第十一話 最後の新年
本支部特殊治療室にて。怨は丸椅子に座って小町から診断結果を聞いていた。
「ふむ……」
「どうですか、小町さん」
「そろそろ元に戻ってもいいんじゃない?」
「ですが……」
「戻れないって?」
「……えぇ」
「本当は戻れるくせに」
怨は思わずうつむき、唇を噛んだ。
「ほら、その顔。怖くて戻れないとか、何か言い訳してるとき、お前はうつむいて唇を噛む……」
小町は怨に近づいて、首に触れる。
「2000年前と変わってない。お前は禊の一部だけど、その仕草は正に禊の仕草だ」
怨の顎を持ち、顔を上げさせる。
薄暗い部屋に、デスクライトの光により小町と怨の影が映る。小町が怨の首筋に噛みついた。
「っ……く、んん……」
怨は眉をひそめてこらえる。
小町がゆっくりと口を離すと、口から首に血が糸を引いた。
「ん~、血液がかなり酸化してる。こりゃまずいな……」
小町は何かをごまかすように、カルテに書き込み、
「夏休みまでには戻れ。従わないなら、榊を矛盾として隔離させてもらう」
怨は困ったようにため息をつく。
立ち上がってドアに向かった時、怨は足を止め、
「なぜあの子を生贄にしたんですか」
背を向けてそう言うと、小町のペンを動かす手が止まった。
「そうね……。お前が思ってる通り私は貴方を妬んだ。そのままよ」
「それは本心ですか?」
小町の手が動き出す。
「……あまり女に多くを聞くもんじゃないよ。口数の多い男は好かない。……まぁ、そもそもお前には興味ないのだけれど」
「それは、矛盾した存在の魚類として言ってるのですか? それとも、本心の反対……」
「それ以上聞いたら、海の底に引きずり込むわよ」
「……はいはい」
ドアを開けて廊下に出た時、
「せめて最後の思い出作りはしときなさい。戻っても、記憶は受け継がれないから」
ドアの隙間から小町の声がして、ゆっくりと閉まった。
冬休みの真ん中の事だ。
「旅行に行かないか?」
昼飯時、急に禊さんが放った言葉。
「え……。怨、なんか変なもの食べた? たとえばカラフルなキノコとか」
ケイ、あんたとは違うんだから。
「もしや、トリュフ食ったな貴様! 私がやっと手に入れたのが見つからないと思ったら!」
表子ちゃん、アンタもアンタでトリュフどこで手に入れた。
「もしや、中国の伝説のキノコを……! 吾輩も欲しい!」
そんなのあるの!?
「それって、別の意味のキノコとか……」
まって殺欺くん、君、今なんて言った。
「え。それって俺の……?」
そこで反応するな変態タコ!
「えっアランがキノコのリゾットご馳走してくれるの!?」
うん禊子ちゃん可愛いね~、良い子だね~。
「……ドキドキノコ?」
護、それモンスター狩るゲームのキノコ。
「キクラゲってダイエット食品らしいよ~」
さっすが琉子ちゃん。
「お前らは私の話を聞く気あるのか?」
「う~ん」
あるんだかないんだかわからない返事を、私と稔以外の人らがする。
「……まあいい。ただ、これだけは聞いてほしい。大事な話だ」
「しみったれた話はやめろよ」
ケイがフォークをくわえて頬杖をつく。
「矛盾した私たち七名、元に戻らなくてはならなくなった」
え、それってどういう……。
「……パパりん、どういう事」
琉子ちゃんが険しい様子で問うた。禊さんは話し始めた。
「組織を立ち上げた頃だ。身寄りのない子供たち、今の各支部長たちが幼く面倒を見れる者が少なかったんだ。だから精神と身体を元ある力に合わせて分けたんだ」
後付けのように嫌好が口を開き、
「でも、長期間分かれていると体の中はどんどん腐っていき、血液は酸化して毒素を含む。その毒素は体を蝕み、いずれ心臓を破壊する」
嫌好がフォークで禊さんを示す。
「本当はその方が良いのだが――」
禊さんは続ける。その話を聞いてぞっとした。
矛盾した存在全ての心臓が接触をすると、一瞬で世界は消える。残った矛盾した存在の体は剥製みたいなもの。その体を使って、神は新しい世界を創る。
そもそも矛盾した存在とは、神の愛玩獣。神の食糧にもなり、身にまとう毛皮にもなる。
「別に、俺一人でも世界を消すことはできるけど、時間がかかるからな」
嫌好は両手を頭の後ろにやる。
「それから、元に戻ったら記憶は引き継がれないんだ。唯一、共通の記憶だけは引き継がれるが……」
