第4章(4) ドードー鳥
LCは別に何か用事があって闖入してきたわけではなく、単に引っかき回したかっただけらしい。言いたいことを言ってしまうと、入ってきたときと同じぐらいの唐突さで立ち去った。
後には乱れた空気とギャングと俺とが残された。
サーフェリーはテーブルの上のファイルを、俺の手元まで滑らせてよこした。
「この資料を持って帰って、自分で努力しろ。で、スクリプトを使う勘がつかめたと思ったら《♢A》に電話しろ。そうすればエースが『入団試験』の日取りを決めておまえに連絡してくる。試験に合格できりゃ、晴れておまえもここの幹部だ。もしどれだけやってもスクリプトを使えるようになれなきゃ……誰かがおまえの口を封じに来る」
「やっぱりそういうことか。そうじゃねえかと思ってたんだ」
「当然だろう。これだけ組織の内実を知ったおまえを、そのまま野放しにしておくわけがねえだろうが。まさに、『栄光か死か』ってやつだ。……死にたくなければ、とっととスクリプトを覚えろ。ちなみに俺は一週間で使いこなせるようになったぜ」
サーフェリーは得意げな様子で、再び歯列をむき出した。
――一週間は破格の速さだ。《バラート》の訓練施設で、俺たちは最初のスクリプトを覚えるのにだいたい半年、遅い奴は一年ぐらいかかった。大脳が発達途中の子供だったせいもあるだろうが。
発動対象を限定する、威力を高める、などの精緻化にはその後数年を要した。
もしこの男が本当に一週間でスクリプトを「使いこなせ」たのだとすれば、相当の適性だ。
このコルカタ市で「世間話をしたくない相手」ランキングを作るとすれば、ルーラント・サーフェリーはその上位に輝かしくランクインする。
「お喋りは嫌いだ」と明言した相手から教団の様子を聞き出すのは、どう考えても無理そうだった。
俺はファイルを受け取って面談室を後にした。
情報を引き出すなら、不愛想なギャングより愛想過多な受付女の方が見込みがある。俺は一階まで下りると受付のカウンターに寄り、キツネ顔の女に声をかけた。暇を持て余していたらしく、女はすぐに雑談に乗ってきた。
女はスクリプトのことをまったく知らないようだったが、「少しでも役に立ちたい」という熱意を顔いっぱいに浮かべ、
「もし『入団試験』についてわからないことがあるのなら、《♠6》さんに尋ねてみるといいですよ。あの人は優しくて誰にでも親切だから。きっとアドバイスしてくれると思います」
と言い出した。
サーフェリーと比較すれば、どんな野郎だって「優しくて親切」ってことになるだろうさ。
「その『シックスさん』とは一体いつ会えるんだ? って言うか、幹部連中は普段からこの本部にうろうろしているもんなのか?」
俺の質問に、女は褐色の目玉をぐるりと回してみせた。
「本部長は毎日来ますし、《♡J》さんはここに住んでますけど、他の幹部は用事がある時しか来ませんねー。ダイヤの幹部は皆さん割とよく来ます。お仕事があるみたいです。……《♠6》さんはコルカタ大学の学生さんなんですよ。何かの研究室に入ってると言ってました。大学に行ってみれば、もしかしたら会えるかもしれませんよ」
いや、無理だろ絶対、と俺はきっぱり否定した。
コルカタ大学は中央ユーラシア自由経済圏で最大の総合大学だ。キャンパスをうろついている学生の数は千人を軽く超える。「何かの研究室」程度の手がかりで学生一人を探し出せるはずがない。
結局、女から聞き出せた有益と言える情報は、「廷臣会議」と呼ばれる集会の存在だけだった。
毎月、第一日曜日の午後に開かれる「廷臣会議」には、ダイヤの幹部が全員集まる。重要な話し合いが行われているらしく、幹部以外の事務員などが立ち入ることは禁止されている。ときおり教祖マキヤ・アスドクールや《♡J》が「廷臣会議」に参加することはあるが、スペードやクラブの幹部が呼ばれることはまずないという。
俺は「スクリプトを自習する」ために分厚いファイルを家へ持ち帰った。もちろん今さら自習の必要などないが、サーフェリーがスクリプトを覚えるのに一週間かかったというなら、俺もそれぐらい待ってからスナーク博士に連絡した方がいい。
画家としての日常生活が戻ってきた。茅尚ママから情報を探れというオーダーがないので、俺は毎日リポン公園に通い、絵を描いた。
今までと違うのは、どこへ行くにもティリーがついてくるということだ。
俺が公園で動物をスケッチしたり、絵を買ってくれる奇特な客を求めて路傍で通行人をぼんやり眺めたりしている間、ティリーはすぐ近くのベンチに腰を下ろして待っている。例によって異様なまでのおとなしさだ。何を映しているのか読み取りにくいまなざしを、じっと宙に向けている。
