「まだゲームを続けますか?」
「ねぇ聞いた? アイツ、ゲームオーバーしちゃったんだって」
幼馴染みである彼女が持ってきた話題は、僕の興味を引くのに十分だった。
読んでいた漫画本から顔を上げて、どこか得意げな様子の彼女を見上げる。
僕はそのまま首をめぐらせて学校の教室の、クラスの片隅へと目をやった。
そこには一人の男子生徒がいる。
彼はなんでもない様子で、自分の席について、周囲にいるクラスメイトたちとごく自然で和やかに喋っている。
「やっぱぜーんぜん雰囲気違うよね。って言っても、ゲームオーバー前はほとんど話したことないんだけど」
興味を持っているのは彼女だけではない。
すでに彼の周囲にはクラスメイトが集まり、しきりに話しかけていた。
人だかりの中心でなんでもないように振る舞う彼は、実を言うと昨日までほとんど見かけることがなかった。
何故かといえば、つまりは登校拒否の引きこもりだったということだ。
でも今はクラスの人気者もかくやといった様子なのである。
今まで学校活動に参加していなかったがゆえの、人間関係の隔絶。
彼はそれをものともせず、如才ない話術で受け答えしている。
これまで存在しなかったつながりを、いまから一息に構築していく高いコミュニケーション能力。
そこには少しの無駄もなく、とても洗練されているようにすら思える。
それを為しているのは、コミュニケーション能力に難がある、元引きこもりであるはずの彼なのだ。
しかしそれは当然だといえるだろう。
なぜなら彼はもう、ゲームオーバーしたのだから。
そもそも彼ら、彼女らが登校拒否になった理由は、今となってはわからない。
周囲とのすれ違いがあったのか。
もしかしたら、いじめのような外的要因があったのかもしれない。
でもゲームオーバーした今となっては、もうそんなことはどうでもいいことだった。
周囲の人たちもゲームオーバーした人間に対して過去と同じような扱いはしない。
ゲームオーバーなんて苦肉の策のはずだったのに、今となっては好意的にすら受け入れられているのだから。
「そういえばさ。けっこう増えたよね、ゲームオーバーした子」
ふと彼女が、周りを見回して呟いた。
彼を取り囲んでいる生徒の中にも、既にゲームオーバーしたものたちが混じっている。
一見する限り、仲が良い雰囲気のクラスメイトたち。
でも交わされる会話のほとんどが、ゲームオーバーした生徒たちによって調整されたものだ。
心地よくも中身のない、まるで潮騒のような会話たち。
僕はそれをBGMに、視線を漫画本へと戻した。
「ゲームオーバーした方が、楽なんだろうなぁ」
彼女の呟きを、耳にしながら。
ゲームの終わり――現代において、この言葉が意味するところは二つある。
それが誰か特定の名前の後に続いたのならば、たった一つへと絞られる。
登校拒否、ひいてはその先にある引きこもり及びコミュニケーション不全症候群は、年々少子高齢化が進むこの国にとって非常に深刻な問題として、しばしば取り沙汰されてきた。
ただでさえ少ない若者が何かの弾みで学校に来なくなり、自室に閉じこもり、悪くすれば社会活動に参加しないまま長い時を過ごす。
一昔前ならそれは個人における問題であり、いくらかの社会的な支援策は考えられたものの、結局は放置されるだけのものだった。
でもこの国は少子化が進みすぎた。
それに加えて引きこもり比率までも高まってゆくとなれば、もはや個人だけで済ませられる問題ではなくなってしまったのだ。
そうして対策の必要性が叫ばれるうちに。
この国に巣くう問題を解決するためには一人の若者も無駄にしないという――そう、ある種の非人道的な覚悟が必要になっていった。
そうはいっても、原因は人の心の中にある。
周囲がどんな対策を用意したとしても、本人が立ち上がらなければ根本的には解決しない。
だから。
対策に苦慮しきった国は、その行き着く果てにとんでもない解決策を打ち出した――。