禊さんは周りの顔を見るなり、それっきり黙ってしまった。
ケイが立ち上がって食器を片し始める。
人間の私たちは、只々言葉を失った。
3、2、1……
「明けましておめでとー!」
パーンとケイがクラッカーを鳴らす。
「ケイ、いつの間にクラッカーを……」
「いやあ、一度これやりたかったんだわぁ」
みんながその光景に思わずほほえましくなる。
「しっかし、榊の上、しかも空中で年越しとか初めてだわ」
ドラゴンのような容姿の、ビーストモードとなった榊の背に乗って運ばれる私たち。
「吾輩には毎年の事だが」
「それは裏拏だからでしょ」
「今回は政府に無理言ってこんな時間に飛行さしてもらってるんですから、感謝しなくてはなりませんよ」
「いや表子、普通に飛行機と同じように飛んでるだけで、大したことないぞ」
「表子は感謝の心が厚いんだね」
殺欺くんがにこやかに褒める。
「そんなことはありませんわ」
「ビッチが……」
『あ、見て見て! 伊勢神宮が見えてきたよ!』
榊が元気よく話しかけてくる。
稔は目を細めて景色を見つめる。
「……全っ然見えねぇ」
「吾輩にはよく見えるぞ」
「それは裏拏の目が良いから」
中部国際空港に着陸。
「スゲー、誰もいねぇ」
稔が驚いた様子で辺りを見回しながら歩き出すと、
「政府に頼んでこの事の関係者以外全て排除しましたわ」
表子ちゃんが怪しい笑みを浮かべて言った。え、排除……?
「排除ではなく、どっかにやったんだろ」
「そうでしたわ裏拏」
「怖いぞ、表子」
説明が雑……。
私たちは人のほぼいない空港を出て、出入り口に待っていたバスに乗る。
「円香んトコまでレッツラゴー!」
ケイがはしゃぐ。
バスで一時間、徒歩で一時間ほどすると、もの凄く怪しげな和風の建物の所に着いた。
「……なんだこれ……」
稔と私は同時に呟き、そのおどろおどろしい建物を見上げた。
「あ、ここが円香の家だよ。なんかすげーよな」
ケイは何の躊躇もなく先を進む。
うん……。凄いを通り越して理解不能……。
「ごめんくだす~い!」
ケイが謎の言葉を言いながら、建物の玄関をカラカラと音を立てて開ける。中は真っ暗で、ひんやりとした空気が足元へドロドロと流れてきた。
「稔、怖いよぉ……」
禊子ちゃんが稔の背中にくっつく。嬉しそうな顔すんじゃねぇ稔!
「上がるぞ~。勝手に上がるなとか言われても、返事しねぇのが悪いんだからな~」
言いながらケイがずかずかと上がる。
「僕らも行こっか。ケイが先頭なら大丈夫でしょ」
殺欺君の後に皆がついていく。
「――危ない」
ヒョイっと護が私の肩を抱き寄せた。
「ヒャッ……!」
護の顔が近い。普段は前髪で顔がよく見えないのに、今はよく見える。
……意外に、イケメン……。
「床、壊れて穴開いてるから。あと顔近い……」
「……えっ? あ、ごめん」
急いで顔をそむける。顔が熱いな。
皆に続こうとして、何かに片足首を捕まれた。
「……ん?」
足元を見ると、青白い女の人のやつれた顔がぼんやりと見えた。
「あっあっあっ……ちょ、みんな、まっ……」
喉が恐怖で詰まって、声が出なかった。
「よくぞ~……おいで~……くださいましたぁ~……!」
女の人はズルズル這いずり、もう片方の足首もつかむ。
「ヒィッ……!」
体の中に冷気が入ったのがわかった。
「あぁぁぁ~~~~~~~!!」
「いぃぃやぁぁぁ~~~~~!!」
私の叫びと共に禊子ちゃんの叫びも聞こえた。
「うわっ」
「なんだ?」
「姉ちゃん!?」
「叫ぶな……」
その時、体がふわりと宙に浮いた。
「……えっ……」
何かと思い顔を上げると、禊さんが私を抱き上げていた。
「いやぁ、久々の来客やったから、つい、逃がしたぁなくてですね……」
「お前の旅館に客が来ないのはそれが原因だ」
円香さんが正座して肩をすぼめる。
「だって、怨が『好きなように、自分らしく営め』って言うからぁ……」
円香さんは口を尖らせる。
「はいはいはいはい、ちょっと失礼します」
大らかそうなお坊さんがこの客間に入ってきた。
「いやぁ怨さん、よくぞここまでお出で下さいました」
「……誰だお前」
一瞬、時が止まったのがわかった。
「ええぇぇぇ!? えええ怨さん、忘れたのですか!? 私です! 日本支部副長の中富ですぅ!!」
「……あぁ、あの胡散臭い坊さん」
胡散臭いの、この人?
