『突如、今日はあなたのお見合いよ、と告げられ、レストランに置き去りにされた挙句、食後に彼女とデートで動物園に行かなければならない』っていう、この状況のことだよ!




 僕もおかしいとは思ったんだ、スーツで来なさい、だなんて。








 事の発端は、今から一週間前の土曜日。


 僕のケータイに見慣れぬ電話番号からの着信があった。


 訝しながら出てみると、電話の相手はおばだった。




「敦、ひさしぶり。あんた今度の土曜暇でしょ?」




「なんだ、ねーちゃんか。誰かと思った」




「何、あんた。あたしのケータイ番号登録してないの」




 バレた。


 年に一回、実家の集まりでくらいしか会わないから、いらないだろうと思って登録していなかったのだ。おばの声のトーンが下がっただけで、条件反射で背筋に悪寒が走る僕の不甲斐なさ。




「まあ、いいわ。それより来週の土曜よ。どうなの?」




 その日、仕事は休みだ。


 僕は、休日には家でゲームをするだけのインドア派なので、ぶっちゃけ暇といえば暇だ。だが、僕の口は「うん、暇だよ」と言うのを拒否していた。




 だって、あのおばがわざわざ(・・・・)電話をしてきているのだ。嫌な予感しかしない。




 どうやって、暇ではないと伝えよう……。




 必死で考えていたのにおばは、僕の答えなんて待たずに、




「暇よね、暇なはずだわ。あんた、三週間前に新発売のゲーム、手に入れたばかりでしょ? それで休日にゲーム以外の用事を入れるなんて考えにくいもの」




 なんで知ってんだよ! ストーカーかよ!




「いい? あんたの口座番号は姉さんに聞いて、お金は振り込んどいたから」




「ちょっと、なんの話」




「いいから、ヒトの話は最後まで聞きなさい。そのお金は、交通費と食事代よ。全部で五万。それを使って、来週土曜日の十一時。東京の上野動物園正門前に来ること」




「……なんで」




「つべこべ言わずに来るの。来なかったら、その時は、敦……分かってるわよね」




「全然わかんないよ!?」




「そうだ、言い忘れてたけど、あんたが持ってる中で一番いいスーツで来なさいよね。私の知り合いにみすぼらしい姿は見せたくないもの。チャコールグレーの、持ってたでしょ」




「いやだからさ、なんでそこまで把握されてるの!? あと、知り合いって誰!?」




「や・く・そ・く、だからね!」




 そこでブツリと通話は切れた。


 僕は唖然として、耳からスマホを離した。待ち受け画面のハチワレ猫が、楽しそうに僕を見ていた。




 月曜に口座を確認すると、確かに五万円振り込まれていた。これは行くしかないのか、東京に。おばには土曜日に来なさい、としか言われていない。つまり、日曜日はフリーってことだ。




 よし、東京で遊んで帰ろう。




 今だから思う。この、月曜日の浅はかな僕を殴りたい、と。




 そして週末。待ち合わせの上野動物園に着いたのは十時半。JR上野駅を降りて真っ直ぐに進むと、動物園のゲートが真正面に見えた。地図通りだ。




 まだ、ねーちゃんは来ていないのか。




 ぼんやりと、パンダの姿が貼られた門を見ていると、ポンと肩を叩かれた。僕はビクッとして振り返る。


 そこには僕と身長の変わらない美女、もとい、おばが立っていた。




「ちゃんと来たのね、えらいっ」




 薄いピンクの口紅が、相変わらずよく似合う。


 これが、おばでなければ、単に美人だと思っていられるのに。中身を知っているというのは、本当に不幸だ。


 人間、知識をつけると不幸になる、って誰かが言ってたな。




「ねーちゃんが来いって言ったんだろ」




「そうだけど、あんた迷いそうだし?」




「僕もう、三十こえてるんだけど……」




「方向音痴に歳は関係ないわよ」




 確かにそうだ。




「それより、少し早く来てくれて助かったわ。打ち合わせの時間が取れるもの」




「何、打ち合わせって。今日、何があるの」




「あら、姉さんから聞いてないの。釣書は送っておいたのに」




 つりがき……?