「あーあ。運動は嫌いじゃないけど、体育の時間は好きじゃないなー」
授業前、彼女のお決まりのぼやきを聞き流す。
僕だって運動神経は良くないし、体育の授業は苦手な部類に入る。
こんな面倒はなくなってしまえばなと、思わないと言えば嘘になるだろう。
何しろ実際に面倒がなくなってしまった者たちがいるのだから。
僕の視線は彼らへと注がれていた――つまりはゲームオーバーした生徒たちへと。
つい最近ゲームオーバーした彼もいる。
それとなく観察してみると、どうやら運動は苦手そうだった。
なにしろつい数日前まで引きこもりだったのだから、単純に体が鈍っているのだろう。
しかし彼は諦めることはなく、自発的な向上心を持って授業に臨んでいる。
なぜなら運動し健康を維持することは、彼らの目的のうちかなり上位にあるはずだから。
きっと突出するほどではない、でも低くはない程度に運動能力が高められ、洗練されてゆくのである。
休み時間になり、クラスメイトところころ笑い合っていた彼女がこちらにやってきた。
「やっぱゲームオーバーした子のほうが話しやすいんだよね」
そうだろう、と僕は頷く。
彼らはとても自然に会話をつなげてくれる。
うるさく騒ぎすぎることもないし、話題を押し付けてくることもない。
かと言って黙りすぎるわけでもない。
ゲームオーバーは本人への対策であると同時に、周囲への奉仕でもあるのだ。
なぜなら、ゲームオーバーとはつまり、人格の再調整であり――思考の放棄だからだ。
最新のナノマシン技術がどうとか、さんざんに宣伝されていたけれど、理屈なんてどうでもいいこと。
かいつまんでいえば、ゲームオーバーした人間は周囲にとってひどく快い人格として調整される。
加えて言うならば、本人の認識においては苦痛といった概念から解放される。
穏やかで平穏で、主観的には幸せに満ちた人生がそこには待っている――らしい。
本来はコミュニケーション不全症候群への対策であったはずのゲームオーバー。
しかし今では対象者を広げ、望めば誰でも受けることができる。
当初こそ懐疑的な視線も多かったけれど、効用が広まると共に利用者は爆発的に増えていった。
自らの人生をわずらわしく思う人間は、思いのほか多かったということだ。
彼は既にゲームオーバーしている。
彼女もだ。
その向こうにいる彼だって。
このクラスに、ゲームオーバーしていない生徒はあとどれくらい居るのだろう?
少なくとも幼馴染みである彼女が残っていることに、僕は安堵した。
彼女と一緒に、学校からの帰り道を歩く。
道々で彼女がふと問いかけてきた。
「君はさ、ゲームオーバーしちゃおうって思ったことはない?」
――ない、とは言い切れない。
学校というのは全てがそうではないが、苦痛に思うことがたくさんある。
勉強は面倒くさい、なかでも数学が苦手だ。
授業中は眠気に耐えるのに必死だし、眠くならないときは単に苦痛である。
友達づきあいはよいものだけれど、時折ひどく煩わしく思う。
一緒に遊ぶのは楽しいけれど、そんな時間は永遠には続かない。
ゲームオーバーすれば、そんな煩わしさから解放される。
どれほどつまらない勉強だって、苦痛に感じなくなるからだ。
でも。
「皆。楽しそうって思わない?」
それは楽しいとい言えるのだろうか。
教室にはゲームオーバーしてしまった生徒たちによる、どこまでも穏やかな空間がある。
調整された彼らには刺々しい感情がない。
他者を妬まないし、怒りを覚えることもない。
それゆえに目覚めのまどろみのような、心地がずっと続くのだろう。
理想なのかもしれない。
誰も傷つけることなく、誰も傷つかない場所。
でも。
――でもそれはきっと、つまらない。
「ふーん。嫌なんだ? ちょっと意外」
僕の話を聞いた、彼女が小さく笑う。
それからまるで、夕食の献立に悩んでいますとでも言うかのような気軽さで、告げた。
「でも私はね。もうゲームオーバーしちゃおうかなって、考えてるんだ」
僕は立ちすくみ、先を歩く彼女の背を凝視していた。