「確かに胡散臭そー」
ケイがヘラヘラと笑った。
「んもう、中富はんは出てこんでつかぁさい。あっしと怨の旦那だけで一晩過ごすつもりやったさかい」
「え、それマジで?」
稔が真顔で反応したから、思わず頭を叩いてしまった。
「円香、お前は何を訳のわからんことを言っているんだ。それだからクドクドガミガミグチグチ……」
「みなさん、怨さんのお説教が終わらないと思いますので、私が客室へご案内します」
中富さんが素早く柔らかい物腰で案内する。
「女性の方はこちらの部屋、百合の間で。男性の方はこの部屋、薔薇の間でございます」
何だろう、意味深に聞こえるのは私だけだろうか……。
「男は薔薇……女は百合……ナイス中富ちゃん!」
表子さんがそっと親指を立てる。ここにもいたわ、同じような奴。
「それじゃ、午前5時にロビー集合ね」
ケイがスマホを見ながら言う。
今が午前3時半。少し時間がある。
部屋に入り、荷物を部屋の隅に置く。
「わあぁ……! すごいね。おっきいね! 広いね!!」
禊子ちゃんがはしゃぐ。
「はつもうで、着物着るんだよね! やまとなでこしになるんだよね!?」
「うん、大和撫子ね。禊子ちゃんは偉いね~、何でも知ってるんだね」
そう言いながら、琉子ちゃんが禊子ちゃんの上着を脱がせる。
「うん! いつもね、護の部屋のご本読んでるんだ。すごい色々あるんだよ! 海の向こうの国の事とか、神様とか、美味しいお肉とか、あとあと……!」
禊子ちゃんは鼻息を荒くして一生懸命話す。
「とにかくいっぱいあるの!」
「うんうん、すごいね」
禊子ちゃんの頭を撫でると、禊子ちゃんは嬉しそうに顔を赤くしてニッコリした。
「七穂、これお前の着物」
「あ、裏拏ちゃん、ありがと」
「ハーイ禊子ちゃん、これ貴女の着物ですわよ。ほーら! こんなにもかわいい!」
「わぁ! 表子、すごいね!」
私たちはおしゃべりしながら着物に着替える。
「七穂、ないすばでぃだね!」
「まあ、綺麗なお体ですこと」
「スタイルが良いんだな」
「そ、そんなことないよ……!」
みんなが私の情けない体を褒めてくれた。
その時、サッと部屋の戸が開いて禊さんが現れた。
「……違うか、ここの部屋じゃないのか。すまない、邪魔した」
禊さんが……女子の部屋に……。
「わあっあっあっ、み禊さ……!?」
顔が赤くなるのが自分でもわかった。
なんだか今日は驚かされっぱなしだな。
「くせ者!」
裏拏ちゃんの蹴りが禊さんの顔面にめり込んだ。
「っつ……」
禊さんがつらそうに顔を押さえる。
「禊さん、大丈夫ですか?」
稔が心配そうに顔を覗き込む。
「鼻の骨折れた。あと顔の骨にひび入った」
「でもすごいね、禊が間違えて女子部屋に入るなんて。このハーレム野郎☆」
ケイが禊さんの頬に指を刺す。
「怨、意外だね。そんな趣味があったなんて……」
「嫌好、お前何で落ち込んでんだよ」
寄り固まって雑談する男士たちの元に、
「すみませーん。お手洗いが混んでまして……」
表子ちゃんと禊子ちゃんと裏拏ちゃんと琉子ちゃんが走ってくる。
「あ、禊子、簪曲がってる」
「ありがとう表子」
「おぉ、似合ってんじゃん禊子! かわうぃ~ね!」
「ケイ、口調がウザいよ」
殺欺くんがケイの口を手で押さえる。
「もごごごごご……」
「怨も着物着てる……」
護が禊さんを指さす。
「当り前だろう。今日は神聖な日で、何より御神と天照大神殿との会談だ。正式な格好でないと」
「怨まっじめ~」
ケイが禊さんの頬をつつく。
「あのさあ、思ったんだけど」
皆が殺欺君の方を向く。
「怨にするか禊にするかどっちかにしなよ。実際、怨は禊ではない訳だし。禊って言ったら、僕らの事を指して言うことになるし」
皆が少し考えて、
「……怨さん、にしますか」
稔がひらめいた様に言った。
「そうだね。怨さん」
「よろしくです、怨さん!」
「そ、そんなに私の名前を連呼するな……」
