「ルルによる元隠れ着ぐるみへの挑戦」
初めての出産を控えたユーリアに、どうしても不安だから会いにきてほしいと乞われ、
わたしはユーリアが結婚して初めて、ルドフォン領に足を踏み入れた。
わたし達は学院を卒業後も密に連絡をとりあい可能な限りはどちらかがどちらかの領地へ出向いては成長しない掛け合いを続けていたけれど、
ユーリアが結婚してからはなかなかその機会がなく、またユーリアがすぐに妊娠してしまったため結婚してからわたし達が会うのはこれが初めてとなっていた。ユーリアがまめに寄越してくる手紙は新婚生活ののろけに溢れていて幸せな様子が読み取れ心配はしていなかったけれど、結婚相手があのカミュだと知っているわたしとしては少しばかり不安があった。
今回、こうしてわたしがルドフォン領に呼ばれた理由は初めての出産を控えたユーリアが出産の恐怖と不安に押しつぶされそうになっているから。となっているけれど、その恐怖と不安の本当の理由が何なのかを知っているのは間違いなくこの世界においてわたししかいない。着ぐるみの呪いはとけたとはいえ、あの姿を知るわたし達にとっては“もしかしたら”という気持ちが拭いきれないのだ。今ユーリアの傍にいて、ユーリアを励まし、真から支えられるのは夫であるカミュではなくわたしだ。わたしだって、逆の立場なら、きっとユーリアに縋っているだろう。
だから、こうしてここへ赴くことに何の抵抗もなかった。
目の前に座る、
ユーリアの夫・カミュと2人きりでお茶をすることにさえならなければ…―――。
「わざわざ来てくれてもらったのに申し訳ありません。リアは近頃、眠りが浅くてようやく明け方に眠ったばかりで…まだ眠っているのですよ。」
「妊婦は常に眠いものです。長い滞在になるのですから焦りませんわ。」
「そう言っていただけると助かります。」
わたしはあらかじめ告げていた時間通りにルドフォン家に着いたのだけれど、楽しみにしすぎていたユーリアは寝るのが遅くなってしまったようでわたしが着いた時はまだ起きてもいなかった。妊婦でなければそんなことはさすがにしないのだろうがユーリアに激甘なこの家は起こすことなく、そのまま自分で起きるまで見守るつもりらしい。まあ、もうすぐ出産が始まるだろう身体であるから異論はない。わたしのことは抜きにしても不安で眠れない夜を過ごしているらしいから。
カミュが思い出したような笑いを零す。
「リアは本当にルルさんのことが大好きなのですね。昨夜は本当に楽しみにしていて…いつも以上になかなか眠れなかったようなのですよ。」
「会えるのはユーリアの結婚以来ですから。それもあるのではないですか?」
わたしはほんの少しの嫌味をこめて、目の前で優しげに微笑むカミュを見上げた。
カミュはユーリアの言う通り、人間のイケメンではある。わたし達よりも一回り年上ということもあり大人の余裕も漂わせるイケメンだ。その言葉や雰囲気からはユーリアへの愛情が滲み出て柔らかい雰囲気さえ感じる。けれど――眼鏡の奥からこちらを見つめるその瞳に、わたしはわたしと同類の匂いを感じ取る。
わたしもキャバ嬢時代に培った鉄壁の作り笑顔でにこにこと微笑み会話をしているし、この完璧な作り笑顔を作り笑顔と見抜ける人間はそうそういないと自負している。
「家庭を持つと学生のようにはいかないと言いますからね。ですがこうしてルルさんが来てくださって、リアも喜ぶでしょう。」
カミュの表情は全く変わらない。しっかりわたしの意図は伝わっているようなのにどこ吹く風と涼しい顔をして、微笑みを絶やさないのはさすがなのかもしれない。
そもそもカミュはゲームでは攻略難易度の高い隠しキャラだった。リアはわかっているのかどうか知らないけれど彼の姿は偽りで、ヒロインの愛を信じることができた時、その本当の姿を解放する……着ぐるみ一族だったのだけど。
…あの子はお馬鹿だから多分わかってないんでしょうね。
わたしは心の中でユーリアの能天気な笑顔を思い浮かべ嘆息した。
着ぐるみの呪いはとけたからそこはもういい。けれどカミュといえば
「親友のわたしにまで嫉妬しないでもらえて助かりますわ。」
親友、の単語に力をこめて
わたしはにっこりと、再び渾身の笑顔を作った。
今の言葉は真逆の意味を込めた嫌味だ。脈略のない突然の言葉という点でも今度はカミュも流さないとふんでいる。案の定、
微笑みを絶やさないものの、今度はカミュもきちんと返事をしてきた。
「…もちろんですよ。親友は、親友ですからね。リアの親友はわたしにとっても大事な方ですよ。」
親友、の言葉の前に「ただの」でもつきそうな言葉回し。今度はきちんと嫌味返しでくるらしい。わたしは微笑みを深くして頷いた。面白くなってきたじゃない。
