第二十話 名前を教えてよ!
組織の、幼く小さいできたばかりの孤児院に、7人の子供たちが連れてこられた。
一人は名を捨てたロシアの14歳の少女。
一人は親を知らないアジアの14歳の少年。
一人は親に捨てられた中国の12歳の少年。
一人は親を殺された混血の5歳の兄。
一人は親を殺された混血の3歳の妹。
一人は家を無くしたイタリアの10歳の少年。
一人は里親が消えたフィンランドの男の赤子。
ロシアの少女は高級そうな毛皮のコートに身を包んでいた。シベリアの大地を思わせる白い肌に、黒い木々のような髪、淡い青の氷の瞳を持っていた。元は貴族の生まれだったが、家は世の流れに耐え切れず壊れた。
アジアの少年は身なりが酷かった。一切手を入れていない髪、泥と垢にまみれた身体、折れて欠けた歯、歳にそぐわぬ小さい体。生まれた時からずっとゴミの山で生きてきた。言葉をほとんど話すことができなかった。彼の事で唯一わかることは、アジア人であるというだけだった。
中国の少年は全身が痣と火傷だらけだった。明らかに大人から受けたであろう体と心の傷は、彼の表情でわかった。大人にひどく怯え、他人を見る目は常に鋭く尖っていた。
混血の兄妹は手を固く握り、離そうとしなかった。常に明るく元気な二人だった。DNA検査の結果、恐らくスペイン人と日本人とゲルマン人の混血であろうとわかった。米系スペイン人であった母が、二人を女手一つで育てていたが、事件で射殺された。薬物中毒者による銃の乱射事件だった。
イタリアの少年はセレブの家の育ちだった。親の知り合いが亡くなり、残った子供を家族が引き取った。フィンランドの赤子だった。その赤子を引き取って間もなく、家は壊れ家族は海の底に消えた。
この子供たちはそのまま各孤児院にでも引き取られるはずだったが、そうではなくなった理由がある。
過去から囁かれてはいたが、組織の設立と同時に見つかりつつあった異能力者。この子供たちはその異能力者の中でも優れているとして、組織に引き取られた。優れているという事は同時に危険でもあるという事だった。強い能力を持っているからこそ、正しい使い方をしなければ害獣も同然であった。
小学校の中に住んでいるような空間だった。学校に家があるような空間だった。
「さあみなさん、新しいお友達ですよ! 仲良くしてくださいね」
シスターが子供たちに呼びかけた。
子供たちは元気よく返事をし、朝食を取り始めた。ゆっくり食べる者、早く食べ終わって遊び始める者、色んな子供が40名ほどいた。
それから身支度をして、別館に移動する。そこは学校になっており、それぞれが教室に入る。
新しく入った七人は学校にはまだ行かず、別の部屋にいた。ほかの子供とは違う部屋で、無機質だがどこか温かみのある白い部屋だった。ベッドも家具も人数分あった。
「にーに、おしっこ」
混血の妹が兄の袖を引っ張る。
「え? トイレ? えっと……」
困って辺りをきょろきょろしていると、一人の人が妹を抱きかかえた。
「便所か? 連れて行ってやろう」
兄はその人を見上げた。大人だろうか、その割には若く見えた。顔立ちは男性だが、後ろで束ねた長い黒髪のせいで女性にも見えなくはなかった。
トイレから帰ってくると、その人は七人の前に胡坐をかいて座り、ただ黙って眺めていた。
妹は興味津々でその人の髪を触っていた。
「なあ、お前、何?」
兄はぶっきらぼうに訪ねた。
「俺? 俺はお前らの保護者だ」
「ほごしゃ?」
その言葉に他の子供もその人を見た。
「うん、お前らの新しい親だ」
さっきまで表情はよく読めなかったが、そっと微笑んだ顔はとても温かかった。読めなかったのはきっと、前髪で顔の右半分が隠れていたからだろう。
「何で、何で今更……親とか、そういうのいらないから!」
中国人の少年は吐き捨てるように言った。
「うん、そうだね。俺も別に本望じゃないんだけど」
その言葉に少年は呆気になった。
