コタツを囲んで
家族3人、コタツを囲んで。
テレビは消して。
さあ、始めましょう。
「俺、酒飲んでないからな。しらふだからな。だから、殴ってもいいんだ」
父親が、母親に確認する。母親は何も言わない。
父親がノートを開く。
「ええ……っと。まず、挨拶しなかったな。なあ?お母さんにか、これ?」
コタツ。コタツ。暖かい。冬の夜、温かくなって寝ちゃって、お母さんがやさしく起こしてくれる。『もう、この子は……』
「自分に都合悪いことは何にも言わないんだからこの子は……」
母親が、沙里をじっと見ながら、言う。
ニヤニヤ笑いながら、舌をぺロッと出して、父親は頬杖をつくと、沈黙を決め込む。
「なんだ、何にもないのか?じゃあ、次・・・」
父親はニヤニヤ笑いのまま、ノートを見る。
「お母さんが怒ったとき、口ごたえをした。」
父親、のどの奥で笑う。
「そういうこと、しちゃいかんだろう。なあ?いいのか?」
そしてまた沈黙した。
母親は、黙って沙里をじっと見ている。
沙里は、沈黙に耐え切れなくて、つい、口を開いてしまった。
「私、口ごたえしたんじゃない。ただ、お母さん、私が言ったことと違うことを言うから、そんなこと言ってない、違う、って言っただけ……」
「なんだあ、そのいいかたあ、ああ?そ、それが親に対する態度か、誰にものいってんだあ。口ごたえすんな」
沙里の言葉は、父親が弾けるきっかけ。行動を促す信号。
「ああ?お前なあ、生意気なんだよ。ちょっと頭良いと思って、調子にのんな。社会出ればな、学校なんて関係ないんだよ」
そもそも社会に出るそのときに関係があるのに、それを子どもに説明できないらしい。
だめだ。
ふらりと、コタツから出て沙里は立ち上がった。足に力が入らないが後ずさる。
「なに逃げてんだ」
荒げた声とともに、髪をつかまれて身動き取れない沙里の顔面に父親の平手が飛んだ。
「女だからげんこつじゃないんだからな。ありがたく思えよ」
コタツの向こうに座ってずっと二人のことを見ていた母親が「あんたたち、似た者同士で仲いいね」と言った。
「座れ。お前は本当に卑怯だな」
そして髪を離されて、卑怯な沙里はコタツに入った。
「なあ、お前、おかしいなあ、しゃべらないしなあ、お前、おかしいよ」
狭いお茶の間、大きくない声量でも響き渡る、
「なあ?」
父親のニヤニヤ笑いは止まらない。
母親は眉をひそめて沙里をじっと見ている。
「お前なあ、わかってんのか、だいたいなあ、生意気なんだ、お前」
母親がときどき「そう……」とか「も、ほんとに……」とか言う以外、父親がずっと何か言っている。
食事のときは無言、休みのときは菓子を食べながら黙ってテレビを見ているだけのくせに、こういうときはずいぶんと言葉が口をついて出る。
父親の言葉を聞いているうちに、気が狂いそうな気がして、沙里はあせった。そして、昔アニメで見た、悪い暗示をかけられたデビルマンが正気を保つために自分の体に傷をつけたシーンを思い出した。
あれだよ。
沙里は、手の皮膚の薄そうな部分に狙いを定めて右手の親指の爪を立て、力を込めた。すでに少し気が狂いかけていたのか、考えられないぐらいの力を込めることができた。
父親が何か言っているのか沈黙しているのかもうよくわからない。
父親から死角に入るコタツ布団の陰で、左手の皮膚から透明な液体がにじみ出た。痛くない。力を込め続ける。少し痛い部分ができて、透明な液体に赤い血が混じった。
わずかな痛みよりも、力を込め続ける行為に集中することで、沙里はその場にいる自分と親との間を、少しだけ遠ざけることに成功した。
彼女はよくわかってる。
この無口で不機嫌な父親の饒舌な語りの後、何が起こるのかわかってる。
ゴールデンタイムのアイドル主演の人気ドラマが盛り上がって来週へ続く時間。
うあ、もう終わり。
残念。誰かが思っていた。少し眠い時間。明日の学校とか宿題とか、いろんなめんどうなもの。友達とか約束とか、いろんなだいじなもの。
沙里は思っていた。
早く、終われ……