軍人です、頭の中に少女がいます
「――だ。分かっているな?」
「はい、問題ありません」
薄暗い部屋、石の壁は埃で汚れ、ところどころ劣化して崩れている。何も知らない人が見れば独房と間違えてもおかしくないような場所だ。
そんな殺風景な部屋の中に軍服の男とローブ姿の女、そして体を隠せる最低限の布きれだけをまとった少女が立っていた。
「転生後はこちらから接触するまでは待機だ」
「了解です」
軍服の男の言葉に少女が答える。
あらかじめ用意されていた台本を読むかのように、淡々と会話が交わされる。
布から覗く少女の薄褐色の肌が蝋燭の仄かな明かりに照らされ、どこか艶めかしい雰囲気を醸し出している。その少女の真下には何やら怪しげな紋様が刻まれていた。
「……大佐、一つだけ、質問してもよろしいでしょうか?」
「質問を許可しよう」
少女が男の隣に立つローブ姿の女に視線を向けて尋ねる。
「彼女は、超常者とは違うのですか?」
軍服の男はローブ姿の女をチラリと横目で見ると、すぐ視線を戻した。
「……国の機密に関わる事だ。貴様が詳しく知る必要はない。」
「……はい、失礼しました」
あっさりと引き下がる少女。
ローブ姿の女は一連のやりとりの間、妖艶な笑みを浮かべながら、ただ黙って立っているだけだった。
「確認はこれくらいでいいな。では、始めてくれ」
「分かったわ。それでは儀式を始めましょう」
軍服の男の言葉を受けて、初めてローブ姿の女が口を開く。女はしゃがみこむと床の紋様にそっと手を触れた。すると徐々に紋様がうねうねと少女の皮膚に侵食していき、真っ赤な光を放ち始める。
その気色の悪い光景に少女が思わず顔をしかめる。
徐々に赤い光が部屋中を覆い尽くしていき――
「健闘を祈る」
「任せてください」
光が消えたとき、身にまとっていたものだけをその場に残して少女は姿を消していた。
◆―○―◆
「はっ!!」
「がはぁっ!?」
黒髪の少年兵の突き出した銃剣が鮮血を撒き散らす。少年兵は刃にべっとりと付着した敵の血を振り払いながら戦場を駆け抜ける。
この少年兵、名をラスと言った。ともすれば女性兵と間違えられてもおかしくない、体躯の小さな兵士だ。
「ラス!! 正面やれっ!!」
「了解」
近くの味方兵から指示を受けたラスがガタイの良い狼獣人の敵兵に向かっていく。
「うぉらぁっ!!」
「っ!」
ラスが攻撃するよりも早く、狼人兵の豪脚がラスに襲いかかる。紙一重、ラスが身体を捻ってその一撃を躱す。そのまま身体を捻った勢いを利用して銃床で狼人兵の頭部に殴りかかるも、その攻撃は獣人兵の太い腕に防がれてしまう。
近接戦闘において大きな身体というのはそれだけで強力な武器となり得る。その上、パワーとスピードにおいても狼人兵がラスを上回っていた。
防戦一方のラス。長いリーチから繰り出される連撃が次第にラスを追い詰めていく。
狼人兵がラスの脚を蹴りで薙ぎ払う。獣人の圧倒的な力に薙ぎ払われ、ラスの小さい身体がひっくり返る。
「ぐっ!?」
「うらぁっっっ!!!」
振り降ろされた銃剣、ラスの腹をめがけて刃が迫る。狼人兵が勝利を確信する――が、ラスの目はまだ生を諦めていなかった。
咄嗟に足を狼人兵のふくらはぎに引っ掛けると、上半身を思い切り引き寄せる。ラスの身体が狼人兵の股下をすり抜け、目標を失った剣先が地面に突き刺さる。
急いで後ろを振り返る狼人兵。
「ふっ!」
「ぅぁがっ!??」
その顔面にラスが足裏蹴りを食らわせる。地面に手を付き、全身をバネのように使って繰り出された一撃に狼人兵が顔を押さえ悶絶する。
その隙に態勢を立て直したラスが銃剣を構えて突進する。
「だぁぁぁあっ!!!」
「あ゛ぁぁぁぁああっ!!!??」
耳をつんざくような絶叫がこだまする。ラスの全身全霊の突きは狼人兵の心臓を破壊していた。
勢い余ったラスが受け身も取れずに地面に叩きつけられる。
