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大谷が選んだ小説はかなり意外なものだった。


それは別に彼らしからぬ甘ったるい恋愛モノを選んだとか、実はエログロが好みだと発覚したとか、そういうわけではなくて。



「よりにもよって、一番のボツ作品……」



大手家具販売店で安売りしていた勉強スタンドは、きっと悩める少女を照らすために作られたわけではないだろうが、残念ながら彼が照らすのは頭を抱えた哀れな人間と一向に進まない赤字だらけの原稿。



これは、原稿用紙を買って応募に向けて頑張ろうと意気込んだ初めての作品。


一人暮らしを始めたばかりの私は、このアパートから見える桜の花びらに夢を描きながら原稿に鉛筆を走らせた。



しかし、結局は、初作品。



その内知るようになる文章のイロハから、余りに外れたその作品は、自分で書き込んだ推敲の赤ペンに染められて、最後には虚しさだけを残して消えた。



無駄にした原稿用紙はおよそ百枚。


もう二度と骨折り損はしてたまるか、と、その時から事前にあらすじや構成を決めてから書く習慣を身につけた。



その決意も報われて、今ではB6サイズのメモ帳に、びっしりとネタやストーリーが書き込まれているわけだが。



「この作品、あらすじ決めないで書いたから、結末すら未定なんだよね……どうしよう……」



涼やかな風を入れるべく、窓は開け放している。網戸越しに薄暗い夕景色を眺めて、出るのは溜め息ばかりだ。



使えそうなネタはないかとメモ帳を三度ばかり読み返したが、そんな付け焼き刃なやり方ではどうしたってツギハギだらけの小説になってしまうだろう。



勢いで書いたその作品。


勿論、大谷になぞ見せるつもりがなかったわけで、だから、彼が一日に数枚持ち帰る原稿の中にそれが紛れ込んでいないか、毎回チェックしていたはずだった。


なのに彼はいつの間に読んでいて、きっと私の不注意だったのだろうけど、あのふてぶてしい笑顔、どうしても彼の策なのではないかと邪推してしまう。



……よし、落ち着こう。


折角の唯一の読者だ。

彼からの要望すら叶えられないで、プロになんかなれるもんか。


プロの作家さんは沢山の人の期待を背負って書いている。

たった一人が何だと言うのだ。



決意を固めて、それから外の景色に思案を巡らせた。



ええと、まずは結末から考えよう。

この物語を、ハッピーエンドにするか、バッドエンドにするか。



世の中、幸せな結末か不幸な結末しかないわけではない。


例えば、ハッピーエンドと思わせてのバッドエンド。これは私の十八番だ。

他にも、バッドエンドながらも救いを残すという終幕もなかなか味があるし、ハッピーエンドに見せかけて、気付ける人からすればバッドエンドという、読者に全てを委ねるのも美味しいやり方もある。



そう、終わらせ方というのは本当に多岐に渡り、どれもこれも捨てがたい。



しかし、この作品では、どう頑張っても。



「主人公の夢は叶って、学業、部活、恋人、家族、全て安泰。悪者は成敗されて、見事な大団円、しかないんだよね……」



読んでいて楽しいはずがない。


裏切られた結末や、息も吐かせぬ展開、含蓄のある台詞回しに、美しい比喩表現。

それらがどれ一つ揃ってない。


物語は起承転結を辿りながら着実に幸せに向かっていて、ああ、いっそ最後に伏線一つなくバッドエンドに落とし込んでしまおうかとも考えたが、そんなバランスブレイカーでは意味がないのだ。



「どうしよう」



太陽は自身の姿が物陰に隠れても世界を赤く染める。


そういえば朝日もこんなに赤いのだろうか。


空気による太陽光の屈折という、同じ原理で色が変わるのだから、きっと同じなんだろうな。



そんなしょうもないことに思考を費やして、気がつくと六時。


彼がいつも通りに訪問するならば、あと二時間で彼が来ることになる。



どうにか書けないものか。



いや、別に今日が締切というわけではなく、寧ろ昨日頼まれた作品が今日仕上がったら恐ろしい話で、それでもやはり一字たりとも進みませんでしたというのは非常に申し訳ないし、何だか悔しい。



