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るいとハジメとモンスター


 目が覚めたと言っても、眠っていた感覚はない。

 頭はスッキリしているし、体も動く。何だこりゃ。今までに味わったことの無い感覚だ。

 周りを見回すと、そこは草原だった。左手には小高い山。如何にも原生と言った感じの、濃い緑がまだらに立ち並んでいる。

 右手と前方にはなだらかな丘が続いていて、空は白を入れ過ぎてしまった絵の具のような水色。とにかく静かで、現実感の無い景色が広がっていた。


「どこ……」

「どこだろうね」

「うわっ!」


 耳元で声がして飛びの退くと、そこには赤ちゃんが居た。赤ちゃんを産んだことが無いので分からないが、多分半年とか一歳とか……そのくらいだろう。黄色いベビー服を着ている。


「きみが喋ったの? なんて。はは……」

「喋ったよ?」

「うわ、喋った!こわっ!」

「いやいや。わたしわたし。ハジメ」

「誰? ハジメ? 誰……?」

「ほら、るいのポエムをレポートで引用した……」

「え、そのハジメちゃん? あの恨みは忘れてないよ?」

「そうそう、そのハジメちゃん」

「そうそうじゃないっしょ。なにそれ、どういうこと?」

「赤ちゃんになったっぽい」

「なったぽいって言うか、完全になってるよ! なんで、怖い怖い。声かわいくない? これ夢? 赤ちゃんになったって? どうして赤ちゃんになったの?」

「知らない。色々あったみたい。それよりも自分の服見て見なよ」

「え?」


 言われるまま、自分の下半身を見下ろしてみると、先ず目に入ったのは、うんざりするほど見覚えのある太腿だった。ケバブみたいに削ってしまいたい代物だ。そして次に目に入ったのは、グイッと鋭角に切れ込んだ下半身の衣装。

 ハイレグだ!


「ハイレグじゃん!」 私は思わず叫んだ。

「アーハハハハハ!!」

「ちょ、笑わないで……ぷぷぷ! ヒーッヒッヒ!」

「岡本夏生以来の! 岡本夏生以来の! ひゃっひゃっひゃっひゃ!」

「誰それ! あっはっはっは!!」



 あーっはっはっはっは!

 ひーっひっひっひ!



 ひゃーっひゃっひゃっひゃっひゃ!




…………




「笑ってる場合じゃないわ……」

 

 余りに景色が長閑だと、笑いが醒めるのも早い。同時に、不安にも鈍感になっていたようで、その不安が一気に心を埋め尽くした。

 

「はぁ……」

「その格好で溜息吐かないでよ。クックックック!」

「ハジメちゃんの落ち着きが異常なんだよ」

「なんだろうね。なんか、ここ来たことあるような気がする。大体の事情も察してるような気がするし」

「何それ。旅行で?」

「そういうんじゃなくて……るい、多分戦わなきゃだめだわ。腰に短剣が有るでしょ?」

「赤ちゃんの声で怖いこと言わないでよ……」


 しかし、確かに腰には短剣が掛かっていた。

 戦うってどういうこと? 誰と?

 ためしに短剣を抜いて、足元の草を切ってみた。家の包丁よりもずっと切れ味が良い。


「こんなに訳わかんないことは初めてだわ。人生で初めてだわ」

「ねえ。おしっこ」

「え?」

「おしっこ」


 ハジメちゃんは、赤ん坊の瑞々しく大きな眼で私を見た。

 彼女は、カラオケボックスで用を足さないまま、この場所にワープしてしまったのだった。


「その辺でしてきたら……。あ、そうか……」

「ごめんね。赤ちゃんとはいえ、お漏らしは御免なんだ」

「ハジメちゃん。今物凄くシュールだからね?」


 赤ちゃんの扱い方に苦労しつつ、多分に気持ちの悪い思いをしながら友人の小用を手伝うと、混乱しっぱなしだった頭は混乱を通り越して達観し、とにかく少しでも現状を把握しなければと思うようになった。

 何時間も何日間も眠ってはいなかったのだと仮定すれば、私たちはついさっきまでカラオケボックスのトイレに居たのだ。

 そこで、倒れている変な格好の女を見た。今は、私がその格好を継承しているように思える……。

 そのトイレで、ネコババして売れば人生三回分くらいは遊んで暮らせると思われる宝石を発見し、一生遊んで暮らしたいという欲求の赴くままに近付いていくと、ポンとこの場所に飛ばされていたのだ。


 ここはヨーロッパの田舎風景。向こうから羊やハイジが現れそうな緑の中、ハジメちゃんは赤ちゃんの姿となり、私はダサいブーツにハイレグスーツでマントを羽織り短剣を差した、岡本夏生顔負けの姿になっていた。

