第11章(6) 帽子屋
「ギャングゆうたって、スクリプトも使えへん普通の人間やろ? 何人来たって俺らの敵やない」
と、ハクトがのんきな声をあげた。
珍しく、ライデンも素直に賛同した。
「奴らはおそらく、あんたらが無力化されていると信じ込んで、油断しているわけでしょ。楽勝ですよ。……ギャングどもが馬車で来てくれるといいですね。そうすれば、それを奪って駅まで行けますから」
「嬉しそうに『奪って』とか言うんじゃねえよ。山賊かよ」
俺はついツッコんでしまった。ライデンは抗議の意をあらわに目を剥いた。
「じゃあ、どうしろって言うんです。フェリーもライナーも明日の朝まで来ない。他に交通手段はない。馬車がなければ……コルカタへ戻るのに、俺が乗ってきたボートを使うしかないんですよ? しかも今回は、流れに逆らって上流へ上るんですからね。実質二人でコルカタまで漕ぎ上るのは、さすがにキツいでしょう?」
「ちょお待て。おまえ今さりげなく失礼なこと言うたな。『実質二人』ってどういう意味やねん」
ハクトが食ってかかったとき。おなじみのアラートが視野の下端を横切った。
illegal script detected ('tiptoe_step')
id ('mad_hatter')
[帽子屋]が[暗中夜行]を発動させたようだ。[仮想野]から奴の姿が消えた。
ライデンが、ふんと鼻で笑った。おおげさな仕草で両手を開き、肩をすくめてみせる。
「懲りない野郎だ。俺たちから逃げられるとでも思ってるんですかね」
こいつは、肉体的に虚弱な男の決死の覚悟を理解できていない。たぶん一生理解できないだろう。すぐに[無間童唱]で[帽子屋]のスクリプトを妨害するべきなのに、余裕を見せようとしてか、あえてのんびり構えている。
「言い忘れてたが。あいつは銃を持ってる可能性があるぞ」
俺の言葉に、ライデンは顔をこわばらせ、即座に[無間童唱]を発動させた。[仮想野]に[帽子屋]が再び表示された。そのときにはもう、奴は俺たちのいる応接室から五・六メートルの距離まで迫っていた――[帽子屋]は足が速い。
ハクトが、回避しようともせずに棒立ちになっている。こいつは脳からの指令が手足に届くまでに時間がかかるのだ。
俺は奴にタックルして床へ突き倒してから、ソファの背もたれの向こうへダイブした。
俺がカーペットに着地するかしないかのうちに、狭い室内に爆音が響きわたった。
許容音圧を超える轟音の発生に、[補助大脳皮質]が一時的に聴覚信号の処理を中止したため、世界は無音となる。一瞬で視界を覆い尽くす白煙。吹きつける爆風。刺すような刺激臭に痛みさえ感じたが、それもすぐに消えた。嗅覚信号も遮断されたようだ。
俺は床に伏せた姿勢で、舌打ちをした。敵と対峙しているときに五感を遮断されるのはまずい。いったい何が起きている? これは銃の破壊力ではない。
おまけに、二十代から四十代までの八人の男がこの建物へ接近しつつある。四人ずつの二つの塊に分かれ、時速十二キロほどの速度で移動している。おそらく馬車二台に分乗したギャングどもだ。
冷たい外気が流れ込んできて、白煙が驚くほどの速さで薄らいでいった。
不審に思って見上げると――応接室の奥の壁がほとんど消滅していた。壁のあった場所は巨大なでこぼこの穴と化しており、外には芝生の庭が広がっていた。
穴の縁が燃えていて、屋外へ向けてもうもうたる黒煙を噴き上げている。
視線を転じると、応接室の戸口に[帽子屋]が立ちはだかっていた。
構えているのは十年前ぐらいの型式の小型携帯ミサイル砲だ。
――あれが、事務机の引き出しに入ってたってのか? スナーク博士のセンスがよくわからねえな。
