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「自分の書いた小説に転生したのに、設定が崩壊してるので“書き換え”ながら生き残ります」―作者なのにヒロインに殺されかけてます―  作者: 百花繚乱


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第12話「真理は、続きを疑う」

真理は、その一文を三回読み返してから、四回目でようやく息を吐いた。


――屋上の続き、勝手に終わらせるな


画面の中央、テキストエディタの白い画面に、それはたしかに表示されていた。打ち込んだ覚えのない一文。コピペでもなければ、自動保存の残骸でもない。カーソルの点滅は、その文のすぐ後ろで静かに続いているのに、キーボードに触れたのは自分だけだ。部屋は静かだった。エアコンの低い駆動音と、窓の外を通る車の遠い音、それから自分の呼吸の荒さだけが、妙に浮いて聞こえる。


「……は?」


ようやく出た声は、驚きよりも警戒に近かった。真理は椅子から少し身を離し、モニターを睨んだ。パソコンが勝手に文字を打つなんて、ホラーでもなければ笑い話だ。けれど、今の真理にとって問題なのは“あり得ない”ことではなく、“あまりにユイらしすぎる”ことだった。


屋上の続き。


それは他の誰にも意味が通らない。高校でも大学でもなく、社会人になってから、締切前にユイが限界を迎え、原稿から逃げるみたいに外へ出た夜のことだ。雨のせいで人のいない雑居ビルの非常階段を上がって、使いもしない屋上スペースに二人で座り込んだ。缶コーヒーはぬるく、空気は湿っていて、ユイは最悪な顔で「このシーンまだ続き書いてない」とだけ言った。作品の話なのか自分の人生の話なのか、当時の真理にも判断がつかなかった。だから真理は「なら勝手に終わらせるな」と返したのだ。投げやりで、雑で、それでもあのときの自分なりに必死な言葉だった。


その返しが、今ここにある。


「冗談じゃないでしょ……」


真理は椅子の肘掛けを握ったまま、画面を見つめた。これがもし悪質なハッキングなら、悪趣味すぎる。ユイの個人ファイルを覗き込み、過去の会話を再現し、文体の癖まで真似る必要がある。そんな労力をかける人間がいるのか。しかも、ここ数日の“おかしな更新”は一度や二度ではなかった。


ユイが行方不明になってから五日。警察には届けた。事故や事件の可能性も考えた。けれど足取りは不自然なくらい途切れていた。最後にマンションの防犯カメラに映ったあと、街中のどこにも彼女の姿がない。スマホは部屋に残っていて、財布も半分そのまま、原稿だけが開いた状態でノートパソコンに残っていた。ここまでなら、まだ“蒸発”や“事故”という言葉で無理やり説明する人もいるだろう。でも真理には、どうしても腑に落ちないことがあった。


ユイの書きかけのファイルが、増えているのだ。


それも、雑に増えるわけじゃない。新しい章立て。途中までしかなかった人物メモに追加される癖のある比喩。日付のついていないプロット断片。未保存のはずの下書きに、ユイなら絶対こう置く、というところにだけ入っている修正。文章を書く人間にしかわからない“癖”が、そこかしこに残っている。真理は編集者でも校閲者でもない。ただ長く隣で読んできたからわかる。この位置で三点リーダを二つ続けるのはユイだ。語尾に余韻を残しすぎて、あとで自分で嫌って消すのもユイだ。どうでもいい比喩だけ妙に詩的になるのもユイだ。


だからこそ、怖かった。


これはユイだ、と思えるほど、意味がわからなくなるから。


真理はそっとキーボードに手を置いた。返すべきだ、と頭の半分が言う。いや、返すのは危険だ、ともう半分が言う。そもそも何に返すのか。誰に。どうやって。相手が本当にユイだったとしても、普通ではない。普通ではない何かにこちらから踏み込んでいいのか。けれど、五日間、何もできなかった。警察に電話し、病院を確認し、ユイの母親に連絡し、弟ともぎこちなく話した。現実的にできることをやって、それでも空振りが続いた。そのあとにようやく来た“あり得ない証拠”を、無視できるほど真理は冷静ではなかった。


