第七話 喧嘩
禊は本支部の大砲に構えていた。
「禊さん、準備はいいですか?」
隊員が通信で禊に聞く。
「あぁ。大丈夫だ」
「わかりました。脈拍、呼吸ともに安定――」
パークの真ん中に護が立っている。
「怠惰」
「あ、傲慢……」
護のもとに裏拏が歩み寄る。
「緊張しているのか?」
「そうじゃないけど、なんだか今日は気分が良くてね。睡魔が全然いないんだ。不思議だね」
「普通、10時間寝てたら日中は冴えてるだろう。今何時だ?」
「3時52分。実行はヒトロクマルマル」
「あと8分か」
裏拏は後ろを向くと持ち場に戻った。
「見えてきました!」
通信機器から声が聞こえた。曇り空の隙間から赤い光が見える。
「……怠惰の罪を問う……。能力全開!」
護の頭から木のような角が生える。角の間に六角形の結晶ができ、どんどん大きくなり、角の上で浮かぶ。強い光など周りに一切無いのに、結晶は虹色に反射して白く輝いていた。
通信機器から、
「3……2……1……接触します!」
ゴーンと鳴り、結晶に隕石が当たる。
「うっ……く、ぐぐ……うおぉあぁぁぁ!!」
護は下を向いたまま両手を前に出し、結晶が隕石を少しずつ押し返す。
「くっそ……こんっなに、つらいの……ひっさびさ、過ぎ、て……最高だよ……! っはぁ、ほんっと……思わず、にやけちゃう……よ! ほんと、俺……キモ……! くっそぉぉぉぉ!! 重過ぎんだよこれ! 裏拏! 早く……しろ、っちゅぅの!」
「何時にもまして口数が多いな!」
裏拏が切りかかろうとしたとき、
――バシッ
鞭のようなものが裏拏の腹を打ち、柔らかい腹にそれが食い込んだ。
「――っかはぁっ」
「裏拏……!」
裏拏は地面に叩きつけられ、大きな音と共に砂煙が上がる。
「おいおい……まじかよ……」
隕石から赤黒く、鼓動と共に橙に光る触手が四本出ていた。
「隕石から出しても極秘はすぐに動けないんじゃねぇのかよ……?」
触手は結晶に向かって真っすぐに刺さる。
「バカ! やめろ! 割れる割れる割れる割れる!! やだやだやだやだやだやだやだ!!」
ピシッと結晶から音が鳴り、触手が結晶を貫く。
―――ドシュッ
触手三本が護の体を貫く。
「あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「護!」
モニター越しに禊が叫ぶ。
「いだい! 痛いぃ! うわぁぁぁぁぁぁぁ!! おのれおのれおのれおのれおのれ!!」
結晶がもう一枚貼られる。
「はぁなぁれぇろぉ! 離せ離せ離せ離せ! 体ん中で触手動いて気持ちわりぃんだよ!!」
その時、
「はぁ……っ!」
護はもう一本の触手が向かってくるのがわかった。
――ズチュッ
生々しい音と共に大量の血と脳が一部、地面に飛び散った。
「あっ……あ、あぁぁ……」
恐る恐る目を頭に向ける。
口は何かを言っているが、ただパクパクと動くだけで、言葉になる声なんか全く聞こえない。
「か……ゴフッ、がは、……く……うぅぅ……」
大量の血が口からあふれ出た。
ゆっくりと目を閉じようとすると、
「護さん!」
通信機器から稔の声が聞こえた。
「護さん護さん護さん!」
シェルターで通信機に呼びかける稔を、避難者は心配そうに見つめていた。
護の前に出していた腕から力が抜け、吊るされただけの操り人形のようにゆっくりと腕が落ちる。
「護さん!!」
「……ごめ……なさ、ぃ……エドが……遊びに……帰って、きちゃっ……た……」
ガクッと膝を折ると、そのまま横に倒れた。
本支部にいる者、護の周りで待機していた者皆が皆、あまりの状況に息が出来ずにいた。
「くっ……」
禊が唇を噛んだ。
「作戦変更! 殺欺! 今すぐあの岩を砕け! タチキリ出動! 今すぐ!!」
「は、はいぃっ!!」
「くそっ。護にもタチキリを使わせておけばよかった。予想以上にあいつ力をつけたな、千年前とは比べ物にならん」
