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その生は僕/私のために

 ──日常を糧に燃え盛る炎の中、一人の少女がうずくまっていた。




 それだけ聞けば、何故走り去らないのかと誰しもが尋ねるだろう。いくら幼い少女とはいえ、炎が容易く少女の人生の幕を落とせると知っている。


 だが、十回目の誕生日を越えたかどうか、その程度の少女にその障害はあまりにも酷に過ぎた。




 辺境の村を灰へと変える炎ではない。少女に迫る異形を指し示してだ。




「やだ……来ない、で……」




「ギョ、ガガ……ジュァ?」




 少女を見下ろすのは二足方向の異形の生物だった。それ以上は言葉にしたくないし、認識さえしたくもない。女神たちが生み出したこの世界に、こんなおぞましいものが存在して堪るものか。




「ボガ、ガカ」




「ひっ……」




 異形の腕らしきものが伸ばされる。退路は炎に塞がれていた。逃げ場はない。異形を押し退ける勇気もない。


 恐ろしい未来を拒絶するように少女は身を固くして、




「──ティナに何やってんだぁぁぁぁ!!」




 異形に向けて一人の少年が肉薄した。背後から接近した少年は鍬を全身を活用して振り回し、見事先端が異形の胴体を捉える。その一撃を受け、ブラブラと重心の安定していなかった異形は面白いように弾き飛ばされていった。




 倒れた先で体を起こそうとする異形には目もくれず、少年は少女の──ティナの元へと駆け寄る。




「だ、大丈夫か?」




「うん……レオありがとう」




「なら早く逃げよう。兄ちゃんたちが時間を稼いでくれてるんだ」




 手を差し出し、立ち上がらせる。足が震えて歩けないだろう。そう考えて肩を貸そうとしたのだが、ティナはやんわりと拒絶した。




「私の方が、お姉さんだもん……これぐらい平気」




「こんな時までいいじゃんかぁ」




 少年、レオの年齢は九歳。十歳を先日迎えたばかりのティナと比べたらほんの僅かに子供だった。それが小さな強がりにすぎないとしても、ティナの中ではレオの方が年下の弟分なのだ。




「兄ちゃんは町の方に向かって走れって」




「でも私たちだけで町まで行けるの? 道は遠いし魔物が出たら……」




「兄ちゃんがそう言ってたからそうなんだよ! とにかく走ろう!」




 村の外を目指す幼い少年少女。その会話も声が震えている。どうしても瞳に映ってしまう光景を頭から追い出すための、防衛本能的な何か。


 自覚が無くとも、会話は正気を保つための儀式だった。そんな幼い二人の前に新たな影が舞い降りる。今度は異形では無く人間。しかし、異形よりもおぞましい人間だ。




「ようやく若い素材がありましたね。辺境は襲いやすい反面、素材の数も質も酷くて敵わない」




 それはみすぼらしい村では異色な装いだった。闇夜に紛れるような黒いローブで全身を包み隠した男が声の主である。その姿を見るのはレオにとって二度目だ。一度目は村の男性陣が、見様見真似の剣を構えて立ち向かった光景。




「兄ちゃんは、みんなは……」




「ん? 出来損ないにでもなって、そこらを彷徨っているんじゃないですかね?」




 その言葉に恐怖さえも掻き消して、レオの思考が燃え上がった。村を覆う炎よりも熱く高らかに、脳を煮えたぎらせる。


 ここで散ることになってでも、せめて一発殴らなくては気が済まない。足腰に力をいれて前傾姿勢になり、




「──我が刃と在れ。創造の天使よ!」




「ちぃ──ッ! まだ倒れていなかったんですか!?」




 民家から跳躍した人影が、言霊と共に男へと飛びかかった。しかし、寸前のところで勘づいた男は飛び下がり、必殺の斬撃は地面へと吸い込まれる。




「レオ、早く逃げろ!」




「兄ちゃん無事だったの!? 今度は僕も……」




「お前がいても足手まといだ!」




 天使の加護で生み出した剣を油断無く構えて青年は吠える。しかし、背中を見ただけでも彼の怪我の具合は酷かった。


 正しく満身創痍。血塗れの姿がどうして二本足で立ち上がれるのか、不思議なほどだった。




 ──村で唯一剣の心得がある青年でさえこれなら、他の大人たちは。




「レオ!」




「僕だって少しぐらい……」




「ティナを、守ってやれ」




 ハッとして横に並ぶ少女へ視線を向ける。一人で逃げることもできず、恐怖にまみれた幼なじみの表情がそこにはあった。


 僅かな葛藤。それを乗り越え、レオはティナの腕を掴むと踵を返した。




「ね、ねぇ。お父さんは……? どうしてレオのお兄さんだけ……」




「分かんないって! 今は兄ちゃんに任せて逃げる!」




 背後から爆発音が響く。きっと、青年一人ではそう長く持たない。


 神々の加護とも違う異能を扱う男の前では。世界を冒涜する男の前では。少し腕に自信がある程度の青年は敵わない。それが分かっていてそれでも何もできない無力さが、レオには悔しくて仕方がなかった。