「何言ってんのこの人……」
「あえて隠さず正直に言おう。まだ理解できなくていい。いいか、ここの施設の子供らは異能力者だ。特にお前ら七人の力は、放っておけば殺人鬼にでもなれるくらい危険だ。だからお前らを保護した。そして、俺はお前らと人間が安全に平和に暮らしていけるように、お前らを育てていくことにした」
七人は口を開けて見上げていた。
「俺の教育は厳しいぞ?」
その人は方眉を上げ、悪戯っぽく笑った。
混血の兄は孤児院の中を歩き回っていた。
色々な部屋の扉を開けては閉め、開けては閉めてを繰り返していた。
「何だこれ?」
階段下の収納部屋を覗く。
「秘密基地だ!」
目を輝かせて中に入ると、
「残念、そこにはガラクタしかねぇよ」
後ろから先ほどの人の声がした。
「がらくたぁ?」
「よく見ろ、掃除機だの石鹸だのが置いてあるだろ」
「うわ、埃っぽい!」
兄は逃げるように別の扉に近づく。
「開け閉めしてもいいが、中には入るなよ」
その人の呼びかけに一切耳を向けず、また別の扉に近づく。
「広いな~」
赤子を抱えて廊下を行くイタリア人の少年を見つけた。
兄は声をかけた。
少年の後ろにはいつの間にか妹がついていた。
「いつ仲良くなったんだ?」
「気づいたらついてきた」
妹は嬉しそうに少年の足に抱き着いた。
兄は妹の手を取ると、中庭を発見し走り出す。そこのベンチにロシア人の少女が座って本を読んでいた。
「なあ、それなに?」
尋ねられた少女は目だけを向け、
「……アーサー王伝説」
ぶっきらぼうにそう答えて本に目を戻した。
「知ってる! 俺も持ってた!」
兄はそう言って少女の本を覗き込もうとすると、少女は怪訝そうな顔で見つめ返した。
「にーに!」
兄を呼んで走りだした妹が、土からわずかに出た木の根につまずいて転んだ。
耳を刺すような甲高い大きな声が響く。
「な、泣くなよ。痛くないよ」
兄は一生懸命なだめるが、だんだん目に涙がにじみ始める。
「見せろ」
少女は割り込み、妹の体を見た。服に着いた泥を払ってやり、擦りむいた膝を見つける。
コートのポケットから塗り薬の容器を出す。
「それ何?」
「薬だ」
それだけ答え、妹の膝に塗ってやった。そして表情一つ変えず、頭を撫でてやった。
「ありがとう! お前、名前はなんていうんだ?」
兄は無邪気に問う。少女は締め付けられる胸に手を当てた。
「名前なんて、持ってない」
「ねえ、その薬買ったの?」
「……私が作った」
「どうやって?」
「庭で、薬草を取って、蜂蜜と、木の実と……油も、混ぜて……」
少女の声は湿っていて消え入りそうだった。
「マーリンみたいだね!」
「マーリン?」
少女は目を見張った。
「アーサー王伝説のマーリン! 魔法使いなんだろ? なら、お前魔女みたいじゃん! かっけぇ!」
“魔女”という言葉に心の古傷が痛んだ。だが、混血の兄の無邪気に輝く目を見ると、それを否定できなかった。
「じゃあさ、お前の名前はマーリンな!」
「マーリン……」
「俺、アーサーって名前、気に入ってんだ!」
「え?」
「俺の名前! アーサーって言うんや。妹はグィネヴィア!」
少女は二人の名前に少し驚いていた。
「母さんが好きなんだ、その本。じいちゃんも読んでた」
アーサーは本を指さす。
「そう」
マーリンは素っ気なく返事をした。
アーサーは何かを思いついたように、マーリンの手を取り部屋まで引っ張って行った。
「なあ、お前の名前なんて言うの!?」
アーサーは目を輝かせて尋ねた。
中国人の少年は部屋の隅で膝を抱えて座っていた。
アーサーは鼻の頭が彼のそれと触れてしまうくらい顔を近づける。
「何言ってんの?」
少年はアーサーを睨みつけ、ぼそりと答えるが、
「え?」
「なんて言ってんの?」
「なんて言ってんの?」
お互い言葉が通じず、しばらく沈黙が続いた。マーリンはため息をつくと、中国語で、