「タチキリ、到着しました!」
殺欺はタチキリを握ると、
「ふぅ……」
銃弾の雨の中、立ったまま頭を垂れ、
「……ククク。やばいやばいやばいやばい!! 血ぃ見ちゃったよ禊!」
「殺欺……」
「ねぇねぇ。発作起こっちゃったんだけど。アレ、壊していいよねぇ?」
「今すぐ壊せ」
「了解っ★」
瞳孔の開いた殺欺が走り出す。
「うおぉりゃぁぁぁ!!」
―――キィィン
触手とタチキリが接触する。
「うわっなにこれ固っ! マジせこいんだけ……どっ!」
何度も何度も触手とタチキリが当たる。
「なかなか石破壊できないよ~」
―――ズシュッ
触手が殺欺の右腕にかすった。
「痛っつ……触手かすった。あ~ぁこの腕、使いもんにならないや。なら取っちゃうか。ぶら下がってるだけも邪魔だし」
左手で右腕をつかむと、そのまま右腕を引きちぎる。
――ミヂミヂミヂ、ブヂュッ、ゴリッ…
ボトリと音を立てて右腕が地面に落とされる。
「ふぅ~、少し楽になったかな」
楔荘の地下でエネルギーを貯めている禊子が、モニターで殺欺の様子を見ていた。
「あの右腕、結構なエネルギーになりそう……」
禊子は舌なめずりをした。
―――ガキン
「岩に到着ぅ」
タチキリを大きく振り上げる。
「よい……」
殺欺は全身に力を籠め、タチキリが振り下ろされる。
「しょぉぉっとぉぉ!!」
―――ギンッ
ドォンという大きな轟音と共に岩が砕け、辺りに散る。殺欺はため息をついて頭を上げた。
ふと、砂煙の中から幾つもの触手の影が見えた。
「……あ」
殺欺は何かに気づき、後ろを向き逃げ出そうとしたとき、
―――ギュンッ
触手の一本が高速で近づき、
―――グスッ
殺欺の左腕を貫く。
「あ゛っ……!」
触手が大きく波打ち、殺欺が宙を舞う。
「ちょっとちょっとちょっと! 取れちゃう! 僕の左腕!」
―――ブチッ
殺欺の左腕が肩からもげる。
「あ、あぁぁ……」
真っ逆さまに落ちていく。
ドスッと鈍い音と共に体に大きな振動と衝撃が入り、体にひびが入りそうな激痛が身体を走る。
「返せ~~~~~~!」
触手は叫ぶ殺欺の首をつかむ。殺欺の体がゆっくりと上がり宙に浮く。触手は殺欺を振り回し、地に叩きつけ、建物に打ち付ける。そして、殺欺を高々と掲げ、三本の触手を殺欺に向けて構える。朦朧とする殺欺はハッと我に返ると歯を食いしばり、
「七穂ちゃ――ん!! 僕ごと打って! いいから早く!」
殺欺は声を張り上げて七穂に呼びかける。
今まで姿を消して隠れていた七穂がハッとする。対極秘用銃を握る手はじっとりと汗をかき、己の判断の合否に怯え震えていた。
ノイズ交じりの声が通信機器からする。
「だ……丈夫。だってぼ――不死……から、痛いの、へーき。お願……撃って――」
震える手で対極秘用銃の銃口を殺欺に向ける。禊はモニターを見ながら舌打ちをし、
「あんの馬鹿……。いくら不死身だからって、弱ってるときにあんなの食らったら一溜りもないぞ……」
「え、禊さん、今なんて……」
稔は通信機に聞き返す。
「そのままだ、稔。また戦力を失うのはつらいな……」
七穂は標準を殺欺に合わせる。
「ごめんなさいっ!!」
七穂は目を瞑り引き金を思い切って引く。
パシッと音がして、殺欺の体が一跳ねする。
「――――――――!!」
極秘から声になるようなならないような絶叫が聞こえた。それと同時に、ちぎれた触手と殺欺が落ちて行く。
ヘリの上からケイが舌打ちをした。
裏拏の通信機に禊の声が入る。
「……裏拏、動けるか」
「あぁ、禊。……いや、怨」
本支部の操縦室がざわつく。
「怨? 怨って確か、本支部長だよな」
「あぁ、この組織を立ち上げた人……」
「じゃあ禊さんは少佐じゃなくて、実は本支部長だってこと!?」
すると裏拏は静かな声で、
「怨、全部切っていいよな」
「あぁ、任せる。ケイ、お前の声で砂煙を掃え」
「オレの真骨頂は声じゃないんだけどな~」
