第二十七話 覚醒
空気が乾燥し始めてきた。
月がよく見える晩。
「チャオチャオ~! 僕僕、アランだよぉ♪」
「モイモイ、フラン・シウムで~っす……」
なんかまた面倒な二人が楔荘に押し掛けてきた。
「と言いたいとこだけど……」
アランさんのテンションが急に下がった。
「禊、仕事手伝って」
「……へ?」
禊のじゃがいもを頬張る手が止まる。
「お願い! 農業は何とかなってるんだけどギリギリ。でも財政難がヤバくて~!」
「このままだとパスタ食えなくなる……!」
「第三次産業とかあーだねこーだねウンタラカンタラで!」
「#$’&&’”’$”$=’&%%$~”||=$!」
もう何言ってるか分かんない!
「えぇ~やだよー、円香貸すから自分らでどうにかしてよ」
「そんなぁ! 最近気候変化激しくて困ってるのに!」
「お願い禊。僕、禊の為なら何でもする」
「ならお前らでやれよ」
「今度イタリアのヴェッラな女の子紹介するから~!」
「なら引き受けよう!」
えぇ!?
禊はじゃがいもを頬張ったままイタリアへ行った。
そしてなぜかロシアに拉致られ鉱山の仕事を引き受け、その後アメリカでご飯食べてたらUMA発見。色々ごったになって、一か月くらい帰ってこなかった。
「静かだ……」
普段なら先輩と禊と嫌好の騒ぎ声の響くリビングが、俺一人だけでひどく静かだった。
スマホがメールの着信を知らせる。
「……あ、禊からだ」
『よぉみのっち! あともうちょっとで帰ってこれるんだが、いまエジプトのピラミッドの中にいてな、王様の幽霊に捕まってよぉ、もう少し話していけっつぅんだ。で、これがその写真。お土産は猫のミイラでいいか? あいや、フィリピンよるからマンゴー買ってくるわ』
メールをスクロールして最後に添付された写真を見て、
「ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
数日後――
「ただいまー!」
「あ、禊おかえ――」
禊が俺に向かってダイブした。
「いってて……」
「みのっち~会いたかったぞ~」
禊が俺を強く抱きしめる。
「禊!?」
「あー、この感覚……落ち着くー」
……まんざらでもないな……。
すると嫌好がやって来て、禊に抱き着くとこちらを睨み、
「禊から離れろ」
「くっついてんのは禊! 俺は何もしてないから!」
嫌好は俺に向かって唸った。
「よいしょ……」
禊は立ち上がり、
「疲れたから寝よ」
「あっ禊、俺も一緒に……」
嫌好は急いで後を追うが、
「嫌好は俺の部屋に入るな」
「えぇぇー」
なんだかんだで、やっぱりこの騒がしさが一番……
「稔ー! シャンプー切れた! 替え取ってー!」
「あー、ハイハイ!」
風呂場にいる先輩に呼ばれ、渋々向かった。
朧月夜。
「禊! 勝負だ!」
「……はあ?」
豆の缶詰を食べていた禊が、スプーンをくわえたまま反応する。
「だから、俺、禊に負けてばっかだし1000年前も負けたし」
「はあ」
「だからこれで勝負」
嫌好がお神酒を出してくる。
それいいの!?