怨さんの顔が少し赤くなった。
そんな風に会話をしつつ、みんなで本殿の方に向かう。
手水舎で身を清め、本殿で二拝二拍手一拝。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃーい」
怨さんは人混みの中に消えていった。
「じゃ、僕らはお守りでもお受けに行こっか」
私たちはお守りの売っている所……と言っては失礼か。お受けするところ、授与所に向かった。
「うおぉ、すげー人人人!」
「混んでるね」
混んでいる割には、列に並んですぐに順番が来た。大剣祓、干支守り、学業成就など、色々お受けした。
円香さんの旅館へ戻る途中で少しお土産を買うことにした。琉子ちゃんが和柄のハンカチを手に取り、
「パパりんにこれ、買ってこうかな……」
「あ、それいいね。怨さんも喜ぶと思うよ」
そう答えると、琉子ちゃんは少し顔を赤くして嬉しそうな顔をした。
円香さんの旅館に戻ると、
「わ~~、おかえりなさ~い!」
「円香さん!?」
円香さんが私に抱きついた。
「ううう……中富はんに怒られたさかい~」
う~ん。とりあえず頭を撫でておいた。
「……あ。朝ご飯のご用意ができてまっせ」
「あ、ありがとうございます」
皆で食堂へ行く。
「おぉ~!」
ケイが料理をのぞき込む。
「ここまで豪華な和食は初めてだ!」
「ケイ、落ち着いて」
足をばたつかせるケイを、殺欺くんがなだめる。
「あ。怨はん、おかえんなさい。どうではった?」
「ただいま。今年も特にはないかな。それから――」
円香さんが嬉しそうに怨さんの話を聞く。
「まもがっでえんのほほすひだおな。あんはむっふりののほはいいんだは」
「え、ケイ、何て……」
稔が耳をケイに向ける。すると禊子ちゃんが、
「『円香って怨の事好きだよな。あんなムッツリのどこが良いんだか』ってケイが言ってるよ」
すげえ……禊子ちゃん、貴女は天才なの?
「さちゅが禊子! おまえはやっぱり俺の子分だけある!」
「ボク、ケイの子分じゃないし。あと口に入ってる時にしゃべらないで。お米飛んでくる」
禊子ちゃんが今までにないくらい真顔でさらっとケイを否定した。
「いや~懐かしいな。インド洋では銃ぶっぱなしまくったかんな~」
ケイが銃を構える姿勢になる。
「え、インド!?」
稔の眼鏡がずり落ちそうになった。
「ぐぅ~……」
「護、護、起きて」
殺欺くんが護さんの背中を叩く。
「う、ん……殺欺……いくらなんでもタスマニアデビルは……」
護さんは大きなあくびをした。
「和食ってダイエットに良いって海外で人気なんだってね」
「は? ヘルシーだって」
「いいや、美容よ!」
「お嬢の私に口答え!?」
「組織のトップの私に逆らうつもり!?」
「んだとこのビッチ!」
「やんのかこのファザコン!」
琉子ちゃんと表子ちゃんが睨み合う。
「お、お前ら、止めろ。ケンカはするな。な? あぁ……」
焦る稔。
「インド人はスパイシーな物にはとことん強くてな」
ケイが得意げに話す。
「ハバネロとか、世界一辛い唐辛子もそのまま食べちゃうの?」
「あ、いや……それは……」
ケイは禊子ちゃんの問いに答えられずに体を小さくする。
騒がしい一年になりそうです……。
――ガラッ
「おぉ~」
円香さんの旅館の名物はお風呂で、露天風呂は桃源郷にいるかと思ってしまうくらいだった。
椅子に座ってお湯をかぶる。
……いや、立派過ぎってか、凄すぎでしょ。でかいし。
しかし今日は疲れた。いくつか神社と寺を回って、正月の買い出しをして、その荷物を楔荘に宅配で送る。
「一番乗りー!」
ケイが勢いよく戸を開けて入ってくる。
「……て、ゲッ!」
「俺が一番で悪かったな」
「みのっち入るの早すぎ~。ブーブーぶーいんぐぅ~」
「順番なんて特にないだろ。……アレ?」
俺が今メガネをかけていないからか、ケイが大人っぽく見える。いや、俺はそこまで目は悪くないぞ。
