第7話
窓際の席から、ざわつく教室を眺める。
入学式から二週間。 クラスメイトたちは、まだ新生活への期待に胸を躍らせているようだった。
反面、僕はと言えば少し冷めていた。
明確な目標もなければ、趣味もない。部活動に入るつもりもさらさらなくて、かと言って勉強に打ち込むほどの集中力もない。
この先三年間、いや、そのずっと後のことも。考えれば考えるほど、未来のビジョンは霞んで見えなくなる。
彼らは、どうしてあんなにも楽しそうにしていられるのだろう。
「相変わらず斜に構えてるな、葵」
「……うるさいな」
僕の前の席に腰を下ろした佐助が、呆れたように言った。
「お前は僕のオカンか」
「ま、腐れ縁ってやつだ。この高校じゃ、俺もお前くらいしか知り合いがいないしな」
「佐助は部活の試合とかあったし……顔見知りくらいいるだろ」
「見たことある奴は数人いるけど、話したことなんてねぇよ。立場は葵と同じだ」
僕らが通うことになった公立真白高校。
父さんの転職がきっかけで、僕はエスカレーター式の私立を離れ、この高校へ入学した。ここを選んだ理由は特にない。強いて言えば、偏差値が丁度よかったからだ。
「っていうか、佐助はどうしてこっちに来たんだ?」
「その質問、毎日してないか?」
「別にいいだろ」
「いいけどさ。……お前は親の都合。こっちは俺の都合。これでいいか?」
「よくない。理由になってない」
「あー……ま、この話はやめだ。もうチャイムが鳴る」
佐助の予言通り、予鈴が鳴り響く。
現在時刻は七時四十分。五分後から授業――通称「ゼロ限」が始まる。
こんな制度があると知っていたら入学しなかったのに。……なんて、知っていたところで結果は変わらなかっただろうけど。
予鈴が鳴っても、クラスメイトたちは席に着こうとせず、話に花を咲かせていた。 担任が現れて一喝されるまでがセットなのだろう。
よそのクラスも似たようなもので、廊下からは賑やかな喧騒が聞こえてくる。
けれど、うちのクラスの場合は少し事情が異なる。
この一週間で、僕らは学習してしまったのだ。
パンパン、と乾いた音が教室中に響いた。
「ほら、みんな席につけ。そろそろ竹瓦先生がいらっしゃるぞ」
クラス委員長の、多田澪さん。
肩口で切りそろえられた黒髪は、流行りのゆるふわ系ではなく、すとんと落ちたおかっぱに近いボブヘア。長い前髪をピンで留め、その瞳は鋭く教室を見渡している。
彼女の凛とした声はよく通る。
入学当初は大人しそうな生徒に見えたのに、抽選で委員長になった途端、彼女は率先してクラスを仕切り始めた。
「ほら、浜脇くんも木村くんも。授業の準備」
「はいはいっと」
名指しされた佐助は、適当に返事をして席に戻る。
何となくだけど、多田さんは男子に厳しい。
いや、厳しいというより、一定の距離を保って寄せ付けない感じだ。
多田さんは、控えめに見ても美人だ。
背丈が高く、スタイルもいい。特に胸部は、同年代の女子と比べても発育が良い方だろう。
だから入学当初は男子人気も凄かったけれど、告白した連中は全員玉砕したらしい。
結果、色めき立つ男子たちも、多田さん相手にはおべっかを使わなくなった。
どうせ無駄だと理解したのだろう。
クラスメイトたちが大人しく席に戻る中、僕は初めから座っていたので、ぼんやりと多田さんを眺めていた。
その時、ふと彼女と視線が交錯した。
「あ」
「…………」
思わず声が出た。 多田さんの鋭い瞳が、僕を射抜く。
怒られるのかと思って身構えたけれど、彼女は何も言わず、じっと僕の顔を見つめていた。
数秒の沈黙。 探るような、何かを確かめるような視線。
「……む」
やがて彼女は、不服そうに小さく唸ると、興味を失ったように自席へ戻っていった。
なんだろう、今の間は。
「……おー、皆揃ってるな。感心感心。それじゃあ……ほれ、このプリント回して、解いて。俺、寝てるから……」
教室のドアが開き、覇気のない声が響く。
担任の竹瓦先生だ。 ダルそうに丸椅子に腰掛け、早々に目を瞑る教師を横目に、僕はプリントを受け取る。
けれど、文字を目で追っても内容は頭に入ってこなかった。
さっきの多田さんの視線が、妙に引っかかっている。
僕らは初対面のはずだ。 なのに、あの一瞬の眼差しに――どこか懐かしい「既視感」を覚えたのは、僕の気のせいなのだろうか。
◇ ◇ ◇
「飯、喰おうぜ」
「あ、うん」
昼休み。
呆けていた僕に、佐助が声をかけてきた。