「いいからやれ」
怨の声が一層低かった。ケイは呆れた様子で乾いた笑い声を漏らすと、
「……何、今更後悔してるの? ダメだよ~本支部長。オレらに契約してくれた人たちの事考えて~。……今は過程よりも結果が重要なんだよ。じゃないとほら、あのコストにうるさいおばさんに怒られるよ。また大赤字だ! ってね☆」
怨の中にふつふつと怒りが沸き上がった。
「大丈夫、オレら七罪は七人で一人なんだ。聖霊も同然なんだから死にゃあしないよ。まぁ、傀儡は多少有限だけどね」
ケイは怨をなだめるように言った。
立ち込める煙の中で極秘は命の灯を大きく燃やしていた。
ケイは大きく息を吸い、ピタリと止めると極秘に向けて大きく口を開けた。風の轟音があたりに響く。裏拏はつらそうに耳を塞いでいた。
あっという間に砂煙が消え、出てきた極秘は赤い何かに包まれていて、姿形は確認できなかった。
極秘の姿を捉えるなり、裏拏が姿を消えた。いや、消えたのではなくマッハで移動しているのだった。
「タチキリ、いっきます!」
タチキリが裏拏の手に渡る。
極秘の周りを光が走る。タチキリの光によるものだ。
―――キン、ギッ、ギシュッ
触手も負けずと高速で動く。
―――ピシュピシュ、パシュッ
裏拏の足に触手がたくさんかすり、血が噴き出る。
「こいつ、我々の弱点を知っているな」
触手の一本が他とは違う動きをし、裏拏の足に当たる。
―――ビシィッ
裏拏は勢いで自ら地に突っ込む。
ガラガラと岩の間から裏拏が急いで這い上がる。すると触手が裏拏の両足首をつかみ、逆さまに吊り上げた。
「隙ありっ!」
ケイがバズーカ砲を極秘に打ち込みまくる。
「戦車隊、火力最大で打ち込め!」
「禊さん、もう銃弾の残りが……!」
通信員が焦りだす。
「本艦防衛用も予備も全て使え! 何が何でも極秘を押さえるんだ!!」
禊が戦車隊に命令する。
「一番用意~。放て!!」
戦車は次々と攻撃していく。
「弾を込める速度を上げろ! 指定ラインよりも近づくなよ!」
禊は焦りを隠せないようで、苛立ちを見せながらモニターを見つめる。
「修理の終わった戦車からどんどん出せやー! エンジン動かんでも銃ぶっ放せればええんや! 口径が小さくても出せ!」
歩兵のアーサーが頬の泥を拭いながら戦車の整備を指揮する。
「どうや?」
アーサーが一人に尋ねると、
「人手をください、本支部機体整備士でもこれくらいはできるはずですから」
眼鏡の男性が整備し終わった戦車を軽く叩く。
「一台終わりました! 出てください!」
「よっしゃ、じゃあ俺が……!」
アーサーが側にあったバーベルを持って前に出る。
「いけません! 今回の命令で我々は出ていけないと言われたでしょう!?」
「見てられっかよ!! だったらせめて機関銃の一つや二つよこせ!」
「相手は極秘です! 紛争地帯の人間でも難民でも、テロリストでも殺人鬼でもないんです! 禊さんに敵わない相手を我々が相手にできるわけありません!」
その言葉にアーサーは悔しそうにバーベルを持つ手に力を入れた。
「我々の戦場はここです。一発でも多くの玉を極秘に当てること、それが最も彼らと共に戦うに値するんです」
男性はアーサーの肩に手を置く。するとアーサーはその手を振り払い、
「おいそこ! 足に油なんざ刺さんでええんや! 少しくらい足が遅くなってもええからとにかく弾積め!」
アーサーは次々に命令していく。その様子を見て、男性は満足げな顔で工具箱を抱え、壊れてやって来た戦車の方へ走って行った。
組織の陸上隊も弾の一つも惜しまずに攻撃する。ケイの放ったバズーカは中心部に当たったが、効力が発揮できておらず、触手は器用に弾を弾き返す。
「なにこれマジありえんし……」
ケイは悔しそうにバズーカ砲を足元に置く。
触手が二本ずつ、裏拏の両足に刺さる。
「うっ……」
ぐちゃぐちゃと音を立てて裏拏の足をえぐる。大量の血が噴き出て、切れた血管が傷口からはみ出ていた。