「……なんだよ。人の裸体をジロジロと見やがって」
ケイは手に持っていたタオルで前を隠す。
「……ところで、ケイって今いくつくらい?」
「う~ん、20かな。あいや、18……17? う~」
ケイが眉間にしわを寄せる。
「……まあ、外人は大人っぽく見えるからな」
「え、ケイって外人なの!?」
「多分な。俺、前世はイギリス人だったから」
え、ナニソレかっこいい。
「それ本当?」
「さあな~」
ケイは笑って話を放り投げ、俺の隣に座る。体は細くて白い。手首なんか細くて、つかんだ時に手の中で折れてしまいそうなくらい。
「……ケイ、細いな」
「何!? 性的な目で見ないで!?」
一瞬何が起こったのかわからなかった。
「冗談だよ。まぁアイドルだからね! あんま食べねぇし」
ケイが白銀色の髪を後ろで束ねる。
「ケイ、なんでそんなに髪長いの?」
「二次元に近づくため。ニヤリ」
「そ……そう……」
――ガラッ
次に入ってきたのは、護さんだった。
「……もう先客がいたのか……」
「おう護。お前意外に早かっ……」
ケイが固まる。
「ケイ? どうしたの?」
ケイの顔を覗き見てわかった。あー、それな。確かに護のソレはデカいよ……俺も負けを認めて白旗振ったから。
「ごめんなさ~い! ほんと! 何でもするからせめてソレ隠して~! 見ててもの凄く殴られてもない胸が痛い! うわぁ!」
ケイが俺に抱き付く。
「ちょ、ケイ! アフ……ケイのがあたって、やめ……ノ~~!」
「俺の体、どこか変……?」
護さんは恐る恐る自分の体を眺める。
「おい護! お前デカいんだよ!」
「え……もしかして身長が? 185センチだけど……」
「男のシンボルだよ! チキショウ!」
「え……そうかな……」
「確かにロシアはなんでもデカいけど、男のシンボルまでデカいのはずるいぞコンチキショー!」
「……小さいケイが悪い……」
「あぁん!? 今なんつった!! 小さいだと!?」
「確か……ケイのみたいなのを、イタリア語で、ピッコロ……」
うっすら護さんが笑っているのが分かった。
「ピッコロ!! 小さいだと!! 殺欺よりかはおおきいわ!!」
「呼んだー?」
護さんの背後から殺欺がニョキっと現れる。
「殺欺! 今すぐその腰に巻いたタオルを取れ!!」
「じゃーん」
殺欺は何の躊躇もなくタオルを広げた。
「ちきしょう! 俺よりちょっと大きい!!」
なんなの。何で男のシンボルの大きさ比べしてんだろ。
「ほらほら見てー、僕のつるつるでしょ」
殺欺やめて。誇らしげに見せつけてこないで。しかも案外形が良い。
――ガラッ
今度は怨さんが入ってきた。
「怨ーーーー!!」
ケイが怨さんの肩をガッシとつかむ。
「うっ……」
怨さんがケイの形相に思わず顔をしかめた。
「さあ……そのお腰に巻いたタオルを頂こうか……フフフ」
「え……ケイ、どうした。大丈夫か? もしや、謎のキノコを……」
「フフフフッフフフフ……」
ケイが怪しく笑う。
「ケ……ケイ?」
さすがに、怨さんも少しばかり引いている。
「さぁ、お前の男のシンボルを見せろやぁ~~~~!!」
ケイが怨さんの腰のタオルをつかんだ。
――バサァッ
タオルが空を泳ぐ。
一瞬時が止まった気がした。
だが、ケイは膝をがっくりと折り、床に突っ伏した。
「……もう何なんだよ!! お前もかよ!!」
泣きながら怨さんを指さす。
「一体何のことだ?」
「あー、男のシンボルの大きさ比べです」
「はぁ?」
怨さんが半端ないくらいに飽きれた顔をする。
「ちぎーーー!!」
「ケイ、落ち着いて」
殺欺がケイをなだめる。
「うぅ……は! そうだ! まだ嫌好と榊がいる!」
だけど……。
「くっそ~~!! 何なんだよ! 怨と嫌好揃って同じって!! お前らゼッテー俺んこといじめてんだろ!! ちぎーーーー!!」
あー……なんか面倒くさくなってきた。
「そうだ! 榊!」
ケイが勢いよく、朗らかにやって来る榊の方を見る。
