小さなお客様
「くそ!!」
俺は階段の踏み板を思い切り蹴りつけた。「ガン」という大きな音が響き、鉄製の踏み板が小さく震えた。俺の体も怒りで震えていた。
フランス料理の店で働く俺は、店の目玉になると思って考案した新しい料理をシェフに味見してもらった。だがシェフは「この料理にもお前にも足りない物がある」と一蹴した。
意味が分からない。料理学校でもトップの成績だった俺に足りない物なんてない。あの料理だって完璧だ。絶対うちの客層に受ける味なのに。あのシェフの舌はおかしい。でなきゃ俺の才能にひがんでるんだ。
「く……」
俺はもう一度階段を蹴り飛ばそうとして止めた。
こんな夜遅くに騒いでたら近所迷惑だ。一階の大家に怒られるかもしれないし、大人しく部屋に戻ろう。
そう思って二階の廊下に上がると、隣の部屋の前に見知らぬ子供が座っていた。
四、五歳ぐらいのおとなしそうな男の子で、体はひどく痩せている。俺を怯えたような目で見て、体をガタガタと震わせていた。顔なんて真っ青だ。たぶん、俺がさっき大きな音をたてたせいで怯えているんだろう。
謝っておくか……
「悪かったな。別にお前に怒ってたわけじゃないから安心しろ。ちょっと仕事で嫌なことがあってむしゃくしゃしてたんだ……」
俺がそう言うと、男の子は安心したのか、こくんと頷いて体を震わせるのをやめた。俺も少しホッとした。
男の子の前を通り過ぎ、自分の部屋の鍵穴に鍵を差し込みながら、ちらりと男の子を見た。男の子は自分の足元をジッと見つめるようにうずくまっていた。その横顔はどこか寂しそうで泣いているようにも見えた。
あの子供はなんだろう……
隣の部屋は俺が入ってくる前から空き部屋だから、誰かの帰りを待っているというわけではないだろう。なら家出か? もしくは捨て子とか? 問題のある家庭ってのは本当にあるもんだな。まあ、どうせ他人だ。俺には関係ない。
そう思って部屋に入ろうとした時、
"ぐうぅ~"
男の子の腹が盛大に鳴った。
もう一度、男の子の方を見ると、俺と目を合わせないように顔を背けていた。よほど恥ずかしかったのか、さっきは真っ青にしていた顔を、今度は耳まで赤くしていた。
「なあ、おい。お前、腹減ってんのか?」
俺がそうたずねると、男の子は慌てて首を横にふった。
「いや、でも……」
今度は千切れんばかりの勢いで首をふった。
「……腹へってんなら、俺のとこに来い。こう見えてもプロの料理人だからな。美味いもの食わしてやるよ」
俺がそう言うと、男の子はこくんと小さく頷き、そばに寄って来た。
別に放っておいても良かったんだが、なぜかそれが出来なかった。単なる同情か、あるいは育児放棄されたこいつに、上司に評価されない自分を重ねたせいかもしれない。
ドアを開け、男の子と一緒に部屋に入り、明かりをつけた。そこで初めて気がついた。
こいつ……何て格好してるんだ……
男の子は異常なまでに汚れていた。服は何日も洗濯していないのかすっかり黒ずんで、風呂にも入っていないのか、体も垢だらけだ。
後で風呂に入れてやろうと思い、奥の居間まで連れて行き、テーブルの前に座らせた。俺はキッチンに行き、料理を作り始めた。メニューは、あのシェフに否定された、まだ名前もない新しい料理だ。
見た目こそハンバーグのようだが、肉にスパイスをきかせ、ワインベースのほろ苦いソースで高級感を出している。ただ、これは大人向けの味付けだから、そのまま出してもあの男の子には苦味が強すぎて食えないだろうな。ソースだけでも甘いものにしてやろう。これなら食べられるだろう。
「さあ食え」
料理を皿に盛り付けると、それを男の子の前に出した。
こくんと頷くと、いただきますも言わずに男の子は勢いよくたべ始めた。その顔はとても嬉しそうに見えた。
よっぽど腹が減っていたんだな……
そんなことを考えながら、俺は自分の分の料理を口に入れた。その瞬間、衝撃が走った。
何だこれ……
俺が考えた料理と同じ物とは思えないほど美味い。ソースのベースになっているトマトの酸味がしつこさを消し、甘みがスパイスのきつさを押さえ込んでいる。さっぱりと食べやすく、それでいてまろやかでコクが深い……
ソースを変えただけでこうも変わるものなのか? 一瞬そう思ったが、おいしそうに料理を食べる男の子を見て、違うとすぐに気づいた。