「釣書って、お見合いとかでよく聞く、アレ?」




「そうよ、あんた今日、これからあたしの会社の後輩とお見合いだから」




「はぁ!?」




「やっぱ、コピーしておいて正解ね。姉さんがあんたに言わない可能性も考えてたの。はいこれ、で、写真は私のスマホにあるやつ、見る?」




 朱鷺子ちゃんっていうの、と几帳面に折られた用紙を渡される。




 僕は母から、今日がお見合いだなんて全く、これっぽっちも聞いていない。おばが言うように、母は僕の性格を見抜いて、僕が断ると思ったのだろう。それで秘密にしていたに違いない。




 実際今までに、僕は二回ほどお見合いを断っていた。


 だって女の人とどうやって接したらいいかわからないんだよ! ハードル高すぎなんだってば!




 おばが僕を凝視しているのがわかる。


 この紙を開かずに帰る、なんてことは許されない雰囲気だ。




 僕たちのそばを何組もの家族が、動物園のゲートを目指して通り過ぎて行く。その楽しそうな声を聞きながら、僕は観念して紙をゆっくり開いた。




田上朱鷺子(タガミトキコ)


 一九九一年一月二十日生 二十六歳』




 僕より六歳下なのか。


 それから僕は最後まで釣書を読んで、おばから田上さんの写真を見せてもらう。何人もの女の人が座って楽しそうにしていた。




「これ、今年の花見の時の写真」




 この子、と指をさした。


 肩より少し長い黒髪と、派手でない服装。


 おばと比べたらそりゃ、美人ではないが、普通に可愛い子だった。




「朱鷺子ちゃんにも、あんたの釣書を渡してるから。それで彼女が会ってみたいですっていうし。こういう事って早いほうがいいでしょ」




「なんで、僕の釣書があるんだよ。書いたことなんてないのに」




「姉さんにもらったのよ。今まで何度も無駄になったから、今度こそって、送ってくれたわ」




 なるほど。こうやって、個人情報は流出していくのか。




 僕の目眩をよそに、おばは今日の予定をつらつらと述べ始めた。




 まずはレストランで食事。これはおばが僕の名前で予約をしてくれているという。その後、動物園でデート。午後四時には一旦解散、という事なのだが。




「ねーちゃんは、食事まで一緒?」




「あたしはすぐに帰るわよ」




「はぁ!? 二人っきりで飯食えってこと? 無理無理無理無理、絶対ムリ!」




「うっさいわね。ご飯くらい一人で行きなさいよ」




「一人じゃないだろ、初対面の女の人と一緒にご飯とか、ムリだよ。勘弁してよ」




「大丈夫、朱鷺子ちゃん良い子だから」




「意味わかんないよ! 僕が女の人苦手なの、ねーちゃんは知ってるだろ!?」




「ショック療法だと思って頑張って、敦」




 何だそれ、聞いたことない。




 僕の頭が真っ白になっている間に、田上さんがやって来てしまって。僕は逃げられない事を悟った。








 それから、何とか食事を終えた僕たちは、レストランを出た。


 動物園の正門はここから右に行って直ぐ。


 あとは動物園さえクリアすれば、僕の役目は終わりだ、頑張れ僕。




「行きましょうか」




 そう言うと、彼女はきょとんとして首を傾げた。




「入り口、こっちじゃないです」




 彼女は左に行く。僕は慌てて彼女の後を追った。




 たどり着いたのは、『上野動物園』というゲート。ただし、その横っちょのコンクリート部分に『弁天門』と書かれていた。




 さっきとは違う入り口。


 そこで田上さんは僕を振り返った。




「こっちの方が近いんです、コビトカバに」




 彼女の黒髪とネイビーのワンピースが、風に流れた。




 何だ、コビトカバって。




 今度は僕がポカンとする番だった。




 それにしても、田上さんが口にしたコビトカバ。


 レストランで会話していた時と違って、何だか嬉しそうな声だった。

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