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シャルパンティエ公爵家の喫茶室

 私の朝は早い。殆ど我が家の使用人たちと同じ時間に目が覚めるので、毎朝の支度は自分でもできるよう、簡易なワンピースと真っ白なエプロン。まだ十七歳なので、簡素な服装でも華やかなストロベリーブロンドと若さで、それなりに可愛く見える。




「んんっ、今日もふんわり美味しそう! スポンジを冷ましてる間に生クリームの用意……と。おーい、ルークくーんっ」


「なんですか、クロエお嬢様」




 物影から現れたルーク君──執事見習いのルーク・カタリア君は、渋面を明確にして姿を見せる。多分テーブルでも拭いてくれてたのあろう。その手には濡れ布巾を持っている。


 今年二十歳(はたち)になった彼は端正な見た目で、使用人だけでなく、訪問する貴婦人達にも人気。




 ここは私の家、シャルパンティエ公爵家の門近くに作られた、屋敷と比べると狭小な建物の中。面積にすると、自室の応接間と同等程度。


 中にはオープンスペースの調理室と数人座れば一杯になるカウンター、それから二人掛けのテーブルが二脚しかない小規模な喫茶室。私とルーク君の二人で回すのを考えると、このくらいのスペースが丁度いい。


 内装は素朴な可愛さを目指して、全体を生成り色、薄い緑や赤をポイントに。




 私──クロエ・シャルパンティエは、焼きたてのスポンジケーキの甘い匂いが広がる中、見栄えはいいのに、いっつも仏頂面した仲間へ、準備しておいた空のボウルとホイッパーを手渡す。




「毎日悪いんだけど、生クリームを泡立ててもらってもいい?」




 有無を言わさず渡された相手は、渋い顔が更に深くなる。あんまり苦い表情ばっかりしてると、皺が固定されちゃいそう。


 正直、自分でもできるんだけど、こういった力仕事は彼がやったほうが早く、しかも上手。それに、私も別の作業に集中できるので、毎日助かってます。




「お嬢様。毎回思うのですが、そういったのはお嬢様が……うぐっ」


「お礼に、昨日焼いた新作クッキーを進呈しちゃいましょう!」




 不服を訴えるルーク君の口に、すかさず欠片を突っ込む。文字通り口封じです。


 ちなみに数種類のチーズを練りこんだ塩味の強いクッキー。どうやら彼は塩辛党のようなので、このクッキーもきっと気に入ってくれるでしょう。うふふ、お味はいかが?




「どう? ルーク君の舌の感想は?」


「……おいしい……です」


「そう、よかった! じゃあ、泡立てお願いっ」


「しかし……」


「だって、あなたがやったほうが美味しいんだもん。お客様に提供する以上、良いものを出したいじゃない? 最悪、我が家の沽券にも関わってくるんだもの」


「……それはそうですが……」




 でしょう? ってダメ押しで言ってみれば、アクアマリンのような澄んだ水色の瞳が眇められた。これは観念したかな。


 そもそも、我が家の執事見習いとして使えるルーク君は、シャルパンティエ家の名誉を損なう瑕疵はしない。それは本人が望んでなかった仕事だとしても、執事長である彼の祖父が、厳しく施した教育が身に染みてる以上、完全な拒否もできないだろう。


 権力を笠にしてるようで気が引けるけども、彼は優しいから、つい甘えちゃうんだよね。




「いつもありがとう、ルーク君」


「いえ」


「という訳で、生クリームはいつものように半立てと七分立てでよろしくね!」




 通常はスポンジケーキに差し込むクリームは六分立てが扱いやすいらしいけど、私は若干緩めな方が好きなので、半立て推奨。食べた時にクリームが体温で溶けて土台のスポンジと混じり合って幸せな気分になれるんだよね。


 保冷技術が進んでないこの世界では、テイクアウトもできないとこもポイント。お店でしか味わえないのって最高の贅沢だと思うの。


 出不精な貴族ですらも通う喫茶室。たったひとつ、この世界に転生した私の生きがいなのだ。






 私が前世の記憶を取り戻したのは五歳の時。当時、流行病が蔓延してて、沢山の人がバタバタと亡くなる中、病は私にも忍び寄って来てしまったのだ。一時期は生死を危ぶまれる状況だったらしい。


 高熱でずっと意識が朦朧としてて、もう駄目かもって思った途端、脳内に前世の記憶が一気に流れ込んできた。あまりの情報量に発狂しそうになったけども、熱で意識混濁してたのが幸いしたのか、上手に折り合いが取れたようだ。