こいつのために作ったから美味いんだ……
今までの俺の料理は、俺を評価してもらうための、俺のための道具でしかなかった。そんなものどれだけ美味かろうが、お客様に出せるはずがない。
料理は料理人が評価されるために作るもんじゃない。食べてくれる人を満足させるために作るものなんだ。料理のことしか……いや、自分のことしか考えてなかったから、こんな当たり前のことを忘れちまったんだ。そのことを思い出させてくれたこいつには感謝しないとな。
そんなことを思いながら、俺は男の子と料理を食べ終えた。我ながら美味い料理だったと、後片付けをしながら思った。
「なあ、お前。名前は何ていうんだ?」
洗い物が終わり、居間に戻った俺がたずねると、男の子は気まずそうにもじもじするだけで何も答えなかった。思えば、こいつは何も言葉を喋っていない。
ひょっとして口がきけないのか?
そう思った俺はスケッチブックとペンを男の子に手渡した。不思議そうな顔で男の子はそれを受け取った。
「それなら、喋れなくても文字でお前の気持ちが伝えられるだろう」
男の子はまぶしいほど明るい笑顔で頷いて、スケッチブックに何かを書いた。
(ありがとう)
「バ、バカ! 礼とか別にいいから、名前教えろよ!」
急に照れくさくなって思わず顔を背けた。それがおかしかったのか、男の子は小さく笑ってページをめくり別の言葉を書いた。
(陽一)
今度こそ名前のようだ。
「なあ、陽一。お前、何か食いたい物はないか?」
(もうおなかいっぱい)
「今じゃなくていいんだよ。明日にでも作ってやるから、何かリクエストはないか?」
陽一はページをめくるとすぐには書き出さず、少し考え込んだ。どうやら何をリクエストするか決めかねているようだった。
何でもいいんだぜ……
陽一のリクエストなら何でも作ってやる。それは同情などではなく、大事なことを思い出させてくれたせめてもの礼だ。
陽一は何かを書いた。どうやら、リクエストが決まったようだ。
(プリン)
「プリンか……」
出来ないことはないが、俺の本職はパティシエじゃない。そんなに美味くできる自信がない。どうせなら、俺の得意な分野の料理にして欲しかったが……
微妙な顔をした俺の心中を察してくれたのか、陽一はページをめくり別の物を書いた。
(プリン)
同じ物だった……どうやら、この小さなお客様はたいへん強くプリンをご所望らしい。
「どうして、プリンがいいんだ?」
(プリンをたべると、おねがいがかなうの)
「そんなおまじない聞いたことないけどな……ちなみに、どんなお願いをするんだ?」
(しゃべれるようになりたい)
「……!!」
(しゃべれるようになったら、おにいちゃんにつたえたいことがあるの)
そんなことを言われたら作らないわけにはいかないな。
「よし! じゃあ、お前のお願いがちゃんと叶うよう、とびきりおいしいプリンを作ってやるか」
陽一はまぶしいほどの明るい笑顔で頷いた。
俺はその後、陽一を風呂に入れて一緒の布団で眠ることにした。陽一の体は小さく、けれど暖かく、久しぶりに感じた人のぬくもりに、俺は優しい気持ちになれた。人を思いやるということは当たり前のことだけど、凄く大切なことで、そして幸せなことなんだな。
翌日。仕事が終わると、俺はシェフにもう一度あの料理の味見をしてもらった。陽一のためにと味付けを変えたものだ。
シェフは一口食べると、満足そうな笑みを浮かべた。
「いいな。前のとげとげしさが取れて、味に丸みが出ている。自分に足りない物が何か分かったのか?」
「はい。俺は自分のことばかり考えて、料理を食べてくれる人のことを考えてなかったんですね」
「そうだ。俺たち料理人は料理を食べてくれた全てのお客様に満足してもらえるよう、ちょっとした気遣いと工夫が必要なんだ。要は思いやりだよ。料理を食べたお客様に笑顔で「ごちそうさま」と言ってもらい、そのお客様を笑顔で見送って初めて一流の料理人だ。そのことに気づけたお前は一人前だ。そのお前が作った料理だ。店のメニューに加えよう」
「ありがとうございます!!」
俺は深々と頭を下げた。俺の考えた料理が新しいメニューとして店に並ぶ。こんなに嬉しいことはない。だがそれ以上に、シェフに一人前だと認めてもらえたことが嬉しかった。シェフは俺のことをちゃんと見てくれていた。
