第21話
「どうすればいいんだよ……」
浴室で湯船に浸かりながら、呟いた言葉が虚しく響く。
木村葵の声では駄目だった。遠くて、全く手が届きそうな気配すらなかった。
じゃあ一体、誰の言葉ならあの背中に触れられるのか。
別府さん?
堀田先輩?
それとも、付き合いが長いと言っていた松原先輩?
どれも正解のように思えて、どれも不正解にも思えた。
「あー、もう!」
浴室で叫んだ僕の声がこだまする。
反響したその声は、男にしてはあまりにも高く、女性のそれと大差なかった。
「……あ」
そこで、思い浮かんだ。
誰の声なら、多田さんの心に触れられるのか。
一人だけ、居るかもしれないって。
ただの推測で、何もかもをぶち壊してしまうかもしれない危険な賭けだ。
だけど――。
これ以上にないくらい、最善の策に思えてしまった。
僕は慌てて風呂を上がり、一目散にのぞみの部屋へ向かった。
計画に必要なものを、彼女は持っているからだ。
「のぞみ!」
「んあ?」
扉を開けると、のぞみはベッドでうつ伏せになって雑誌を読んでいた。
来訪者たる僕を見ながら、咥えたせんべいをパキンと割る。
「どしたの」
「……あのさっ」
僕は思いついたプランをそのまま口にした。
もっと言葉を選べばよかったのに、この時の僕はやけに焦っていたのだ。
だから、あんなとんでもない言葉を口走った。
「のぞみの服を貸してほしいんだ!」
「……」
返ってきたのは、しばしの無言と、せんべいを噛み砕く音。
そして――。
「デジャブだとか、またその癖が蘇ったのかとか、色々言いたいことはあるけど、とりあえずさ」
「う、うん!」
「服、着たら?」
耐え難い羞恥心だった。
***
理由は説明できないけれど服を貸して欲しい。
のぞみは僕のそんなお願いを快く(?)了承してくれた。
『実兄が全裸で部屋に突撃してきて、妹の服を貸せと頼んできた件』
なんてことをネットの海で呟こうとしたのは必死で止めた。
それから、「ついに目覚めたの?」と聞かれたが、それも断固として否定した。
今日だけ、少しだけ、と訳の分からない釈明を繰り返して。
選んだのはシャツとカーディガン、それにロングスカート。
上はまだいいとして、のぞみとは身長が違うから、ロングスカートのはずが膝上丈になってしまった。
知り合いに見られたら切腹ものだ。
なるべく人目を避けながら、僕が向かったのは学校の近く。
今日、僕は部活を休んで真っ直ぐ家に帰った。
そして、彼女の部活が終わる頃合いを見計らって、服を着替え、帽子を深く被ってここまで来た。
電話でもいい……そうは思えなかった。メッセージも違う。
直接姿を現して、気持ちを伝える必要があったんだ。
唾を飲み込み、心を決めて、横断歩道の前で立ちつくす彼女の背中へ向かった。
そして、普段意識して低くしている声を、生来の高さに戻してかける。
「――レイ、くん」
「え――?」
「こ、こっち向かないで! は、恥ずかしいから……」
僕はそう言って彼女に近づき、背中に両の手のひらをそっと当てた。
「……もしかして、その。ゆ、まもるさん、なの?」
多田さんは、そっぽを向いたまま、決して振り返らないようにして聞いてきた。
僕は小さく頷いて言った。
「……そうです」
「っ、やっぱり……居たんだ。うちの、学校に」
彼女の身体が強張るのが、背中越しに伝わってきた。
「し、」
「え?」
「知ってたの? その……私が、女の子だって」
そう言えば、彼女は今セーラー服姿だ。レイくんを男性だと思っていたとすれば、明らかにおかしい。
僕は再度頷き、額を軽く彼女の背中に押し当てた。
「……三年前の文化祭で、あの後、見たから。その……男装女装コンテストに出ている、レイくんの姿を」
咄嗟の嘘だったけれど、全てが嘘でもない。
このタイミング以外にレイくんを女性だと知る機会はなかっただろうから、悪くない言い訳だ。
「そっか……」
多田さんは、どこか安堵したような、落胆したような様子で俯いた。
「……わ、わたし、ね。時々この辺りに来て、その……見て、ました。レイくんの事」
「え……?」
「す、すすす、ストーカーみたいですよねっ。あははっ」
これは完全にエラーだ。なんだ、ずっと見てたって。
ストーカー云々より、僕の正体がバレていないかの方が心配だ。
「そ、そんな事ない!」
多田さんが遮るように言った。