「……ぅぐっ!? はぁ――ごほっ、ごほっ!」
口から砂粒混じりの血が吐き出される。砂でジャリジャリとした口内に鉄の味が混じる。戦闘によるダメージが積み重なり、ラスの身体は見た目以上にボロボロになっていた。
周囲を見渡すと、すこし離れた場所で敵兵と重なるように倒れる味方の兵士が目に入る。つい先程ラスに指示を与えた兵士だった。内側の肉が見える酷い状態の死体になっている。ラスは目を背けて胃の方から何かせり上がってきそうになるのを抑え込む。
死んでいった者達と生き残ったラスの違いなど、ほんのちょっとの運の差くらいだ。一つ間違えればラスも目の前の死体と同じ運命を辿っていたかもしれない。
戦場ではついさっき言葉を交わした者が物言わぬ屍になることなど日常茶飯事だ。しかし、ラスはいつまで経ってもその感覚に慣れることが出来るとは思えなかった。
気がつけば、ラスの周りの敵兵はあらかた倒され尽くしていた。だが、遠くではまだ激しい殺し合いの音が続いているため、一瞬たりとも気は抜けない。
疲労困憊の身体で何とか立ち上がるラス。少々覚束ない足取りですぐ近くに倒れている狼人兵に近づくと、その胸部に突き刺さっている銃剣を引き抜く。
『…………』
「?」
不意にラスが耳に違和感を感じ、周囲を警戒し始める。
『……んっ…………』
戦場に似つかわしくない寝起きのような声が響く。その声は小さく、普通であれば聞き逃してもおかしくないようなものだったが、不思議なことに戦場の喧騒の中でもラスの耳にはしっかりと届いた。まるで|脳内に直接響くかのように《・・・・・・・・・・・・》。
「〜〜っ!!!?」
直後、声にならない悲鳴を上げ、地面に崩れ落ちるラス。意識が内側から塗り潰されていくような感覚がラスを襲う。理解不能、ラスが自力でどうにかする事が出来る範疇を超えていた。出来ることと言えば、意識を手放さないよう歯をくいしばり、未知の感覚が収まるまで必死に耐え忍ぶことだけだった。死への恐怖にがラスを蝕む。
『ぅ……ぁ、ん? あれっ!?』
何者かの声がまた響く。
『だ、だれっ!? 何、これ?』
声の主が焦る中、少し回復したらしいラスが、ヨロリと起き上がろうとする。
「誰、だ…………は?」
謎の声の主を探そうとしたラスが、起き上がろうとしたそのままの態勢で硬直した。それもそのはずだった。
|頭の中に少女がいたのだから《・・・・・・・・・・・・・》。
『ねぇっ! 答えてっ!! これは一体どういうことっ!?』
どうやら少女の方もこの状況を理解していないようだった。長い髪を揺らしながら、固まったままのラスをぷんすかと責め立てる。
ラスはこの摩訶不思議な現象に思考を停止しかけていた。妄想するときに頭の中に影像が映し出されるのと同じように少女は知覚されていた。ラスの頭に白昼夢という言葉がよぎる。
『人の話聞いてるのっ!? わたしに何をしたのよっ!?』
「ちょ、ちょっと落ち着いてくれ! こっちも状況を理解してないんだ」
ラスが必死に少女をなだめようとする。だが、その努力は火に油を注ぐだけの結果に終わった。
『しらばっくれないでっ! いい加減にしないと力尽くで聞き出すよっ!』
「ぅぐっ!?」
少女が叫ぶとラスの身体が宙に浮いた。ラスがまるで首を絞められているかのように喉元を引っ掻き、苦しそうに足をバタバタとさせてもがく。
(超常者!?)
超常者とは超自然的な力を操る者達の事だ。世間一般的に存在自体は認められているが、詳しい事はほとんど知られていない。
『さぁ、さっさと観念してわたしに何をしたのか答えなさい!』
「ぅ〜〜っ!!!」
ラスが不可視の拘束から抜け出そうと死にもの狂いで暴れる。が、もともと戦闘によって限界ギリギリまで追い込まれていたラスは、直ぐに抵抗する力を弱めていき――
『あ、あれ?…………加減間違えちゃった?』
――あっという間に意識を手放した。