「なあ怨、ここのお湯って擦り傷とかむち打ちに効くらしいっすよ」
榊はお湯を張った桶にタオルを入れる。
「アレ……?」
榊の体は所々鱗に包まれており、シンボルは中に隠れてる。
「無い……榊には無い……つまりゼロ……」
ケイが怪しく笑う。
「よっしゃぁ~~~~~!! 勝ったぁ!! なんか違和感あるけどそんなのどうでもいい!!」
「怨……ケイ、どうしたんすか?」
榊がケイの勢いに後ずさりする。
「知らん」
怨さんは呆れたようにため息をつきながら体を洗い始めた。
「でもそれいいよね。ねぇ殺欺」
「うん。僕も同感だよ嫌好」
あぁ……なんか、帰りたい……。
それぞれ体を洗いだす。
「せ、背中に手が……届かな……!」
「ん……ケイ貸して。手伝う」
「おぉ、護。サンキューな」
「嫌好、背中届くか?」
「あー……多分」
「ねーねー稔君、背中流してあげよっか? ついでに前も……」
殺欺が俺に迫ってくる。
「いいいいいです!! 結構です!! 大丈夫です!! 遠慮しときます!!」
「え~」
殺欺は残念そうな笑顔を見せた。
ケイが湯船に向かって走って行く。それを見た怨さんが
「ケイ、飛び込むな!」
と怒鳴る。
「み~そ~ぎ~」
「嫌好、抱き付くな」
怨さんが桶で嫌好の頭を軽く叩く。
「俺も入る……ブゴッ!」
湯船に足を入れた瞬間、護さんが消えた。
「護さん!? 護さんが溺れてる!」
急いで湯船を覗きに行くと、お湯の中から勢いよく出てきた。
「ブハッ! ……なんか、眠くってふわってなった……」
「お前……」
「殺欺~」
護さんが殺欺にくっつく。
「背中に寄りかからないで」
「あ~、楽……。あ、そうだ、上がったらアイス食ぶぅぅん……ぐぅ~」
頑張って最後までしゃべって……。
「スイ~~♪」
「ケイ! 泳ぐな!」
「脱皮期間中だから鱗がふやけて剥がれる」
「榊、お前今すぐ上がれ」
楔荘が騒がしいのは、こいつらが原因かも……。
「ほわぁ~!」
大きなお風呂に禊子ちゃんが目を輝かせる。
「広いねー」
「七穂、凄いね!」
「まぁ! ここの温泉、美容効果があるってよ!」
表子ちゃんが嬉しそうに手を叩いた。
「マジで!? 表子お前入るなよ、効果が薄れる」
琉子ちゃんが中指を立てる。
「あら、貴女こそ。お湯が汚れるわ」
「んだとこの野郎!」
「野郎とははしたないこと」
「ふっ。男の前だと『え~、あたしぃ、そーゆーの、よくわかんなぁい。ね~ぇ、教えてぇ……』とかってケツ振ってんだろ」
「なっ……!」
「図星ぃ~ワラワラワラ」
「お前だって怨の前だと『パパりん! 私ね、好きな人がいるの! 知りたい? ん~どうしよっかな~……特別に、パパりんにだけ、教えてあげるっ。あのね……私が好きなのは……パパりんだけだよ……うふっ』」
「ぐっ……!」
「あら、図星かしら? このビチグソビッチちゃん」
「んだと! おまえもだろ! くっそ最悪ビチビチビッチが!」
「んだと!?」
「やんのかゴルァ!!」
すると禊子ちゃんがため息をつき、
「やぁね、いい年したお姉さん方が物騒な言葉使って」
「うむ。禊子、あんな風になってはいかんぞ。七穂のような女性になるのだ」
裏拏ちゃんが私を指さした。
「え!? わ、私みたいな!?」
「七穂だと!?」
「私が一番ですわ!」
琉子ちゃんと表子ちゃんが迫る。
「いや、表子はないない。お前ヤンデレだし」
裏拏ちゃんは何の慈悲も無い顔で否定した。
「裏拏はツンデレですものね」
「し、知らん」
「ほぇ~?」
禊子ちゃんが小首を傾げる。
みんなで並んでお湯をかぶっていると、
「表子、お前また大きくなってない?」
「あら、そうかしら。そんな貴女だって、琉子」
表子ちゃんが琉子ちゃんの胸をつつく。
やばい! 私一番小さいかも! すると禊子ちゃんが、
「七穂、七穂は子どもなの?」
「え、何で?」
「だって、琉子とかより胸小さいよ」
禊子ちゃん、わかって!
