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楔荘 序~七罪と戦争~  作者: 智額 護/作者 字
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第二十五話 ひぐらしの夕刻

 夕日の差し込む教室。

 俺は机に突っ伏していた。

 ふと、自分の右手を見る。拓海からもらった黒いリストバンドが目に入る。柄も何にもない、シンプルな物。

 文化祭の時、怨さんはこの右手を長い綺麗な指の大きな手で握ってた。思い出すと、耳まで赤くなりそう。

 顔を腕の中にうずめる。

「みのっち!」

 後ろから拓海が呼びかける。

「まだ帰ってなかったの? 早く帰らないと――あぁ、なるほど」

 拓海が悪戯ににやけた。

「なんだよ」

「お前もしかして、文化祭の時の、背の高くて髪を少し縛ってる顔の綺麗な、あの人の事思い出してたんだろ」

「ち、ちげぇよ! バカ!」

「顔に書いてあるぞ」

「うぅ……」

 拓海を殴ろうとしていた手がゆっくりと下がる。

「でも、もういないんだ……」

「え?」

「……まぁ、言わば、遠くに行ったっていうか……」

「仕事? それとも奥さんの元に帰ったとか?」

「……仕事でいいよ」

「あ、そう」

 しばらく沈黙が続く。

「なあ、みのっち」

「なに」

「お前のその、文化祭の時の人への気持ち、わからないでもないよ」

 思わず顔を上げた。

「おれ、姉貴が腐ってるからそういう薄い本見たことあるんだけどさ……いわゆる、BLってやつじゃ……」

「それくらいわかってるわ! おれの姉だって腐ってるし、ショタとかいうの好きだし……」

「まじか、お前も腐ってんのか。薔薇派? それとも百合……」

「お前脇腹つつき倒すぞゴラ」

 拓海がお腹を抱えるようにガードする。

「……まぁでも、あの人は本人じゃないから」

 拓海は首をかしげる。

「本人の一部で、なんていうか……」

「みのっち……」

 拓海が俺の肩に手を置き、

「中二病こじらせたか……?」

 拓海は情けをかけるような目で見てきた。

「お前マジで腹立つな」

「いやおれ、おまえに同情なんてしたくないし。おれ薔薇派じゃないし、腐ってないし」

「この百合派め」

 俺らはしばらくちょっかいを出し合って時間をつぶした。


 この気持ちは何なのだろう。愛おしような、懐かしいような……。

 恋とはまた違うのかもしれない。子が親を愛おしく思うそれと似ている気もする。

 ふと、また見覚えのないものが脳裏で再生される。ぼやけていてよくわからいけど、赤っぽい服を着た人。

『稔』

 低い声。男の人だ。

 その人は俺の頭を撫で、立ち上がる。背が高い。いや、俺が小さいのか。子供のように小さい。

『稔』

 母さんの声だ。今も昔もほとんど変わらない容姿。中年とは思えないくらい若く見える。母さんは俺の手を取って歩き出す。

 俺に父さんはいない。母さんが言うには、昔、病気で死んだって、それしか聞かされてない。遺品も何も、墓すらない。本当にいたかどうか疑うけど、俺と姉さんがいる以上いたってのは確か。

 もしかしたら、この記憶に時々現れる人が父さんなんじゃないかって、時々そう思う。

 ひぐらしは一日の終わりを嘆くかのように泣いている。

 通りがかった公園のベンチに座り、ひぐらしの声をしばらく聞いていた。

 何もかも忘れたい。

 心を締め付ける苦痛を取り払いたい。

 人を好きにならなければよかったのかな。

 ふとそんなことを考えたら、孤独という文字が目の前に現れた。

 どこか身に覚えのある、懐かしいもの。

 何でだろう。別に家で一人でいた事なんて無い。姉さんは部活に入らなかったから、俺の帰りが早くても夕方になれば姉さんが家にいた。母さんは仕事で家にいることが少なかったけど、俺は孤独ではなかった。

 じゃあこの感覚は何だろう。

 孤独が俺の肩に手を置く。そのあまりにも冷たい寂しさと冷酷さに、背筋が痛かった。骨の芯まで凍るようだった。

 考え事を振り払うように立ち上がり、楔荘へと足を向ける。

 途中、クレープやホットドッグを売っているワゴンを見つけ、金欠のくせにクレープを買ってしまった。

 怨さんにばれたら怒られるな、急いで食べなきゃ。

 そう思った矢先、怨さんがいないことにまた気づいた。

 そうだ、そうだよ。怨さんいないから、あの人の小言や説教に怯える必要なんてないんだ。夕飯前に買い食いしても怒られないんだった。俺を怒ってくれる人なんていないんだ。自由……なんだ。

 ぼろぼろ流れる涙を飲み込む勢いでクレープに食らいつく。

「何で……何で俺、泣いてんだよ……!」

 口の周りに着いたクリームに気を留めず歩き出す。

「こらみのっち!」

 怒鳴り声がして立ち止まる。

 振り向いたら、両手にスーパーの袋を持った琉子先輩がいた。

「せん……ぱい……」

「背中曲がってる、背筋伸ばせ!」

 先輩に腰を蹴られた。

「口にクリームついてる。買い食いしたでしょ! 夕飯前に買い食いはダメって言ったでしょ!」

 足元に買い物を置き、先輩がティッシュで拭いてくれた。

「私が我慢してるのに、何であんたが泣いてんのよ。ふざけんな、バーカ!」

 先輩に頬を思いっきりつねられる。

「い、痛い痛い!」

「バカバカ、バーカ!」

 でも、おかげで目が覚めたかも。

 先輩の手に触れると、バカと連呼していた先輩が黙った。

「ありがとう、先輩。おかげで目が覚めたよ」

「寝てたの? 護みたい!」

 先輩は笑った。多分、あえて笑ってる。

「はい、コレ持って」

 渡された買い物を右手に持つ。すると先輩はもう一つを左手に持ち替えて、空いた右手で俺の左手をつかんだ。

「帰ろう」

 手汗を気にするも、どこか怨さんっぽい琉子先輩を眺めながら歩いた。

「お~て~て~、つ~な~いで~」

 先輩は子供っぽく歌いながら歩く。

「今日の夕飯なんだろうね」

「そうめんとか食べたいですね」

「えぇ~、そこは蕎麦だよぅ!」

「そうめんです!」

「蕎麦!」

「何で蕎麦なんですか?」

「ん? ずっと側にいたいから!」

 先輩は飛び切りの笑顔を見せた。

「……上手いです」

「親父ギャグとか思ったな~?」

「そうじゃないですよ! 良い洒落だなって」

「嘘ついたら今度ケーキ奢ってもらうからね」

「えぇ~! 今金欠!」

「あんたの財布の事なんか知らないわよ」

「もう、そんなだから彼氏に振られたんですよ!」

「そ、それとこれは関係ないでしょ!?」

「男を財布だと思ってるからいけないんです」

「だってそうでしょ……」

「うわこの人酷すぎる! 悪女だ~」

「何よ! バカ!」

 橙色の優しい光は俺らを包み、影を長く伸ばす。

 何かが欠けたとしても、夕日はいつもと変わらず当たり前に、ゆっくり沈んで夜を迎える。

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