裏拏の足に触手が巻き付くと、みしみしと音を立て、骨をへし折ろうとする。
「うっ……あっあっあっ、離せ、や……嫌だ……!」
―――ボキボキバキッ
骨が粉砕したのがわかった。
あまりにも酷い光景に、裏拏は気絶した。そしてそのまま放り投げられる。
するとしびれを切らしたのか、対極秘サブマシンガンを両手に前へ構えたケイがヘリから飛び降りる。
「おぉりゃぁぁぁ!!」
何発も極秘に打ち込み、空中で一回転して着地する。
「あらよっと!」
次々とマシンガンで撃って行く。
「おいお前! 全部触手で消すとかせこいぞ! 元ヤンなめんなよ! 紳士なら正々堂々と戦うもんだろーが!」
身軽に触手の攻撃を避けていく。
「ナナちゃん! あの中心ねらえ! いかにもって感じのアレ! とにかく撃て!」
七穂はしかとうなずくと銃を構え、極秘本体らしき部分に撃ちまくる。
撃っていくうちに、ケイは何かを感じた。
「はっ!」
触手が七穂に向かっていく。
「ナナちゃん伏せろ!」
「えっ……」
一瞬、時がゆっくりに感じた。七穂はこれが最後かと心の隅で思った。だが――
―――ズチュズシュグシャッ
恐る恐る目を開けると、目の前にケイがいた。影で顔はよく見えなかった。だが、触手が三本ケイの体を貫通し、一本が首を貫通しているのはわかった。
「ケ……イ……?」
「……ゴフッ、ぐっグブ……」
ケイの口から血が溢れ出る。
「……撃て、怨……たいほ……ぅ……」
「そんな……禊さん!」
稔が禊に向かって呼びかけるが、
「……用意」
「な、何で!?」
「稔。これはアイツの意思だ。アイツの紳士としての威厳だ」
「でも……」
「大砲用意できました。いつでも撃てます」
禊の手に鉄の棒が刺さり、針の付いた接続器が首の後ろから脊椎に突き刺さる。禊の血肉はエネルギーと化し、骨は槍のごとく鋭さを増す。
「血液充填完了」
「着火!」
「着火」
血のように赤い光線が極秘に当たる。
―――ズドォォォン
強風が七穂を襲う。
「うっ……」
七穂は目をぐっとつぶる。
「……極秘を包む触手、はがれません」
「まだか……!」
禊は唇を思いっきり噛み、下唇から血がにじみ出る。
モニターに高速で動く赤いものが映る。
「あれはなんだ!?」
「禊子!」
禊が身を乗り出す。
禊子は一直線に極秘に向って走る。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
途中で破損して潰れた戦車を数台つかむと、極秘に向かって投げつけた。
触手は紙をつぶすように戦車を砕く。
大きく飛び跳ねると極秘の中心の上に乗り、極秘を包む触手に噛みつく。
「うぅぅぅぅ! ん~~~~~~!!」
引きちぎり、かみ砕き、それを飲み込む。
禊子の髪が伸び、極秘を触手ごと全部包み込む。
「アイツ、自爆するつもりか!」
「ユルサナイ! ユルサナイィ!! コレ以上、ボクカラ奪ウナァァ!!」
通信機器から、禊子の幼くも力強い声が聞こえる。
「禊子ちゃんダメ!!」
七穂が手を伸ばす。届かないとはわかっていた。
カッと髪が赤く光ると、大きな振動がして髪から黒い煙が出た。
髪はシュルシュルと元に戻り、ゴッと鈍い音を立てて禊子が地面に落ちる。
華の蕾が開くように、極秘の中心が開く。触手の数は八本。うねうねと炎が上がるかのように、煙の中から触手の影と赤い光が見える。光は鼓動のように脈打つ。
触手の一本がケイを抱き上げた七穂に向かう。
「ハッ……!!」
七穂の目に触手の赤い光が映った。
禊は立ち上がり、
「私が行く」
「禊さん!」
シェルターから走って来た稔が禊のいる所までやって来て、禊に抱き付いた。
「離せ稔。このままだとお前も他の者も死ぬぞ」
「でも……!」
禊はため息をつくと、稔の肩に手を置き、
「頼みがある。琉子と成則と共に居て二人を守れ。楔荘の地下シェルターに居る。榊も居るから大丈夫だ」