「ボクはまだ子供だから小さいけど……」
「うぅ……」
涙が出そう。
「大きくなったら、ボンキュボンになるんだ」
「ボンキュボンって何?」
「あれだよ」
禊子ちゃんが琉子ちゃんを指さす。
「胸がおおきくて、お腹が細くて、お尻がおっきいきれいなお姉さん」
「そうか……わ、吾輩は……ウッ……!」
風呂場の隅で裏拏ちゃんがいじけ始めた。
「頑張って牛乳飲んで、おっきくしよっか」
琉子ちゃんが裏拏ちゃんの肩に手を置く。すると禊子ちゃんが何かひらめいた様子で、
「あ! ねえねえ。みんなでアレ、しよっ!」
スポンジを握って見せた。
え、アレって?
「あ~、二次元&百合系あるあるの」
琉子ちゃんが得意げに答える。
「百合って……」
「ん? 百合の花がどうしたの?」
禊子ちゃんは知らない方がいいよ~。
先頭に禊子ちゃん、その後ろに私、裏拏ちゃん、琉子ちゃん、表子ちゃんと一列に並んで、背中を流し合う。
「ふっふふ~ん♪」
「禊子ちゃん、髪束ねよっか」
「うん」
禊子ちゃんは小さな手でスポンジを泡立てる。
「七穂、最近肩凝っているだろう」
裏拏ちゃんが私の肩に手を置く。
「あ……確かにちょっと」
「ここのツボを押すと……」
「ひぁっ!?」
「す、すまん! 大丈夫か?」
「あ……だ、大丈夫」
裏拏ちゃんはぶっきらぼうで冷たいところがあるけど、根は優しいお姉さんみたいですごく面倒見がいい。
「んもう、裏拏、あんまり動かないで。しかも立ったり座ったり繰り返さないで……」
表子ちゃんが裏拏ちゃんを押さえる。
「裏拏エロ~い! 意味深。アッハハ!」
「ちょっと琉子、貴女笑うたびにその忌々しい胸が揺れるんですけどぉ」
「ふん。私は楔荘で一番だかんね」
「この……これでもくらえ!」
「きゃぁ!! ちょ、あんたどこ触ってんのよ!」
「どうよ! 石鹸がヌルヌルして、感じやすいんじゃないの?」
「ん……んの、ビッチが……!」
「キャッ!」
琉子ちゃんが表子ちゃんを押し倒す。
「ぐぐぐ……おのれビッチめ……!」
「貴女の忌々しい胸を私の胸に押し当てないでもらえます!?」
「うるせぇ! フフフ……」
「な、なにする気ですの」
「胸が大きいと肩とかこるもんなぁ?」
「だ、だからなんですの?」
「私が揉みほぐしてやんよ!」
琉子ちゃんが体の隅々まで触る。
「にゃあぁ!?」
「くっくっく!」
「ちょ、あん、あ、あ、この……バカ!!」
「あぁ……け、ケンカしないで……!」
どうしてこの二人はいつもこう……。
「ほっとけ、七穂。アイツらは男がいないとケンカが終わらない。さっさと上がってケイ呼ぶぞ」
「呼んだー?」
露天風呂の周りを囲む石壁の、男風呂と面している壁の上からケイの顔がひょっこり現れた。
「キャッ……!」
表子ちゃんがタオルをつかむ。
裏拏が立ち上がり、隅に置いてあったデッキブラシをつかみケイに向かって走る。そして大きく飛び上がり、
「たわけがぁぁぁぁ!!」
――ッコォォン!