ときおり風が吹くと、長い金髪がなびき、日光を弾き返す。
《ローズ・ペインターズ同盟》の本部を訪れた日から四日目の夕刻。俺はティリーを連れて四十二番街を横断した。行先は『媽媽的店』だ。
言葉を発しない上に表情もほとんど動かさないティリーだが、俺は微妙な態度の変化から、この子供が『媽媽的店』での夕食を一番好むことを何となく察知していた。たぶん目の輝きとかひとりでに弾む足取りとか、そういう身体言語によってだ。人間同士の非言語コミュニケーションは侮れない。
こいつがあの店に惹かれる理由もわかりやすい。ママが腕によりをかけて振るまってくれるドルチェのせいだ。まあ、早い話が餌付けされたわけだ。
だから俺たちは毎回『媽媽的店』へ夕食に行くようになっていた。
ティリーが俺の左手にしがみついている。小さな手で、決して離さないと言わんばかりに、俺の薬指と小指を巻き込む。
横手の路地から人影がぬっと現れた。あまりに滑らかに現れたのでこっちも驚く暇がなかった。
ハクト・イナバだ。あいかわらず白いタキシードに白い靴、白いソフト帽までかぶっている。
快活な声で、俺が《バラート》にいた頃使っていた名前を呼んだ。
俺は舌打ちした。
「その名前で呼ぶなって言ってんだろ」
「あー。せやったな。……今はリデルやっけ? ややこしなー」
へらへらした口調に反省の成分は含まれていない。奴は当然のような顔で寄ってきて、俺と肩を並べた。
「この街でお勧めのレストランを教えてもらおうと思て来てん。おまえ昔っから、どこへ行ってもすぐに飯のうまい店見つけてたからな」
「見えすいた言い訳は無しにしろ。……意外と時間かかったな」
“俺の居所をつきとめるのに”という部分はあえて言葉にしなかった。だがハクトは省略された語句を正確に読み取った。
「おまえの住所は、こないだおまえと話した日に調べ出した。コルカタ市政府の人工コンピューティングシステムはザルや。簡単に侵入できたわ。今日来たのは、そろそろ《ローズ・ペインターズ同盟》の内偵が進んだ頃かな、と思たからや。あれから何か進展あったか?」
――ハクトの奴がティリーを俺の何だと思ってるのかは知らないが、少なくとも、警戒対象だとは考えていないらしい。内密にすべき話題でも、ティリーの前で平気で口にする。幼い子供だと思って油断してるんだろう。
だが、この子供は《ローズ・ペインターズ同盟》の中核、ハートの幹部の関係者だ。得体の知れない能力を秘めている。大の男でさえ恐怖させ、ひれ伏させる。
俺はティリーの耳に届く範囲で、核心に触れる話をする気になれなかった。
というわけで、『媽媽的店』へ入ると、いつもの窓際の席にティリーを置いて、俺たち二人は奥まった一角に席を取った。凝った細工の黒檀の衝立や、不気味なツル科植物を大量に活けた大花瓶に遮られた、他の客があまり寄りつかないテーブルだ。
ティリーは、一人で放っておいても問題なさそうだった。
「あらぁ! ティリーちゃん。今日も可愛いわね!」
常連客の女たちに完全に取り囲まれ、もうその姿は俺から見えない。
カリカード公会堂での顛末をざっくりと話し、「[空言遊戯]ってスクリプト、聞いたことがあるか」と尋ねると、ハクトは「いや。初耳や」と即答しやがった。大き目の葉っぱをもしゃもしゃと頬を動かして食っている姿はまるで本物のウサギだ。
俺は疑いの念を隠さず奴を睨んだ。
「……おまえ嘘ついてんだろ。いつも自慢してたじゃねえか、《バラート》のデータベースに登録されてるスクリプトは全部覚えてる、と」
ハクトはまばたき一つしなかった。
「あのなー、登録スクリプトは年々増えてんねんぞ。新しいスクリプトを考えつく奴が毎年現れるおかげで。おまえがおった頃から比べても、かなり増えとる。そんなもん全部チェックしてられるか」
「おまえはガキの頃から、嘘をつくと小鼻がひくひくするんだ。俺をごまかせるなんて思うなよ?」
ハッタリだった。しかしハクトは「え、マジで?」とつぶやきながら鼻に手をやった。それから、自分の反応に腹を立てた風で、サラダに乱暴にフォークを突き立てた。
「おまえは今は部外者やから、あまり情報を出さん方がええかなーと思ただけや。[クレイジー・レトリック]なら知っとる。[補助大脳皮質]に強力に揺さぶりをかけて現実の認識を難しくし、一つの概念で頭を一杯にしてしまう洗脳系のスクリプトや。かなり珍しいタイプや。持続型っちゅうんか? いったんそのスクリプトを食らったら、[工作員]が周囲にいなくなっても効果は永続する。
だが、そのスクリプトを使えた奴は大昔に一人おったきりで……そいつも実戦レベルでは使いこなせんかったと聞いとる。だから、それは、幻のスクリプトや」