 

 二人で相談して、とにかく人のいる町を見つけようということになった。それ以外に出来ることも無い。

 森の方に向かうのは恐ろしいので、丘を上がってみることにした。

 中高と帰宅部でも、緩やかな丘を上り切るくらいの体力はあるつもりだったが、赤ん坊を抱いたまま上るのは骨が折れた。しかもこの赤ん坊が厄介で、「もう少し上にあげて」だとか、「ちゃんとお尻を固定するように抱いて」などとうるさいので精神的にしんどかった。


「やっぱ呪いかなー」 ハジメちゃんが言った。「あの宝石で呪われたんだわ。わたしたち。あの倒れてた人も呪われてたのかな。なんとかせねば」


 ハジメちゃんが急に真面目なことを言ったので、私は不安が爆発して泣きたくなってしまった。

 でも、ハジメちゃんを抱いたまま泣いてしまったらモロバレだし、割と気の強いキャラで今まで来たものだから必死に我慢した。

 誰だって、一瞬の内にこんな見知らぬ場所に連れて来られたら不安定になる。喚き散らしたくなる。もしも一人だったら、本当に耐えられなかった。二人で良かった……。

 そして、丘の上に立った。


 丘の上からは町が見えた。町が見えると、生きる希望が湧いたようだった。町は小ぢんまり纏まっていて、その向こうは海だった。海は地球を覆い尽くしていた。

 外国に違いない。そう思った。あんな海は、日本にはきっと無い。

 

「英語出来る?」 ハジメちゃんに聞いてみた。

「日常会話程度なら」


 私は、彼女がTOEICで800点台を叩き出していることを知っていた。

 何が日常会話程度だバカヤロウ。


「日本語が通じなかったら、ハジメちゃんに任せるわ」

「え。めんどくさ」


 言葉が通じようと通じまいと、そこには人がいる。誰も居ないよりは随分マシだ。

 微々たるものではあるが、希望が見えて不安は軽減され、足取りは軽くなった。足取りに関して言えば、緩やかな下りに入ったから軽くなったという見方も出来る。

 

ところで、視界の隅には気になる物があった。こう見晴らしが良いと、ちょっとしたものでも目につく。

 しかしそれは近付くにつれ、思っていた以上に大きなものとなり、想像していた……例えば人影や風船や彫像や何かの目印なんかの可能性はどんどん薄くなっていった。

 二人とも、段々近づいてくるそれに当然気付いていたが、大学で培った現実逃避癖のせいで気にしないふりをしていた。

 いよいよそうもいかなくなったときには、そいつと私たちは完全に対峙していると言って良かった。

 こういうのを、モンスターと言うのではないだろうか……。

 そいつは、完全に私たちの方を見ていた。


「あ、ひらめいた! これ戦闘だ」 ハジメちゃんが言った。

「戦闘?」

「そう。るいが戦うの。怖いから降ろして」


 ハジメちゃんを降ろした。


「戦うって、無理でしょ」

「剣持ってるじゃん。立派な剣」

「いやいやいやいや……。向こうも敵意とかなさそうだけど……」

「あるある、めっちゃある。ビシビシ伝わって来るよね。第六感って言うの? わたし、そういうの強めな人間だからさ、自然に分かっちゃうんだわ……」

「私はハジメちゃんが怖いわ」


 でも、本当はモンスターの方が怖かった 

 もう一度、奴を見た。

 奴はこっちとの距離を詰めて来ていた。


「しれっと距離詰めて来てるじゃん!」


 わざと指摘するように叫んだのに、敵は全く怯まなかった。言葉は通じないようだ。

 私は危機を感じると一気に体が硬直して、恐怖で顎がカタカタ言った。

 どうすりゃ良いの? こいつを倒す? この短剣で?


「いや、無理っしょ……」


 その敵は、どんな仕組みか分からないが、重力を無視してプカプカと浮いていた。

 大量のゼリーをビニール袋に詰め込んだような、青く半透明の頭部から、触手のような足が何本か生えている。

 それにしても……。


「何で浮いてるんだろう……」

「倒しちゃいなよ! いけいけー!」

「外野は黙ってて!」

 

 ヤバいでしょ。命の危機って、こういうことを言うんだ……。


「あ、危ない!」 ハジメちゃんが可愛い声で叫んだ。


 ゼリーお化けは触手をニョーンと伸ばして来た。

 このときになってやっと、私の頭には『逃げる』という選択肢が浮かんだのだけど、当然遅かった……。


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