第4章(2) ドードー鳥
「幹部ってのは何なんだ。何をするんだ」
俺はストレートに尋ねてみた。スナーク博士の答えもまた、直球だった。
「幹部というのは、《ローズ・ペインターズ同盟》の本当の意味での構成員です。信者は同盟員ではなく、ただの金づるですから。幹部はハート、ダイヤ、クローバー、スペードの四系統に分けられています。あなたに目指してもらうのはスペードです……現在、定員に空きがありますのでね」
「その四系統は、何が違うんだ?」
「ハートは《同盟》の心臓部……教祖に最も近い、強大な力を持つ人たちです。ハートの幹部はメンバーが固定されていて、後から追加されたりすることはありません。
クローバーとスペードは、あなたと同じように[冗長大脳皮質]を持っていて、特殊な能力、すなわちスクリプトを使いこなせる人たちです。教祖や教団の敵を排除し、来るべき《世直し》の日には先頭に立って働いてもらうことになります。いわば、女王を守護する兵士です。
そしてダイヤは、スクリプトは使えないが、その他の方法で教団に貢献できる人たちです。例えば私もその一人です。私は《♢A》(ダイヤのエース)。教団全体の組織、運営を統括しています」
そう言って、博士はスーツの襟元の菱形のバッジを指し示した。
「さっきからジャックとかエースとか言ってるが……つまり幹部は階級制だってことか」
「その通りです。エースを頂点として、キング、クイーン、ジャック、10、9……という序列になっています。当然のことながら、与えられる金や権力は、序列が上がるほど多くなります。序列は、ダイヤとクローバーの場合は教団への貢献度によって、スペードの場合は強さによって決まります。ハートだけは例外です。ハート内の序列は教祖の一存で決まります。強さや貢献度に関わりなく」
「――ハートの幹部は、何がそんなに特別なんだ?」
俺は核心に触れる質問を、それと気づかれないように舌に載せた。
「それは、あなたが幹部になれば、自然とわかりますよ」
博士は軽やかにかわした。――まあ、最初の接触ですべてを聞き出せるほど世の中甘くはねえよな。今夜のこの展開は上出来の部類だ。
「あなたが《同盟》の幹部となるためには、実戦に使えるレベルのスクリプトを身につけてもらわなくてはなりません。そのためにはある程度の努力と訓練が必要です。……[冗長大脳皮質]を持っているからといって、自動的にスクリプトが使えるわけではないのですよ。もちろん個人差はありますが。
明日、教団の本部まで来てもらえますか。スクリプトについて詳しくレクチャーします。とりあえずこれを渡しておきましょう。今夜の『お車代』として」
たっぷり肉のついた指の短い手が俺にマネーチップを手渡す。受け取った俺は我が目を疑った。
千CPとは。「交通費」というレベルの金額ではない。
俺の住んでいる程度の安アパートなら家賃三か月分に相当する。教団の気前の良さと資金力を見せつけ、そのいかがわしさに目をつぶろうという気にさせるのに十分な金額だ。
人を動かすための最もわかりやすいスイッチは「欲」だ。
無造作にばらまかれる金は、人の欲を目覚めさせ、もっともっとと求めさせる。「この教団とつき合い続けた方が得だ」という気を起こさせる。
確かにこの《ローズ・ペインターズ同盟》の連中は、金ってやつの力をよく知っている。
俺がカリガート公会堂を出ると、夜はかなり更けていた。この時間帯、道路の主役は、近くの公園からさまよい出てきた鹿どもと、そいつらが路上に落とす糞を回収し動力源とする管理清掃ロボットだ。夜は馬車の交通量が少ないので、車道を鹿や中型爬虫類がわがもの顔で闊歩している。人間は動物やロボットの邪魔にならないよう、道の端の方を歩いている。
巨大な鳥が頭上近くを飛び過ぎる。夜を裂く羽音。
駅へ向かいながら、俺はアパートの部屋で待っているはずのティリーのことを思った。
もう今頃寝ちまってるだろうか。部屋に食べる物は置いてきたが、ちゃんと食べただろうか。
――待て待て待て。「ちゃんと食べてるだろうか」じゃねえだろ。なに気にかけてんだよ。これじゃまるで本当に父親だ。
思いっきり、流されつつある。
俺は血迷った感情を振り払い、当面の疑問に心を集中させようとした。
――ハートは《同盟》の心臓部……教祖に最も近い、強大な力を持つ人たちです。
――ティリー様、お願いです。お願いだから……どうか……どうか心を静めてくださいっ……!
スナーク博士の声が頭を駆けめぐる。
ティリーはハートの幹部本人、またはその関係者だ。何度コルカタ中央署に引き渡しても脱走して俺を追ってきた。あのちびが何か不思議な能力を持っていることに疑いはない。
問題は、ティリーがなぜ《同盟》本部と距離を置きたがっているのか、ということだ。
その問題を解決してやれば、おとなしく《同盟》へ帰って行ってくれるかもしれない。
教祖や他の幹部と顔を合わせられる機会はないか、明日スナーク博士に尋ねてみるか、と俺は心を決めた。
――I am everything, and I am nothing.
かすかな声を聞いたような気がして、俺は振り返った。
誰もいない。[仮想野]でも確認してみたが、声の届く距離に人間の女は存在していない。
空耳、というやつか。
再び歩き始めながら、俺はふと、レジィナの亡霊をしばらく見ていないことに気がついた。




