第一話 春ようららかに
関東の小さな田舎町のごく普通の地元駅に、一人の女子大生が降り立つ。その女子大生は特にこれといった特徴があるわけでもない、普通の女子大生だった。彼女が改札を出た時、肩にかけたショルダーバッグから携帯の着メロが鳴り響いた。今の季節にピッタリな、春らしい軽やかなメロディーだった。
「あ、もしもし、お母さん?」
彼女はそう言って電話に出た。
『七穂、着いた?』
「うん」
彼女の名は舞島 七穂。彼女の通う大学は電車で4,5時間の所で、実家から通うには少し遠すぎるという事で、大学近くにある母親の勤務する会社の寄宿舎に世話になる事にした。
『一浪して同い年が少ないからって落ち込むんじゃないよ』
母親にそう言われ、七穂は少し苦い顔をしながら、
「大丈夫……ちゃんと友達作る」
『そう、じゃあ頑張って。そうだ、オーブン忘れてた……』
そう言って、母親はさっさと電話を切ってしまった。
七穂は少しため息をつくと、駅の地図看板を頼りに寄宿舎へ向かった。腕時計は午後二時を指す。住宅地を抜けて30分もすると、木々の鬱蒼とした怪しい場所に着く。木々の隙間からレンガの薄汚れた白っぽい壁と、きれいな紺色の瓦屋根が見えた。場所は合っているらしい。
建物の前にそびえたつ西洋風な黒い門が不気味さを増す。
七穂は唾を飲み込みながらそっと門の横のインターフォンのボタンを押した。
キンコーン……。
耳に優しい軽やかな音が心地よく、緊張が少し和らいだ。
『ハイ』
インターフォンから掠れた男性の声がした。
「あの、舞島です」
『……あぁ、ちょ、ちょっとお待ちください。……うわっ、危な……』
インターフォンの向こうは少し騒がしそうに聞こえた。しばらくすると玄関から4,50代の男性が出てきて、門を開けにこちらにやって来た。男性は門から出てきて、ワイシャツのしわを少し伸ばすと、
「ようこそ、楔荘へ。お待ちしていました」
男性は笑顔で迎えた。
「クサビソウ?」
七穂は言葉の意味が分からず首をかしげると、
「はい。名前の由来はよく知りませんが、ここの大家がそう名付けました」
男性はそう言うと満面の笑みを見せた。
「では、貴方は?」
「はい、ここの事務と会計を担当しています。相 成則と申します」
成則は軽く頭を下げた。
「舞島七穂です」
「良い名前ですね」
「いえ、そんな……」
七穂は照れ臭そうに肩にかかる髪の先をいじった。
「他にもたくさん住人が多いですから、毎日楽しいと思いますよ」
そして、成則は寄宿舎の中へ案内していった。
ただの会社の寄宿舎だと思っていた七穂だが、この時はまだ何も知らなかった。世界が、この寄宿舎が普通でないことを。