「え、嫌好、それだめじゃね……?」
姉ちゃんも動揺気味。だけど、よく見たら顔に飲みたいって書いてある。
「七穂も飲む?」
「うん」
「姉ちゃん!」
「禊、飲まないと禊の黒歴史暴露……」
「あーわかった! 飲むから!」
禊はため息をついて髪をかき上げると、缶詰とスプーンを置いて嫌好の方を向いた。
「じゃあルール。一緒にお猪口一杯ずつ飲んでいく。俺も禊も弱いからすぐにダウンすると思うけど、先に寝た方が負け」
「っしゃおらかかってこいやぁ」
禊は膝を叩いた。
「もー、パパりん無理しないでね」
「じゃ私は飲みながら審判やる」
「あまり無理はなさらないでくださいね」
成則さんが雑誌を読みながら言った。
まず一杯目。
「っはぁ!」
「っく……」
二人とも顔をしかめて飲み込む。
「うわぁ、やっぱ酒まずいよ……。俺、チューハイがいい」
禊が冷蔵庫に向かおうと立ち上がると、
「禊、弱音吐かない」
嫌好が掴んで座らせた。
二杯目。
「うえぇ。チューハイ……」
「禊」
三杯目。
「うぅ……なんか、上がってくる……」
「大丈夫。一緒に、苦しくなろ……」
「ちょっと、意味深な発言やめて!」
思わず突っ込みを入れてしまった。姉ちゃんも程よく酔いが回って来たのか、いつも以上にニコニコしている。
四杯目。
「もういやだぁ」
「禊、もっと嫌がって……苦しんで……」
「あのー、ここに変態がいるんですけどー」
五杯目。
「うヴぇぇぇ……うっうっ、チューハイ飲みたいよぉ」
「もっと泣け、禊」
「この人、禊に恨みでもあるの?」
「これ以上パパりんいじめたら中華鍋で殴るわよ」
六杯目。
「うぅぇ……気持ち悪い……グルグルする……」
「……」
さすがに限界か、嫌好が黙る。意外にも禊は意識がはっきりしている。
七杯目を飲んだ時、
「もう無理! ねぇ俺の負けでいいからもうやめようよぉ!」
禊が泣き泣き弱音を吐く。
禊はギブアップか、そう思ったとき、
「禊……」
「え、なに!? まだ飲むの!?」
ゆらりと嫌好が立ち上がり、椅子に座る禊を机に押し倒した。
――ゴンッ
禊の後頭部が机に衝突。
「いっだい! なにすんっ……!」
「あ」
思わずその場の成則さん以外が呆気にとられる。
嫌好の唇が禊の唇に重ねられていた。
琉子先輩の顔が青ざめる。
「……ん……んんん! ん゛ん゛! ん゛~~!」
禊がパニックになる。手足をばたつかせるも、無駄な抵抗だった。
「パパりんから……パパりんから離れなさいよ……!」
先輩は中華鍋がへこむ勢いで嫌好を殴った。
――ッコォォン!
次の日の朝。
「うぅ……頭痛ぁい」
禊が頭を抱えてやって来た。
「禊、おはよう。嫌好は?」
「はよ……。まだ俺のベッドで潰れてるよ。てか、何で一緒のベッドなんだよ」
「いや、なかなか禊のこと離さないから……」
「おかげで悪夢にうなされたよ」
苦笑いしかできない。
「っつぅ……」
長い前髪をかき上げる。本当、真っ黒な髪。
背は俺より10センチくらい小さい。167くらい? でも大人なんだよな……多分。手足細い……手、意外に大きいし、指がきれい。腰広いし、なんだか男と女の中間みたいな体系だな。しかも細い。
……って! 何考えてんだ俺は!
でもなんだろう。なんか、妙に抱き付きたいっていうか……。
体が勝手にうごいて、
「んだよみのっち、急に人に抱き付いて」
「え!? あ! ご、ごめん!」
「パパりんから離れろゴルァ!!」
先輩がフライパンを俺の顔面向けて投げる。
「ひっ!」
思わずしゃがみ込んだ。
――コォォン
フライパンが禊の後頭部にぶち当たる。
「ぱ、パパりん!!」
禊が倒れる。
「パパりん! 嫌、死んじゃいやぁ!」
「琉……子……。俺がいなくても……いい子にしてるんだぞ……」
「パパりん!」
だ、大丈夫かな……。
「かわいい愛しの娘よ……ガクッ」
「パパりん!」
いやいや、目回して気絶しただけだから。
すると先輩はキッとこちらを睨みつけ、
「全部あんたのせいよ!」
「えぇ!?」
とりあえず寝かしておくことにした。
