煮える腹肉
時刻は12時49分。
京子は目を覚まし、眠気の残った目を擦って辺りを見回した。
沙樹の傍らには、新品であろうカセットコンロと片手鍋が置いてある。
「ん……岩下さん……」
「あら、起きたの? お腹は大丈夫?」
「すっかり良くなったわ。ところで、その鍋どうしたの?」
「京子が寝ている間に買ったのよ。それも、さっき殺した男の金でね」
「そう……でもこれで火が使えるわね」
イタリアに逃げてからは何の電化製品も無い山の中で暮らす事になった為、生のまま食べるか塩漬けにするしか人肉を食べる方法がなかった。
それだけでは物足りないと思い、火が使えるようにと購入したのだろう。
「それに京子……ここに逃げる前に″冷やしゃぶが食べたい″と言ってたわよね。だから今日の昼食はそれにするわ」
沙樹はカセットコンロの火をつけて湯を沸かし始めた。
その間に青年の臍周辺にナイフを入れて肉を切り取り、丁寧に薄切りにしていく。
血抜きされたその肉は無抵抗に切り刻まれていき、元々生きていた人間だったとは信じられないぐらいだ。
「京子、茹でている間に汗を洗い流して着替えたらどうかしら」
「そうね……ただ待ってても暇なだけだし、そうするわ」
京子は一糸まとわぬ姿になると、湖に入って身体をゆったりと沈めた。
冷たい水が汗を拭い取り、徐々に肌をサラサラにしていく。
そうしている間に薄切りの肉は熱く茹でられ、今の京子と相反するように人肉特有の脂がジワジワと出ている。
そして丁寧に脂を取り除き、流れる川の如くスムーズに完成に近付いていった。
それから5分後。
湖から上がり、水色のTシャツとショートパンツに着替えた京子は箸と小さな皿を手に取った。
程よく冷やされ、白くフワフワとした薄切り肉。食べたかった人肉料理の一つが出来上がったのを見て、京子の口元が緩む。
「野菜が無いからバランスは微妙だけど、大丈夫よね」
「ええ」
前回と違って野菜がほとんど添えられていなかったが、空腹の彼女にそんな事は関係なかった。
それに、日本にいた頃に口にしてきた人肉とは種類が少し違うのだ。
その違いを楽しむためにも、その方が具合が良いのだろう。
京子は満面の笑みを浮かべて薄切り肉を口に含んだ。
「んー、完璧な食感ね。最初に食べた生肉とは比べ物にならないわ」
「そう? 良かった。作った甲斐があったわ」
笑顔で感想を述べる京子を見て、沙樹は灯火が点ったように嬉しそうに微笑んだ。
京子の方も、最初の頃に人肉を嫌がっていたのが馬鹿馬鹿しく思えて笑いが口から漏れた。
希望している料理を食べさせる事が出来て、それから京子の体調が戻ってきて、沙樹の喜びはどれぐらいのものだろうか。
どんな形であれ、京子への一途な愛は変わらないのだ。