 前世は日本という小さな国で生まれ育った、凡庸なOLだった。享年二十五歳と若い身空。しかも失恋直後。ああ……泣きたい。


 一般的な女子大を卒業して、中小企業の事務系のお仕事をして、薄給だったけども普通に恋もして。平凡な人生を歩んできた、そこらへんにいるモブ的存在。


 このまま、恋人と結婚して子供を産んでお母さんになるんだろう、って思ってた。正直、一番の幸せだって当時は思ってたし。


 だけど、幻想は突然私の前に障害となって(はだか)り、前の生を終える原因になった。恋人が浮気をしたのである。


 相手は会社の後輩で、彼女が入社当時から可愛がっていた子。ふんわり髪の、目がクリッとした庇護欲を誘う華奢な女の子。


 その日はクリスマスイブで、本来恋人と過ごすつもりでデパートでケーキを買って彼の自宅に向かうところだった。


 ふと、街の片隅で腕を組み幸せそうなカップルが目に飛び込み、凝視して瞬間、驚きで声をあげてしまった。だって、自分の恋人へ会社の後輩が彼の腕を組んで、蕩けそうな笑顔をしていたのだから。


 茫然自失になった私は、こちらに向かってくる暴走車に反応するのが遅れてしまった。余所見運転していた車と予想もしないエンカウント。あっけなく人生が終わってしまったのである。




 熱が下がり、記憶が綺麗に混じり合ったというもの、私は一人でも生きていけるように、勉強も魔法も頑張った。まあ、魔法は素養的な理由で家庭魔法程度しかできないけども。


 基本誰もが持ってる家庭魔法と前世知識もあって、現在は公爵家の敷地に小さいながらもお店を持つようになったのである。








「恋愛は裏切るからね……」


「何か言いましたか?」


「ううん、なにも」




 ルーク君からの質問を素っ気なく返すと、彼は首を傾げながらも作業をする手を止める事はなかった。水の音と、ボウルとホイッパーが奏でる金属音のせいで有耶無耶にできたようで安心する。貴族令嬢が結婚しないとか言った日には、どんな説教が待ってるかわからない……わぁ、怖いわぁ。喫茶室の存続の危機だわ。




 この喫茶室は、私が生み出した──とされてる──生菓子類や、焼き菓子類が家人、または招待した時に提供を受けた客人たちによって広まり、周囲の後押しもあって、お父様が期間限定で認めてくれた。結婚もしくは婚約が内定されるまで、と。


 もし、その前にバレるなんて事になったら……。


 まだまだ作りたいもの沢山あるのよ! だからこそ、私の結婚話は長くぼかさないと。


 最悪、修道院に……って駄目よ、ダメ! ルーク君がいなくなったら、自力で一人で作るとか無理!


 機械とかないのに、女の細腕でへっぽこ魔法使いながらとかムリ!


 逆にルーク君は高魔力の持ち主。なんで魔法と関係ないお仕事してるんだろう?




「そっちはどう? ルーク君」


「そうですね。中の部分は完成してます。表面に塗るのはもう少しかかるかと」




  カシャカシャとホイッパーを掻き回す度に、高い魔力保持者だけに顕れる黒と見紛う紺の髪が背中で揺れる。なんだか尻尾のようで可愛い、とか言ったら怒るかも。




「じゃあ、先に進めちゃうから、終わったら教えてね」


「……分かりました」




 私は彼の傍らに置いてあるボウルを持ち上げる。半立てのクリームは、絶妙な泡立ち具合で、トロリとしている。




「今日も完璧!」




 不服そうな態度だけど、きちんとこちらが指示してくれた事をやってくれるルーク君に感謝しながら、冷めたスポンジを挟むようにして板を設置。プロみたいに均等に切れたら問題ないんだけど、ほら、所詮素人だから。基準がないと厚さが変わっちゃうの。


 沿うようにしてケーキナイフで横に四分割にした後は、ルークくん謹製のクリームと、飾りとは別にしておいた苺の薄切りを並べる事三回。次はクリームで全体を塗るけど、その前に回転台に乗せないと。


 台を回しながらルーク君が頑張ってくれた少し固めのクリームを一気に塊で置いて、パレットで均等に伸ばしていく。次第に卵色から白色に変化していく様子は、見ていて感動すら憶える。




「最後に飾り付け、と」




 真っ赤な苺と緑のセルフィーユを飾り、粉砂糖でお化粧すれば完成。


 このシャルパンティエ公爵家の喫茶室で一番人気の、『苺と生クリームのケーキ』がなければ始まらない。


 今日も今日とて、美味しそうです!




「お疲れ様ルーク君。カウンターに回ってくれる?」




 手を洗ってる彼に告げると、コクリと頷いてカウンター席へと歩く。その後ろ姿を見送り、私はできあがったばかりのケーキにそっとナイフを落とし、一切れ分をカットして皿に静かに置く。


 断面はスポンジの卵色と、生クリームの純白、苺の真紅と綺麗。


 それからふたり分の紅茶を用意し、ひとつをケーキと一緒にルークくんに渡す。


 彼はじっと見詰めた後、優雅にフォークでケーキを一口分削って口に入れる。ほどなくふんわりと口元を緩めるのを見て、今日も納得いく出来ですね。




「今日も一日よろしくね」


「……はい」




 にっこりと笑って謝辞を言うと、ルーク君はふいと顔を逸らし、ケーキを咀嚼している。




「本当、この人鈍感かもしれない……」




 何だかボソリと呟く声が聞こえたけど、食べてるのを邪魔するのも悪いから、彼のなぜか赤くなった耳を眺めつつ、私は紅茶を飲み込んだ。

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