あの大谷をして、続きを読みたいと言わしめたのだ。


何が何でも舌を巻かせてやりたい。



ボールペンを走らせて、白い原稿は少しずつ黒に染まっていった。




「残念」


ばっさりと、切られた。


お前は私の担当の編集者か。


胸倉を掴んで問い詰めてやろうかと思った。


数時間の私の努力を一言で踏みにじるなんて、いくらあんたでもやり過ぎだろうと。人の誠意には誠意で答えるべきだと。


しかし、大谷は、至って真面目に読んでくれた。

ひねり出した五枚の原稿を、細部に渡って、読んでくれた。


その証拠に。



「あと、誤字だけど、この字、横線が一本多いよ」


「……ご指摘、ありがとうございます」



きっと、今、私は酷い顔をしている。



「深川さん、顔、怖いね」


「お気になさらず」



さっと誤字に赤字を入れてから、ボツの烙印を押されたそれらの原稿用紙を床に放り投げると、大谷はすかさずそれを拾う。


どうやら先日彼が分類した原稿の山達に五枚の仲間を加えようとしているらしい。



彼が整頓してくれた原稿は三つの山に分かれており、彼なりに分類してくれたようなのだけど、片付けを彼に全て任せた私にはどういう基準で積まれたものなのか分からない。


その内の真ん中の山に原稿を丁寧に乗せて大谷は笑顔で言う。



「また座る場所がなくなったら、俺が困るよ」


「……そんなことより、どうしてダメなのか教えてくれないんですか」



座る場所がなくなったら来なければいいじゃないか。

いつもならそう返しただろう。


さもなくば、勝手に整頓された原稿の山々に文句の一つでもつけるところだ。



けれど今の私には憎まれ口を叩く元気もなかった。



悔しくて、それは自覚があるが故の、悔しさで。



「分かってる癖に」



どこか笑うような彼の言葉が耳に痛い。



その通りなのだ。


無理矢理頁を稼いだだけなのに面白いわけがない。



そんなこと、他の誰でもなく私が分かっていることなのだ。



だけど、それでも、何だか胸のもやもやが、取れなくて。



「何だか、何か言いたそうな顔してる」


「……どうしてこの作品の続きが読みたいと言ったんですか」



自身の作品の手綱さえ取れないのだと、突き付けられた事実への情けなさは、一番手綱の取りにくい暴れ馬を選んだ人への怒りへ変わる。



「分かってたんですか、これが一番酷い出来だと。分かってたから敢えて選んだんですか。何でそんな酷いことするんですか」



全てを見透かしたような笑顔を気取るのなら、私の求める全てに答えてみせろ。


四日間の鬱憤と、矜持を踏みにじられた激情と、ごちゃ混ぜにして、語る口調はまるで被害者面。


分かってる。

こんなの無駄だって、分かってる。



何のために皮肉で彼を突っぱね続けて来たのだ。


一人の人間を適当にいなして、穏便な形で関わりを絶とうと、そう思っていたのだろう。



でも。それでも。



「これは私の中で一番出来が悪い作品です。貴方はそれを選んで無理に先を書かせて馬鹿にした。大体、どうして付き纏うんですか。大学生でしょう。友達と居酒屋に行って、課題と格闘して、バイトに汗水流していればいいじゃないですか。何で、好きでもない私の家を訪れて、小馬鹿にしたような態度で、私は、もう……」



言い出した口は止まるところを知らず、だけど、何で、そこであんたは傷付いたような顔をするのか。



あんたならこの局面でも笑えるだろう。この局面でこそ笑うでしょう。



なのに、どうして。



「貴方という人が、まるで、理解出来ません」



そうだろうね、と飄々と笑ってよ。

それは全部深川さんの八つ当たりだよ、と指摘してよ。

所詮君はその程度だろう、と馬鹿にしてよ。



「……ごめんね」



中学時代いつも笑ってた彼の、ここ四日ずっとへらへらしていた彼の、初めて見る表情。



泣き出しそうに笑って、それは酷く狡い。



「俺は、ただ読みたかっただけなんだ。本当に。信じてもらえないだろうけど」


「……信じられるわけが、ないでしょう」



開け放したままの窓の外から、誰かの笑い声が聞こえる。


どこかの犬の遠吠えが、日常に響き渡る。



「小説家、なれるといいな」


「……貴方も医者になれるといいですね」



止める間もなく、止める意思もなく。


消える背中に抱く感情の正体が掴めなくて、もどかしくて、でも、言葉を仕事にしたいと思う者として、表現するなら、きっとそれは、嬉しいとは程遠いそれで。



バタンと閉ざされた扉を、私は何故か、寂しいと、思った。


 

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