「お前の名は何だと聞いているんだ」
「……知らない」
少年はうつむいて、抱えた膝の中に顔をしまう。
「なんやて?」
「教えてもらったことも、名前を呼ばれたこともないもん。知らない」
アーサーは笑顔で二人の顔を交互に見る。
「アーサー、こいつには名前がないんだ」
「え~!? お前も!?」
アーサーはしばらく考え、
「ねえマーリン、コイツと話せるなら、俺の言ってる事、コイツに言ってくれない?」
マーリンはため息で返事をした。
「兄弟いるの?」
「いるわけねぇだろ」
「好きな色は?」
「何だっていいだろ」
「好きな虫とかは!?」
「虫嫌い」
「んー、じゃあ好きな人とかいる?」
「……なんて」
「え?」
「人間なんて大嫌いなんだよ!! 気持ちわりぃんだよお前! 色々聞いてきやがって! 俺はもう誰とも関わりたくないんだよ!!」
少年の目には涙がにじみ出ていた。
「……じゃあ、好きな食べ物は?」
それでも聞き返してくるアーサーに、
「あ!?」
少年は苛立ちを隠せず、勢いよく立ち上がって床を思いっきり踏みつけた。
マーリンは少し迷惑そうに、
「好きな食べ物は何って聞いてるのよ、答えなさいよ。私の質問に答えないつもり?」
「うるせぇな偉そうに! 杏仁豆腐だよ! 姉さんの作る杏仁豆腐が唯一一番好きなんだよ!!」
足元に涙がボタボタと落ちた。
マーリンは呆れた様子で小さくため息をつくと、
「いるんじゃないか、兄弟」
少年は足元に視線を落とした。
「……殺されたんだよ、姉さんは。親父が借金抱えて酒におぼれて、金が無くなったから姉さんを売ったんだ……! 母さんはその金で宝石を買った!! 姉さんの……姉さんの価値はガラスの石っころじゃねぇ……! 俺は姉さんを取り戻すために死ぬ気で働いた。姉さんを探すように働いた! 色んな職を転々とした!! そしたら……家に誰もいなくなってた……。街で見たんだ、米人と嬉しそうに歩く母さんを。赤いコートを着てた。化粧をしてた。体中に石くっつけてタバコ吸ってた!! ……俺に価値なんて、無いんだよ……!」
そう言い捨てると、少年はアーサーを突き飛ばすように横を走り抜けていった。
「待って……!」
声をかけたときには部屋からいなくなっていた。
マーリンとアーサーはあの人に尋ねようと、職員のいる部屋を覗いた。すると、先ほど部屋を飛び出した少年が泣きじゃくっていた。そして、あの人は少年の前でひざを折りしゃがみこむと、優しく抱きしめた。それは母親が我が子を抱きしめるのと同じだった。
部屋の前に座って待っていると、泣き声がしなくなった。アーサーたちはそっと職員の部屋に入った。
奥のソファーに座るあの人と少年を見つけた。少年は泣き疲れたのか、その人の膝の上に座り、胸にもたれて眠っていた。
「だいじょうぶ?」
アーサーは小声で尋ねた。
「大丈夫。どうかした?」
「杏仁が心配だったから」
「しんふー?」
その人は首を傾げた。
「マーリンと考えたソイツの名前。名前知らねぇんだって」
「あぁ、そうか……」
「少しは、中国語わかるから」
マーリンとアーサーが微笑みあう。
「好きなものが杏仁豆腐しかないって言うから、杏仁ってつけた」
「そうか」
その人はアーサーの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ねえ、お前の名前は?」
アーサーはその人の腕を握りどかして訪ねた。
「俺?」
その人は自らを指さした。そして、
「禊だよ」
「みそぎぃ?」
アーサーが首をかしげていると、
「身を清めるって意味。日本語よ」
マーリンは見下すように冷たい目を向けながら言った。
「君……えっと」
禊がマーリンの顔を見つめると、
「マーリン」
マーリンは少しうつむいて名乗った。
「マーリンは日本語も喋れるかい?」
「しゃべれる順で言うなら、ロシア語、英語、日本語、中国語」
「へー!」