思いっきりケイの頭を殴った。
ケイが落ちていく。着地した裏拏ちゃんが立ち上がり、
「――ふぅー……」
「わぁ! 凄い凄い! 裏拏最強!」
禊子ちゃんが喜びながら、頭からお湯を一かぶり。
「大きい順でいうなら、琉子、表子、七穂、裏拏、禊子だったよ!」
壁……というか、筒抜けでケイの声が聞こえる。
すると気に入らなかったのか、デッキブラシを両手に持った裏拏ちゃんが壁を飛び越えた。
「あ゛~~~~!」
「ちょ、裏拏、お、落ち着……」
「痛い痛い痛い!」
「ぶぼら~~!」
「ぶっしゅあぁぁ!」
「ちょちょちょちょちょ……!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
「あば~~! あばら折れた!」
なんか……壁の向こうが地獄と化してそうです……。
あ。今、血が噴き出たのが見えた。
お風呂から上がると、居間でみんながくつろいでいた。
「髪乾かすの時間かかった~」
「琉子の髪、サラサラふわふわだったね!」
禊子ちゃんが嬉しそうに琉子ちゃんの手を握る。
琉子ちゃんは表子ちゃんの体をじっと眺め、
「表子、アンタ今浴衣の下何着てる?」
「何も着てませんけど?」
それを聞いてソファーの上でふざけていたケイが固まった。
「ねえパパりん、このおばさん露出班だよ。怖いよぉ~」
そう言いながら琉子ちゃんが怨さんに抱き着く。
「あぁん!?」
表子ちゃん、素が出てるよ。
私も側に寄り、
「怨さん、さっきから何食べてるんですか?」
「……あいす」
机の上のカップを数える。
「何個食べてるんですか……」
「そふとくりーむも食ったぞ」
さりげなくドヤ顔して来る怨さん。
「普段はお腹壊すから食べすぎるなって言うくせに! 自分だけこんなに食ってずるい! 俺にも食わせろ!!」
ケイが手を出す。
「ハイハイ、ケイは今減量中なんだから~」
殺欺くんがケイを怨さんから引き離す。
「後で豆腐を使ったバニラアイス食べようね~」
「嫌だい! いつもスーパーの特売アイスしか食わしてくれないのに、怨だけダッツとかずるい!!」
嫌好がさりげなく怨さんの横に座り、
「口元、抹茶ついてるよ」
指で拭い取り、それをそのまま舐めた。すると急に怒り出した琉子ちゃんが、
「死ねタコ! ぶつ切りにして調理してやる!」
スリッパで思いっきり叩いた。
「抹茶って、何気においしいよね……」
私の肩の後ろから護さんが顔を出す。
思わず驚いて距離を置いてしまった。
「そ、そうですね。たまに食べるとさらにおいしく感じますよね」
護さんは首をかしげる。その首をかしげる様子が、私の中の性癖のツボにグッサリ来るんだが……。
「ん。今度、かき氷作ってあげるよ。北極の氷使ってさ……」
北極!?
「そ、そうですね……夏になったらいただきます」
護さんの手が伸びてきて私の頭を撫でた。やる気のない力の抜けた撫で方だったけど、大きくて暖かい手が心地よかった。
「よしよし……」
なんだか恥ずかしかった。
男女別れて、それぞれの部屋に入る。
部屋に入るなり琉子ちゃんが、
「宣戦布告!」
枕を投げ始めた。飛んできた枕を裏拏ちゃんが避けて、私の顔面にタックルする。
「やったなぁ!?」
私も足元の枕をつかみ、投げ返した。
「おっと! まだまだ甘い……!」
琉子ちゃんの顔に枕が衝突。
「時には童心に戻るのも悪くないな……」
裏拏ちゃんが真顔ではあるが、嬉しそうに枕を手に取る。
「私は肌のケアがありますから」
表子ちゃんはすました顔で部屋を出ていく。
「七穂ー、がんばれ!」
禊子ちゃんが応援してくれる。
夜もだいぶ遅いのに私たちはなかなか眠れず、いつまでもおしゃべりをして、遊んで、眠い目で朝を迎える事となった。




