るいとハジメと勇者への道
空は曇っていたが、風が心地良かった。
通り雨の痕跡があったけど、全く覚えがないから眠っている内に降ったのだろう。
雨のにおいがした。コンクリートの道に雨が染み込んでいた。風見鶏が、海の向こう側を羨望の眼差しで覗き見ていた。
小さなベビー用品店があった。この村でベビー用品店だなんて言ったら、育児を一手に担っていると言ってもおかしくない。それにしては、それほど潤っている風でもなかった。
「あら、賢そうな赤ちゃん」
客を安心させる為に太ったような店主のおばちゃんは、ふくよかな笑顔で私たちを出迎えた。
「ありがとう」
話し掛けてきた店のおばちゃんに、ハジメちゃんはハッキリとした日本語で返した。
おばちゃんは当然ビックリしていたが、私の格好を見て耐性が出来ていたのか、受け入れも早かった。
要するにこの村では、ハジメちゃんや私のような奇特な余所者も稀に現れるのだろう。もしもこれが元の世界だったなら、どこに行っても白い目で見られるだろうし、私らのせいでダンカン一家は御近所から除け者にされるところだ。
「きっと美人になるわよ」
早速、店で買ったおんぶ紐をつけた。
個人的にはスリングが良かったのだが、ハジメちゃんが「敵の攻撃を全部わたしに食らわせるのか」と言うのでおんぶ紐にした。とにかく、腕への負担が軽減され、気分も軽やかになった。
途中でダンカンの友達らしき少年に出会って、ダンカンはサッカーに誘われていたが断っていた。
酔っ払いがいた。昼間っから酔っ払ってロクでもなさそうだが、案外ちゃんとした生地の洋服を着ていた。
お金は、全く無いだろうと思えるところにもあるし、たっぷりありそうなところにも余りなかったりする。今、私のところにはほとんど無い。
小さな猫がちょろちょろ走り回っていた。
なぜだか猫を見て、強く元の世界を想った。
猫の居る世界でよかった。カバとか象とかは居ないかもしれないけど。
役所は町の中心部にある大きな建物だった。西洋の小さな城みたいだ。
中は外観ほど凝っているわけでもなく、コンクリートの壁に、床はタイル張りで味気ない。様々な用途に合わせた窓口が並んでいる、普通の役所だった。
番号札を取って、ベンチで待つ。おんぶ紐に慣れていないので、ハジメちゃんを背凭れに挟んで「ウッフ!」と言わせてしまった。申し訳ない。
ダンカンは文庫本を読み始めた。
知らない作家の長編推理小説。フリーマーケットで買ったらしい。
私は一人、ひそかに緊張していた。原付の免許も持っていないんだ。こういうのは慣れていなかった。
後生大事に番号札を握りしめ、大人しく座っていた。
その時だった。
「どうゆうことよ!」
声がした。
さっきから何やらうるさいと感じていたが、いよいよオバチャンが叫んで館内の注目を集めた。
変わった格好をしている、中年太りのオバチャンだった。
「歳いってるからそんなこと言うんやろ? 偏見ちゃうの! バカにしとんのか!」
「いえ、そういうわけでは無くて、手続き上一定の年齢を超えていますと……」
「あんなあ、こっちも隙ちゃうねん。一日がかりで検査やら試験やら受けるなんて、出来るわけ無いやないの」
「しかし……」
職員は若いお姉さんで、あまりこういった事態に慣れていなそうだった。
「しかししかしってなあ、こっちはわざわざ勇者の格好してきてんねん! こんなけったいな格好してから……。あんたオバチャンに恥かかせて、門前払い食らわすなんて心痛まへんの? どんな教育されて来てんねん。ゆとりやろ。あんたゆとりやろ!」
「いえ……」
私と似たような、けったいな格好をしたオバチャンのせいで、私の居心地は最悪のレベルに達した。
いたたまれなかった。
ハジメちゃんはその外見を活かして普通に笑っていた。子供は得だ。
「こっちは現にモンスター倒して来てんねんから、そこ疑ってもしゃあないやん」
「しかし、それにはこちらで指定したモンスターを倒していただいて、その証拠品を……」
「証拠ってなんやねん。私が倒したって言ってるのが証拠なんちゃうの? 私が嘘ついてるように見える?」
見える……。
「しかし失礼ですが、あまり勇者と言う感じには……」
「なんやねんそれ。この身体でやってきてんねん。デブだって言いたいの? そんなに動かれへんように見える?」
見える……。
ついにダンカンが、咳払いのフリをして笑いをごまかした。
私はただただ恥ずかしかった。
あの人が終わったら、同じような格好をした私があの席に座らなきゃならない……。
「分かった! あんた、私が補助金目的でこんなことしてると思ってるんでしょう。バカなこと言いなさんな。私はね、ほんまに平和を望んで、子供たちが安心して暮らせる世界にしたくて、勇者登録に来てんねん。……ちょっと、あんたらなんなん!」
気付くと、オバチャンの左右に警備員らしき男が二人立っていた。
勇者と警備員……。
これが本当に勇者と警備員であるなら、この村の平和は圧倒的に警備員に頼った方が良い。
警備員は言った。
「お客様。別室を用意していますのでそちらで……」
「はあ? なんやねん! なんで勇者登録してもらうのに別室行かなアカンの? あんたらアホちゃう? ちゃっと触らんといて!」
「ここでは他のお客様のご迷惑になりますので……」
「あんたらが迷惑や! さわるな!」
「向こうでお話を伺いますから。……それとも警察を呼びますか?」
「はあ? 脅迫か! ええやないの、勝手に呼び! 知り合いの優秀な弁護士さんに頼んで、あんたらクビにしてもらうからな!」
「分かりましたから、向こう行きましょうね」
「なんやねん偉そうに。分かった分かった! 行ったるから触んな!」
オバチャンは立ち上がりカバンを持って、職員と警備員を交互に睨みつけた。
「ほんま、あんたら全員頭おかしいんちゃうの……」
すると、前触れなくオバチャンがこっちを見た。
私と目が合った瞬間、彼女は言った。
「なあ!」
ビクーッ!
私は仰天して、座りながら飛び上がり、恐怖で浅く頷いた。
オバチャンは警備員に連れられて、廊下を向こうまで歩いて行った。
笑い涙を流しながら、ハジメちゃんが言った。
「クックックッ! 完全にるいのこと仲間認定してたし……!」
「そうだね……」
隣でダンカンが肩を震わせていた。
私は、この世の全てが憎かった。
私の待ち受け番号が読み上げられて、多くの視線を浴びながら、私はその席についた。
「あの、勇者登録に来たんですけど……」
職員のお姉さんは優しい笑顔を見せてくれたが、彼女の目にはオバチャンの残像がクッキリと映っていた。