「……っ」


気づけば、喉の奥が痛かった。泣きそうになっているのだと気づいて、真理は乱暴に鼻で笑う。こういうとき、ユイなら絶対笑う。最悪の展開を引いた自分をネタにして、乾いた声で「私、世界観に巻き込まれてない?」とか言う。冗談みたいなことを言って、本気で怯えるまでを一人でやる。そういうやつだった。


「……巻き込まれてんの、こっちだっつの」


小さく呟いてから、真理はキーボードに指を置いた。返答は長くしない方がいい気がした。根拠はない。でも、さっきの一文は短かった。長々と説明されたものではなく、切れ端だった。ならこちらも、切れ端で返すべきかもしれない。


だが、すぐには打てない。証明がほしい。たぶん向こうも、こちらと同じだけ手探りだ。だったら、最初に必要なのは確認だ。真理は深く息を吸い、打ち込む。


――続きを勝手に書いてるの、あんたでしょ


そこまで打って、指が止まった。違う。これは最初の紙片と同じだ。もっと踏み込む必要がある。真理は打った文を消し、別の一文に変えた。


――次は、証拠ちょうだい


これなら通じる。ユイは意地でも何か返してくる。悔しいけど、そういうところがあった。真理は送信ボタンのない画面を見つめたまま、エンターを押す。普通のテキストエディタだから、何が起こるわけでもない。文字はそこに残るだけだ。けれど、その瞬間、カーソルが一度だけ不自然に震えた。真理は目を見開く。ほんの一瞬だが、画面の明度が変わった。テキストの端が、にじんだようにも見えた。


「……本当に、何」


部屋の空気が少しだけ重くなる。怖い。怖いけれど、今のは“無反応”ではなかった。真理は自分の手首を押さえて、鼓動を落ち着かせようとした。落ち着くはずがない。自分がいま、行方不明の友人とPC越しに会話しようとしている。まともな神経でいられるわけがない。


スマホが震えた。画面を見ると、「母」の文字。ユイの母親ではなく、自分の母だ。真理は数秒迷ってから無視した。今はそれどころじゃない。だが、その直後また震える。今度はメッセージ通知。差出人は「秋月さん」――ユイの母親だ。真理は一瞬ためらい、それから開いた。


『急にごめんね。あの子の部屋にあったノート、少し見てもいいかしら。パスワードとか分かる?』


真理は目を閉じた。現世も止まっていない。こっちではこっちで、残されたものを掘り返している。ユイの不在は、現実の生活の中でちゃんと穴になっている。その事実が胸に重く落ちた。


返信を考えながら、真理は視線をPCに戻す。白い画面には、さっき打った「次は、証拠ちょうだい」がそのままある。その隣に、見覚えのない半透明の点が一つ浮かんでいた。最初はゴミかと思った。でも違う。点はじわじわと伸び、やがて細い縦線になり、そこから、かすれた文字のようなものが滲み出す。


真理は息を止めた。


――ま


一文字だけだ。


しかも、きちんと表示されたわけではない。薄い。消えかけのインクみたいだ。画面の奥から無理やり押し出されたような、頼りない一文字。でも、それで十分だった。ユイは無事です、なんて綺麗な報告じゃない。ただ、“返そうとしている”という事実だけは、これ以上なく伝わった。


「……ばか」


笑ってしまった。泣きながら笑うみたいな、どうしようもない顔だったと思う。真理は画面に手を伸ばしかけて、やめた。触れたら消えそうで嫌だった。代わりに、ノートアプリを開いて見たままを記録する。時間、表示位置、前後の操作、明度の変化。感情だけで飛びつくのは危険だ。たぶん今必要なのは、信じることと同じくらい、記録することだ。ユイが本当に何か向こう側にいるなら、こちらは感情に溺れるだけじゃ駄目だ。向こうへ届く規則を掴まないといけない。


真理は、ユイのことをよく知っている。知っているからこそわかる。ユイは勢いで飛び込むけれど、いざとなったら理屈にすがるタイプだ。感情で泣きそうになっても、最後には構造の話をする。だったら、今ここで必要なのは“悲しむ友人”より、“仕組みを追う相棒”だ。