禊に感心され、マーリンは少し嬉しそうに頬を染めた。
そこに、部屋に誰もいないことに気づいたイタリア人の少年がやって来た。
「皆、ここにいたんだ~。部屋に誰もいないからびっくりしたよ」
その場にいる全員が首をかしげる。
「どうしたの?」
「禊、コイツ何言ってんの? 宇宙人?」
「アーサー、やめなさいって」
マーリンがアーサーの口を手でふさいだ。
「……あっ、お前イタリア人だったな」
気づいた禊がイタリア語で話しかけた。
「すいません、僕、イタリア語しか話せなくって……」
「心配するな。俺は禊。こいつがアーサーで、妹のグィネヴィア。そしてマーリン。この寝てるのが杏仁」
「アランです。こいつは弟のフラン」
アランは身をかがめて背中に背負っている赤子を見せる。
「そういえば、もう一人いましたよね? アジア人の彼はどこに?」
アランが尋ねると、禊は足元を指さす。すると、ソファーの下から子供が出てきた。やせ細った子供は肩からずり落ちる服を引っ張り、禊の顔を見つめた。禊は子供のズボンにシャツの裾を入れながら、
「眼鏡の調子はどうだ?」
「えへへ」
笑った口は歯が欠けていた。それを見て笑うアーサーの頭をマーリンが叩く。
「彼は健良、マーリンと同い年の14歳だ。杏仁も14」
アーサーは右手の平を見せる。アランがそれを見て、
「僕は12歳です。フランは多分、1歳かそこらかと……」
アランは背中からフランを降ろし、床に座ると膝の上に座らせた。
フランの小さな手がアランの顔を叩く。
「いたたた」
フランはアランの髪をつかんでご機嫌よく笑う。
「学校はいつからですか?」
「来週からだなぁ」
「がっこう!?」
アーサーが飛び跳ねる。
「アーサーはまだよ。だって5歳じゃない」
「え~!?」
マーリンに抑え込まれ、悔しそうにその場に座り込む。
起きだした杏仁が自分の周りに人が集まっているのに驚き、禊の首に抱き着いた。
「もう大丈夫なの?」
マーリンが聞くと、
「何でいるんだよ! また質問攻めか!?」
「うわぁ杏仁、耳元で怒鳴るな」
禊は顔をしかめた。
「違うわよ、心配だから見に来たら眠ってるんだもの。子供みたいで可愛かったわよ」
「お前も子供だろ。てか、何だよ、俺より年上だからって偉そうにすんなよ。ババア」
「なんて口の悪いガキなの……! 言っとくけど、私、貴方と同じ14歳ですけど!?」
「じゅ……!?」
禊の膝に乗ったまま、杏仁はマーリンをじろじろ眺める。
「……おばさんだ」
「おばさんとは失礼ね! まあ、アジア人から見たら西洋人は大人に見えるかもね」
マーリンは少し鼻を膨らませて言った。
「な……お、俺だって! 14歳で働いてたんだぞ!」
「だから何よ、私だって働いてたも同然よ。毎日お稽古事に勤しんで、月に数回は必ずパーティーがあったわ。貴族としての威厳だってあるんだから」
「いいよな~金持ちは~! 美味しいものを腹いっぱい食べて、毎日お風呂に入れてでっかいベッドに寝れて~!!」
杏仁の口調は少し嫌味っぽく聞こえた。
「美味しいものばかりじゃないわ。子供の口に合わないような大人の料理をべさせられる時もあったわ。お稽古事などで失敗したり、お母様に怒られたらその日のお夕食は無かったもの。お稽古の先生は私に鞭をふるったわ、まるで馬にするようにね」
マーリンはペラペラと貴族社会での厳しさを語っていく。
「ま、マーリン、もうそこらにしないか? 杏仁が怯えきってるぞ」
禊は愚痴を吐くマーリンを止める。杏仁は耳を塞いで小さくなっていた。
「やっぱり、臆病な犬ほど吠えるのね」
「犬じゃねぇし!!」
「杏仁、俺の耳元で怒鳴らないで」
杏仁はマーリンから顔をそむけると、強く禊に抱き着いた。禊は杏仁を抱えてしゃがみ込むと、
「ハイハイ、そろそろ皆帰って来るから。……じゃあ、夕ご飯作るの手伝ってくれる?」
7人は元気よく返事をして、禊と共に台所に向かった。