その手には、購買部で勝ち取った焼きそばパンが握られている。
佐助は手近な椅子を引き寄せて座り、包装を破りもせずにじっと僕を見た。
「いや、そんなに見つめなくても。先に食べてていいよ」
「……悪いな」
僕は四時限目の板書を必死に写し終え、ようやく母さん手製のお弁当を取り出した。
ちなみに、佐助のパンは既に胃袋の中だ。相変わらずせっかちな奴だ。
「そういやさ、あおい」
「うん?」
「部活。どこに入るか決めたのか?」
「うーん、僕はいいや。特に興味のある部活動なかったし」
卵焼きを口に運ぶと、佐助は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「何言ってんだ、お前」
「え?」
「いやマジでさ。この高校、全生徒『部活動参加必須』だぜ?」
時が、止まった。
「……は? マジ?」
「マジ。生徒手帳見てみろって」
慌てて学ランの胸ポケットから手帳を取り出し、ページを捲る。
そこには確かに、『生徒心得:文武両道の観点より、原則として全員がいずれかの部に所属すること』と明記されていた。
「ちなみに、入部届の提出期限、明日だぞ」
「んなっ……!?」
嘘だろ。
さらなる追い打ちに、僕は机に突っ伏した。
「毎日ホームルームで先生言ってただろ。どんだけ上の空だったんだよ」
「……佐助はもう決まってるのか?」
「まあな。ちなみに、うちの部活は辞めた方がいい。バリバリの体育会系は、あおいには向かねぇよ」
「自分でもそう思う」
体力、根性、忍耐力。
僕に欠けている三大要素だ。そんな場所に飛び込めば、三日で蒸発する自信がある。
さて、困った。
選択肢は文化系か、活動実態のない「幽霊部員」が許される運動部か。
「……今日の放課後、色々見学してみるよ」
◇ ◇ ◇
放課後。
部活へ向かう生徒たちの波を避け、僕は昇降口の掲示板へ向かった。
所狭しと貼られた勧誘ポスターの山。
「将棋部、放送部、漫研、美術部……どれも、ぱっとしないな」
どうしても文化系の部活に目が行ってしまう。
脳内には「運動したくない」という確固たる意志があるからだ。
「んー、どうしよっかなー」
「え?」
不意に、隣から声がした。
気づけば、すぐ真横にもう一人、生徒が立っていた。
上履きの色からして、同じ一年生だ。
不本意ながら小柄な僕よりも、さらに頭一つ分小さい。
横目でちらりと様子を伺う。 ボーイッシュなショートヘア。
ふわりと香る、柑橘系のいい匂い。
というか――滅茶苦茶に、可愛い。
芸能人なんて目じゃないくらいの美少女だ。
ぱっちりとした瞳に、すっと通った鼻筋、桜色の小さな唇。
ショートヘアがここまで似合う女子なんて、そうそういない。
「ねえねえ、キミもまだ、部活決めてないクチ?」
「え? あ、はい」
突然話しかけられ、思わず敬語になってしまう。
「わたしもなんだー。運動部はもういいかなって思ってるんだけどー、他の部活はどうも、ぱっとしないっていうかー」
「そ、そうだね」
見ず知らずの男子にこの距離感。コミュ力の塊か。
僕はと言えば、同年代の美少女に話しかけられているという事実だけで、心拍数が上がっているというのに。
「んー……ま、一個ずつ適当に回ろうかな。それじゃあね、木村くん」
女子生徒は手をひらひらと振って、軽やかに去っていった。
……ん? 今、僕の名前を呼ばなかったか? 同じクラスだったっけ?
いや、あれだけ可愛ければ記憶に残っているはずだけど……。
まあ、いいか。
可愛い子と話せただけでラッキーだと思おう。
気を取り直して掲示板に視線を戻す。
その時。
一枚の、少し古びたチラシが目に留まった。
『女子剣道部、マネージャー募集中』
――剣道。
その二文字を見た瞬間、脳裏をあの日々が過った。
レイくん。
彼もまた、剣道をしていた。
「……マネージャー、か」
生徒手帳には、マネージャーも部員として認めると書いてあったはずだ。
これなら、運動音痴の僕でも務まるかもしれない。
それに女子剣道部なら、むさ苦しい男子運動部よりはずっと平和だろうし、人数もそう多くないはずだ。
「うん、とりあえず……ここに行ってみよう」
僕はメモ帳に『女子剣道部』と書き込んだ。
まさかそこに――。
「彼」……もとい、天敵となる「彼女」が待ち受けているとも知らずに。
僕はのんきに、運命の扉へと足を向けた。
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