「……よし」


真理は自分に言い聞かせるように呟き、ユイのPCのローカルフォルダを開き直した。見覚えのあるタイトルが並ぶ。その中で、一つだけ、ユイが見せるのを嫌がっていたフォルダがある。名前は雑で、『保留案まとめ2』としか書かれていない。中身はたぶん、使わなかった設定や、未完成のプロットや、見せるほどではないと思っていたメモの山だ。真理はそのフォルダをこれまで開いていなかった。開けば、ユイの“半端な部分”まで勝手に覗くことになると思ったからだ。でも、今はそんな綺麗事を言っている場合じゃない。


クリックする。


フォルダの中には、日付もタイトルも雑多なテキストが詰まっていた。『ヒロイン別案』『没・王都災害』『作者が内側に入った場合』『家族パート重くなりすぎ注意』『真理を出すと現実寄りになりすぎる?』。最後の一行を見て、真理は思わず固まった。


「は……?」


自分の名前があった。ユイのメモの中に、確かに。冗談みたいな気分になる。だが、そのファイル名を開くと、内容はもっと冗談では済まなかった。


『現実側の友人ポジは強すぎる。作品に入れると便利になりすぎる。でも、現実との接続点としては最も自然。ユイが本当に困ったとき、真理だけは異常を異常として受け入れてしまう気がする』


真理はしばらく無言でその文を見つめた。腹が立つ。めちゃくちゃ腹が立つ。勝手に分析するな、と言いたい。便利すぎるって何だ。人を機能みたいにメモするな。でも、同時にわかってしまう。ユイはそういう人間だ。大事な人間ほど、物語の中にどう置けば壊れないかを考えてしまう。守ろうとして線を引き、結果的に一人で抱え込む。だからこそ今、ここでいなくなっている。


「本当に……ばかだな」


今度ははっきり声に出た。


真理はそのファイルを閉じずに、その周辺のメモも開いていく。ヒロイン案、別ルート、没イベント。読めば読むほど、今ユイの周りで起きていることと一致する断片が増えていく。しかも、完成稿ではなく“作る途中のもの”ばかりだ。投稿されていた本編だけではなく、ユイが途中でやめたもの、保留にしたもの、使わなかったもの、それらまで含めて、向こう側で何かが動いている気がする。


つまり、もしユイが本当に自分の書いた世界にいるのだとしたら、それは一つの完成作品の中ではない。ユイがこれまで書こうとして、書けなくて、捨てて、迷って、それでも消せなかった全部が積み重なった“創作の層”の中にいるのだ。


思考がそこまで辿り着いた瞬間、真理は寒気を覚えた。ユイの作品を読んできた自分だからこそ、そこがどれだけ危険かわかる。完成した物語なら筋が通る。けれど未完成なものは違う。矛盾がある。穴がある。感情だけ先にあって、説明が追いついていない。使うつもりだった伏線が放置され、キャラの動機が固まる前の台詞が転がっている。そんなものが現実になったら、危険に決まっている。


「……ユイ、あんた今、最悪な場所にいるじゃん」


PCに向かって言うと、当たり前だが返事はない。だが、さっきの一文字がまだ頭から離れない。ま。たぶん「待ってて」の、最初の一文字。あるいは「真理」の、ま。どっちでもいい。あの一文字に、今のユイの必死さが全部詰まっている気がした。


真理はスマホを取り、秋月さん――ユイの母親へ短く返信した。『パスワード、たぶん誕生日じゃないです。ユイ、昔から二重にひねるので、わかったら連絡します。あと、部屋の紙類は捨てないでください。重要かもしれません』


送信してから、しばらく画面を見ていた。やがて既読がつく。すぐに返事は来なかった。その沈黙が、逆にユイの母親の不安を伝えてくる。真理は少しだけ目を伏せた。自分にはできることがある。たぶんある。だったらやるしかない。


再びPCの前に戻る。真理は新しいテキストファイルを開き、タイトルをつけた。


『ユイ接続・観測記録』


大げさでも何でもない。もう普通の失踪案件としてだけ扱う段階は過ぎている。ユイの不在は現実にあり、同時に、向こうから文章が来ている。その両方を並べて持たなければいけない。真理は時間と現象を書き留め、関連しそうなファイル名を整理し、共有記憶の候補を別枠でリスト化した。屋上。締切直前のコンビニ。使い捨てにした掌編。二人で考えた没タイトル。ユイが絶対に人に見せたくないと思っていた比喩。思い出せるだけ思い出す。