 日常も、家族も、何もかも。置き去りにして逃げ出す。ティナを守らなければ。それだけがレオに残された誇りだ。




 だから、だから──




「さあ、私の手を煩わせないでいただきたい」




「うわあぁぁぁぁ──!」




 青年が立ち向かったはずの男が目の前に現れようとも、ティナを連れて走り続けなくてはいけない。悲しむことは許されない。足を止めることは許されない。


 幼い少年には慕っていた兄の結末を嘆くことさえ、許されることは無い。




「きゃっ!」




「ティナ!」




 体力の限界だった。足をもつれさせてティナは転倒した。慌てて踵を返して、そこでレオも膝を付く。


 足が棒のようとは正にこのことだ。肺が酸素を欲して荒く収縮を繰り返す。筋肉と骨は痛みだけを主張して、全く言うことを聞かない。




「忌々しい女神の加護を持とうとも、所詮は子供の体力。たかが知れていますね」




 苦しむ二人を男が見下ろしていた。必死に睨み付けても男は特に反応を示さない。そのまま無言で男は右手に持った杖をティナに向ける。足腰が悪いわけではなく別の用途を持つことは、先端で怪しく輝く紫の宝石が主張していた。




「さてどうなるか」




「ひぃ……」




 宝石の輝きが増す。魔法に近い現象だが男は何も唱えていない。何より本来の魔法に道具は不要である。


 着々と光は強くなる。何が起きるのか分からない。だが、それが最悪の事態を呼び起こすことだけは分かり切っていて。ティナがか細く悲鳴を上げた。




 膨れ上がる、怪しげな光が。固く瞑られる、ティナの大きな瞳が。


 先程のように吹き飛ばすことはできない。例えティナを抱えて逃げようとも、すぐに追い付かれる。


 考えろ。最善を。ティナを。最後の誇りを守るためには──




「う、あぁぁぁぁ──!?」




 最早それは反射だった。気が付いたときには限界を越えた足でティナの前に躍り出ていた。


 だがそのおかげで、男の杖から放たれた光はレオの胸に突き刺さっている。得体の知れない力に全身を内側から蹂躙されるが、それでもティナを守れたはずだ。




 それだけで痛みも気にならない。恐怖も無かった。体の感覚が端から次々と消え失せ、死を直感しても。


 消える。終わりが近づく。男が薄く笑っていた。そんなことよりもティナの顔が最期に見たい。ゆっくりと崩れ落ちる体で首だけを背後に向けて、




「ぁ、な……ん」




「きゃぁぁぁぁ──っ!」




 ティナが苦しんでいた。全身を禍々しい光に包まれて、悲痛な叫び声を上げていた。レオの胸に着弾した光の帯はそのまま少年を貫通し、背後のティナにまで牙を向いていたのだ。


 何が守れたはずだ。何一つ、レオは守れちゃいない。何もかも見捨てて、泣くことにも耐えて、たった一人を助けたかっただけなのに。




「な、んで……どうして、ティナてぃなてぃなぁ!」




 必死に大好きな幼なじみに手を伸ばす。前に進もうとしても下半身は文字通り塵となっていた。もう少しだ。あと少しで指先が届く。だが間に合わない。ティナの目の前でレオの手は崩れ落ちた。


 下半身も腕も無くなり地面に投げ出される。もう数秒の時しか許されない。首から下を失い最期に頭部も崩れ落ちる中、口元が小さく動いて。




 それが声になったのかは分からないまま。レオの肉体はこの世から消失した。










 ☆ ☆ ☆ ☆










「……ゃを探せ。他に、ほ……一人ぐら……はいるはずだ!」




「ぁ、ぅ……?」




 全身を怠さが包み込んでいた。酷く体が重たい。まるで自分のものでは無くなってしまったような、苦しいほどの違和感だ。




「あ……! 隊長! 少女が目を覚ましました!」




「なに? すぐに行く!」




 顔を覗き込んできたのは見知らぬ、恐らくは騎士だろうか。鎖帷子の上から要所に皮鎧を身に着けた女性だった。勝ち気ながらも整った顔立ちは、焦燥感を必死に抑えるような耐え難いものになっている。




「意識ははっきりしているか?」




「な、なんか体は動かないけど……大丈夫、です……」




「そうか。何があったか思い出せないか? 君のような少女には酷だと思うが……生存者を、探しているんだ」




 必死に表情を柔らかくする女騎士の言葉通りに、何が起きたのか思考を巡らす──それよりも先に強烈な違和感に襲われた。何か今の会話の中で致命的な言葉があったはずだ。レオのことを呼ぶには、あまりにおかしさ単語が。




「僕、男だけど……」




「……違う。君は女の子だろう。やっぱり話は後にしようか」




「え、いや、そんなわけ」




 錯乱していると思われたのか。何かに耐えるように唇を噛む女騎士は近くの荷物から手鏡を取り出した。体の動かないレオの元にそれが運ばれて、




「てぃ、な……?」




 ──そこに映ったのは困惑した表情を浮かべる、幼なじみの姿だった。

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