石の戦士/幼女魔術師/水晶姫
人は朝に生まれ夜に死ぬ。
睡眠による意識の断絶と覚醒は生死に似ている。起床時の自分は前夜の睡眠時の自分とは別の存在。本当は魔術によって記憶と知識だけ埋め込まれた新しい生命。眠っている間に自分は消滅しているのだ。
リョウはふと子供の頃に感じていた悩みを思い出した。年齢を重ねたからなのか、全身が石の躰になったからなのか、今となっては興味すら無い。地位も生活も肉体までも失った彼にとって、思考より行動が重要だ。メディカ山脈の深淵部、竜人から逃げ続ける彼らにとって再優先事項は闘うことであった。
砂浜色の石の躰は闘うためには最適だった。拳が鈍器並の強度がある。ナイフで斬られても表層の汚れが剥げる程度。武具も無しに戦闘を可能としている。言わば魔術兵器。睡眠も食事も不要となったリョウが人間であったことを示すのは、大きさと形だけ。銅像より無機質な表情はその中に意識が存在することを悟らせない。
「結界内に三体の竜人!」
少女の姿をした元宮廷魔術師アイが声をかけてくる。まだ、年端もいかぬ子供に見えるが、百年一人と呼ばれた魔術師である。幼い容姿でありながらも鋭い眼力は、熟練の剣士ですら震え上がらせる。
「この洞穴も探知されたか。熊は追い出され損だったな」
「声を抑えて。知っての通り奴らは耳も良い」
アイの言葉を聞き流したリョウは緩慢な動きで洞穴から顔を出す。街中では好奇心を浴びる塊ではあるが、山中では岩肌と化しカモフラージュとなる。
背丈が人の倍はある竜人たちは、躰の無防備になりやすい腹部や胸をなめし革で防護している。手に短剣を持っているものの槍や盾などは見当たらない。鰐を想起させる頭部を護る兜もつけていない。尤も兜は不要だ。竜人の最大攻撃武器は自らの歯だ。人を一瞬にして噛み砕く咬合力を保有する彼らは鉄製武器に頼る必要はない。短剣は下草でも払うのに使っただけであろう。
リョウは意識を集中させる。前傾姿勢で近づいてくる竜人に先制攻撃を当てる自信はある。一体であれば瞬時に倒すことが出来る。しかし、三体もいる。攻撃に気づいた二体が警戒して頭を上げられると厄介だ。拳が届かなくなる。
松明を灯した竜人たちが洞穴に近づいてきた。犬のように鼻をヒクヒクと動かしている。視覚より嗅覚を頼りにしているのだ。洞穴の奥に潜むアイの匂いを嗅いでいるのか。種族としての能力を過信して洞穴に入ってくる。
一体目、二体目はやり過ごす。三体目から倒そうと考えていたのだ。だが、三体目は洞穴の入り口から少しばかり距離を取り近づこうとしない。逃げ出すリョウたちを待ち受けるつもりだろう。
状況を確認している余裕はない。竜人たちをアイの許に行かせるわけにはいかない。リョウは走り出す。足音が洞穴の中で反響するが気にしない。石でできた躰の匂いを察知することは出来ない。夜目の聞かない竜人が音に反応して振り向いたところをリョウは跳躍して殴りつける。
幾ら竜人が人とは異なる強靭な肉体をもっていると雖も有機体である。リョウの渾身の一撃を受けて耐えることは不可能だ。コメカミに打撃を受けた竜人は大きな音を立ててその場に倒れ込む。
リョウは敵の生死を確認することもなくもう一体に向かう。洞穴は竜人にとって小さすぎる。外であればその巨体を有効に生かした闘いが出来たはずだが、ここでは頭部を攻撃から逃すことも困難だ。そのことを理解したのか、防御ができなければ攻撃とばかりに噛み付いてくる。だが狙いが甘い。上体を反らして鋭利な歯を躱してから鼻面に一撃を喰らわせる。
激痛だったのだろう。竜人は松明を放り捨てると天井も気にせずに頭を持ち上げる。当然のように頭部を打ち付けるが、そんなことも気にせずに雄叫びをあげながら暴れまわる。
外の一体が戦闘に加われば面倒になる。リョウは手負いの竜人に心臓破壊の拳を放つ。防具で衝撃は拡散したに違いない。それでも、威力は伝わったのだろう。リョウは竜人のガクリと下がった顎を突き上げる拳で打ち砕く。
「倒したの?」
「いや、外にまだ一体いる」
「あ、……そいつ逃げた」
追おうとしたリョウはアイに止められる。今更、間に合わない。近くにいるであろう小隊と合流されれば少なくとも五、六体と戦わなければならない。囲まれてしまえば如何に石の躰であっても数分刻も持つまい。
リョウは竜人が捨てた松明を拾い洞穴の奥に向かう。確認するように松明を掲げると柔らかい光がチカチカと反射した。壁面に立て掛けられた人型の水晶で光が屈折・乱反射しているのだ。近づくと微笑みかけているように見える。今にも動き出しそうな水晶は、まるで命を水晶に閉じ込めているかのようだ。