ちゃんと評価しないとか、自分の才能に妬んでるとか、くだらないことを考えていた自分が恥ずかしい……
俺はもう一度シェフに深々と頭を下げた。
「シェフ、こんな俺なんかに色々と教えてくださってありがとうございます!!」
「何だよ、お前……いつもは生意気な態度してるくせに、今日はやけに殊勝じゃないか。何かあったのか?」
「はい。少し……」
「まあ何があったのかは知らないが、礼なんて別にいらないよ。お前なんて俺から見ればまだまだ子供だ。その子供を見守って色々教えてやるのは大人として当然の義務だからな」
そう言ってシェフは俺の頭にポンと手をおいた。その手は大きく、暖かく、まるで親父のようだった。そんな人がすぐ近くにいて、俺のことを見守ってくれていたことが嬉しかった。
けど嬉しいことはそれだけじゃなかった。
「ところで、お前フランス語はできるか?」
「ええ、日常会話と料理関係の専門用語ぐらいは話せますけど……それが何か?」
「よし、十分だ」
「……?」
「料理修行とかじゃなく、一料理人としてフランスでやってみないか?」
「え!?」
突然のことで何を言われているのか分からなかった。
「フランスで店を経営している友人がいてな。そいつがお前の才能を高く評価して是非うちで雇いたいって前からうるさかったんだ。ただ、お前は自分のことしか見えてないところがあったし、料理の腕だって本場で通じるかどうかは正直賭けだ。だから、黙っていたんだが……今のお前ならやっていけると俺は思う。お前は才能もあるし努力家だからな。まあ、挫折するかもしれないが、それはそれでお前にとっていい経験になるだろう。どうだ?」
「えっと……」
本場フランスで料理人としてやっていく。それは俺にとって一つの目標であり、その目標に手が届きそうなこの話が嬉しくないはずがなかった。正直やっていく自信もあった。シェフもいけると言っている。昨日までの俺なら何も考えずにこの話に飛びついただろう。だが、今の俺は答えに迷った。
「何だ? 自信家のお前でもさすがに腰がひけたか?」
「あ、いや……」
「まあ、日本に残ってもう少し腕をあげて経験をつんでから行くって手もある。どちらにするかはお前が決めろ」
「はあ……」
「返事はいつでもいいから考えておいてくれ」
「はい……」
生返事をして俺はレストランを出た。
帰り道。ずっとフランス行きの話のことばかり考えていた。
やっていく自信はある。もちろん不安もあるが、どこまで自分の腕が通用するのか試してみたい気持ちがそれを超えていた。だが、どうしても気がかりなことがあった。
陽一のことだ。
フランスに行くとなれば、あいつを児童養護施設に預けなければいけない。
自信があるとはいえ、成功するか分からないフランスにあいつを連れて行くことはできない。そんな無責任な真似をして、あいつにひもじい思いをさせたくない。親に返すのも嫌だ。陽一はきっと家庭に何か問題があって家を飛び出してきたか、あるいは捨てられたんだ。そんな家庭に送り返すわけにはいかない。
施設ならあいつがひもじい思いや寂しい思いをすることはないだろう。だが……
だが、それは俺が嫌だ。
俺が変われたのはあいつのおかげだ。その恩人をフランスに行くので施設に預けるというのは、引越しするから犬を捨てるというのと同じじゃないか? あいつはペットじゃない。人間の子供なんだ。
日本に留まってもう少し腕を磨きながら陽一を育て、あいつがバイトして一人でやれるようになったら、フランスへ行こう。俺はまだ若いし、未熟だ。それからでも遅くはない。
そう自分に言い聞かせながら、アパートに帰ることにした。陽一のために作ったプリンの箱がやけに重い……
「ただいま……」
少し浮かない気分でアパートのドアを開けた。陽一の返事はなかったが、奥にいるだろうと思った。
「陽一……?」
だが、奥の居間に陽一の姿はなかった。俺はプリンの入った箱をテーブルの上に置いて、ベランダのドアを開けた。
「陽一!」
だが、そこにも陽一はいなかった。
「陽一!」
風呂にも……
「陽一!」
トイレにも……
「陽一……」
どこにも陽一の姿はなかった。嫌な胸騒ぎがした。
どうして陽一はいなくなったんだ? まさかあいつの身に何かあったのか!?
