るいとハジメとパパダンカン
「次はおまえの番ってだけだ。ルイン・ハサウェイ」
現れたのは、小汚い格好をした小汚い男だった。
その男の年齢は、見た感じ四十から五十歳くらいに見える。もっと上かもしれない。
彼はずかずかと、まるで自分の家のように踏み入って来たが、それは自分の家だからだった。
彼は大きなクーラーボックスを持っていた。大きすぎて、クーラーボックス自体がでっぷりとした一つの生き物のようだった。
クーラーボックスを降ろすと、いかにも重たそうな音がした。
男は言った。
「戦いは避けられないよ。元の場所に戻りたいならな」
「え……」
急にそれっぽい話を切りだす男を前に、私は戸惑った。
「あ、すみません。おじゃましてます」 とりあえず、挨拶から仕切り直した。
「あ、いらっしゃい。気分は?」
「大丈夫です。あざす……。あのー、ダンカン君のお父さんですか?」
「うん……。まあね」
「さっきの話なんですけど……あの……帰れる方法知ってるんですか? 私たちが」
「いや」
男はユルユルのニット帽を帽子掛けに掛けた。
雑な天然パーマ頭は、少しボリュームに欠けていた。
「でも大方察しは付く。君が初めてじゃないからな。もしもやるべきことが分からない場合は、あの赤ん坊が色々教えてくれるはずだ」
ハジメちゃんを顎で示すと、おじさんはソファーに座り、もう他に言うことは無いといった風にタバコを取り出した。
私には聞きたいことがわんさかあったが、疲れている様子のおじさんを相手に、質問攻めは躊躇われた。
初対面だしね。
ダンカンはクーラーボックスを開けて、ハジメちゃんにその中身を見せてあげていた。
「ハジメちゃん、帰れる方法知ってるの?」
「さあ。でも、そのうち天啓が降りて来るかもね」
「へえ……。何見てるの?」
「魚」
「パパは今は漁師なんだ」 ダンカンが言った。
「どんな魚?」
クーラーボックスを見に行った。
大きなそれの半分弱が魚で埋まっていたが、ほとんどは、さっき食事に出てきたような小魚だった。
「きもちわる。このちっちゃい魚ばっかじゃん」
「うん。高く売れる魚は市場で売って来ちゃうからね」
「これどうするの? 食べるの?」
「食べるよ。このまま焼いて食べたり、干したり、チュピにしたりするよ」
「チュピ?」
「塩漬け。持って来てあげようか?」
二カッと笑うと、ダンカンは私たちを待たせ、キッチンからチュピの壺を持って来た。
「行くよ」
セーノ! と壺を開けると生臭いにおいが部屋に充満して、私はくっせえくっせえ言って、泣きながら、同じく苦悶しているハジメちゃんを抱えて退散した。
ダンカンは平気そうにして笑っていたが、おじさんはソファーから移動し、窓から上半身を出してタバコを吸いだした。
避難した廊下で深呼吸をしていたら、近隣の家から、子供のはしゃぐ声と母親の諌める声が聞こえてきた。
そこで、この家のことについて考えた。
母親は居ないみたいだった。内装には洒落っ気の欠片も無い。
仏壇や家族写真が有る訳でもなく、父と子の二人暮らしが板についていた。
大きなお世話だが、とても生活に余裕があるようには見えなかったから、あまり長居して負担をかけるわけには行かない。
でも私たちには一銭も無いし、行く当てなんて有るわけがなかった。
「るい」
深刻そうな顔をしている私を見て、ハジメちゃんが言った。
「なに?」
「おじさんが体の心配してくれたのに、『あざっす』は無いわ」
「うそ、私そんなこと言った?」
「言った言った」
「ほんと? ヤバ……」
「もう臭くなくなったよー」 部屋からダンカンの声がした。
「臭くなくなったって」
「じゃあ戻ろうか」
私たちはリビングに戻った。
「くっさ……」
臭いは残っていたが、だいぶマシになっていた。
いつのまにやらおじさんは居なくなっていて、ダンカンは壺を戻すついでに食器洗いを始めた。
テーブルにはスープが出されていた。
「これ飲んでいいの?」
「どうぞー」
「優しい……」
そのスープは、見た感じシチューみたいだった。
遠慮なく頂くと、シチューだった。
ハジメちゃんには、よく冷ましてから飲ませてあげた。
「るい。赤ちゃんって肺活量ないんだわ」
「はいはい。私が冷ましてあげますよ。このシチューおいしいね」
「これクラムチャウダーだよ」
赤面しつつクラムチャウダーとやらを飲み干した後、洗い物と掃除の手伝いをした。
家に物が少ないこともあって、掃除も洗濯も、そう大変ではなかった。
家事がひと段落すると、ダンカンとハジメちゃんと私の三人で庭のベンチに座って話をした。ベンチも手作りなのだと、ダンカンは自慢した。
彼にとって、父親は自慢みたいだった。
