るいとハジメ
「無理っしょ……」
敵は、どんな仕組みか分からないが、重力を無視してプカプカと浮いている。
大量のゼリーをビニール袋に詰め込んだような、青く半透明の頭部から、触手のような足が何本か生えている。クラゲみたいだ。
でもクラゲにしては不気味すぎるし、デカい。その威圧感というか、未知の恐怖みたいなものが、ものすごいスピードで私の心臓をノックしている。
それよりも何よりも、あいつ浮いてる!
「ねえ、何で浮いてるんだろう……」
「倒しちゃいなよ! いけいけー!」
「外野は黙ってて!」
ヤバいでしょ。命の危機って、こういうことを言うんだ……。
「ほら、剣振って! やんなきゃやられるんだよ!」
「でもあいつ笑ってるし……。何で笑ってるんだろう……。え? 何で笑ってるの?」
「そんなこと良いから! るいも笑え!」
「え……?」
私は笑顔を作ってみた。筋肉が硬直していて、上手く行かなかった。
「あ、危ない!」
ゼリーお化けは触手をニョーンと伸ばして来た。
攻撃か、握手か、服の埃を払ってくれるのか。
目的は分からなかった。
目的が分からなかったのは、その直後に私が気絶してしまったからだった。
…………
パンケーキを食べて古着屋に寄り、バイト代をほとんど使い果たしてしまった。
でも、毎日大学の課題に追われる中で、休日の楽しみを自制するなんて出来ない。そんな生活したら、ストレスで発狂してしまう。
今日の相方はハジメちゃん。大学の友達だ。
ハジメちゃんは頭が良くて容姿端麗で実家がお金持ち。
周りからは生きる不公平と呼ばれている。
パンツにTシャツだけでも他人に「オッシャレ~」と言わせてしまう女。すっぴんで学校に来られる女。ショップ店員に洋服のダメだしをしてしまう女。
一方の私は同じ大学に通ってはいるけど、知恵と劣等感で推薦枠に潜り込んだニセモノだ。
容姿はちんちくりんだし、ファッションや諸々のセンスは特に無いし、農家の実家は去年の不作が祟って新調した重機のローンに苦しんでいる。
そんな自分が都会人のコスプレをして、都会人の規範のような友達と遊んでいることは、少なからず快感だった。
食べたスイーツ、買った服は全てツイッターに上げた。誰かがそれを見て喜んでるなんてことは思わないけど、ともかくそうした。それは欲求だった。
「このあとどうする? カラオケ行く?」 ハジメちゃんが言った。
「どうしよう。明日1限目からだし」
「1時間だけ歌って行こうか」
「そうだね。あ、クーポンあるかも。ケータイの」
「新曲試していい?」
ちなみにハジメちゃんは歌も上手い。じゃあどこに弱点があるのかと言ったら、絵心だ。パンダを描いたと言って見せてくれた絵が、太っちょヤクザにしか見えなかった。
「るいのインスタに写ってたミュージシャンって誰?」
「あれね? エニグマっていうバンドなんだけど、地元の友達なんだ」
「え、なにそれ。凄いじゃん!」
「全然。一回ライブ見に行ったけど、キャパ五十人くらいの場所だったし、ド下手くそだったし。顔もイマイチだし。それにギターの子が借金抱えてて、それ返すために一年間バンドの活動やめるみたいなこと言っててさ」
「なにそれ、どうすんの?」
「とりあえずドラムとボーカルだけでやってみるみたいだよ。そしたらアフリカ感が出たって」
二人で笑いながらカラオケに入り、荷物も置かない内から予約を入れた。
ハジメちゃんはカラコンが外れそうだと言ってトイレに出た。
ヒトカラ状態でノリ切れないまま歌っていると、店員がドリンクを運んできた。
喉を慣らしているのですよとばかりに咳払いなんかをしてやり過ごすと、入れ違いでハジメちゃんが戻って来た。
彼女は言った。
「ねえ、なんかトイレに人倒れてるんだけど……」
「え? 何それ。それ、今の店員さんに言った方が良いんじゃない?」
「何かね……。感じるんだわ私。あれ普通じゃねえなって、感じるんだわ」
「何言ってるの?」
ってことで、二人でトイレに向かった。
トイレには人が倒れていた。
トイレに転がるなんて嫌だ。どんなにきれいなトイレでも嫌だ。
その人……恐らく女の人は、大の字になってトイレの床に寝転がっていた。うつ伏せで!
しかし、ハジメちゃんが「何か感じるわ……」とスピリチュアル感剥き出しで言ってきたのは、恐らく他の要素が問題だった。
「なにこの格好……」
女の格好は異常だった。異様だった。コスプレ衣装の貸し出しなんてあったっけ? いや、あったとしても、いちカラオケボックスでこんな卑猥なコスプレに着替える女は気が触れている。
何か、普通じゃないものを感じるわ……。
「るい、ちょっとこの人起こしてみてよ」
ハジメちゃんが無茶ぶりをしてきた。
「え、え、やだよ。やっぱり店の人呼ぼう。それにしても何あの服……」
「ね! あれヤバいっしょ。あんなに鋭いハイレグ見たことないよ」
「ハイレグって?」
「あれのこと、グイってなってるじゃん」
「痴女なのかな……」
赤とピンクと黒の布を身にまとった痴女の人は、私たちが割と大きな声で会話をしているのに起きなかった。うっかりのフリをしてわざとふくらはぎの辺を蹴ってみたりしても、全く起きる気配が無かった。
「臭うわ……。店員呼ぶ前に、ちょっと調べて見よう」
ハジメちゃんは名探偵漫画譲りの情熱を発揮して、果敢にも目の前に横たわるハイレグ女の謎を解明しようとしていた。
臭うわというセリフがトイレという場所とシンクロして、余計に痴女さんが可哀そうに思えてきた。
「まず起こしてあげよう……」
二人で女の頬をペチペチ叩き、反応が無いとひっくり返して上半身を抱え上げてみた。
それでも効果は無いようだった。
ペチペチ叩いた。徐々に、力が入って来て、女の浅黒い頬が赤味を帯びた。
ヤバい、快感になって来た。どこまで本気で叩いて良いんだろう……。
と、その時だった。
「ハジメちゃん、あれって……」
「なにあれ……」
手前から三番目、個室の扉が開いていた。
個室の奥にあるのは、当然便器だ。でも便器の上にあるのは、見たことも無いような大きさの宝石だった……。
見たことも無いような大きさの宝石だった!!
二人は気絶している女を再び横たわらせて一旦忘れ、宝石の方に意識を向けた。
「とりあえずあっちを処理してからにしよう……」
二人は紺色の渦巻く宝石に近付き、観察し、もしくは手を伸ばそうとした。
そこで異変は起こった。