俺は慌ててアパートの階段を駆け下り、一階の大家のドアを乱暴に叩いた。
「大家さん!! 大家さん、ちょっとすいません!!」
すぐにドアは開き、中から大家のおばさんが面倒臭そうな顔で現れた。
「あら、どうしたの? そんなに慌てて」
「男の子を見ませんでしたか!? 四、五歳ぐらいの痩せた子なんですけど!!」
「……!! あなた、その子を見たの……?」
陽一のことを言った途端、大家さんの顔が青ざめた。だが、そんなことが気にならないくらい焦っていた俺は、大家さんの肩を掴んで怒鳴り散らした。
「俺が見たのかって聞いてんだよ!!」
「落ち着いて!!」
大家さんは俺の手を振り払うと、怯えたような目で俺を見つめてきた。大声で怒鳴ったせいだと思い、謝ろうとしたがそうじゃなかった。
「あの子はね……」
陽一は……………………死んでいた。
俺と出会う三年も前に。
陽一は幽霊だった。
三年前。俺が住んでいる隣の部屋に若い夫婦と小さな子供の三人で暮らしている家族がいた。その子供が陽一だ。陽一は生まれた時から誰とも話したことがなく、そんなあいつを両親は気味悪がり、ある日あいつを置いて出て行った。陽一は帰ってくることのない両親をずっと待っていた。恐らく親に「そこにいろ」とでも言われ、腹が減っても物音一つ立てず、ジッと待っていた。人の目に触れられにくい押入れの中で……そして、そのまま腹をすかして死んでしまった。あいつの死体が見つかったのは新しい入居者が押入れを開けた時だったという。
その話を聞いた俺は、驚きや恐怖より、怒りや悲しみで頭が変になりそうになった。
どいつもこいつもふざけやがって!! どうして、誰もちゃんとあいつのことを見てやらなかったんだ!! あいつは話さないんじゃなくて話せないんだよ!! そのぐらい親なら分かれよ!! 大家もどうしてちゃんと部屋を調べなかったんだよ!! そうすれば、あいつが残されていることぐらい分かったはずだ!! 誰かがどこかであいつのことを、もう少し、ほんの少しでも見ていれば……シェフが俺を見てくれたようにあいつを見てくれれば……あいつは……死ななかったかも知れないのに……
そう思った時、俺はアッとなった。
『どうせ、他人だ。俺には関係ない』
最初に陽一を見た時、俺もそんなことを思った。俺も人のことは言えなかった。俺みたいな自分のことしか考えない大人たちが、あんないたいけな子供を殺してしまったんだ……子供を見守るのが大人の義務のはずなのに……
どうしようもなく悲しくなり、涙を流しながら部屋に戻ると、テーブルの上に置いてあったスケッチブックが目に留まった。陽一にあげたスケッチブックの一枚目に書かれた(ありがとう)の文字がひどく悲しく見えた。俺はそのスケッチブックを手に取ると、陽一の頭をなでるように(ありがとう)と書かれた文字をなでた。
陽一は俺に色んな物をくれた。ギスギスした俺の心を和ませてくれた。ほんの少しだが、家族が出来たみたいで暖かい気持ちにもなれた。あいつは俺を変えてくれた……その礼も言ってないのに……他にも言いたいことや、教えてやりたいこともあるのに……お前はどこに行っちまったんだ、陽一……
寂しさを紛らわせるため、陽一が二枚目に書いたあいつの名前を見ようと思ってスケッチブックめくった。
「……!!」
そして愕然とした。そこに書かれていたのは(陽一)ではなかった。