夜――。
禊の事が気になって寝付けなかった。夜風に当たろうと思い、屋上へ出てみた。
するとそこに禊がいた。
「ラ……ララ……ふんふふ~……」
鼻歌を歌ってる。ちょっと驚かせようと思って、背後に忍び寄ると、
「……なんだ稔か」
背中を向けられたまま声をかけられた。
「ばれちゃいましたか」
諦めて笑いながら顔を覗き込むと、
「ばれるも何も……存在の罪だから」
「え?」
こちらを向いた顔は正に禊ではあったが、少し違うようにも感じられた。
「よお、初めましてだな。存在自体が危険と言われる、存在で~す」
それは怪しく悪戯に笑った。
「いやぁ、今夜は良い月だよ。稔、君が鍋を避けてくれたおかげで目が覚めたよ、ありがとう」
「な、なにこの人……」
「え。だからぁ、存在。みんなそう呼んでる」
禊の笑い方はいつもと違って、とても不気味だった。理解が追い付かず黙っていると、
「まあいいや、しばらくよろしく」
月光に照らされて、より一層怪しく見えた。
「アッハハハ!」
禊……じゃなくて、今は存在か。そいつは俺の膝の上に座って、アイスを食べている。
「いや抹茶アイス最高だわ~、怨もこれ好きだったな~」
「えっ?」
「怨、抹茶好きで一時期大変だったから」
そっか。怨さん、抹茶アイスが……。
「そんな事よりさァ」
「え」
「君、なかなか好みだな~」
「え!?」
「だから……殺しちゃおっかな?」
「え?」
じっと目を覗き込まれる。真っ黒い目は光も闇も何もかも吸い込みそうなほど深く、意識を持っていかれそうだった。
「俺の趣味だよ。好みの人間は片っ端から殺していくのが趣味でさ、冷たく動かなくなったぬいぐるみみたいな人間の死体を、ベッドに並べて寝るのが好きなんだよ」
とんでもない趣味! この人やっぱ危ない!
「あ、そうそう。みんなのプロフィールの書き方変えたから。各職場で人員に偏りがあったから、配分見直してみた。楔荘の人間は移動してないから別に見なくてもいいけど、稔、一応確認してごらん」
「あ、うん」
タブレットを受け取り、スライドしていき確認する。
「パパりんそんな趣味持ってたなんて……私、パパりんに殺されたい!」
先輩が黄色い声でそう言いながら、存在に抱き着いた。
「残念ながら女の子を殺す趣味はないなぁ。女の子は生きてる方が好きだから、ほら琉子、笑ってー」
「パパりんだぁいすきぃ!」
「ちょ、先輩、重い……」
先輩が存在の頬で遊ぶ。
「わ~、プニプニ!」
「とても良い気分だ、もっとプニるがいい」
「ちょっとタブレット借りますね」
「なんならデータを稔のパソコンに送ればいい」
そっか。
データを俺のパソコンに送る。
「部屋、戻るんで」
「うむ。琉子~」
「パパり~ん」
バカップルみたいだなぁ、あの二人。
部屋のパソコンでデータをよく見てみる。
「内容はあまり変わって……」
自分の情報部分だけ、明らかに今までと違った。
何で? 他の皆のはほとんど変わってないのに。
「最重要監視対象……? なにこれ。七番目の矛盾した存在……両生類?」
意味が分からない。
その時、視界と頭の中が真っ白になった。
『稔』
母さんじゃない、別の女性の声。
『嗚呼、貴方は選ばれてしまった。可愛そうな子……』
優しい女性の声。
金の原が広がり、その向こうで赤い服の誰かが手を振った。
とにかく……本支部へ行こう。本支部の、極機密部。あそこに何かありそう。理由なんて無い、そこに行けと何かが言うんだ。
無造作に置いてあったカバンを持って、楔荘を出る。
「さてと、俺も行くか……」
存在はそっと立ち上がる。
「パパりん……?」
「榊! おい出てこい!」
「なんだよー、俺は引きこもっていたい……」
「いつまで仮面かぶってんだよ。いい加減目を覚ませ」
「ああ、何だ。今そっちなんすか。じゃあ俺もそろそろ仕事が来るってわけっすか」
「榊くん……? 目つきが、変わって……」
「行くぞ」
榊と存在は歩き出す。
「さあ、予言を処理しようじゃないか」
大きく裂けた口から赤黒い舌が覗いていた。