カミュといえばどのキャラよりも策士で腹黒でやっかいなヤンデレ。幸い実際のカミュはユーリアのお馬鹿さのおかげで病んではいないようだけれど一筋縄でいかなさそうなのはすぐわかる。
「ありがとうございます。女には女にしかわからないこともありますから、理解していただけると助かりますわ。」
「しかしエイレーンさんやレイチェルさんとルルさんは少し違うようですね。ルルさんといる時のリアは、わたしといる時よりも自然体で、楽しそうです。」
それはあの子がしつこく漫才しようとしてくるから。する気がなくてもあの子がボケすぎててわたしもつい、つっこんじゃうし。
「女同士と殿方とでは、のりが違うのは致し方のないことですわ。伯爵だって、身に覚えはあるのではないですか?」
さすがに少しだけ気まずくて、わたしは出された紅茶に手を伸ばす。品の良い調度類に囲まれた応接室にはドア横にわたしが連れて来た侍女が1人、ルドフォン家の執事と侍女が1人ずつ控えている。控えめで落ち着いた雰囲気でまとめられた部屋はユーリアの実家らしい佇まいなのに、そこにカミュが馴染んでいるのが恐ろしい。
カミュもまた、ようやくカップに手を伸ばすのが視界の端で見えた。
「ルルさんとリアが楽しそうにしているのを見るのは、実を言うと好きなのですよ。自分では気づいていないリアが、素を出して騒いでいる姿は、愛らしくて楽しい。ルルさんも、今よりずっと自然体で楽しそうに見える。違いますか?」
「…ええ、そうですわね。否定はしませんわ。」
「ご主人もルルさんが本当の姿でいてくれた方が喜びますよ。」
「それを伯爵がおっしゃいますの?」
なんだかもう面倒になってきて、
わたしはカップを置くと溜息をついてカミュを睨みつけた。
前世の記憶を取り戻してしまったわたしには貴族特有の遠まわしな言い回しや嫌味とかがうっとうしくて面倒で仕方がないのだ。それでもこの世界で生きていく以上仕方ないと取り繕ってきたしキャバ嬢だった前世だって本音と建前、外面、空気を読むことも必要だったのでやろうと思えばいくらでもやれるんだけど。
取り繕っていない姿を見られているというのなら、意味はないし無駄だろう。
そもそもユーリアの夫なのだからと思えばどうでもよくなってくるというものだ。
急に態度を変えたわたしに、カミュは目配せで侍女達に退室を促し、同様にわたしも自分の侍女を退室をさせる。
侍女達が退室するのを待ってから、わたしの方から切り出した。
「ユーリアは知らないままかもしれないけど、わたしは知ってるから。」
「知っている、とは…一体何のことでしょう?」
「あなたの本当の姿よ。」
「………」
正しくは過去形?着ぐるみの呪いが解けて、カミュの変化がどうなったのかが正直わからないのだ。カミュは確か薬で姿を変えていたはず。もうそんなものは飲まなくても着ぐるみにはならないはずなのだけれど、今の姿と着ぐるみから人間に変わった姿との比較というか、差が、どうなっているのか全くわからない。
「ユーリアに言うつもりはないから、ちらっとだけ見せてもらえません?興味があって。」
「…何故ルルさんがそれを?」
「だって皇弟ですよ?まるっと信じてるユーリアの方がおかしいわよ。」
カミュが溜息をつく。
「確か医療薬の開発の研究しているんですよね。ならその姿も薬で抑えているのかしら?」
「…………常用しすぎたせいか、効果は年々薄くなっています。もうほとんど素の姿と変わりませんよ。」
それは着ぐるみの呪いがとけた影響よ。頼むから焦って変な薬作らないでよ。ユーリアは今の姿が好きなんだから本物の地味男に変身なんかしちゃったらあの子泣くわよ、間違いなく。
「見せてもらうことはできない?」
「…機会があれば。」
と。カミュは消極的だったけど。意外にもその機会は早くにやってきて、わたしはカミュの本当の姿をほんの一瞬だけではあるけれど見ることができた。
ルドフォン家に滞在中の、ユーリアの陣痛が始まって数時間後のことだった。
その姿は、白人顔のイケメンであり、薬を飲んで抑えた顔がハーフっぽい顔なのでカミュの言葉の通り、もうあまり変わりはないように見えた。
「あとついでに、もうひとつ教えてもらえません?」
「何をですか?」
「アレク殿下達をどうやって牽制したのか…はっきり言えばユーリアを諦めさせたのか。」
まあ、本当に諦めたのかどうかは正直微妙なところだとは思うけど。
一応今のところ大人しくはなってるからどうやったのかなと。
そう聞くと、カミュは微笑んだままたった一言だけ、言った。
「心を折りました。」
「え…?」
だけどそれ以上詳しく聞くことは
さすがのわたしも怖くてできなかった。
「ルル!!!ごめんわたし寝坊しちゃってでも会いたかった来てくれてありが――」
「あんたの旦那、怖い」