記録しているうちに、少しだけ落ち着いてきた。泣くのは後でいい。怖がるのも後でいい。今は整理だ。向こうのユイもたぶんそうしている。だったらこちらも同じ速度で進む。


一時間ほど経ったころ、再び画面が揺れた。さっきほどはっきりではない。白い背景がほんの一瞬だけ灰色になり、その中に何かの線が浮かぶ。文字ではない。罫線のような、乱れた筆跡のようなもの。それは一秒にも満たず消えた。真理は即座に時刻をメモし、スクリーンショットを連打した。確認すると、完全には写っていない。だが一枚だけ、右下に薄く、見覚えのある形が残っていた。


それはユイの癖字の「ゆ」に似ていた。


「……くる」


思わずそう呟いていた。来ている。向こうから。断片でも、失敗でも、崩れた痕跡でも、とにかく来ている。


そのとき、部屋のドアがノックされた。真理はびくりとして振り向く。返事をする前に、母親が顔だけ覗かせた。


「まだ起きてるの? さっきから電気つけっぱなしで……」


言いかけて、母は真理の顔を見て止まった。「何、その顔」


「別に」


「別に、じゃないでしょ。泣いた?」


真理は答えられなかった。すると母は小さくため息をつき、ドアを大きく開けて入ってくる。昔からこうだ。余計なときは放っておくくせに、本当にまずい顔をしているときだけ妙に勘がいい。


「その子のこと?」


真理は一瞬だけ迷ってから、頷いた。説明してもたぶん信じない。信じても困る。でも、嘘をつく気力もなかった。


「見つかるよ」と母は言った。慰めのつもりだろう。でも今の真理には、その曖昧さがやけに遠く感じられた。見つかる。そうだといい。でも、“どうやって”が問題なのだ。


「……探す」と真理は言った。


「うん」


「普通じゃない方法でも」


母は眉をひそめたが、深くは聞かなかった。代わりに机の端にペットボトルの水を置いて、「倒れない程度にしなさい」とだけ言って部屋を出ていく。ドアが閉まる。静寂が戻る。真理はしばらくそのまま座っていた。


そして、またPCを見る。


真理は新しい文を打った。


――証拠って言ったけど、焦らなくていい。そっちが書ける形で返して


一度止まる。何か足りない気がした。そうじゃない。真理は消して、打ち直す。


――焦るな。あんたはすぐ無茶する


今度はしっくりきた。たぶんこれも、短すぎて、他人には意味が薄い。でもユイには通じる。真理はエンターを押した。すると画面の端で、さっきの「ゆ」に似た形が、ほんの少しだけ濃くなった気がした。


その瞬間、真理は確信する。これは一方通行じゃない。向こうも、必死で形を探している。だったらこちらも探す。ユイの作品を読んできたこと。ユイの書き癖を知っていること。ユイが見せなかったメモを掘り起こすこと。その全部を使ってでも、接続を太くする。


「待ってろ」


真理は画面に向かって静かに言った。「今度はこっちが、あんたの続きを探す」


その宣言に応えるように、テキストエディタの下端でカーソルが一度だけ大きく明滅した。気のせいかもしれない。けれど真理はもう、それを“気のせい”として片づけるつもりはなかった。


向こうにユイがいる。いるなら、届く。届かせる。


そのためにまず必要なのは、信じることだけではない。

**読んで、記録して、理解すること。**


真理は再び『ユイ接続・観測記録』を開き、先ほど見つけたメモの一つに赤いマーカーを引いた。


『真理を出すと現実寄りになりすぎる?』


「遅いんだよ、ユイ」


苦笑しながら、真理はその行の横に自分で書き足した。


『もう出てる。しかも本気で』


部屋の外では夜が深くなっていく。けれど真理の中では、ようやく何かが始まっていた。失踪した友人を探すだけではない。書かれた物語の向こうへ、書き手本人を取り戻しに行く。その無茶な作業の、最初のページが。


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