「……声」
「え?」
「声、かけてくれればよかったのに」
「……ごめんなさい。勇気が、出なかったから」
「……ううん。こっちこそごめん。たぶん、私も、逃げてたかもしれない」
しばし無言が続く。信号が変わっても、僕たちはそのままの姿勢で居続けた。
ずっとこのままというわけにはいかない。
僕は今から、最低な事をしようとしている。人の好意を利用しようとしている。
でも――これしか解法がないと思った。
どれだけ叫んでも、木村葵の声は届かない。
だけど……「まもる」の声なら、彼女の心に響いてくれる。
僕の本気を伝えられる。
「あのね――」
「待って!」
遮られた。
彼女は深く深呼吸をして、「私にも言いたい事があるから」と口にする。
「私から言わせて」
「……うん」
どんな言葉が飛んで来るのかと身構えた。
けれど、僕の耳に届いたのは、とても優しい響きだった。
「私、ずっと好きだった。まもるさんの事。その、同性同士だけど、……この気持ちは、嘘じゃない」
頬が急速に熱くなる。脳みそが火傷しそうなくらい痺れた。
嬉しかった。
この時、僕は自覚した。
ああ、僕もこの人の事が、好きなんだって。
「へ、変な事言ってごめん。……だけど、伝えないとって」
「……うん」
僕は額を、こつんと彼女の背中に当てた。
恥ずかしくて顔を上げられなかった。
「私、まもるさんがもしも男の人だったとしても、好きになってたと思う。……あは、なに、言ってんだろ」
「……うん」
「まもるさん、背、伸びたんだね。もっと小さかったように思うけど」
「……一年も会ってなければ、多少は伸びますよ」
「だね。だけど……手は、小さいままだ。それに、声も。綺麗なまま」
「……うう、恥ずかしいよ」
「あはは、ごめんね。さ、次はまもるさんの番」
彼女はそう言って、左の手のひらを後ろへ差し出した。
僕は伸ばされたその手に、そっと指先を重ねた。
彼女は優しく、僕の手を包み込んでくれた。
「……少し固い。マメができてる」
「……わ、わたしも、運動部に入ったんです」
「そうだったね。だけど、そっか。頑張ってるんだ」
お互いの体温を感じながら。
吐息を耳で確かめながら。
僕はすっと息を吸い込んだ。
「――ずっと見てたって、言いましたよね」
「……うん」
「じ、実はその……聞いてしまったんです。この間、レイくんが男子生徒と話している所」
「っ、あ、その! か、彼は別に彼氏とかじゃなくって、」
「わかってます」
ギュッと、僕は安心させるように手を握り返した。
「……それと、この間のメッセージ。返信、出来てなくてごめんなさい。ずっと考えてました」
レイくんから――多田さんから届いた、悲痛なメッセージ。
大事なものが多いから、何かを切り捨てる必要がある、と。
「どっちもを、選ぶことはできないの?」
「……無理、だよ。二兎は追えない。どちらかしか、選べない」
「そ、それでも!」
急に声を荒らげた僕に驚いたのか、多田さんの指に力がこもる。
「レイくんには、かっこいいままでいて欲しい! わ、わたしのわがままだけど、誰かを切り捨てて、悪を見過ごすなんて、してほしくない! れ、レイくんは、わたしの……ヒーローだから!」
年上の男子二人に囲まれて、縮こまっていたあの日。
その声に、差し出された手のひらに、僕は救われた。
女の子みたいだと言われ続けて、いつしか臆病になっていた僕。
昔はもっとハチャメチャで、泥だらけになって、喧嘩もしていたのに。
たぶん僕は、レイくんの姿に、かつて自分が憧れていた「強さ」を見ていたんだ。 困っている人を助ける、本当のヒーローの姿を。
僕はそっとレイくんの手を離した。
距離を取り、彼が振り返らないことを確認して、背を向けた。
「ごめん!」
「、まもるさん!」
追いすがる声を振り切るように、僕は駆け出した。
――これ以上、多田さんの中にある『まもる』のイメージを壊すわけにはいかない。
もし、その時が来るとしたら。
僕が、多田さんのクラスメイトとして。
木村葵として。
自分自身を『まもる』だと名乗る、その時だ。
今、やれるだけの事は全部やった。
僕自身の決心も固まった。
『わたし』の出番は終わったのだ。
今度は――『僕』の番だ。
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