聴覚が再びスイッチオンされ、[帽子屋]の濁った叫び声が聞こえてきた。
「ざまあ見ろ! やってやったぞ、ざまあ見ろ!!」
[帽子屋]はミサイル砲を床に投げ捨てた。最初の一撃で俺たちを皆殺しにできたと確信したせいか、それとも単にミサイルの再充填のやり方を知らないせいか。
その瞬間、黒い影が走った。
部屋の隅の床に伏せてミサイルを回避したらしいライデンが、躍り上がった。体重の存在を感じさせない敏捷さで、倒れたソファやテーブルを飛び越え、[帽子屋]に襲いかかった。
意外なほど滑らかな動作で、[帽子屋]がベルトに挟んであった無反動銃を抜いた。ぱん、という可愛らしい銃声が響き、ライデンが床に落下した。
その頃にはもう、壁の大穴のすぐ外側に、八人のギャングどもが集まり始めていた。黒煙のせいで視界は遮られているが、奴らが横一列に並んでいる様子が[仮想野]に表示されている。
――俺は状況を読み違えていた。ギャングどもが屋内の様子を確認もせずに攻撃してくるとは予想していなかったのだ。建物の中には《♠A》もいる。味方を傷つけることは避けるだろう、と当然のごとく考えていた。
だが実際に起きたことは俺の予想とは逆だった。ギャングどもは何のためらいもなく、煙幕の向こうから一斉に銃弾を撃ち込んできた。
爆発音に似た銃声が鼓膜を痛めつける。直立していたのは[帽子屋]一人だったので、弾丸の波が奴の胴体を切り裂き、血しぶきをあげさせた。「どうして?」と叫び出しそうな、疑問符をいっぱい浮かべた顔で、[帽子屋]は仰向けに倒れていった。
target=all
run ('easy_contraction')
俺は[収納自在]を無差別発動。半径二十五メートル内の全員の右腕と左脚を七分の一に縮めた。激しい銃声が止み、代わってギャングどもの驚きの声や罵声が上がり始めた。
俺は念のために[収納自在]を重ねがけし、左腕と右脚も縮めてやった。
「俺の手足まで縮めるの、やめてもらえませんか」
落ち着いた声がした。散乱する壁の破片に囲まれて倒れているライデンが、大きな目を開けて俺を睨んでいた。
「なんだ。おまえ、生きてたのか」
「最近、任務中には常に防弾ウェアを着用するのが《バラート》のルールなんですよ」
「……」
「今、舌打ちしましたね? 確かに聞こえましたよ。俺が命拾いしたのがそんなに悔しいですか」
ライデンと俺は手分けして、ギャングどもを厳重に縛り上げた。無抵抗な体をメタリックロープできりきり締め上げながら、ライデンが必要もないのに、相手の頭を踏みつけたりみぞおちに靴先を叩き込んだりしている。俺は止めなかった。こいつらのやったことを考えれば、それぐらいの扱いでちょうどいいだろう。
自動消火装置がようやく効果を発揮し始め、壁の炎は消えていた。鼻を刺すキナ臭い空気だけが残っていた。
「なぜ、いきなり撃ってきた? 中に仲間がいるのに?」
男の一人に尋ねてみた。男は「くそ野郎」と吐き捨てただけで答えようとしなかったが、ライデンの激しい平手打ちを食らうと、しぶしぶ口を開いた。
「何があっても、てめえらを逃がすなと命令を受けてたんだよ。それが最優先事項だと」
俺たちがギャングどもを片付けている間、ハクトは[帽子屋]の顔に白い布をかぶせ、還魂の祈祷を行った。五音音階の旋律が、戦場のように荒れ果てた室内で渦巻き、壁の穴を抜けて空へ消えていった。
[帽子屋]に信仰心があったかどうかはわからないが、死後はどんな人間でも案内と誘導を必要とする。魂があるべき場所へ送られるように。
俺たちは、ギャングどもが乗ってきた馬車に乗り込み、一路北を目指した。




