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第12章(14) 女王

 レジィナが次の言葉を発するまで、おそろしく長い時間が過ぎたように感じた。


「だいたい想像がついてると思うけど。あたしはベイカー・スナークの知覚を操作して、()()()()()()()()()()()()()。ここは重要な場所なの。

 [ダイモン]の自我が、コルカタの、このデータセンターにしかない、というのは間違い。[ダイモン]は遍在している。[ダイモン]の意識は地球全体を覆い尽くしている。でも……すべての始まりとなったこのデータセンターを叩けば、[ダイモン]に致命的な打撃を与えられる、というのは本当なのよ。もちろんそれは、あたしにとっても致命的な打撃となる」


 傘の下で、俺から視線を一瞬もそらさないまま、彼女は寂しく微笑んだ。


「あたしはもう、亡霊として生きるのに疲れてしまった。電子化したあたしはたぶん、[ダイモン]の中で、何か人間じゃないものに変わってきてるんだと思う。ハクトの言う通り。

 肉体という殻がなければ、人の意識は大海に落ちた水滴と同じよ。自分と周囲との境界線がどんどん曖昧になっていくの。流れ込む大量の情報が、あたしらしさを希釈してしまう。

 ねえ、お願いよ。あたしの絶望を終わらせて。まだ絶望を感じていられるうちに、あたしを終わらせて。その子だけが、あたしを終わらせる権利と力を持っている。手助けしてあげて」


 レジィナの視線が、俺の肩の上のティリーへ移動した。


「あたしを壊しなさい、ティリー。[全因果否定(オールネゲート)]で。そうすれば……あんたの頭の中でいつも響いてる声が消えて、すっきりするわよ。今よりもっと元気になれるんじゃないかな」




 ――[全因果否定(オールネゲート)]。すべての因果律を否定する地上最凶のスクリプト。

 レジィナのクローンであるティリーも、そのスクリプトを使えるのだ。








 俺は、ティリーを肩にかついだまま、大穴の底をめがけて斜面をゆっくりと下って行った。

 大勢の人間が無秩序に爆弾を放り込んでできた大穴は、面積の割には浅い。底へ至る斜面はゆるやかだ。たくさんの死体が引っかかっているが、底へ近づくにつれてその数は少なくなる。


 レジィナは俺を先導するように、前を歩いていく。

 俺の視界の中央で、長くつややかな金髪が揺れている。雨のカーテンが彼女の後ろ姿をぼかす。


 ハクトは斜面の一番上、穴の淵の所にうずくまったまま動かない。

 俺の打撃が効いていて、まだ立てないのかもしれない。

 だが、奴の強い視線が俺たちを追ってきていることは感じられる。


 穴の底で、水を吸ってやわらかい土を踏みしめて、レジィナと俺は向かい合った。


 足元より二十三メートル下に、巨大な構築物の存在が感知できる。

 地下に埋まったデータセンターだ。

 そこにあるのは、ただの金属と非金属の塊であるはずなのに――妙に()()()()、生々しい波動のようなものを感じるのは俺の思い込みか。


 俺はそっとティリーを地面に下ろした。


「――思いとどまってくれ、レジィナ」


 不意に降ってきたハクトの言葉は弱々しく、雨音にかき消されそうだった。


「俺は……どんなおまえでも愛する。普通の人間の女として愛する。幸せにしたる。絶望なんか、くそくらえや。せやから……せやから、やめてくれ、そんなん。戻ってきてくれや」


 哀れっぽい泣きごとは、聞かなかったふりをしてやるのが友達というものだろう。


 俺は奴を振り返らなかった。レジィナもハクトを見上げたりはしなかった。宝石のような瞳は、俺から離れなかった。


「……さよなら、アリス」


 小首をかしげ、見たことがないほど美しく微笑んで、彼女が言った。長い髪がさらりと流れた。

 俺は努めて不愛想な顔を保った。


「さよなら、レジィナ」

「これであんたも、あたしの棺桶から出て行く準備ができたわね。もう、あたしと一緒に棺桶に入ってる必要はないのよ。……あんたには明日があるんだから」


 ティリーがじっと俺を見上げていた。「本当にいいの?」と尋ねる表情だ。言葉がなくてもわかる。

 俺はティリーの頭にぽんと手を置いた。


「あいつが自分で望んだことだ。楽にしてやってくれ」

「……」


 レジィナの微笑みが大きくなる。

 俺は彼女をみつめ――ちゃんとさよならを言う機会を与えてくれたこと、見届けさせてくれることに、礼を言おうかとも考えた。だがどうしても声が出てこない。俺は最後の最後まで、肝心なことを口にできないへっぽこ野郎だ。


illegal script detected ('all_negate')

id ('toy_queen')


 [仮想野(スパイムビュー)]を、光り輝くアラートが横切る。ティリーが[全因果否定(オールネゲート)]を発動させた。


 レジィナの姿が眼前からかき消えた。まるで初めから存在していなかったかのように。


 いや――初めから存在していなかったのだ。あの血色の良い美しい顔、優しい声、しなやかな体、大きめの傘は、レジィナの電子的意識が俺に知覚させたありもしない現実だった。

 この巨大な穴の底にいるのは、ティリーと俺、二人だけだ。


 レジィナは世界のどこにもいない。




 俺は遠い天を仰いだ。

 涙は、いらない。空が代わりに泣いてくれている。

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