私は、ダンカンパパへの、小汚いオッサンという評価を胸に仕舞い込んだ。
ダンカンはハジメちゃんを抱きかかえながら、私たちにこの家に滞在することを勧めてくれた。でも、その言葉を鵜呑みにして居付くわけにもいかない。おじさんがどう思っているかもわからないし。
だけど……。
せっかく勇者にしてもらって悪いが、モンスター退治云々よりも、今日のご飯、明日のご飯の方が最重要課題だった。こんな乞食コンビが居たら、それはもう悲劇だ。
マッチ売りの少女以来だった。
「ここに停めてもらうにしても、家賃は払わなきゃね」
「そうだね、大人としてね」
「他人事みたいに……」
「わたしはミルク飲みたい。あんたおっぱい出ない?」
「出ないわバカ」
「一回試してみようよ! 一回だけ!」
「アホか! 元の世界に戻った時に死ぬほど後悔するよ!」
「ちぇー」
勇者と赤ちゃんは、金と飯のことで頭を悩ませていた。
すると、私たちの様子を見て不憫に思ったのか、ダンカンが村を案内してくれると言った。
「もしかしたら、働ける場所が見つかるかもしれないよ」
本当に良い子だ。
「そうしてこいよ」
おじさんも賛成してくれた。
「でも、働けても直ぐにお金がもらえるわけじゃないもんね……。しばらくは何とかしなきゃ」
「短剣売ったら?」 ハジメちゃんが言った。
「え?」
「その短剣。装飾とか凝ってるし、結構値段しそう」
「え、いいのかな。これ私物っていう感じがしないんだけど。勝手に持たされてた物だし」
「腰にささってたんだから、るいの物でしょ。そのおお金でちょっとの間しのいで、働いたお給料で買い戻すなり、新しいのを買うなりすればいいじゃん」
「そっか。良い考えかもしれないね」
「他に何か売れそうなものないかな」
「ええと……。ああ……あの宝石さえ持ってこれてたら……」
「あの宝石って?」
「私とハジメちゃんがここに来る前にね、トイレで見たの。でっかい紺色のダイヤ見たいなやつ。あれがありゃ、この町ごと買えるわ」
この発言で場の空気が変わった。確かに品の無い発言だった。
ハジメちゃんは、こいつの本性の捻じ曲がり方は手の施しようがないわという顔をしていた。顔だけでなく、そう思っていた。確実に思っていた。
天才赤ちゃんのことはともかく、ダンカンが黙り込んでしまったので、気を悪くさせたのかもと思い、反省した。
「ごめんね」
でも彼は別に怒ったわけでは無く、若々しく複雑な脳細胞を活性化させていたのだ。
「もしかして……」 ダンカンは言った。「僕、それのこと知ってるかも」
「まじで??」
「昔、パパも同じようなもの探してたから……」
「そうなの?」
「うん、でもダメだったんだ」
「話がややこしくなってきたね」
「そうだね。おじさんが探したのに見つかってないってことだし。私たちにゃ無理か」
「有る場所は分かってたんだけど、魔王を倒さなきゃいけなくて……」
その言葉に思わず、私とハジメちゃんは目を見合わせた。
『ででで、でたー! 魔王様のお出ましだーい!』
その、余りにもファンタジーな響きに、私たちは思わず笑ってしまった。不安や絶望の向こう側に行きついた。
魔王だって! あっはっは!
「魔」の「王」で『魔王』!
「『おっとーさん! おとうさん!』 の歌のやつだ!」
あっはっは!
一目見てみたいとさえ思った。
そんな私たちの反応は、ダンカンにとっては想定外だった。彼は困惑していた。
魔王がツボに入った私たちは、魔王モノマネなんかをしてひっひひっひと笑った。
「え、どうしたの? 大丈夫……?」
ダンカンは、私たちの頭がおかしくなった思ったことだろう。
「ダンカンが真面目な顔で『魔王』とか言うから! ひっひっひ!」
ダンカンの困惑は、心配に変わったようだった。
しかし現実逃避の虜となった私たちは、紙と鉛筆を借りて、魔王の想像図を描き合ったりした。
私はイケメン魔王を描いた。なんだか知らないが、ウインクしながらこっちに宝石を差し出してくれている魔王の図だった。
「なんで宝石差し出してんだよ! なんで差し出してんだよ!」
「ひっひっひっひ!」
ハジメちゃんは絶望的な絵心のせいで、魔王と言うより失神したマンドリルのようになっていた。そいつに吹き出しを付けて、
「地獄まで抱っこで連れて行ってやるぜ」
と言わせていた。
絶対にお断りだ!
「手が胸から生えてる! さすが魔王!」
「ひーっひっひっひっひ!」
そんなこんなでしばらく盛り上がっていると、ダンカンが、魔王は百七十歳の大男だと言って、私たちの夢を壊した。
余計なこと言ってんじゃねえよダンカン馬鹿野郎!
その後、三人で職探しに町にへ出た。