異世界お取り寄せ生活
残業続きで意識が朦朧としていたんだろう。自分でもフラフラしながら歩いてるなって自覚はあった。だけどまさか普通に歩道を歩いていて、いきなり自転車が猛スピードで突っ込んでくるとは思わなかったよ。
弱っていた体は突然の衝撃に踏み留まれず、思いっきり跳ね飛ばされて、頭を強く打った。
見開いた目に、ビルの谷間から見える青い空が映る。
もしかして、俺、死ぬのかな。
そう思った瞬間、俺の体から命がどこかに吸い寄せられて行くのを感じた。
「ここ、どこだ……」
次に目を覚ましたのは森の中だ。
確か営業の途中で自転車に跳ね飛ばされたはずだけど、なんでこんな所にいるんだろう。
慌てて後頭部に手をやる。
どうやら怪我はしていないようだ。
軽く頭を振ると、俺は全てを思い出した。
「そうだ。確か真っ白な部屋に神様って名乗る怪しいセールスマンみたいなのがいて、異世界に転生できるけどどうしますかって聞かれたんだ」
自称神様は、それはそれはうさん臭かった。今時珍しい黒のスーツを着て黒の中折れ帽子を被った小太りの中年は、神様というより詐欺師のようだった。まだ悪魔だって名乗られた方が納得できる。
そいつは「今ならもれなく剣と魔法の世界に転生できるし、10万ポイントをサービスでおつけしますよ」と言った。
あまりの怪しさに始めは断った。だけど、その世界では魔法を使う元になる魔素が魔法の使い過ぎで少なくなってきているらしく、異世界から誰かを連れてきてその時のエネルギーで魔素を補完しないと、もうすぐ滅亡してしまうんだそうだ。
そこで神様業界では有名な、とある神様が創ったっきり放置していて濃厚な魔素の存在する地球から魂を呼び寄せて異世界を救おうと思ったらしい。
「神様業界で有名なんですか……」
神様の業界なんてあるのかよとか、地球にも神様はいたのかよ、とか。ツッコミどころ満載だな!
「ええ。本来であれば地球でも魔法が発展していたはずなんですがねぇ。いつのまにか魔法使いが消えてしまって、魔素だけが溜まっていく一方なんですよ。うちの業界でも、こんなに魔素が濃いのにどうして生き物が存在してるか謎だって事で、七不思議の一つに数えられてますね。おかげで他の世界を救う事ができるんですけど。ほら、昔から神隠しっていうのがあるでしょう? あれですね」
魔素を発生させられる世界樹が枯れたり、魔法大戦争が起こったりして魔素が少なくなってしまうというケースは結構あるらしく、その度に地球産の魂に助けてもらってるんだとか。
意外な事に、地球にも世界樹はあるらしい。南極の氷の下に。
凍ってても魔素を発生させられるのか。凄いな。
というか、地球温暖化で南極の氷が溶けるって話だけど、そしたら世界樹の存在が世間に知れ渡るのかね。
「魂を移動させる際に、異世界との空間が繋がって地球の濃厚な魔素が一気に異世界に流れこむんですよ。そうすると大体千年は魔素が安定しますねぇ。ただ地球産の魔素を馴染ませる為に、地球の方にはしばらく異世界で生活して頂かなければいけません。なに、普通に生活してくだされば良いんです。寿命以外で死亡しないよう、アフターケアもばっちりです」
お得ですよ、って勧められるんだけど、どう見ても神様じゃなくて怪しいセールスマンだよな。
「いや、そんなの俺じゃなくて、もっと他に異世界に行きたいって願ってる奴がいるんじゃないのか?」
まだ仕事が楽だった頃、通勤の途中で読んでいた小説投稿サイトを思い出す。そこでは異世界転生の話があふれていた。俺みたいなもうすぐ三十になるおじさんより、もっと若い奴の方が意欲があっていいんじゃないだろうか。
「そういったやる気に満ちた方は、どうも空回りされることが多くてですねぇ。せっかく増やした魔素を、大規模魔法でスッカラカンにしてしまうんですよ。多少は構いませんが、さすがに千年分の魔素を十年で消費してしまうようでは困りますからねぇ」
ああ、そうか。つまり俺ツエーされると困るってことか。そりゃそうだな。少ない魔素を補填するために異世界に行くのに、消費されまくったら元の木阿弥だ。
「その点、あなたでしたら立身出世を望むわけでもなく、ハーレムを望むわけでもなく、ごくごく穏やかな一生を過ごしていただけると思いまして、選ばせて頂きました。いや~、これでも選考に苦労したんですよ~」
しかも適性のある人間がちょうど良いタイミングで死ぬわけでもないし、あなたしかいないんですと、見かけのわりには真面目に職務を全うしようとしている自称神様に言葉巧みに勧誘された俺は、最後にはつい頷いてしまった。
そして現在に至る、という訳だ。
「とりあえず言語チートと生活魔法はつけてもらって、後は、これか」