「禊さん……」
「これは本支部長怨からの命令だ。命令を無視したらどうなるか分かっておるだろう」
「……了解しました、本支部長官怨殿」
涙で濡れた目を手でごしごし拭く。
禊は本支部の貨物用シャッターから真っ逆さまに外へ落ちる。
両腕にひびが入り、鱗だらけになる。その鱗がパラパラとどんどん剥がれていき、白い右腕と黒い左腕の大腕が現れる。
―――ズドォン
禊が着地する。ゆらりと立ち上がり、極秘を睨む。
「よぉ、禊。久しぶりだね」
黒髪に赤いアジアの民族衣装の青年が立っていた。背中から触手が蠢いている。
「久しいな、嫌好。千年ぶりか」
「あの時はよくも俺を追い出したな。それに……二千年前はよくも皆殺ししてくれたな。本当、あのこと考えると虫唾が走ってしょうがない。でも昔と変わらない顔だね。そこは大好きだよ、禊」
嫌好は冷たい作られた笑顔を向ける。
「話はそれだけか」
「いいや。実はね……ただ戦うだけじゃ禊は本気出してくれないと思って、ほら、こんなの拾っちゃった。どう?」
触手でつりさげられた七穂の細い腹に触手の先端が刺さり、赤い血の珠が腹の上を滑る。
「貴様ぁぁぁぁぁ!!」
「お、やっと怒った。さすが憤怒」
禊は七穂に飛びかかり、七穂を救出し安全なところへ寝かせる。
嫌好の前に再び禊が現れる。
「どーせさっきのやつらと同じように弱いんでしょ」
触手が高速で禊に向かって飛んでくる。
―――ガアァァン
金属音のような音が辺りに響く。
禊は直立不動のまま左手で触手を抑え、握りつぶした。
嫌好が触手を引こうとするが、びくともしない。逆に、禊に手前に引かれ、額と額が付きそうなくらいまで引かれた。禊は右手で嫌好の顔をつかみ、左手で触手を一本引きちぎる。
「……あと八本……」
「九本だって知ってたんだ……隠す必要ないじゃん」
嫌好が急いで後ろへ下がる。
「こんなの再生すれば……アレ?」
「無駄だ。私の毒化した血をお前に大量に浴びせてある」
「ケッ……!」
禊が嫌好に飛びかかる。
―――ズドォン
ただただ殴る。嫌好は触手でガードする。
禊はその触手をつかむと、一本ずつ両手で引きちぎっていく。
「……あと七本……六本……五本……」
禊の顔面が嫌好の返り血で真っ赤になっていた。
「やめろぉ!!」
嫌好の触手の一本が禊の頭に刺さる。
ようやく獲物を捕らえたように嫌好は笑みを浮かべる。
「お前ん中、全部見せてもら――!」
嫌好は禊の頭の中を読み取ろうとした。ふと、目の前に知らない顔が現れた。真っ黒い大きな目玉がこちらを見つめている。目玉はニンマリと企んだ様子で笑うと、そっと手を伸ばして来た。嫌好は急いで後ろに下がった。
「あ、あぁ……な……なんなんだよお前! おま……誰だよ!!」
禊はカッと目を見開く。
「な……何で動けんだよ。頭ん中見てっ時は動けないんじゃ……!?」
「だからなんだ。それに、私は禊じゃない」
「じゃあお前誰だよ!」
「怨……[[rb:祓壊手 > ふっかいしゅう]]怨だ。貴様の知る私はいない。貴様が殺した」
「は……何言って……?」
「貴様が殺したのは禊の一部だ。それを全部殺したら、禊はもう……!」
「やめろ! それ以上言うな……!」
禊は頭に刺さっている触手を引きちぎる。
「あと四ほ……」
触手が禊の体を打ち、体が吹っ飛ぶ。瓦礫に埋もれた禊の頭を触手で押さえつける。
「だったら……俺が作ってあげるよ。禊を……昔の頃の……」
触手に力を込める。禊が触手を引きちぎろうとするから、嫌好は禊の頭を潰した。
ゴトリと音を立てて禊の腕から力が抜けて落ちた。
本支部、第二本支部、日本支部、全ての支部がその光景に絶句した。
「――全く、面倒な方々ですこと。私、存在の罪にはなりたくありませんのに……」
表子は持っていたティーカップを机に置くと戦車の間を歩いて禊の方に近づいていく。
「タチキリ、お願い」