(ありがとう、ボクのことをこわがらないでいてくれて)
「あいつ……」
俺は逸る気持ちを抑え、スケッチブックを慎重にめくった。
(ありがとう、ボクにやさしくしてくれて)
「…………」
俺はゆっくりとページをめくった。
(あんなにやさしくしてくれたの、おにいちゃんだけだった)
「っ…………」
それは裏を返せば誰にも優しくしてもらえなかったということだ。俺はそれがなぜだか無性に悔しかった。
(ボクはおにいちゃんがだいすき。だからボクは……)
「……!!」
次のページをめくった瞬間、スケッチブックを持つ俺の手が震えた。いや、全身の震えが止まらなくなった。
(ボクはてんごくにいきます。おにいちゃんがフランスにいけなくなっちゃうのはイヤだから)
あふれ出した涙が止まらなかった。あいつは全部知っていた。俺がシェフにフランス行きの話を持ちかけられ、そのことで陽一のために日本に留まろうかと悩んだことも、全部。だからあいつは消えたんだ。俺の迷いを消すために。本当は俺よりも、誰よりも、あいつが寂しいはずなのに!! ずっと一人ぼっちだったはずなのに……
(おにいちゃんならフランスに行っても大丈夫だよ)
(だって、こんなにおいしいプリンを作れるんだもん)
「おいしいプリン? あいつ、食べたのか?」
プリンの箱を開けると、中の容器が一つだけ空になっていた。
一人で先に食べやがって……
(おにいちゃん……フランスでもたくさんがんばってね……)
(ボクもたくさんおうえんするからね……)
(おいしいプリン、ありがとう……)
(それじゃあね……バイバイ……)
最後の方は文字が滲んでいた。その滲んだ文字に涙を落とし、また滲ませてしまった。
バカ……俺はまだお前に教えたいことがたくさんあるんだよ……食わしてやりたい料理だってまだまだあるんだよ……なのに、勝手に行っちまいやがって……
「そう言えば……」
俺は箱の中に残ったプリンを見て、ふと思いだした。
(プリンをたべると、おねがいがかなうの)
(しゃべれるようになりたい)
(しゃべれるようになったら、おにいちゃんにつたえたいことがあるの)
あいつの伝えたいことは何だったのか……それすらも、分からないまま俺は一人で残ったプリンを食べた。陽一はおいしいと言ってくれたが、一人で食べると、おいしいとは思えなかった。
「陽一……俺はお前と一緒に食べたかったよ……おいしそうに食べる……お前の顔を見たかった……そして……」
そうつぶやいた時、小さな手に肩を叩かれた気がした。そして、陽一の書いたあの言葉を思い出した。
(プリンをたべると、おねがいがかなうの)
まさか、俺が陽一に会いたいと思ったから……それでプリンを食べたから……本当に……
「陽一!?」
だが、後ろを振り返っても陽一の姿はなかった。ただ、
「クスクス……」
小さな男の子の笑い声が聞こえ、その声が俺の耳元でこうつぶやいた。
「ごちそうさまでした」
あいつ……せっかくの願い事をこんなことに使いやがって……俺の一番言って欲しかった言葉を言ってくれやがって……ありがとう、陽一……お前は最高のお客様だったよ……だから、いつか俺が店を構えるぐらいの料理人になったら……その時はまた化けて出て来い……腹いっぱいになるまで美味いもの食わしてやるからさ……
俺は天井の向こう側の夜空を見上げ、
「またのご来店、心よりお待ちしております……」
小さなお客様を笑顔で見送った。