俺ツエーできないのに強大な魔力を持っていても意味がないし、かといって剣の達人にしてもらったとしても戦争の道具とかにはなりたくない。
ただ魔法がある以上、最低限の生活魔法は使えるようになりたい。そして最低限の生活の保障も欲しい。
そこでもらったのが、この「お取り寄せカタログ」だ。「カタログオープン」と言えば見れるらしい。
ステータスオープンじゃないのかよ、と突っ込みたくなったけど、そこはぐっと抑えた。自称神様の機嫌を損ねて便利アイテムを逃したくないからな。
「最初の10万ポイントで何が買えるんだ?」
カタログと言っても、二つ折りのパンフレット程度の物だ。使っていくうちにページが増えていくらしい。
「ふむ。初心者異世界セットがちょうど10万ポイントか」
アイテムを購入するために必要なポイントは、ファンタジー世界らしく魔物を狩ったり異世界の住人の頼みごとを聞く事で増やせるらしい。ゲームで言う、経験値のようなものかもしれない。
現在のポイントを見るには、カタログの右上にある「保有ポイント」を見ればいい。そして欲しい商品をカートに入れて、購入を押す。
うん。これ思いっきりお取り寄せカタログだな。
「初心者異世界セットに含まれるのは、結界付きワンタッチテントと魔石つきランタン、簡易トイレと水と食料と……この辺は防災グッズと変わらんなぁ。他には万能ナイフとミニコンロと魔物図鑑。それに初回利用サービスで空間収納袋がつくのか。これでいかな」
購入ボタンを押そうとしたが、ふっと目に留まった商品があった。
「初回限定福引だと……?」
一番下に大きなクエスチョンマークの画像で表示されていたのは、初回限定福引――いわゆるガチャの商品だった。値段は10万ポイントちょうどだ。初心者異世界セットと同じ値段だけど、高い。
「なになに。初めてのご利用時にのみ引ける初回限定福引です。中身は開けてみてのお楽しみ。ハズレなし。大当たりならマイホームや、冒険のお供に最適な強い相棒件ペットをゲットできるチャンスです。今なら期間限定で魔物図鑑つき――か」
もちろんこんな博打のようなガチャを引くわけがない。初心者異世界セットを購入すれば、少なくとも安全に異世界で暮らせるし、しばらくは食料を調達する心配もない。
だというのに――
「ガチャか……うーん」
初心者異世界セットより良い物が入っている可能性は限りなく低いのに、それでも「もしかしたら」という気持ちを捨てきれない。
「後からテントを買う事もできるんだな。いくらだろう」
カタログの値段を見ると、結界付きワンタッチテントが5万ポイントで魔石つきランタンとミニコンロが2万ポイントだった。計算してみたところ、初心者異世界セットを単品で揃えると大体15万ポイント位になる。
そう考えると初心者セットはかなりお得だ。
どう考えても、初心者セット一択しかない。
それは分かっているんだが――
「強い相棒兼ペットってことは、ドラゴンみたいなのが出てくる可能性もあるってことか?」
ドラゴンに限らず、グリフィンとかペガサスなんかでもいいな。
それにハズレはないと書いてある。
安定を求めるなら初心者異世界セット一択だけど……ここはやっぱりガチャにチャレンジしたいところだよな。
よし。思い切って引くか!
10万ポイントを消費して、初回限定ガチャを引く。
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。
ドラゴン来い!
購入ボタンを押すと、目の前に光の玉が現れた。それは何度かくるくると回って止まる。
そして光が収まった場所には一つの卵が現れた。
固唾を飲んで見守る俺の前で、白い卵にヒビが入る。
パリン、と音を立てて卵が割れた。
そこに現れたのは――
「きゅっ」
「……ウサギ?」
こてんと首を傾げているのは、ピンク色の赤ちゃんウサギだった。
どう見ても弱そうだな。だがここは異世界だ。もしかしたらとんでもない力を持っているのかもしれない。いや、きっとそうだ。そうに違いない。
俺はウサギと共に現れた魔物図鑑を手に取る。魔物の絵と名前と特徴が載っていて、とても分かりやすい。
そしてウサギは最初の1ページ目に載っていた。図鑑に描かれたウサギの色は茶色だ。
「羽飛びウサギ。育つと耳を羽のようにして飛ぶことができるウサギ。臆病な性格で逃げ足が速い。すぐ逃げるので捕獲は難しい。しかし大人しく飼い主には従順で、人気の愛玩魔物。レアな個体は高額で取引される……って、もしかして何の能力もないとか……まさか、な」
「きゅ?」
だって10万ポイントもしたんだぞ!?
初心者冒険セットと同じ価値だぞ?
誰か……誰か、嘘だと言ってくれぇぇぇぇ!