「了解しました」
タチキリは表子の手の中に入ると静かに光り出した。
嫌好は禊からそっと離れていき、血に濡れた自らの手を眺める。
「ハハ……フハハッ……!」
その手で顔を撫で、血の匂いを嗅いだ。
「やっと、やっと復讐を遂げた!! みんな見てるか? 俺がこうして生きる意味を目的を汲む事が出来たんだ!! これで次の願いを叶えられる……理想が現実になるんだ! 決して無駄死にでは……!」
ハッとして嫌好は辺りを見回す。そして何かが無いことに気が付いた。
「……おい、遺体はどこにやった?」
地面に血の跡はあるが、体が無かった。
「どこにやったんだよ!? このままじゃ……禊は、禊は元に戻らないじゃないか!!」
頭を抱え、怒りに震える。
ふと、背後に何かを感じゆっくり振り向いてみた。その心に少しだけ希望があったが、真実という闇はその希望を喰らってしまった。
背後にいた何かを見て、嫌好は声がまともに出ず口がパクパクいうだけ。恐怖からなのか、興奮からなのか。
残りの触手が何かに向かって進む。
だが、大きくなった左手に鷲掴みにされ、残りの触手全て引きちぎられた。
「あがっ……」
嫌好はその場に倒れこんだ。
倒れた嫌好の側に何かがしゃがむ。何かの顔は黒い髪で隠れていて見えなかったが、隙間から翡翠色に光る眼が覗き見ていた。
「何……で……お前、死ん――」
舌がうまく動かなかった。目の前の、存在してはいけないはずの何かに出会えたことへの幸福と、存在に対する恐怖で金縛りにあったようだった。
遠い北の大地、一人の女がウォッカの入ったグラスに口をつける。
「存在してはいけない化け物。願いが願いじゃなく叶ってしまった……悲しきも哀れな化け物。本当、何のために存在しているんだろうね、アラン」
「そんな難しい事聞かれても……。俺、哲学だけは苦手だな、ローマの血が流れてるけど。ねぇ、マーリン」
「そうか? ……日本は大丈夫だろうか」
「大丈夫でしょ。なんたって禊の事なんだから」
「そうか。ウォッカのおかわりがほしいな」
「飲み過ぎはダメだよ~」
そう言いつつ、イタリア人の男はグラスにウォッカを注いだ。
何かは嫌好に覆いかぶさり目前まで顔を近づける。闇に覆われた顔は表情が読み取れず、裂けた口からは赤黒い舌が覗いた。生臭い息が鼻にかかり、脂汗がにじみ出た。
「……ア゛ア゛アァァァ……」
かすれた化け物の声が細い喉から聞こえた。そして、何かは舌なめずりするように笑った。
いや、笑って見えただけかもしれなかった。
「……哀れな罪人よ……」
罪とは
生きていく中で必ず背負うもの。
他の命を喰らい自分の命を長らえる。
食物連鎖。
ウロボロスの法則。
矛盾。
世界は全てで構成されており、一つでも抜けるとそれは崩れてしまう。
誰かがいるから自分がいる。
「汝よ、隣人を愛せ」
とある聖者はそう言った。
山羊が罪を背負う理由。
それは誰も知らない。
だが、知っているものは一つだけいる。
山羊の生きる唯一の糸。
どんなにボロボロでも、それだけがあれば、意味となる。
御神。
全てで全てでないもの。
罪を背負うのは楽じゃない。
そりゃそうだ。
現にこんだけ背負ってる。
でもそれは山羊の意思。
かっこいいからじゃない。
けじめみたいな、そんなとこ。
誰かに理解されたいだなんて図々しいことは思わない。
だって、御神と俺のためだから。
でもその分、願いは叶った。
長生きすること。
雌雄同体になりたい。
誰かを守れるようになりたい。
でもそれで何かを傷つけるのは嫌だ。
わがままだな。
人間なんだから、欲深いのは元々。
文句があるなら先祖に言ってよ。
苦情は受け付けてないんだ。
また薀蓄を聞かせてあげるよ。
次は何にしようか。
東方の神話?
北の伝説?
月のおとぎ話?
それとも、俺の罪について?
うん、そうしようか。
かなり長くなるけど、知らないよ。
寝ないで聞いてね。