いや、違う。閉じ込められているのだ。亡国となったバルカ王国第一王位継承権所有者である王女チゼカの肉体はアイの魔術によって水晶の中に封じ込められている。国を裏切った同朋が行使した呪いの影響を抑えるためだ。夜間しか動けない制約を受けているにもかかわらず文句の一つも口にしたことがない。眠る前に見せた笑顔のままだ。
「リョウ、姫様のこと大事に扱えよ」
「当たり前だろ。いつ、俺が適当に扱った?」
「私のことはいつも乱暴に扱うくせに……」
「扱ってねーよ」
アイがクスクスと笑うと、リョウは布を巻きつけた水晶を背負う。折れたり砕けたりしないように細心の注意を払う。破損しても魔術で修復できる。しかし、制約がある。アイは無制限に魔術を使えるわけではない。自らの経験と知識と年齢と生命時間を引き換えに魔術という奇跡を引き起こす。彼女が幼女の姿をしているのは若返りの秘術などではない。見えない寿命を天秤に乗せリョウとチゼカに魔術をかけた結果なのだ。
「夜まで何とかできる?」
「無理だ。洞穴を囲まれれば終わる」
「私が囮になれば良い」
「日が落ちるまで、一時刻はある。アイが幾ら頑張ろうと十分刻も持たないだろ」
「何言ってるの。私の量子融合爆の威力見せてあげようか?」
「赤子にまで戻る気か?」
「姫様を護るためなら構わないけど」
「俺が剣ならお前は盾だ。敵を倒すのは俺の役目だ」
「そうして砂になるまで破壊されて私に修復させるの?」
「その時は頼む」
リョウは背負った水晶の姫を気遣いながら洞穴を出る。メディカ山脈の中腹は日差しが弱い。平地より早々と沈みかける太陽と高々と立つ針葉樹が世界を薄暗くしている。落ち葉を踏みしめながら時々アイの表情を確認する。頼りすぎるのは問題と知りながら、アイの魔術を当てにする。竜人と違いリョウには獣並みの嗅覚は無いから。
「四、五……、いや、六、来るよ」
「姫様は頼むぞ」
「了解」
竜人が騒々しく駆け寄ってくる。一気に仕留めようというのか。しかし、森林が敵の連携的な攻撃を困難にしている。三体が一列に並んでアイに向かって迫ってくる。
茂みに水晶の王女を隠したリョウは一体に背後から駆け寄る。胴体並みに太い尻尾に抱きついて動きを止める。そして、電光石火! 竜人の頭部を一撃で破壊。更に、背後の異変を察知して不用意に振り向いた竜人を瞬時に倒す。あと、残りは一体……。追いかけて仕留めようとした。と、その瞬間に強力な力で弾き飛ばされる。
油断したわけではない。目の前の敵に意識を集中しすぎたわけでも無い。隙と呼べるほどの不注意ではない。要するに先行していた三体は囮。リョウは敵が仕掛けてきた罠に引っかかったのだ。さすがにヤバイな。四体の竜人に囲まれている。木々を障壁にするものの逃れられそうにない。だが、恐れる必要など無い。そもそも、失うものなど無い。姫様を護ることができるならば、粉々に砕かれても構わない。
意識が読まれたかのようだった。噛み砕かれて一瞬のうちに躰が四散する。右腕、右足、左足が噛み千切られる。その瞬間、敵は勝利を確信したに違いなかった。しかし、それは正しくない。本当の勝利を得たのは俺の方だ。そう確信したリョウは全身を爆破させる魔術を発動させる。自らの躰を起爆装置として竜人の小隊を消滅させる。
「ねぇ、どれだけ私に修復魔術を使わせたいの?」
リョウは覗き込んでくるアイの顔をマジマジと眺める。躰が再生したばかりで意識が混濁している。応えなければいけないと焦燥感が募るだけで、言葉が上手く出てこない。
「リョウの闘い方は雑なんだよ。もう少し、連携を……」
アイの文句は小さく笑う声に止められた。隣から笑顔で覗き込んでくるチゼカの横では従順そうな宮廷魔術師を演じたいのか。それとも、チゼカに上手い返答が出来なかったからなのか。
「二人とも、いつもありがとう」
「止めて下さい姫様、努めは我らの義務です」
アイが恭しく答えると、チゼカは世界を包み込むような笑顔を見せる。焚き火の中からパチパチと木々が爆ぜる音が聞こえてくる。
「ねぇ、もう逃げ続けるの疲れない?」
「そんな弱気なことを言わないで下さい」
「弱気? 逆じゃない。追ってくる敵をいちいち倒してられないから、現況である竜王を倒さない?」
「無茶です。私達、三人しかいないんですよ。一人は自爆が大好きなゴーレムなんですよ」
「で、もう一人は夜にならないと動けない王女、と」
「そんなこと言ってません。それに、それを言うならば、私なんか魔術が殆ど使えなくなった幼女です」
「確かにこのまま疲弊していくより、攻撃に転じた方が最終的に勝利する可能性は高いだろうな」
リョウは体を起こす。二人の瞳の奥で生者としての強い決意が輝いている。だからこそ闘える。リョウは石の拳を強く握りしめた。